ジオターゲティング
2014年04月24日(木) 00時55分11秒

いちごのとセーラの手紙

テーマ:子供たち
お返事


先日の記事「お返事が来た」http://ameblo.jp/ootahachiman-ch/entry-11830412069.htmlにコメントを頂きました。

吉田先生(http://ameblo.jp/educa-zidoubungaku/)という方から、下記の様なコメントを頂きました。吉田先生はブログに拠れば、「『児童文学で人間力を育てる』をキャッチフレーズにした、小学生のための国語と算数の学習塾」を経営しておられるとのことで、時々、児童の色々な内面の成長を研究し、大変勉強になる記事をブログに載せて居られます。

そんな吉田先生から、下記の様なコメントを頂きました。見る人が見ると色々な意味がわかるもんだなあと感心しながら、後日談も付けて、ご紹介したいと思います。

ここから=================

1■題:「お返事」に込められた熱き思いに感動!

チバさん、ちょっと、堅苦しくてごめんなさい。
娘さんが「姉」と慕うお友達からの「返事」に込められた思いに、いたく感動してしまい、お節介とは自覚しつつもコメントです。

お友達からの「お返事」を解読すると・・・
こんなふうに書いてあるようですね。

「いつも(「も」は鏡文字)ありがと(「と」は鏡文字)ま(このあと2行目の「い」と「ご」が消してある)とうありとうと(「と」は鏡文字)ごさい(このあと消してあり)つもあがと(この「と」も鏡文字)」

以上の文面から推測できること、3点。

①何度も何度も、消しながら同じ文面を書いていること。
②彼女の書きたかったことは、「いつもありがとうございます」という言葉であること。
③その懸命さからは、二人で「お手紙」をやりとりすることへの、女の子特有のハイテンションな気持ちまでもが伝わってくること。

素敵ですねえ。
とっても幸せな気分にさせてもらいました。
娘さんに宜しくお伝え下さい。


ここまで=================

実は後日談として、書こうかなあともちょっと悩んでいたのですが、実は娘はこのお手紙をすらすら読めていたんですねえ。文字は知っていても組み合わせることをまだ知らない4歳5ヶ月の娘がです!!妻が教えてくれました。

早速、読んで貰ったら、内容は何度聞いてもこうでした。

「いちご ありがとうございます。らいねんもまたあおうね。セーラより」

だそうです。しかも手紙を見ながらそう読みます。

文字も読めない娘がそういう風に読むってビックリして感動しています。

「吉田先生」が仰るように、そこには私たちが忘れた字面ではない二人の心のやり取りがこのお手紙によって伝わっていたようで、感動してしまいました。

「吉田先生」の推測、大当たりです。本当に素敵ですねえ。特に③の「女の子特有のハイテンションな気持ち」は本当にそうだと思いました。

こういう奇跡を見せられて、親は成長していくのかなあと、そんな事まで思ったり…。

さあ、明日はどんな体験が待っているのやら。

だから親は止められません!!


ランキングに参加しています。お気に召しましたら、

↓クリックしてください。

AD
いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)
2014年04月22日(火) 19時00分58秒

お返事が来た

テーマ:千葉家新報
千葉家新報4月22日付け

4月18日、保育園で娘が姉と慕うお友達が我が家に訪問した。大感激の娘は、早速二人で、アイドル活動会社を設立。娘の芸名は「いちご」。お友達は「セーラ」である。若干呼び間違いがあるものの、そのたびに修正し合い、離れの部屋に立て籠もり芸能活動を開始した。

セーラが自宅に帰る時間になり、見送った後「いちご」は庭の花を手折って、お手紙を送る事を思い付き、暗い中庭の花を探し、その後お手紙を書き始めた。

お手紙


頬杖を突き、考えながら手紙を書く「いちご」。手紙には想いの丈を記し、翌日、前の晩に手折ったお花を添えて保育園で渡すことができた。「セーラ」は「嬉しい!」と受け取ってくれた。

それから3日経ち「セーラ」からお返事が届いた。先輩アイドルからの手紙に興奮気味の娘は、その手紙を父親に見せ、せがんだ。

「読んで、読んで」

「ああ良いよ」と応じた父親だったが文面を見て戸惑った。

暗号??

