ジオターゲティング
2012年12月25日(火) 09時55分17秒

クリスマスおめでとうございます。

テーマ:ブログ
改めまして、クリスマスおめでとうございます。

息子、娘にもサンタクロースが来て、朝から大騒ぎ。保育園に行こうにも、「行かない。遊んでる」と頑張る子供達。

でも、最後には二人とも納得して出て行きました。

メリークリスマス

皆さんの上にも祝福がありますように。


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2012年12月22日(土) 19時06分23秒

自民党憲法改正草案を後ろから読んでみる…その2(非国民・売国奴と呼ばれるカラクリ)

テーマ:自民党憲法草案
前回は、自民党の「憲法改正草案」の第百二条「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。」と、現行憲法の第九十九条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」を比較しましたが、これを土台に遡ってみると、

現行憲法の

第十章 最高法規
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

に対応する部分が、丸々削除されています。

ここでは、現行憲法が立脚点を、基本的人権に置く事が明示されています。そして、それは日本国民のみならず、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」ことを踏まえて、憲法が作られていると証しします。

ところで、欽定憲法なる考え方があります。

これは、君主が決めた憲法ですから、その内容は「我が国民はかくあるべし」というような内容になります。具体的には、人権などは、国家が認めて初めて行使できるというのが、欽定憲法の考え方です。従って、表現の自由、思想信条の自由、男女同権などの問題は、憲法が認めない限り、著しく制限される事になります。つまり、国家が求めない主張や生き方をしている人たちは当然、日本人と認められず、売国奴・非国民と罵られることになります。

日本国憲法では、基本的人権そのものを土台にしている訳で、国家が個人の基本的人権を抑圧することは極力避けることを求めています。その姿勢は、現行憲法の発布の詔にもはっきりと示されています。

朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

御名御璽
昭和二十一年十一月三日

として布告された訳ですが、「日本国民の総意に基づいて」とあるように、憲法を決定したのは国民であり、それを受けて天皇は「大日本帝国憲法の改正を裁可し」「布告せしめる」ということで、帝国憲法に於ける帝国議会の議決…「主権を国民に認め、その論拠を基本的人権に求めて下さい」という議決に同意したということになります。

しかも、「新日本建設の礎が、定まるに至つたことを深くよろこび」とあり、それに御名御璽を賜った昭和天皇は、大日本国帝国憲法における天皇の権限において布告しているのです。

ところで、もうちょっと、遡って検討してみます。

憲法改正の項目です。自民党の憲法改正草案では以下のようになっています。

第十章 改正

第百条 この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、法律の定めるところにより行われる国民の投票において有効投票の過半数の賛成を必要とする。

現行憲法では、

第九章 改正

第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

となっております。比較すれば、「各議員の総議員の三分の二」が「両議員のそれぞれの総議員の過半数」に変更され、また、承認については「有効投票」という言葉が追加されています。

自民党の安倍総裁は、こんな風に説明しています。

「3分の1をちょっと超える国会議員が反対すれば国民が指一本触れられないのはおかしい」

しかし、ちょっと待って頂きたい。

前回の憲法改正草案の第百二条「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。」

と書いてあります。つまり、「憲法を尊重」する義務を負わされた国民が、憲法をおかしいと言うことが出来るのでしょうか?そうなれば実質的に、「過半数を取った政党が、『憲法改正』を行うことが出来る」と言っているようなものです。後ろから読めば、「憲法なんて、優秀な政治家が決めるんだから、あなた方はそれを選ぶことに専念してたらいいのさ」とか「憲法は時の政権が決める、国民はそれを尊重し従うように」と言っているようにも思えるのですが…。

今なぜか、「現行」憲法を忠実に守ることを志し、守る事を国に対して求めようとする人々が非国民とか売国奴と呼ばれるような風潮があります。そして、現行の憲法で「この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」とされる国会議員がなぜか、憲法を軽んじ、扱き下ろしている現実はおかしいと思うのですが…。

昭和天皇、今上天皇が憲法に忠実に生きようとして来られたことをもう一度考えて見る必要があると思うのです。

現行憲法で天皇が天皇としてあることが出来るのは、憲法を尊重するからです。それと同様に国会議員が国会議員であるためには、現行憲法を尊重し擁護するからでなければ、国会議員そのものの資格を失ってしまわざるを得ないはずなのですがね。

