ジオターゲティング
2014年11月30日(日) 06時57分29秒

訪問看護ステーション事業 その4(教会員)

テーマ:訪問看護ステーション事業
最初、この訪問看護ステーション事業の概要を教会員の皆さんに明かしたときには、皆さん、びっくりされたようでした。何より、過疎化と高齢化が進む地域の小さな教会が新しい事業を立ち上げる、その事に対して強く動揺したようでした。

そこで「70歳以上の方は手を挙げて下さい」と呼び掛けると殆どの方々が手を挙げられました。これほど高齢化しているのが木造教会の現実です。そんな中、「自分が寝たきりになったらどうなるのか」、「自分はどのような看取られ方をするのか」という心配が日常的に話題となっていました。「教会で老人ホームは作れないか」と雑談で言われたこともあります。そんな不安に対して「教会で老人ホームを作ることは出来ないけど、居宅訪問型の訪問介護、訪問看護事業なら皆さんの自宅看取りに貢献できる」というのが私の出した答えでもありました。

皆さんの目の色が変わりました。

今まで、教会や牧師に迷惑をかけてはいけないと思っていたものが、教会の事業である訪問看護ステーション事業の設置によってはじめて、保育所経営から結婚式、そして終末医療などを経て葬式まで、つまり「揺りかごから墓場まで」を教会が面倒を見ることが出来るようになった訳ですから。地域の福祉を厚くするためにも、まず、教会員からこのサービスを使うことが求められる…教会に世話になっていいんだ、なるべきなんだと考えが変わったように思います。

更に、訪問看護ステーション事業は県の認可事業になりますから同一県であれば、一人の看護師確保できれば、サテライトステーションを設置することができます。つまり、青森県内に関して言えば、ニーズがあればどこへでも支援ができるわけです。近隣の教会に対してもお手伝いをすることが出来るようになるわけです。

これって各県の教会が一箇所認可を取れば、全国津々浦々まで希望する人の終末医療に対して教会が関わる事が出来ることを意味します。私たちの教団のことを例にとって考えれば全国1800箇所ほどの教会がある訳ですが、この全てに訪問看護ステーション事業やそのサテライト事業を設置できれば、とても素晴らしい事が起こると思うのです。

無論キリスト教だけではないでしょう。仏教などの寺院の数を考えれば、とてつもない数になります。人生を通して信じた信仰の中で、死を迎えることをどう保障するか…これはとても大切な仕事だと思っています。
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2014年11月27日(木) 17時55分52秒

黄色い車がやってきた

テーマ:千葉家新報
千葉家新報 11月27日付

千葉家に一風変わった自動車が納車され、ご近所で話題になっている。

納車された車は、ダイハツ「ミゼット2」。

ミゼット2

オート三輪で一世を風靡したミゼットの後継車で、1998年製の超小型車である。独特な形状で話題となりながら、発売当初は一人乗り設定のみ(後に二人乗り設定も発売)で用途が限定されたことなどから総生産台数は1万4000台とかなり希少な車である。

ミゼット内装

前オーナーがマニアックな人だったらしく、カーゴエリアには補助席を設け、また、小さなキッチンセットが付けられている。納車されたミゼット2を見た息子(8歳)は「ちっちゃい、かっこいい」とご満悦。また、娘(4歳)はキッチンセットに魅力を感じたようで、「ここでお料理しようよ」と盛り上がっていた。

お父さんによると、「学生の頃、形に一目惚れした車だった。勤め先が新事業を行うため、宣伝用として小遣いをはたいて購入した車」とのことで、今後はその事業所のステッカーを貼り、業務車として使用するとの事。

乗ってみた感想を聞くと「通行人、対向車から注目を浴びる」と効果を実感した一方、「3速ATなので、高速走行などは相当しんどいです」「後輪駆動なので、雪道などはとても大変じゃないか」と喜びを語った。また、シートが貧弱であるため、長時間の運転を繰り返すと腰痛の発生源になることも危惧されている。

ミゼット2は現在保育所駐車場で、一般公開され来春からの訪問看護ステーション事業に於いて本格デビューすることになっている。

ステッカー
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2014年11月21日(金) 17時20分58秒

訪問看護ステーション事業 その3(児童福祉との兼ね合い)

テーマ:訪問看護ステーション事業
私が訪問看護ステーション事業に興味を持ったのは、第一に「父の看取り」のことでありましたが、第二に「地域医療への貢献」があり、そして更には「地域の児童福祉の向上」というものがありました。

例えば、木造保育所では身体に障害を持ったお子さんの受け入れも可能なように、看護師を配置しています。例えば下半身不随などで自己排尿できないお子さんに実施する「導尿」などは医療行為であるために、本人か家族か看護師しかできないと言うのが行政の判断になります。他にも若年性糖尿病で欠かせないインスリンの注射も同様です。つまり、看護師がいない限りは、そのお子さんが自分で出来るようになるまで、保護者が行うしかない訳です。