お返事


未だに秘められた内容を解明することもできずに戸惑う父親。「読めないのと言うのと、読んであげる振りをするのとどちらがリスクが高いか、そこが問題でした。正確な情報を得るのはなかなか難しいものです。」と父親は話した。

結局、適当に娘に読んであげるのだった。


ランキングに参加しています。お気に召しましたら、

↓クリックしてください。




AD
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
2014年04月15日(火) 12時32分29秒

イエスの許に来る子供達

テーマ:説教
イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。弟子たちは、これを見て叱った。しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(ルカ福音書18章15~17節)

ハゲワシと少女


 1993年3月26日付のニューヨーク・タイムズに掲載され、1994年ピューリッツァー賞を受賞した『ハゲワシと少女』(ピューリッツァー賞の元題は「食糧配給センターに向かう道すがら塞ぎ込んでしまった飢えたスーダンの少女と待ち構えるハゲワシ」)という写真があります。ハゲワシが餓死寸前の少女を狙っているその瞬間を撮影したものでした。撮影者は、ケビン・カーターという報道カメラマンでした。彼が取材で訪れた国連などの食料配給センタ-があったアヨドという村では、飢えや伝染病で1日に10人から15人の子供たちが死んでゆく有様だったそうで、そんなやりきれなさを感じ、その村から離れようとして村を出たところで、彼はハゲワシがうずくまった少女を狙うという場面に遭遇したのでした。現場にいたカーターの友人でありフォトジャーナリストのジョアォン・シルバの証言などによると、写真の構図は母親が食糧を手に入れようと子どもを地面に置いた短い時間にできたものであったそうで、カーターが写真を撮った後、 少女が立ち上がりハゲワシを追い払い、国連の食糧配給センタ-の方へよろよろと歩きだしたのを見送ったカーターは、「すさんだ気持ちになり木陰まで行って泣き始め、タバコをふかし、しばらく泣き続けた」と手記にのこしています。(ウィキペディアフリー百科事典より採録)

今回示されたルカによる福音書18章15~17節は、木造保育所の創立の精神とも言うべきもので、案内や看板にも記載されているものです。その木造保育所は1945年11月3日、農繁期、行き場を失っている子供達の姿を憂えた、森田キヨ医師によって旧西郡最初の保育所として歩みを始め、1952年から4月からは木造教会が経営を引き継ぎ現在に至ります。前身から考えると木造保育所は69年の歩みを続けて今に至ります。児童福祉法が成立してからは、西郡の公立保育所設置に伴い職員を派遣したり、また、全国的にもまだ希であった縦割り保育を実施したりと、保育の創設、発展に自分たちなりに関わってきたのでした。

 私はイエスが子供を祝福する事に意味があると思っていました。しかし、聖書に拠れば、弟子達は押し寄せてくる親子を叱りつけたと伝えます。何でだろうと考えたときに、この逸話のもっと深い意味があることに想いが至ったのです。そもそも、この逸話の中で、イエスの許に連れてこられた子供達の姿というのはどういう姿だったのかと言う事に思いを寄せたときに冒頭で紹介した「ハゲタカと少女」の写真を思い出しました。ひょっとすると、イエスの許に押し寄せた親子とは、こういう人たちだったのではないかと…。難病などでもはや万策尽きた親子、 饑餓や病気でもはや諦めざるを得ない子、子を育てる事ができない親などではなかったのかと…。そう考えてみるとほのぼのとした幼児祝福の場面は幻の如く消え、そこには悲壮感と共に、イエスにこれまで付きまとってきた群衆と同質の求めを見いだす事ができます。一方で状況はこれからエルサレム入りを果たそうとする中で、弟子達は「先生は、これからエルサレムにメシアとして入場されるのだ」との想いのみで動いていたでしょう。だからこそ、「先生はお忙しいのだ。もはやそんな小さな事には構っておられないのだ」と叱りつけていたのでしょう。続く38節、39節でも同様のことが報告されています。つまり、この18章を境にして、イエスを取り巻く人々の質と、イエスに向けられる要望がはっきりと変質している事が見て取れます。