もし、現行憲法に対する改憲派国会議員の姿勢を「尊重」していると捉えるのであれば、国民は憲法に楯突いて良いと言うことを意味するわけですから、自民党の憲法改正草案第百二条は、意味をなさなくなってしまいます。

鶏が先か、卵が先かみたいな話になってきました。

なんともかんとも。

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2012年12月21日(金) 18時43分27秒

自民党憲法改正草案を後ろから読んでみる…その1

テーマ:自民党憲法草案
本を読むときに、前から読んでいくのと後ろから読んでいくのでは、読後感が相当違います。というか、作者の性格が見えてきます。特に、レポートなどを見るときには、最初に結論を見て、それに至る道を逆に遡って辿っていくと、作者の検証が緻密なのか雑なのかも判ってきます。

さてはて、自民党の「憲法改正草案」なるものをご存知でしょうか?

存在はご存知だろうと思います。

では、どんな内容かご存知ですか?ご存じなければ、

『日本国憲法改正草案』がヤバすぎだ、と話題に・・・(http://www.geocities.jp/le_grand_concierge2/_geo_contents_/JaakuAmerika2/Jiminkenpo2012.htm)


に、現行憲法との対比表があるので、ご覧いただければと思います。

さて、この憲法論争、いろいろと出ていますが、「日本国政府が自主的に作ったのではない『押し付けられた』憲法だからダメだ」という言い方から始まって、「日本は軍事政権化しなければいけない」なんていう風に公に言いながら、そのような憲法改正を望んでいる人までいろいろ居ます。

で、今日は自民党の「日本国憲法改正草案」なるものを後ろから遡って読んでみるわけですが、

第百二条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。


これって、現行憲法99条に相当する部分です。

現行憲法では

第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

となっています。

立憲君主制の基礎に関わるものですね。主権が国民にあり、その主権者に対して「 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」となっていたものが、自民党草案ではひっくり返っています。

誰のために「すべての国民はこの憲法を尊重」を求められるのでしょう?

もっと言えば、国民でなければ(外国人であれば)「この憲法を尊重」しなくてもよいという意味にもとることができます。

これって、在日外国人に対して圧倒的に有利な条文であるということができます。

パスポートに、大臣要請文というのがあります。文面は、

『日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。 日本国外務大臣(公印)』

というものですが、外国人が持つパスポートにも、同様の文章が書かれているはずです。これは、外交書簡の一つであり、これを持つ者に国としてしっかりと保護扶助を与えることを求めているわけです。密入国でない限り、これを持つ限りにおいて自国民相当の待遇を保障する義務が受入国にはあるのです。

そう考えてみれば、日本人に対しては「憲法を尊重」する義務が求められるのに対し、外国人には…どんな国の人であろうとも国交を持つ国のパスポートを持つ外国人に無条件で保障されるということになってしまいかねません。保守派の方々に最近何かと評判が悪いC国であろうが、K国であろうが、国交がある限り日本人より一段階高い特権を有することになってしまいます。

「これからは観光立国で行くしかない」と思って「すべての日本人は外国人をお客様として受け入れよう」と考えているのであれば、理解できるような気がしますが、そういうつもりでもありますまい?

なぜ国民に、「憲法を尊重」することを求めなければならないのか、そのことを問うて、次回はもうちょっと遡ってみたいと思います。


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2012年12月19日(水) 14時07分31秒

七五三奮闘記…娘版

テーマ:子供たち
先日、娘が満三歳になりました。去年は、満五歳で息子の七五三の写真を撮りましたので、今年は、娘の写真にトライしました。撮影してくれたスタジオは去年と同様に「モトヤマ写真館」(http://www.geocities.jp/motocame/)さんです。モトヤマさん、何でも去年、日本写真館賞という写真コンテストの第2部家族写真の部で優秀賞、「富士フィルム営業写真コンテスト」3362人、1万1,115点の中から銅賞を受賞したそうで、腕は確かです。

去年の息子の写真も、両実家の祖父母には大好評でした。で、予約と相成ったのですが、先方も「園長の娘さんは小柄だから衣装合わせに一度来て下さい」と声を掛けて下さいました。

衣装合わせ当日、妻の話によれば、娘はドレスも和装も両方気に入ってるんるん気分だったそうです。帰宅した私に娘が駆け寄ってきて、興奮気味にドレスの話を舌っ足らずではありますが話しておりました。何せ、お姫様に憧れる夢見る少女(…幼女か)ですから、フリルのついたドレスは最高に気に入った様子。これは期待が持てるぞと、臨んだ当日。