しかしながら、たとえ保育所に看護師がいたとしても小学校はどうでしょうか。小学校に看護師がいなければ、やはり「じゃあ、保護者にやって貰うしかない」という話になってしまうわけです。それでも、共働きでなければ何とかなるでしょうが、共働きであれば保護者は仕事を休んで学校に通わなければいけない訳で、相当な負担になります。

以前、木造保育所では、その様な卒園児に対して半年間看護師を無償で派遣し続けました。半年で済んだのは、学校に看護師が配置されたからでしたが、それまでの間に、隣市の訪問看護ステーションなどにも保護者さんや教育委員会の方が相談したりしましたが、「小児は自信がない」と断られたりしてうまくいかなかったのです。

だったら、どうすればいい。

その答えが訪問看護ステーションの設置でした。

訪問看護に必要な医師の指示書さえもらえれば、訪問看護は実施できます。また、訪問看護が入る中で、医療支援が必要なお子さんの学校生活とその保護者さんの労働が補償できればこれほど良いものはないと思うに到った訳です。

やはり、最後まで児童福祉の向上を夢見ながら、教会として歩んでいきたいと思っています。
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2014年11月20日(木) 17時04分40秒

どうなるんだろう?

テーマ:保育所
消費税の引き上げ一年半延期、総選挙12月14日実施…保育所の所長としては、とてもヤキモキするニュースが相次いでいます。

消費税の引き上げ延期は、そのまま、平成29年度に行われる「保育の質的改善」が先延べされると言う事を意味しています。

来年度より(…もう既に4ヶ月余後)には子ども子育て支援新制度が実施される訳ですが、その制度で予定される「質的改善」は消費税増税とセットになっています。予定では増税分の内7000億円を園児や職員に対する処遇改善に適用するはずで、その税収が確保できる平成29年度がその最初の年と位置付けられていましたが、今回の引き上げ延期はそのまま、質的改善が1年半繰り下げられることを意味します。

今、待機児童0を目指して行われている政策では平成29年度末には、需給反転(待機児童が0になり全ての保育所が定員以下になる)のを目指して行われている訳ですから、もう、実質的に質的改善なるものが「税収不足」による「保育サービスの買い叩き」なんて事も起こるかも知れません。

更に、現在もまだ新制度の細部が検討段階ですから、この選挙の結果如何によっては、何がどうなるのかも判らなくなってしまうのではないかという危惧もあります。

そんな中、私たちができることはただ一つ。お子さんを中心として保護者の皆さんに適切な支援を提供することなんですが、そのためにはまだまだ勉強しなければいけない事がたくさんありますね。

大切な事にのみ目を向けて自分の為すべき事を真剣に行うこと…それが全てです。

お祈り頂ければ幸いです。
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2014年11月15日(土) 22時07分25秒

子ども子育て支援新制度

テーマ:保育
あと4ヶ月後に迫った、「子ども子育て支援新制度」。

子供を親の就業状況等に応じて「1号」、「2号」、「3号」の各認定に分けて支援していく訳ですが、その一方で、参入障壁も極力排すると言うことも盛り込まれています。

全国版の概要はほぼ決定し、後は細かいところを12月ぐらいに発表する訳ですが、津軽のような過疎地に住んでいると「新制度は大都市向けに作られた制度」で「こちらにとっては迷惑千万」という反応が殆どです。

その一方で制度の概要を細かく見ていきますと、過疎地などに対しては「地域版子ども子育て支援計画」というものをそれぞれの自治体で策定することが盛り込まれています。

無論、幼児施設の根拠となる法律などが改正・制定された訳ですから今のままでOKと言う訳にはいきません。その制度を用いてその地域の子供達の福祉をどのように厚くするかを考える事が必要ですが、過疎地域にあっては、各施設がギリギリの状況の中で何とか保っている状況ですから、それをまとめようとしても簡単にまとまるものではありません。

しかし、その地域の最後の一人にまで支援が行き渡るようにすると言うのもまた、この新制度が求めているものです。だからこそ、それぞれの知恵とスキルを出し合って、一体的な連携体制を構築しなければならないのです。

これに関連した研修会等に行くと「どのようにして生き残るか」という言葉を最近よくみみにします。しかし、これでは共倒れしか招きません。

保育所がなくなることは、その地域にとって子育て支援の資源が壊滅してしまうことを意味します。去年から、木造保育所では、統廃合の結果使われなくなった施設を市から借りて、病後児保育を始めました。

