ジオターゲティング
2013年10月29日(火) 19時08分48秒

子供と共にいるのは誰?

テーマ:保育
「食事を作っても一緒に食べられなきゃ家族の食事とは言えません。コンビニ弁当でもいい、一緒に子供とご飯を食べてください!」私の友人で、元ヤクザの牧師、進藤龍也氏の講演の中での一言です。彼は、自身がぐれてしまった経験から、こう語るのです。

子供は、何かを買ってもらうよりも、有名なテーマパークに連れて行ってもらうよりも、まず「親と一緒に居たい」という事を求めます。子供達にとっては、生活のどんな部分にも大人を必要としているのです。親を患わせないのが良い子ではありません。親と共に居たいと願うのが、子供の本質です。

先日、妻が誕生日を迎えました。みんなで夕食を食べに行きました。娘が喜んだのは、チョコレートフォンデュ…。自分で作るのがよかったようですが、作った後も、顔中をチョコレートだらけにして、嬉しそうです。

$ある教会の牧師室


息子も娘も妻を見て、私を見て、一緒にいることがとにかく楽しかったようです。

うまい料理を食べても、それを共有する喜びがなければ食卓は機能しません。

「おいしいねえ」と語りあうことができても、「まずいなあ」と文句を言ったとしても、そこには相手が必要なのです。

進藤牧師の話からもう一つ。

「思春期の子供に無視されるって言うのは、子供を無視してきたツケですよ。」

何が一番大事か…。

金をかけることでもなく、うまいもんを食わせることでもなく、とにかく子供とともにいること…。それが何よりも大事です。


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2013年10月24日(木) 17時28分15秒

公立保育所が消えるその先

テーマ:保育
野口英世の手の火傷などは、保育所がないから起こったとも言うことができます。

昔は農繁期ともなれば、子供を家に一人残して農作業なんてことが多かったんですね。保育所とは、そんな子供たちのために、もともと寺や教会、篤志家などが預かったのが始まりです。ですから、最初は、教会の礼拝堂やお寺のお堂で預かっていたのですが、その後、1947年の児童福祉法の成立によって制度化されて保育所とされ、同時に公立保育所が住民サービスとして参入したという経緯があります。つまり、公立保育所の歴史は戦後から始まるんです。ですから、今でも、その地域最古の保育所は民間であったりします。現に、私の住んでいるところもそうです。社会福祉法人だけではなく、宗教法人にも保育所を経営することが許されているのはそんな経緯からです。

さて、一時期は公立保育所の方が後発の強み、親方日の丸の強みで、人材、園舎や遊具などの装備も充実していたのですが、保育所には莫大な経費がかかります。公立保育所の場合は、保育士も公務員の扱いとなります。公務員の場合、原則終身雇用ですので解雇などが難しく、また、保育士という専門職のゆえに、事務中心の役所仕事などには転属でさせることができません。

そういう中で、少子化などが続き入所者数が減ってくると、とても非効率になります。保育所を経営するときに、一番金がかかるのは人件費です。民間の場合さえ、その施設の総予算の七、八割を人件費が占める場合もあります。つまり、公立保育所は多子多産社会であれば経営上はうまく回っていきますが、現在のような少子少産社会では、公立保育所を経営することは国や自治体にとってとても重荷になるという経営上の問題が第一に挙げられます。

また、公立の保育所は、その存在自体が他の私立保育所の見本とならなければならず、非常に組織などが硬直化しやすい側面を持っています。昔はクリスマス会など公立保育所でもやったものですが、今では公立ゆえに縛りが大きいわけです。また、元来保育は現場での判断が一番重要なわけですが、その決定権や責任が市町村役場を巻き込んでしまう体質になりやすく、身軽な経営ができなかったという反省があるのでしょう。

逆に言えば、良い人材がそろえばそれだけで保育所は経営することができるといっても過言ではありません。そこで、保育所の民間委託ということが考えられるようになりました。もともと公立の保育所であった施設と園児をそのまま、実績ある社会福祉法人などに譲渡したり委託するというスタイルです。こうすることで、責任は保育所に限定でき、また、費用も大幅に抑えることができるようになるわけです。つまり、切り外しやすい保育所を民間に委託して出費、組織共に「大きな政府から小さな政府へ」という方針への転換が図られてきたということです。

これと似た様な事は、老人福祉施設でも起こっています。どちらも施設の経営は民間に任せ、政治で決めた予算の中でサービスを行わせようということになっているわけです。民間委託するだけで、経費が大幅に抑えられるわけですから、財政難の国や自治体にとっては大きなメリットがあります。

