ジオターゲティング
2012年10月29日(月) 02時12分27秒

目に見えるようになった時には

テーマ:ブログ
今年の津軽は暑かったです。9月の終盤、水道水から異臭がするようになりました。原因は水源のダム湖に起きた藻の異常繁殖だったそうです。なぜ早期に対策を打てなかったのかと批判が集中しました。

ちょっとした思考実験をして見ましょう。

異常繁殖をしているときのもの増え方は、毎日倍に増えると仮定します。100日目、ダム湖の面積の1パーセントを覆ったとします。

さて問題です。

藻がダム湖を覆いつくすまでに、何日かかるでしょう。


実際に計算して見ます。

1日目 2%
2日目 4%
3日目 8%
4日目 16%
5日目 32%
6日目 64%
7日目 128%

実は一週間とかからないのです。でも、「専門家だもの、0.1パーセントで気が付くよ」と仮定すれば、どうでしょう?逆算してみます。

99日目 0.5%
98日目 0.25%
97日目 0.125%
96日目 0.0625%

それでも10日もかからないでダム湖全体を覆ってしまうことになります。赤潮もプランクトンの大量発生によって起こるそうですが、気が付いたときにはほとんどの場合、もはや手遅れということを意味します。

日本の製造業が現在軒並み危機的状況に立っているのも、こういうことが影響しているのかもしれません。「まずいなあ、そろそろ対策を打たなければ」なんて悠長なことを言っていると、もう手遅れだったりすることは多々あるわけです。

そして、私たちの人生でも、こういうことは得てして起こりえることなのです。



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2012年10月20日(土) 17時10分35秒

子離れ

テーマ:教育
虐待なんかで耳にする話に、「暴力」ではない「躾け」だというものがあります。暴力を振るう親には、親の理屈があるのだということを言いたいのでしょう。虐待とは暴力を伴った愛情表現なのだと言いたいのでしょう。

しかし………

「『厳しい躾』が子供の心を開く」という理解が親の側に生まれているケースがほとんどなのです。結果、子供が従ったにしろ反発したにしろ、どちらにしても暴力がエスカレートしていきます。親は愛情を示すつもりで「厳しい躾」を継続し、その結果に満足できなくなると更に「厳しさ」をエスカレートさせていきます。例え、エスカレートして子供が病院に搬送されたり、例えそれが原因で子供が死んだとしても、その愛情形成の方に依存していますから、「良い子だった」と涙も流せますし、その一方で「暴力ではなく躾だった」と不可抗力であったように物事を語ります。

ですから、虐待が子供の傷などから表出し、児童相談所などが保護に乗り出すと、親はどうしてよいか判らなくなります。依存していた子供に依存できなくなった…。その事で、取り乱しますから、何とかして子供を児童相談所から、一刻も早く取り返さなければならないとあせり、パニックになります。反省を口にする一方で、「子供は自分の元に戻りたがっているはずだ」、「誰かが子供を返すことに反対している」、「子供を説得して欲しい」と支離滅裂な思考になります。

このパターンには、一種の禁断症状が見て取れます。つまり、親の側には暴力を挟んだ愛情形成に依存しているということになります。こうなってしまうと、虐待の定義を納得させることも困難になってしまいます。そして、何よりも厄介なのは、曲がりなりにも子供を愛していること、それが物事をいっそう困難にします。

無論、子供にとって家族と共に居るのは一番いいことです。でも、親が自律できていることが大前提です。親が子供の存在に依存してしまえば、それは幸せではありません。もし親が薬物依存だったら、ギャンブル依存だったら子供は幸せではないように…。

「子供は授かりもの」、「いつかは神様にお返しするもの」、「子供は親のものじゃない」

そういう言葉を聞いたことがあります。

愛情は注ぐものであり、結果を求めるものではないのです。


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2012年10月17日(水) 09時49分46秒

障害者?健常者?