去年の経験を参考に、ビデオカメラとカメラをぶら下げ、一家四人で写真館に向かったのでした。髪の毛が少なく、一年前には「毛の生えたジャガイモ状態」だった娘の頭、この一年でジャガイモ状態を脱したものの、エクステを付けることに…。ちょっと色は違いますが、そこは腕でカバーして貰うことにしました。先ずは和装から。

ところで、喜び勇んで駆け込んだはずの娘ですが、着付けに入った途端無口に、そして動かなくなりました。顔からも笑顔が消え…。

ある教会の牧師室-七五三娘妻の撮影です


しまった。

娘は緊張しやすい性格でした。こうなると、何を話しかけてもダメ。まるでいじけたように揉み手を繰り返し、笑いもしません。

そんな中で意気に感じたのは息子。一生懸命娘を笑わせようとします。必至なあまり、カメラの前に飛び出すこと数度…。

それでも、少しずつニヒルな笑いが混じってきて、カメラマン氏のやる気にも火がついたようです。

ここでドレスにチェンジ。

ある教会の牧師室-七五三娘2妻の撮影です


壁により掛かったり、椅子に座ったり、カメラマン氏がポーズを次々に要求します。娘も少しはのってきた。

「よし、じゃあ、腹ばいになってみよう!!できるかな??」

娘の顔から笑顔が消え、小さく首を振ります。

「良いように思うんだけどなあ…」と諦めきれない様子。

次の瞬間、

「ほら、こういう風にやってみてよ。かわいいよ」

と求めるポーズをやってみせるカメラマン氏。


ここは父も威厳を示さなければなるまい。

大のおっさんが、二人揃って娘の前で腹ばい、アイドルの決めポーズ…。


それでも、娘は頑と拒否。


「よし、じゃあ、こうしよう」

脚立を持ってきて、上から撮る戦法。なるほど。水平がダメなら、垂直でって事ですか。

しかしながら、娘が上を見上げてくれない。息子は今にも脚立に飛びつきそうな勢い。


「ここはやっぱり父親の出番!!!」


と脚立の上から呼び掛ければ、娘も上を見上げてくれて、何とか撮ることが出来たようです。

その間にも、息子はスタジオのあっちこっちのおもちゃを引っ張り出し、娘に一つ一つ見せようとします。責任感のあらわれなのか、それとも自分が遊びたいのか…。

そうこうしているうちに、娘が大きなため息を二、三度吐きました。どうも緊張しすぎて疲れたらしい。

疲れたの?と聞くと、小さくうなずく娘。

まあ、頑張ったよね。

できあがった写真を見たら、やっぱり良い出来。100枚近い写真の中から、アルバムにして貰う写真を選ぶ作業は妻にとってとても楽しかったようです。

爺ちゃん婆ちゃんに見せたところ、好評だったので、それも良し。

来年は息子が小学校入学です。また、面白い撮影会が行われるんだろうなあ。

因みに、先日、何気なく新聞を見ていたら、折り込み広告に息子の顔が!!

ああ、去年の写真使ってくれたんだ。

田舎にいれば、こんな良いこともありますね。


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2012年12月16日(日) 23時59分16秒

投票だけが義務じゃない

テーマ:政治
選挙で、大切な一票を投じるのは、国民の大切な義務だと習ってきた人も多いはず。でも、その一票を投じるだけで、義務を果たした訳ではないと言うことを私達は自覚するべきであると最近思う。

私達は、期待してはいけない事を期待して投票してこなかっただろうか。

「期待してはいけない事」とは、「良い世界を造ってくれる」ということ。

良い世界は、誰かが造って与えてくれるものでは有り得ない。

良い世界は、自然にできあがるものではない。

良い世界は私達一人一人が心と想いと精神を尽くして作り上げるものでなければならない。

リーダーシップを求めると言えば聞こえはよいが、その中身は生殺与奪の権利を相手に渡すと言うことに他ならない。選挙戦とは、政党同士の闘いとして捉えてしまえば、それは、私達の生殺与奪の権利をどちらに委ねるかと言うことしか話題にならないはずだ。

選挙戦は、有権者と候補者との闘いでもあることを自覚するべきだ。

「自分の人生は自分で決める」

この事に、異論のある人はいないはずだ。

でも、現実には政治家が悪い、リーダーシップがない、官僚が悪いと嘆く声を何年聞いただろう。それは、私達が、有権者として候補者との闘いを放棄していることと密接な関係があると言えないだろうか。