 この周囲の人々の変貌はまさに私たちの心の中にも当たり前のように起こるでしょう。救われたと思った後、私たちは万人に与えられる救いや、恵みというものに目を塞がれてしまうことが良くあります。

 復活後のイエスの姿を見てみましょう。24章には、「『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。」と弟子達に語っています。イエスは王として君臨するためではなく、私たちと共に居て下さるために贖いの死と復活を体験され、私たちの友となるために、謙遜さを身にまとって私たちの許に来られたのではなくたのです。

 イエスがもたらす福音に最後の希望を抱いて、まさにすがるような思いでイエスの許に来た人々を、イエスはひたすら慈愛と祝福で迎え続けました。イエスは祝福を求める人たちに手を置き、神の一人子として、私たちの友として祝福を与え続けたのです。

 私たちそれぞれも、それを既に与ったものとして、これから先、主の慈愛と祝福を語り伝えていくものであり続けたい、そう願います。

ランキングに参加しています。お気に召しましたら、

↓クリックしてください。




AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2014年04月14日(月) 10時31分38秒

一日の使い方

テーマ:ブログ
誰でも平等なのは、一日が24時間であると言う事。そして、寿命があると言う事。

しかし、この2,30年の間に、人間の一日はとてつもなく忙しくなってきました。何故か、便利になればなるほど私たちの生活は忙しくなってきます。パソコンが普及し、インターネットなどがもてはやされ始めた時代、ペーパーレスの時代が来ると盛んに言われたものですが、現実には書類が増えているのも皮肉なものです。パソコンによって書類の作成が簡単になったからに他なりません。

高度にネットワーク化された社会では、ネットワークに費やす時間もバカになりません。ツイッター、フェイスブック、ブログ…色々なバーチャルでの付き合いと情報の氾濫に必死に付いていかなければなりません。だんだん寝る時間が削られていきます。

ちょっと、暇があるからと手を伸ばし、その結果が30分、1時間の消費となれば、睡眠時間の確保も難しくなってしまいますし、健康な生活そのものも覚束なくなります。

一日の積み重ねが一ヶ月、1年を創り出します。お金とは違い一日はどんなに努力しても24時間以上にはなりません。そんな中で、どのようにあふれる情報に付き合っていくのかを考えることは重要なことではないでしょうか。

スティーブ・ジョブズがこんな言葉を残しています。

>そして33年間、毎朝、鏡をみて自問自答
>しました。「今日が人生最後だとしたら、
>今日やることは本当にやりたいことだろ
>うか。」「NO」という答えが幾日も続い
>たら、私は何かを変える必要があると知
>るのです。死を意識することは、人生に
>おいて大きな決断をする価値基準となる
>最も大切なことです。何故ならほとんど
>全て、外部からの期待やプライド、恥や
>失敗への恐れ、これらは死によって一切
>なくなるのです。あなたが死を意識する
>ことが、失うことを恐れない最良の方法
>なのです。あなたたちは既にありのまま
>なのです。思うままに行動しない理由は
>ないのです。

「他の人に引かれたレールを走りたくない」

誰もがそう思います。しかし、今、私たちは他の人たちに引き回されての人生を否応なく歩んでいるのではないでしょうか。

朝、鏡を見てみましょう。

「今日が人生最後だとしたら、今日やることは本当にやりたいことだろうか。」

やりたいことを今日できますように。

ランキングに参加しています。お気に召しましたら、

↓クリックしてください。





いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2014年04月12日(土) 09時55分26秒

木造保育所の事

テーマ:保育所
木造保育所は、1945年11月3日、森田キヨ医師によって旧西郡最初の保育所として歩みを始め、1952年から4月からは木造教会が経営を引き継ぎ現在に至ります。前身から考えると木造保育所は69年の歩みを続けて今に至ります。