テーマ:ブログ
「障害者」、「障がい者」、「障碍者」、「体の不自由な人」、「ハンディキャップを持つ人」…いろいろな表現はあるものの、その意味は一緒です。特に、「障害」は害の字に嫌悪感を持つ人が多いようで、ひらがなを使ってみたり、「碍(妨げるの意味)」を使ってみたりしている様ですし、「体の不自由な人」、「ハンディキャップを持つ人」などは、「しょうがい」という意味合いを嫌っているようです。

さらに、最近では外見では判らない広汎性発達障害や知的障害などが加わってきて、身体障害者、知的障害者、精神障害者、発達障害者などと分類され、更には人格障害なんて言葉がはってくると、そもそも障害の定義ってなんだ?と言うことになってきます。

多分、その意味する所は、

健常者以外=障害者

という図式なのでしょう。

眼鏡がない時代は、極度の近視などの人は視覚障害者として扱われていました。逆に言えば、眼鏡やコンタクトレンズを使用することで不自由を感じないのであれば、自分が視覚障害を持っていることを自覚することもないでしょう。

そういうことを考えると、障害者の定義って、「その人に対する特別の配慮を必要とする人」と言うことなのかも知れません。

また、私達は事故や病気、加齢などで障害を負うことだってあります。

ロンドンオリンピックに出場したオスカー・ピストリウスは義足のランナーです。また、ウサイン・ボルトは脊柱側湾症であることが、月14日にNHKスペシャル「ミラクルボディー」の第1回「ウサイン・ボルト 人類最速の秘密」という番組の中で明らかにされました。ボルトと同じく脊柱側湾症を患っている、芦川七瀬さんも、今年3月12日に開かれた体操のアジアジュニア選手権の個人総合で初優勝すると言う快挙を成し遂げたことも記憶に新しいところです。

実は「健常者」の定義はとても曖昧です。ウィキペディアフリー百科事典によれば、「たまたま現在、障害や疾患で、その日常生活の中でのさまざまな活動や行動に支障を抱えていない『一時的健常者』という意味」なのです。つまり、「その人に対する特別の配慮」を必要としないのであれば、健常者と言うことができるということを意味していないでしょうか。

さて、保育所で園児達を見ていれば、健常だ障害だということにこだわることの無意味さを知ります。得意不得意を持ちながら、互いに協力し合い、導き合い、障害どころか年の差も乗り越えてみんなで喜びを創り出しています。先日行われた運動会のリレーの時、初めの練習のうちは「S君居るから、負ける」と言っていた5歳児が「S君に走り方教えてあげたいんだけど良いかなぁ」と担任に相談に来たそうです。

そして、それから彼はS君に走り方を教え、また、足の遅いS君を熱心に応援するようにもなりました。リレーには負けたものの、彼らの団結力はとてもすごいものでした。

オスカー・ピストリウスは「"You're not disabled by the disabilities you have, you are able by the abilities you have."(障害によって不可能なのではなく、持っている能力によって可能なのだ。)」をモットーとしているそうです。人が生きると言うことは、持っている能力をどのように使うかと言うことであるはずです。

持っている能力ってなんでしょう。

今年、ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授は手術が下手で、他の人なら20~30分でやれる手術に2時間もかかったり、点滴に失敗するなど指導医から「お前は邪魔、ジャマナカや」と呼ばれ、毎日、毎日怒鳴られていたそうです。

更に、山中教授と一緒に受賞したジョン・バートランド・ガードン教授の15歳の時の通知表には、「破滅的な学期だった」、「満足するには程遠く、リポートの中には50点中2点というものもあった」、「(教師の)言うことを聞かず、自分のやり方に固執する」、「簡単な生物学の事実を学ぶ力もないのなら、科学者として仕事をするチャンスはゼロだろう。それは彼にとっても、指導する側にとっても完全な時間の無駄というものだ」となどと書かれていたそうで、この年のガードン氏の生物学の成績は250人中、最下位だったそうです。

ガードン教授は実験がうまくいかないとき、科学の先生にもらった“通信簿”を見ながら、「ひょっとしたら先生は正しかったのかも」と考えて気をまぎらわせ、再び実験に取り組んだ。

ガードン博士のノーベル賞受賞は教科書、すなわち科学の常識を信じないことから始まったのかもしれない。イートン校の科学の先生についてガードン博士は「教室で教えてもらったことは全然わからなかった」と笑顔で振り返った。(「木村正人のロンドンでつぶやいたろう」より引用)