ただし、弊害もあります。法律や競争原理などを総動員して、サービスにかかる費用を圧縮していますが、それはそのまま職員の給料の安さ、ひいてはサービスの低下に結びつきます。良い人材を雇おうにも自由に給与を設定できません。国や自治体から交付される運営費自体にも細かな割り当てがあり、経営者が自由に判断して使えるお金はほとんどないのです。そこには「もともと篤志家や宗教団体が、儲けそっちのけで善意でやっていたんだから、儲けが出なくて当たり前だよね」という考えが基本にあるような気がします。

多くの施設ではパート職員を入れたりして凌いでいるのではないかと思います。私としては今の方針は、社会福祉に対して国や県、市町村が民間施設に対してお金を出すことで「お客さん」となり、民主主義国の根幹であるはずの福祉サービスそのものを、利用者と民間施設に丸投げしているような形になっている気がして仕方がありません。

更に社会福祉分野もご存知のとおり規制緩和の流れの中で株式会社などの民間参入の道が開かれてきました。母体法人が収益法人の場合、保育所では儲けがなくても本業をリンクさせて利益を上げればよいことになりますので、社会福祉法人が経営する保育所は競争力ではかなわない可能性が高いです。

この流れが続けば、今度は民間保育所同士が熾烈な体力勝負と少ない運営費を獲得するための園児獲得競争に追われることになりかねず、最終的には地域にある民間の保育事業自体が崩壊しかねないのではないかと思われます。もっとも、多くの民間保育所などの経営母体である社会福祉法人は解散時の残余財産は他の社会福祉法人又は国庫に帰属することとになっていますので、国は社会福祉の破綻は一向に困らないわけで、むしろそっちのほうを望んでいるのではないかと疑ってみたくなったりもします。

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2013年10月23日(水) 17時12分22秒

憲法というもの

テーマ:ブログ
日本国憲法にある天皇は日本国の象徴であり、日本国民の統合の象徴であるという規定に心をいたしつつ、国民の期待に応えるよう願ってまいりました。象徴とはどうあるべきかということは、いつも私の念頭を離れず、その望ましいあり方を求めて今日に至っています。なお、大日本帝国憲法下の天皇のあり方と、日本国憲法下の天皇のあり方を比べれば、日本国憲法下の天皇のあり方のほうが天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇のあり方に沿うものと思います。

…こうやって書くと私が好き勝手に書いているように見えますが、これは「陛下のお言葉」です。「天皇皇后両陛下御結婚満50年に際して」(平成21年)<http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h21-gokekkon50.html>の中の一節です。

以前、「憲法改正運動に対する私の姿勢」(http://ameblo.jp/ootahachiman-ch/entry-11545332571.html)というものを掲載したことがありますが、昭和天皇や今上天皇が現行の憲法を支持して居られる様子は実は様々な所で、見受けられます。

しかしながら、それでも尚、憲法を変えようと思っているのは、どういう事なのでしょう。

過去にも紹介しましたが、ある漫画の中で護衛艦隊指令のセリフにしびれた事を思い出します。

「攻撃すること無しに守りきることができますか」との問いに「それをするのが自衛隊ではないか」と司令官。

「陛下、こんな憲法で日本を守れると思し召しですか」と安倍総理大臣に聞いて頂きたい。

どんな答えが返ってくるのかを、私たちは想像することしかできませんが、さて…。

私自身は「それをするのが、日本人ではないか」と言いたいと思っています。

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2013年10月12日(土) 14時54分15秒

由来は何を語るか

テーマ:ブログ
鰺ヶ沢町はつがる市の隣町ですが、その鰺ヶ沢町の山林から採られたキノコから放射性セシウムが基準値以上に検出されたと先週報道されました。

この一ヶ月ほどつがる市でもこの話題が飛び交っていますが、その一方で、この放射性セシウムはどこから来たものかと言うことが気になり始めました。

今年は、粒子状汚染物質PM2.5が中国から飛来することについて相当大騒ぎになりましたが、その中で、ひょっとしてこの放射性セシウムは福島第一原発由来のものではないのではないかという指摘も出てきました。つまり、中国やロシア、北朝鮮などの核実験が由来ではないかと言うことでした。それを、今まで気付かなかっただけなのだと…。

なるほどそうかもしれません。でも、そうだったとすれば該当各国が行った核実験から数十年間、政府は、その放射性物質の飛散を隠していたと言うことになります。

そうでなければ、放射性物質の飛散は、福島原発の影響であり、三年かけて津軽までとんできたと言うことになります。いや、もう少し正確に表現すれば、三年間の間、放射性物質は福島第一原発から飛散を続けていると言うことなのでしょうか。