児童福祉法が成立してからは、西郡の公立保育所設置に伴い職員を派遣したり、また、全国的にもまだ希であった縦割り保育を実施したりと、保育の創設、発展に自分たちなりに関わってきました。

2015年より始まる子ども子育て関連三法による制度の改変、また少子高齢化など、様々な対応が迫られるこれからの10年は正念場と言えるでしょう。共皆様と一緒に児童福祉の向上に取り組み続けたいと願っています。

ランキングに参加しています。お気に召しましたら、

↓クリックしてください。





いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2014年04月08日(火) 09時04分45秒

一緒に行く

テーマ:子供たち
この一年、「お父さんと一緒に行きたい」と言う息子に付き合って、小学校まで二人で歩いて通いました。そんな中、他の子が一人で登校しているのを見ていると、何となく、自分が甘やかしているのではないかと不安になります。

一人では行けないのかと思ったら、妻が、私が出張などで不在の時には、「一人で行く」と学校に登校するのだと妻が教えてくれました。そう言えば、毎日の下校も、一人でちゃんと帰ってきます。

息子を学校まで送り届けた後の帰り道では、たくさんの小学生とすれ違います。卒園児もいれば、見ず知らずの子もいます。一人一人に「おはようございます」と声を掛け続けて帰宅します。

ある日、「ねえ、どうしてお父さんも一緒に学校に行くの」と通学途中の息子の友達が私に聞いてきました。

さて、どう答えよう?

「お仕事が始まる時間が遅いから一緒に行けるんだよ。多分、君のお父さんだって多分一緒に学校に行きたいと思っているけど、お仕事が早い時間だから、無理なんじゃない?」

「ふ~ん」と納得した彼。

よく見れば、学校の近所まで、車で送られそこから学校に向かう子もたくさん居ますし、学校の駐車場まで送られる子もたくさんいます。そんな中、息子は私と冬の吹雪の中も歩いて登校し続けました。

「息子が一緒に学校に行きたいと思う間は一緒に行こう。その内、彼から『もういい、一人で行く』と言ってくるに違いない」と思うようになりました。

子育てとは、子供が必要だという体験を十分にさせること。満足すれば、そこから自然に離れて自立するのでしょう。

朝の散歩代わりに考えても、児童の安全を考えても、通える時間があって、息子が望む間は一緒に行くのも良いのかなあと、そう考えて小学校に通っています。


ランキングに参加しています。お気に召しましたら、

↓クリックしてください。






いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2014年04月07日(月) 13時56分49秒

今日から新学期

テーマ:ブログ
つがる市では今日から新学期。

卒園児が式服にランドセルをしょって、同じく式服を着たお父さんお母さんと共に、弟や妹と一緒に保育園にやってきました。

弟や妹である在園児にとっては、最もショッキングな日です。保育所に置き去りにされるのですから…。

職員もお子さんの入学式などで休んでいる人が3人…。

入学式が終われば、今度は家族でお食事にと早退する子もいて…。

保育所は4月1日から既に新学期です。

でも、今日は保育所でも、みんながそわそわする日。

春の息吹が感じられ、ピカピカの新学期が始まりました。


ランキングに参加しています。お気に召しましたら、

↓クリックしてください。






いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2014年04月06日(日) 23時30分16秒

「お金持ちになりたい」…?

テーマ:ブログ
 「お金持ちになりたい」…多くの人たちが一度は願った願いだと思います。宝くじを買ってみようか、それともギャンブルをしてみようか…。その動機にあるものも、「お金持ちになりたい」という願望があるからですね。

ところで、じゃあ、実際にお金持ちになったと仮定してみます。国民全員に1億円ずつ配ったら、みんなの夢も叶いそうなものですが、果たしてどうでしょう。仮に、一人一億円ずつ配ったとしても、それは何の実感も生まないでしょうね。昔、所得倍増計画というのがありましたっけ。所得がみんな倍になったら、どうなったでしょう?結局、お金持ちの実感は持てなかったというのが事実です。つまり、お金持ちになりたいという願望は、「他の人より」という枕詞が付かなければいけません。