山中教授は「まだ医学や薬の開発に役立ったというところまで来ていません。代表して受賞したということは、光栄でありますが、さらにこれから研究を続けて、本当の社会貢献を実現させたい、という気持でいっぱいであります。この何日間か、いつも支えていただいている国民のみなさまに、できるだけ自分の言葉に伝えたいと思っていますが、その後は速やかにわたしの仕事の場に戻って、来週からは研究室に戻って、論文も早く出さないと、学生さんも待っていますので、これがわたしの仕事ですから。過去の成果に対する評価はこれからの発展への期待も大きいので、これからも現役の研究者として仕事を続けていきたいと思います。」(「天漢日乗」より引用)と言います。

このお二人の逸話からも判るように、教育が、何かを教え込むというものであったら、彼らは間違いなく学者にはなれなかったでしょう。生きる力を、自分がしたいと思っていることをやり遂げる力を身に付けることだと私は思っています。

人を愛する力、優しさ、思い遣り…数え上げればきりがありません。そこから築く人生はとても豊かなものであるはずです。そして、そんな豊かさの中に人生を歩んでいる人は障害の有無を気にはしないでしょう。


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2012年10月11日(木) 10時35分29秒

救急車の呼び方

テーマ:ブログ
10年ほど前、教会員の女性から夜中に電話が掛かってきました。

出てみると、激しい泣き声。

どう声を掛けても落ち着かない様子から、パニックになっていることが想像できました。

なるべく落ち着けるようにこちらも声を掛け続けたら、やっと落ち着いて、彼女は一言。

「ありがとうございました。落ち着きました。過呼吸を起こして、救急車にも電話を掛けられずに、とにかく誰かにこの状況を知らせたくて電話しました。もし、どうしようもなくなれば、先生だったら状況を察して救急車を読んでくれるかと思って…。」

…まあ、実際、どうにもならなければそうしようと思っては居ましたが…。


去年11月、119番通報したにも拘らず、自分で病院に行くように言われた大学生が死亡したという事件が起こり、その損害賠償請求訴訟の口頭弁論が9日行われたと、昨日報道されていました。

背景には、救急車をタクシー代わりに使う悪質なケースが目立ってきた他、実際、急行してみれば必要性がない出動も多いことなどが挙げられます。救急車の出動要請の基準みたいなものは、なかなか決めかねます。それも、電話口のやり取りで見極めようとするのは、困難でしょう。また、疑ってかかられれば、緊急性を理解してもらうのは、至難の業です。

しかし、考え方をひっくり返してみれば、救急車の出動が、本当の緊急性を要する時だと仮定するならば、周りがどうしようもないと判断した時であるということができます。つまり、救急車を呼ぶ前に行うことがあるべきだということです。

「火災ですか、救急ですか」から始まる119番通報は、一分一秒を争う救急依頼が後に控えていることを考えると、機械的にしか行いえません。

具合が悪い時には、家族や友人などに連絡を入れておきましょう。そして、頻繁に連絡を取りましょう。できれば、遠慮せずに看病してもらいましょう。それが、円滑な救急活動を支えることになります。

「いざという時には救急車があるから」ではなく、「いざという時にはこの人が救急車を呼んでくれる」という関係を日ごろから形作ることが大切なのです。



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2012年10月10日(水) 20時04分21秒

山中教授のコメントについて思うこと。

テーマ:ブログ
ノーベル生理学・医学賞を京都大の山中伸弥教授が受賞しました。iPS細胞の発見は、本当に喜ばしいことだと思っていましたので、この受賞はとてもうれしかったです。

で、ネットで、山中伸弥教授のことを調べていましたら、下記の記述が見付かりました。

ノーベル生理学・医学賞の受賞が決まった京都大の山中伸弥教授の8日夜に行われた受賞記者会見の中で、「日本という国に支えていただいて、日の丸の教えがなければ、この素晴らしい受賞はなかったと心の底から思った。まさに日本という国が受賞した賞だと感じている」

ん?

「日の丸の教え」って何?