政治家じゃなくたって、議員じゃなくたって、…むしろそうではない方が日本の政治を変えることが出来るはずだ。

そういう闘いを続けていくことこそ、選挙が選挙であることを保障する事に繋がる気がする。


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2012年12月16日(日) 07時10分13秒

東日本大震災を経て学んだこと

テーマ:ブログ
東日本大震災が起こり、多くの人が「自分には何が出来るか」と考えたでしょう。

その結果、私もガソリンを仙台に200リットル運ぶということを考えだし、実行できた訳です。私の働きなんか、本当に微々たるものでしたが、多くの人たちがそれぞれの発想で、支援を展開したことを今、懐かしく思い出すようになったらダメなんだなあと思います。

あの震災後、様々なボランティアの働きを紹介していましたが、時を経るに従って、国が何もしてくれない、政治は混乱ばかりで何をやってる、震災特需や復興関連予算の話に軸足が映る中で、私達それぞれも、再び怒るだけの存在になってきたように思います。

東日本大震災で学んだことは、誰でもその気になれば多くの人々に貢献できると言うことでした。

その一方で、今、強く言われなければならないのは、被災地の現実、それぞれの問題の根幹を見続けなければいけないと言うことでしょう。この一年間を経て、東日本大震災に関わる民衆の力は、確実に激減しています。

本当は今だからこそ、それぞれの専門分野を、数パーセントでよいから、被災地のために振り向けなければならないのです。

「息の長い支援」とはよく言われることですが、今までは、もはや、素人の力では無理なんて勝手に思っていた。でもしかし、私達の仕事の一部をちょっと震災の方に振り向けることは実はとても大切だったのだと…。

「選挙でどんな国になろうと、私達は被災した人たちの事を忘れない。」

今更ながら思わされます。

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2012年12月14日(金) 18時50分00秒

核武装??

テーマ:軍事
北朝鮮が核武装をした事に甚くプライドを傷つけられた人たちが多いようです。核武装をしなければ日本は国際社会では発言権がないような言い方をしていますが、彼らの言う発言権とは、そう言う最終兵器を持つ事なのでしょうか。

結論から言いますが、核兵器を作ることは実は簡単です。核兵器を作るだけであれば、今から70年近く前のアメリカやソ連の技術でできるわけで、産業がある程度空洞化したにせよ、技術立国である日本が作ろうと思えばすぐに作る事ができるでしょう。あの北朝鮮でだって作る事ができたのですから…。

作らない理由は他にあるのです。

東西冷戦が激しかった時、アメリカもソ連も核兵器を持て余してしまいました。それどころか、この二国だけの核兵器で、地球すべてを何百回も焼け野原にできるだけの量がありました。それは、相手を上回る性能と数を競い合う事になってしまい、結果的に国の財政を危機的な状況に追い込んでしまう事になってしまいました。

核兵器は極めてランニングコストの高い兵器なのです。しかも、訓練ではもちろん、軍隊が戦い合うような状態にあったとして通常は使う事はできません。なぜなら、残留放射能などにより、占領も出来ないような地になってしまうからですし、当然報復攻撃を行われることを想定しなければいけません。結果は、全核兵器を使用することになってしまわざるを得ません。

そもそも、北朝鮮が核兵器を持ったとしても、それは自殺するためだけに使える様なものです。前にも言ったように、ノドンミサイルの精度は、全くもって当てになりません。

核兵器を使うことを想定できるのは、敵国が核ミサイルを打ち込んだ時に限られます。「核による抑止」は相手への不信感によって成り立つ抑止です。相手が撃ってくるかもしれないという相互不信に、最強の武器を突き付けあって抑止して行こうということですから、その抑止力は絶えず機能し続けなければなりません。

原爆を一発持てばいいものではありません。自国の領内に相手の核攻撃を凌ぎ報復できるような強靭なサイロを築き、その中に保管し、もし、他国からの核攻撃を受けた時には、即座に反撃できるようにしている事が担保されなければ持っていないのと同じ事です。

さて、では、即座に反撃ができるようにするという事はどういうことでしょう。打ち上げ可能な状態のロケットを維持し続けるということです。核弾頭ミサイルは、液体燃料で飛ばす事になります。抑止力ですから、いつでも発射できるようにしておかなければなりません。その状態を電力や燃料不足の北朝鮮が常時維持できるとは考えられません。