さて、何が正しいのでしょう。

どれにしても、政府が原子力関連の情報を、あまり公にしようとしないことだけは確かなように思います。でも、数値だけ見れば、日本各地が放射線管理領域に匹敵する状態になっている事だけは否定しようがありません。

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2013年10月06日(日) 08時47分31秒

守るべきもの

テーマ:説教
保育所で子供達を見ていると面白いことが見えてきます。生活の中で子供達同士が決めるルールと保育士が決めるルールには大きな違いを見て取れます。子供達がルールの成立に関わりそのルールの理由を知っていれば、子供達は率先して守ろうとしますが、保育士が決めたことに対しては「先生が見ているかどうか」と言うことだけで判断する様子が見て取れます。ルールを違反している友達を見付けると「先生、○○ちゃんが…」なんて告げ口をする子まで現れます。

大人の世界に置き換えて考えれば、これは、法律というものが「偉い人が決めたこと」なのか「みんなで決めたこと」というのかの違いであると言うこともできます。法律を守るのか、法律に従うのか、最近この二つの言葉の用法に考えが至りました。この二つは似たような意味合いですが、よく考えてみるとその内容は相当違います。「従う」の意味合いは、決められたことを「受け入れる」ことに主眼があるのに対し、「守る」となれば、それはしっかりとメンテナンスをしながらメンバー全員でしっかりとその法律を支えていくという自覚的な意味が含まれている様に思えてきます。

政治家の中には日本は独裁国家になるべきだと言って憚らない人たちがいますが、どうなんでしょう?例えば、独裁国家という概念の中では、法律は国家が力で従わせるべきものと言う概念が強くなりますから、強力な軍隊が必要となりますし、秘密警察などの存在も必要とされます。ですから、独裁国家の場合の法律には、「国民たるもの斯くあるべし」なんて言うような言い方がふんだんに盛り込まれていきます。その一方で、それさえやれば良いんだという思いも強くなっていきますし、もっとも、その法律の成立過程には加ることは不可能ですので、その国民の創意工夫は、その法律をかいくぐることのみに使われていきます。

しかし、民主国家における法律とは、みんなで決めて、みんながそれを乱さないように努力する事を求められるものです。それを乱すと言うことは、国民であることの自己否定に繋がりますので、そこの中では自主的な義務感の発生を促すことが出来ます。しかし、ルールを決めるには相当の対話が必要となります。結果、そのための教育と手間が必要となります。

つまりは法律に対する姿勢そのものが、私たちの国の姿を示していると言うことができるわけです。自主的に、自分たちが守るべきルールを成立させるには、様々な努力が必要です。自分たちの現状を訴える能力、他人の痛みに共感する能力、互いの違いを受け入れる能力、義務を遂行する能力、ルールが定まっていない事柄に対してきちんと対処する能力などです。

こういう能力を持った人々の事を社会政治学的には「市民」と呼び、大体、以下の事が「市民」の定義として解釈されているようです。

自立性…市民は、匿名的な大衆の一部としてではなく、個々人として自主独立の気概を持ちつつ、自律的に活動する。

公共性…市民は、自らが市民社会における主権者であることを自覚して、社会的な権利と義務を遂行するとともに、一般意思の実現のために行動する。

能動性…市民は、受動的ではなく能動的に、自ら積極的に社会へと働きかけ、状況参加する存在である。

日本はこれから激烈な少子高齢化社会を迎えます。これに付随する国難とも言うべき課題を一握りの政治家だけで解決できるわけないことを私たちは知るべきです。私達それぞれが対話と共存できる市民に成長できるかが鍵なのです。日本が持つ謙虚さ、奥ゆかしさはその土壌として私たちの成長を支えてくれるでしょう。



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2013年10月02日(水) 17時37分09秒

愛される保育所

テーマ:保育所
9月30日に、一人の園児が転園していきました。引っ越しによるもの。

他の園児達は、「さびしい」と口々に。

おやつの後、その子に手を置き、牧師がお祈りするのは、教会立保育所ならではの光景。

いよいよ、保護者さんが迎えに来たとき、その子はそっと涙を拭っていました。最後まで泣くことはなかったけど、クラスのみんなが一斉に見送りに駆けつけ、「ばいば~い」と声を掛けると、保護者さんが、「お母さんの方が泣いちゃうよ」と…。

保護者さんからもとっても愛されている保育所だったんだなあ、と改めて感じられた瞬間でした。

遠いと言ったって同じ市内。また、遊びに来て下さるに違いない。その時には、ああ懐かしいと言ってもらえるように、祈りつつ保育を続けていきましょう。


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