その保育所の閉園時にそこから転園してきた園児の保護者さんが、「あそこでの夏祭りって地域にとっては楽しみだった」と伺いました。

大げさに言えば、「子育ては地域の文化」と言うことができると思います。制度に振り回されて地域の文化たる子育ての支援拠点を失うばかりでは悲しすぎます。

市民、行政、施設が一体となってこれからの子育て支援を語り合わなければいけない…その時期が今なのだと強く思わされています。
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2014年11月10日(月) 09時30分48秒

偉くなると言う事

テーマ:教育
幼児期、お手伝いなんかをした後「偉い?」と聞いてくる子って結構多いものです。そこで「ああ、偉い偉い」と返すと、嬉しさにとろけそうな顔をします。

彼らの中では、「偉くなること」=「大人になること」という構図があるのが見て取れます。これは、上下の関係性の中に子供達が身を置いていると言う事を意味します。

その一方で、「偉い人」が「良い人」であるかどうか思慮を巡らす必要があるのが、大人の世界の悲しい現実です。

世の中には、「偉い人になりたい」という子供の願望を持ったまま大人になる人が多くいるようです。

子供の「偉い人になりたい」という願望は、「出来る事が多くなりたい」、「相手に喜んで貰いたい」という意味合いを含んでいるのに対し、大人の「偉くなりたい」というのは、「周りの人をこき使って、使って自分が何でもできるように見せたい」という願望に無意識の中で置き換えていることに気が付いていません。でも、そういう人は「偉い人」とは決して呼ばれないでしょう。

「偉い」という褒め言葉は結果論でしかありません。
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2014年11月06日(木) 18時29分18秒

訪問看護ステーション事業 その②(西北五地域の医療事情)

テーマ:訪問看護ステーション事業
折しも、この地域の広域連合の病院再編が行われ、つがる市では入院施設を持つ病院が五所川原の病院に整理統合されてしまい、診療所が設置されることになりました。

新装オープンしたつがる市民診療所は、連日多くの患者さんが押し寄せ、そこに職場健診なども押し寄せるという案配で、聞いたところによれば、「診療所職員は座る暇もないほど忙しい」という状態だとか…。

当然、朝早くから整理券を取りに並び、診療所はまるでテーマパークの人気アトラクションの行列の様。見かねた近所のスーパーが弁当を持ち込み、弁当販売を販売し、その弁当を待合室や診療所の周りで患者さんが食べている…。これじゃあ、「元気じゃなきゃ病院に行けない」と患者さん達がこぼすのも判る気がするような状況になっています。

外来がそんな案配ですから、入院を必要とする患者さんも、すんなりとは入院ができない。広域連合で統合設置した病院は西北五地域(つがる市、五所川原市、鰺ヶ沢町、深浦町、中泊町、鶴田町)に三つの病院しかないのですから、満員の時には遠くの病院に転送されることも多く起こっていると話に聞きました。

その一方で、訪問看護ステーションはつがる市には皆無の状態でした。去年、西北五地域で初めての病後児保育施設「保育支援センターにじの樹」を設置して来た私たちとしては、学校に通う障害を持つお子さんにも貢献するため、半年間、保育所として無償で看護師を送り続けた経験を持つ私たちとしては、医療的な支援の薄さを痛感した出来事でした。

そんな中での父の看取り体験(訪問医療体験)は教会としての歩むべき道を指し示しているものだと確信にも近い想いを抱かせるには十分な出来事だった訳です。
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2014年11月05日(水) 09時27分38秒

訪問看護ステーション事業その①

テーマ:訪問看護ステーション事業
デス・エデュケーションという言葉があります。直訳すれば「死の教育」…何とも怪しげな雰囲気になってしまいますが、ウィキペディアフリー百科事典によれば、「死への準備教育(しへのじゅんびきょういく、death education)」とあり、内容は「人間らしい死を迎えるにはどうすべきか、に関する教育」の事と紹介されています。具体的には、「必ず訪れる『死』を見つめることによって、限り有る『生』を充実させることを目的とする内容が多い。」と紹介されています。

私も教会の牧師ですから、葬式などは何回も司式をしたことがありますし、また、末期の病状の方のお見舞いに伺い、その方の死について、不安などを伺ったり死のことをお話ししたり、はたまた、臨終に立ち会ったりすることは、教会では臨床牧会と呼ばれ、牧師の重要な務めの一つでもあります。

しかし、そういうことをやっていながら思うのは、そもそもの医療的ケアそのものに、どう信仰を反映させることができるかと言うことを私たちは追認するしかないという現実でした。たとえ、患者が自宅看取りを希望してもそれを支える術そのものが教会にはなく、木造教会のように高齢化している教会では喫緊の課題であったとも言えます。