更に言えば、打ち上げに失敗する確率が高い以上、自国内で爆発する可能性も孕んでいる核弾頭を載せるとは、いくら北朝鮮でもやりますまい。

石原氏は北朝鮮による日本人拉致問題に触れ「二百人以上の日本人が拉致され、殺された証拠があったのに、九条のせいで日本は強い姿勢で北朝鮮に臨むことができなかった。九条が自分たちの同胞を見殺しにした」と現行憲法を批判。「あんなモノがなければ(拉致被害者を)返してくれなかったら『戦争するぞ』『攻めていくぞ』という姿勢で同胞を取り戻せた」と述べた。(東京新聞より引用)

韓国は軍隊を持ってたって、日本の数倍の拉致被害者がいる。その韓国がなぜ、「戦争するぞ」と言わないのか。一番目は、そんな事いったって聞きっこない国が北朝鮮だから。二番目は、戦争後の処理がデザインできないから。

もし、今、北朝鮮と戦争すれば、それは勝つに決まっている。でも、手を出さないのは、数百万人の難民化した北朝鮮の国民をどうにも出来ないから。

もし、挑発に乗って攻め込めば、その攻め込んだ国がその北朝鮮の再起に責任を持たざるを得なくなる…。アメリカがイラクやアフガニスタンに攻め込んで、その結果の戦後処理に手を焼いたのをご存じないのか。何人の自国民を失ったのかご存じないのか。その覚悟を求めないで、そういう外交に支持を求めるのは詐欺としか言い様がありません。戦争映画の見過ぎとしか思えない…。

北朝鮮が核兵器を開発した事は事実でしょう。しかし、北朝鮮が発言力をそれで増したのだから同じように核武装するべきだとするのは、「日本は北朝鮮と同じ穴のムジナになりましょう」と言う事に他なりません。国の品格をこれほど落とす事があるのでしょうか?隣がヤクザだから、こっちもヤクザになりましょうってなもんでしょう。

彼らは武士道と言うものをよく強調しますが、本来の武士道とは「君に忠、親に孝、自らを節すること厳しく、下位の者に仁慈を以てし、敵には憐みをかけ、私欲を忌み、公正を尊び、富貴よりも名誉を以て貴しとなす」ことであって、武威を持って脅かすことによって、解決をすることではないのです。

武士道が好きな人たちに限って、口に節度を持たず言いたい放題、弱者には厳しく臨み、敵を人間とは見ず、私欲をぎらつかせ、自己中心で、名誉を求める人たちが多いと思います。

もっと、きちんと武士道を学んで頂きたいものです。


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2012年12月11日(火) 10時36分20秒

たとえ憎まれていたとしても

テーマ:政治
日本テレビ放送網(株)が放映するテレビ番組「ネプ&イモトの世界番付」のテーマソング、ボクラノセカイという歌を、法務局が今年の「第64回 人権週間 12月4日(火)~10日(月)のPR活動に使っていました。なかなか良い曲で、木造保育所内でも流行っています。



挑発だ、防衛だ、軍備増強だ、売国行為だと声を荒げている人たちに申しますが、例え憎まれていることが判ったとしても、憎み返すことはその相手と同じ土俵に立つということに過ぎません。

1980年代、アメリカにジャパンバッシングの嵐が吹き荒れたことをニュースで見た記憶があります。

当時のことをwikipedhiaフリー百科事典で調べてみれば、「石原慎太郎を筆頭とする反米保守勢力は、『何の努力もせずに文句だけつけて来る』として批判した。」とあります。確かに当時、そんな発言を聞いた覚えがあります。

でも、政治に対しての信頼感とは、こういうところから始まります。

その反米保守は今、アメリカとの関係強化を主張しているわけですが、その一方では「ビル・クリントン以降の民主党による中国重視の結果として、日本が軽視されるジャパン・パッシング(Japan passing)、日本が無視されるジャパン・ナッシング(Japan nothing)が起こっている」(wikipedhiaフリー百科事典)との指摘を紹介しています。

数十年のスパンで外交を考えれば、多少無理だと思われるようなアメリカの注文でも受け付けておけば良かったのかも知れません。多分、その時に最大限の努力を払っていれば、今も日本はアメリカの良きパートナーで居られたのかもしれませんが、多分当時の反米保守派はアメリカが、日本に追い落とされることによって、日本が経済超大国になることを望んでいたのかもしれませんね。そこのところにも、アメリカの実力を侮っている排外主義から抜け切れない思想の限界があるかもしれません。