と、直接記や会見のニュース画像を見てみたら、

どう聞いても「日の丸のご支援がなければ」が正解でした。

ネットでは、「正に愛国者の鏡」みたいに盛り上がっていましたが、意味が通らない上に、明らかな聞き間違いでしかありません。

意図的になのかなんなのか…。

その後、ネットを巡回して調べてみますと、この記事は、読売オンラインからのものであり、しかし、その一方でリンク元の記事自体には、その様な形跡は見当たらず…。

ひょっとして、意図的に聞き間違えている人が居るのかと思うと、ちょっとぞっとします。

今回のノーベル生理学・医学賞は大変な栄誉だと思います。資金難に苦しみながら、様々な挫折などにめげずに、「難病の治療に貢献したいという」自らの務めに邁進してこられた山中教授の苦労は並大抵のことではなかったと思います。

国が支援に腰が重かったために、マラソンに出場してカンパを訴えるまでして、研究費を捻出したそうです。

そして、山中教授はしかし、そうやって得た栄誉を、国に向けてくれました。国民である私達は、そんな山中教授に感謝の念を新たにします。

だからこそ、こんな「聞き違え」を使って盛り上がるのは、山中教授に失礼です。

私達は、山中教授のこの挨拶に、キチンと襟を正すべきです。何より、ノーベル賞を取ったかどうかではなく、使命感を持って脇目もふらず、総力を傾けて人々に幸せになって欲しいと願っている人々が山中教授以外にもたくさん居ることをこの時に私達はしっかりと知りましょう。

そして、その人達のために何ができるのか…それを問う切っ掛けとしたいと思います。



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2012年10月09日(火) 12時14分15秒

星の下

テーマ:ブログ
一昨日、昨日と十和田湖畔て行われたキ保同の研修に参加してました。

帰り道、跨線橋を渡っていたら手押し棒の付いた補助輪付き自転車に乗った5、6才くらいの女の子が車道脇を登って来るところを見つけました。

車を停めて声を掛けているところに、偶然、現地の知人の牧師が通りかかり、駐在所に連絡してくれました。

駐在さんがパトカーで送り届けてくれました。

先程ご家族から連絡が来たのですが、おばあちゃんの家に遊びに来ていて、アイスクリームを買いに一人で出て迷子になったようだと言うことでした。

ご家族が気が付き探したけど見付からないと騒いでいたときにパトカーが来たときには、事故に遭ったと覚悟したとのことでした。

まあ、何はともあれ、事故にならなくて良かった。

と、まあ、そんな話だったわけですが、実は、この一ヶ月の間、出張に行けば必ず事故の現場や故障車、そして昨日の件と3件も遭遇していたわけで…。


先日、知り合いとその話になりましたら、「千葉さん、そういう体験多すぎるよ」と…。私の理解では、「ほとんどの人は目撃はするものの声を掛けることができなかった」とか言うことだと思っていたのですが、そのときに一緒に居た人たちは、口をそろえて「そんなところに行きあったことなんかないよ」と…。更に、「私がそういう現場に居合わせるのは、あなたと一緒に居る時だけよ」と追い討ちをかける妻の一言。…「そ、そうだったのか…orz

そう言えば、子供のころ、車のナンバープレート、財布などをよく拾って交番に届けていた記憶があります。高校生3年生の時には、英語を教えてくれていた先生が亡くなっているのを、これも偶然に見つけて通報したことがありました。

出火を見つけ、通報したこともありました。その時は放火犯のように言われたり…。

お昼に路上を裸足で駆け回っている4歳の子を保護し、その日の夕方は、そうそう、暴走族のバイクが転倒して出火したのを消し止めたりって事もあったなあ。


交通事故に遭遇し、事故処理を手伝うこと数え切れず…。

津軽に来てからは、毎冬、身動きが取れない車を数台引っ張って救出したりもしてるっけ…。

出張先で、狭心症の発作を起こした人のお手伝いをした事もあったっけ…。

「千葉さん、あなたは、もう、そういう星の下なんだよ。あきらめなよ。でもそれは、いいことなんだよ」と…。

そういう人生もあるのかなあ。でも、それで助かる人が居るのであれば、いいかなあ。

でも、そんな私が大活躍しない時代が来ればいいなあなどと思ってみたり…。

用いられていると思えば、感謝なことですね。


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2012年10月07日(日) 09時27分16秒

君は本当はいい子なんだよ

テーマ:教育
「窓ぎわのトットちゃん」(黒柳徹子著)の冒頭、主人公の「トットちゃん」が最初に入学した小学校で「教室の机のふたが珍しくて授業中何度もパタパタ開け閉めしたり、パタパタやってないと思ったら窓ぎわでチンドン屋さんを待っていたり、日本の国旗を画用紙に描く授業では軍艦旗に黄色い房をクレヨンで描いて机に跡が残ってしまったり、本人は好奇心旺盛なのだが先生からは迷惑がられてしまい、とうとう小学1年にして退学させられる」と言う記載があります。そんな彼女に転校した私立小学校の校長先生がかけてくれた言葉「君は、本当は、いい子なんだよ」でした。