「教会で老人ホームを作れないか」…自分の看取りに不安を覚える高齢の方々から、何度か提案されたこともありますが、制度や資金の壁などで、なかなか実現できないなあと思っていたその頃、父が末期の膵(すい)癌であることが判明しました。まだ、本人も家族も余り自覚症状のないうちから、余命4ヶ月という宣言を受けたわけですが、そうなれば、途端にホスピスや緩和ケア病棟に問い合わせなければ行けない状況に陥りました。

何せ、どちらも入院待ちが数百人。即申し込んだとしても運良く最後の1~2週間入る事ができるような案配…。

そんな中、父は自宅看取りを希望した訳です。

両親は仙台市に住んでいますので、訪問医療が発展していたこともあり、訪問診療医の訪問を受けながら緩和ケアを中心に闘病生活をスタートしました。日を決めて、訪問診療医が訪問して下さり、訪問看護師と訪問薬剤師が薬の管理、常態観察をして下さいます。父は、体の動く限りは愛用のカメラを抱え毎日散歩をし、たまに温泉などに行ったりし、ブログを更新したりしながら気儘に過ごすことができました。病院食ではなく、食べたいものを食べることもできたこの闘病の日々は父にとってとても良かったようです。

癌による痛みなどの症状が出てきてから、徐々に点滴やモルヒネの量を増やしながら、それでも本人は亡くなるその日までトイレに自分で行き、テレビを見ながら、家庭の中で家族が気付く間もなく息を引き取りました。

危篤を聞いて私が駆けつけたとき、「あ、寝てるんだ」と言うと弟が私に手を交差して父が亡くなったことを示唆しました。それほど、穏やかな看取りであったのでしょう。

そして、思ったことは、これなら教会でもできるのではないか、いや、教会でこそやらなければいけない事だと言う事でした。
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2014年11月02日(日) 08時05分07秒

新しいもの、古いもの

テーマ:説教
だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、破れはいっそうひどくなる。また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。
マルコ福音書2章21~22節

 去る30日、31日とつがる市民間保育所連合会の主催による「新子ども子育て支援システム」の研修会が行われました。細かく解説することは難しい事ですが、簡単に言ってしまえば今までの制度で出ていた弊害を一挙に解消することを目的として新制度は設計されていると言うことです。これはどういう事かと言うと、現状を否定する事から始まっていくことを意味します。都市部の待機児童問題、過疎部の児童減少問題、児童虐待などの主要な問題を現代の子ども子育て支援システムでは、何ひとつ解決できて来ませんでした。

 無論、 保育所としても頑張ってきたつもりです。保育所が保育に欠ける子供達を精一杯預かる努力を重ねてもその事を食い止められませんでした。しかし、「無い袖は振れぬ」、「職員にも生活がある」という現実の中で制度にがんじがらめにされて、結局は「決められたことを決められたようにやることによって、お金を貰う」というサービス業の形態に追い込まれてしまっているのが実情なのかも知れません。誤解を恐れずに言えば、子供達が社会から邪魔者のように扱われ、その責任が保護者に押し付けられていくことを、保育所は無意識的に助長してきたようにも思うのです。しかし、6ヶ月後に実施される新制度はそれとは正反対で、正に、「自分たちで考えて、自分たちで福祉を実現すること」を求められています。自治体単位で、責任を持って最後の一人まで、しっかりと子育てを支援していく仕組みを作り、実践していくことが求められています。

 さて、冒頭のたとえ話ですが、古い革袋には古い革袋なりの、古い布には古い布なりの価値があります。新しいぶどう酒を古い革袋に入れればそのぶどう酒が熟成する中で、革袋を破裂させてしまうからです。ぶどう酒は古いものの方が良いのは当然です。しかし、新しい革袋に入れてしまえば、その風味は新しい革袋特有の癖の強さによって殺されてしまうのですから。だからこそ、古いぶどう酒を入れるには古い革袋も必要です。

 教会は新しい革袋なのか、古い革袋なのかと問う向きもありますが、それは大きな問題ではないと私は思います。なぜなら教会は、神によって恵みを実らされる木なのですから。私たちは絶えず新しい実りを与えられ続けていく者でしかないのです。それを、私たちは新しい革袋に入れ、寝かせて「良き古き味わい」にしていく使命を帯びているのでしょう。どちらかではなく、「一緒に」であり、「生き残り」ではなく「創造」なのです。

 新制度を目の前にして、こう考えることはできないでしょうか。「新制度を与えられた今、その新しい制度は私たちを自由にした」と。その制度を充実させていくことができるのは神に召され、神に導かれた者たちの特権と考えれば、なんかわくわくしてきませんか。


「真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物とし、信仰を盾とし救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取り、どのような時にも、”霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」
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