では、他の人より「どれくらい」お金持ちになれば満足できるでしょう?100万円?1000万円?1億円?これも、考えてみれば、なかなか難しい事が判ります。数千万円貰ってみても、その使い方次第では簡単に無一文になるでしょうし、その一方で使い道に困ってしまうかも知れません。

現に宝くじで高額当選をしても、その先で不幸になった話などを聞き、引き替えを断念する人も結構な人数いるそうです。そう考えると、他の人よりもお金持ちになると言うこともリスクが高いようです。つまり、お金はたくさんあっても管理に難しく、他人並みでは満足を得られずにむしろ危機感ばかりが募るものである事が判ります。

お金の使い方が上手な例としては、近江商人の売り手よし、買い手よし、世間よしの「三方よし」 という概念が有名です。「売り手の都合だけで商いをするのではなく、買い手が心の底から満足し、さらに商いを通じて地域社会の発展や福利の増進に貢献しなければならない。」という概念だそうで、近江商人は、好景気の時には財を蓄え、飢饉や不景気の時には、財を私財を神社仏閣に寄進したり、地域の公共事業に投資したりした逸話も数多く残しています。「利真於勤」(利益はその任務に懸命に努力した結果に対する「おこぼれ」に過ぎないという考え方であり、営利至上主義の諫め。)や、「陰徳善事」(人知れず善い行いをすることを言い表したもの。自己顕示や見返りを期待せず人のために尽くすこと。)などという言葉も残されています。

さて、経済学的に見れば、お金というのは国にとっての血液のようなもので、お金が流れなければ、国はうまく立ちゆかないと言われます。そんな知識の元、TPPや消費税増税の流れを見ると、国家経済が国民の貯蓄に対しては重きを置いていないことが見て取れます。つまり、国民に私財を流動させる方策だと考えるべきでしょう。もし、お金の流通が止まったり、滞ってしまえば、お金の価値そのものが大幅に下落してしまうからです。流れが滞りかけている日本のお金の流通を少し無理をしてでも流さなければいけないと言う事です。

つまり、お金とは結局、困難に向かう力であり、信用なのです。支払う方にも、受け取る方にも相応の信用を求めるのが、お金の流通と言う事になります。そこの中では、「満足」や「地域社会の発展や福利の増進に貢献」できているかが問われるのです。お金を突き詰めていけば、結局はお金ではないものを求められる…皮肉なものです。もし、その目的だけでTPPや消費税増税などがあるとすれば、ずいぶんと下手なやり方のような気もします。

お金に結ばれるお互いが信じ合えなければ、結局お金は何の力も持たずただの紙屑になるのです。結局、お金の力は祈りによって裏付けられるのです。

ランキングに参加しています。お気に召しましたら、

↓クリックしてください。






いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2014年04月01日(火) 12時57分59秒

入所式・進級式

テーマ:ブログ
今日は、木造保育所の「入所式・進級式」でした。

入園式というと華々しい感じがしますが、入所式だとちょっと厳つい感じですねえ。

私たち木造保育所では、地域最初の保育所であったために、民間経営形態ながら、保育園ではなく、保育所と名乗っています。そもそも、児童福祉法の中の正式名称は保育所で、「保育に欠ける園児を預かる施設」ですから、「保育に欠けない」状態であれば、本来入る事必要もないわけで、そう言う施設で入所おめでとうというのも本来的にはおかしいような気もします。

で、今年の木造保育所の入所児は1名でした。

そう、定員割れをしている地域においては、随時入所が可能になるため、もう4月1日を待たずに、年度の途中で入所してしまうわけです。

そんなこんなで、「進級おめでとう」の方が大事になって来たように思います。

定員90名の木造保育所ですが、今年は68名のスタートです。

2015年度、木造保育所は一年かけて、0歳から18歳までの児童の「保育支援センター」として生まれ変わります。お子さんの成長に共に関わり、共に喜ぶ施設として、更に歩みを深めていく所存です。


ランキングに参加しています。お気に召しましたら、

↓クリックしてください。




いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。