国立音楽大学附属高校在学中、“ナヨナヨした動作”で同級生から馬鹿にされ、すっかり自信を無くしていた美輪明宏さんがリトミックの授業で「君は、すばらしい芸術家になれる」と言う言葉を掛けた先生が居ました。

その人物は小林宗作という、同じ人物です。「窓ぎわのトットちゃん」には、小林宗作の行っていたユニークな教育方法が当時の生徒の目から余すことなく語られていますが、この様な学校を作ることができたのはどうしてなのかを探ってみれば、彼は1923年にスイス、フランス、ドイツ、イタリア、イギリスに、更に7年後の1930年に再び渡欧し、リトミックという教育法を研究し、1937年「リトミックによる創造教育」を取り入れたトモエ学園を創設。その頃に黒柳徹子さんが入学したと言うことになります。同級生には、山内泰二という有名な物理学者もいたそうです。

黒柳徹子さん、美輪明宏さんに掛けた小林宗作の言葉に共通しているのは「生徒の本質を保障する」事にありました。そして、その子に合わせ、共に歩む姿勢を大切にして行きたいという願いは、彼が最も得意な音楽を用いたリトミックを取り入れた教育というものを通して、花開いたのだと思います。

黒柳徹子さんは近年「小さいときから考えてきたこと」(新潮社、2004年)の中で、台本を読んでも台詞が覚えられないなど、具体的なエピソードを交えて、自身がLDの計算障害・読書障害である可能性に言及していますし、先日、映画監督のスティーブン・スピルバーグや俳優のトム・クルーズが学習障害の一種であるディスレクシアであることを公表しています。

子供達には、様々な可能性が内包する一方で、関わる教師が気が付かなければ、「できない子」、「ダメな子」、「気持ち悪い」などの外的な評価によって、潰されていくということを意味しています。多くの人々が、教育を語る時、何を教えるのか、どうしたら成績が良くなるのかという問題で語ろうとしますが、その中では、一番大切な部分は常に抜け落ちています。それが、その子のありのままを受け入れる姿勢であることはいつの時代にあっても指摘されていますが、論議の中心に据えられることが無かったのも事実です。

日本においては、小学校入学以降の児童福祉の機能、観点が決定的に不足しています。目に見える身体的な障害のみならず、広汎性発達障害や学習障害などの問題の周知と対応の具体化は急務ですし、また、その一方で子どもの育ちを保障する環境の構築などは、未だに未整備の部分が多いのが実情です。

教育の本質は、生徒の可能性を信じることから始まります。そして、その教育という業に携わる人は、常に生徒が内包している総ての可能性に謙虚でありつづけなければなりません。
 小林宗作の様に「君には可能性が眠ってるんだよ」と語り続けることこそ、教育の一番大切な部分と言うことができます。

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2012年10月05日(金) 19時37分45秒

娘のこだわり

テーマ:ブログ
2012年10月04日(木) 15時48分08秒

娘のマイブーム

テーマ:ブログ
先日、誕生1000日を経た娘。

最近、いろいろな主張があります。

まず、服。

毎日、自分の洋服棚を覗き込み、「これ嫌」「これ着る」とやっています。もし気に入った洋服がなかったりすると大変です。先日なんか、下着で保育園に行くと主張してました。

食事もその調子。最近の娘のブームは、ケチャップ。さすがにボトルを吸うことはありませんが、何にでもケチャップをかけてと要求してきます。更に、そのケチャップをなめては、足りないと…。

後は歌。

気に入った歌は、何回でも歌わされます。今は、数字の歌。

でも、その後の顔は満足そのもの。そして、ある日ある時ぱったりと見向きもしなくなるのは、上の子で体験済みですから、そんな日々も愛おしい思い出になる事はよく知っているつもりです。

さあ、次は何に来る娘のブームは何かな?

楽しみでもあり、不安でもあり…。


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