そんなことを考えてみると「愛してくれる相手にだけ愛を向けよう」とか「目には目を、歯に歯を」なんていうのは、国際政治の中では愚の骨頂である事がわかります。

今、日本は世界中の人々から憧れと興味をもたれています。洋服を着、和装なんてしたこともない日本人の中に流れる日本文化は、正に国の芳香とも言うべきものですが、しかし、その一方で世界政治の舞台においては、全く呆れられています。

誰の目にも明らかだと思うこと声高に訴えることや、今今やらなければいけないことを主張することが政治家の仕事ではありますまい。今後百年を予測し、それに向けた政策を打てないのであれば、それは政治家ではなく、単に「扇動家」でしかありません。


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2012年12月02日(日) 08時18分03秒

愛のため

テーマ:説教
クリスマスイルミネーションが全国各地で点灯されたり、また、巷ではクリスマスソングが聞こえてきます。また、この時期には多くの歌手もクリスマスをテーマにした曲も多く発売されます。なぜ、クリスマスなどのキリスト教的な行事が日本で少しずつ広がっているのかと考えれば、それは、商業主義と結びついているからというのが専らの答えです。何より、プレゼントを贈ることによって愛を示すアメリカの風習を積極的に導入した訳で、その結果、愛とは 「男女に芽生える感情が前向きにとらえたもの」という認識が3、40年前に起こったと思われます。

私が子供の頃、「愛」とは使うに気恥ずかしい言葉でした。20代の頃、そんな中で阪神大震災が起こり、愛とはもう少し広がりを持っても良いと人々が思うようになったように思います。そして、去年の東日本大震災が起こり、愛と絆が豊かな広がりを持って捉えられるようになったと思います。

キリスト教では、愛の基本は「悔い改め」だとされます。「悔い改め」と訳されている言葉はギリシャ語で「メタノイア」と言いますがこのメタノイアを反対から読むと、あら不思議、「アイノタメ」…あら不思議、「愛のため」となります。こういうのに気がつく人って、すごいなあと思うのですが、近年、いろんなところ、いろんな場面で愛が説かれます。

先日、「お味噌の真ん中には愛があります」というポスターを見ました。「お味噌」をローマ字にすると、「omiso」なるほど、真ん中に「i」があります。 友人の牧師にその話をしたら、「梅花学園ってあるけど、そこでは『梅花(baika)に愛(i)がなければ、馬鹿(baka)になる』って言われてたよ」と教えてくれました。

あれ、私(Chiba)の真ん中にも愛がありました。

愛って何だろうと、もう一度問うてみれば、それは、相手のことを振り返って考えることにほかなりません。

先日、子供たちを連れてテーマパークに遊びにいきました。保育所の園長と牧師という二足の草鞋をはいている私にとって、なかなかまとまった休みを取れる訳でもありません。そんな中で、楽しい思いをさせてやりたいと思った訳ですが、連れて行けば子供達の要求が気侭に思えて「ダメ!」、「早くしなさい!」といっている有様。後から考えれば、結局は「連れてきてやってるのに!」「こうやったらもっと楽しいのに!」という思いが強くなっていた訳です。子供たちにすれば、何に乗らなくても丸一日一緒に居れればそれでも良かったのかも知れないと後から思いを巡らせました。

愛には正解はありません。そしてまた、相手によって違うものでなければなりません。だからこそ、愛は悔い改めによって始まるのです。 振り返り、振り返り愛を問うていかなければ、愛は必ず独りよがりのものになってしまいます。愛とはそういうことに気がつくことから始まります。

今日から、アドベント(待降節)が始まります。アドベントは、キリストの誕生を待ち望む期間であり、一年の終わりと相まって、この一年を振り返りる時でもあります。クリスマスには、誰もが「愛していますか」と問われる思いになります。だからこそ、プレゼントを贈りたくもなるのでしょう。でも、その前に、ちょっと振り返ってみましょう。今年はどのように一緒に歩んできたでしょう。それを振り返れば、プレゼントも例年とは違ったものになるかもしれません。聖書は「神は愛なり」と教えます。 それに気づいた あなたの悔い改めは何より尊いものなのです。

「天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。』」
ルカ福音書2章10節

クリスマスおめでとうございます。


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