ジオターゲティング
2012年09月23日(日) 07時41分01秒

当たり前を喜ぶ

テーマ:保育
牧師という仕事柄から、自殺願望を持つ方から、時折電話が掛かってきたりします。

以前、関わった方は、当時高校生でした。

学校の成績は優秀、常にトップを争っていたそうです。本人も家族も95点以上が当たり前だと思っていたというほどです。

ところが…。

ある日、その人は、親が100点を取っても、「当然のこと」とあまり喜ばなくなっている姿に気が付きます。

そこから、その人は生きているのが苦しくなりました。勉強にも力が入らない。その内、授業にも出れなくなって、保健室と職員控え室を行ったり着たりしていたところで、当時聖書科の非常勤教諭であった私はその方と出会いました。

当時は、まるで疲れ果て、話し声にも力はなく、フラフラしていました。



人間は、喜んでくれる人が居て強くなれます。しかし、私たちは喜んでくれる人と一緒に歩むことを意識的に行うことを知りません。

保育所に居ると、当たり前のことが喜びです。笑った!、這った!、立ち上がった!、縄跳びができた!…

保育所ではその度に声援があり、歓声があります。人間として考えれば、当たり前のことかもしれません。でも、それは、子供達が一歩一歩、失敗や恐怖を乗り越えてできるようになったものなのです。

その時の園児たちの誇らしげな顔を何度見たことか。


園長として、「子供の教育はどうすればいいですか?」と時々聞かれることがあります。

そういう時の保護者さんの思いは、「何をさせたらいいでしょう?」ということのようですが、
答えは、「何もさせなくていいから、いつもお子さんのいい部分を見つけて、喜んでください。たくさん褒めてください」ということに尽きます。

学校の成績が100点であることを目指すのであれば、やるべき事は沢山あるでしょう。しかし、子供の生活はその結果、大忙しとなります。忙しいとは、「心が亡ぶ」と書きます。子供の生活が忙しくなっていけば、子供の心は亡びます。

何よりも大切なのは、心の成長なのです。

子供は親や、自分に関わってくれる人々の声援と喜びによって成長していきます。多くの人々の声援と喜びにどっぷりと漬かって自分の実存が、他人の喜びの中に見出せるようになって始めて、子供は、自分の喜びを見つけることができますし、自分と喜びを共にする人と出会うことができます。そうなってはじめて子供達は大人となって自立して行きます。

その時までが勝負です。そして彼らは、自立した後でも、親に対する思いを大切に残していくでしょう。…それは、私たちでもそう歩んできたからです。



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2012年09月21日(金) 13時49分15秒

成長の証

テーマ:保育所
今年の厳しい残暑もようやく終わりを迎えたようですが、この厳しい残暑の中で食欲が落ちたり、微熱が続いたりした子も多かったのですが、それでもあまり大きく体調を崩す子がいなかったことはとても感謝なことです。

私たちの身体は季節の移り変わりに合わせて、体内のリズムをリセットしていきます。これはとても大切なことです。この様に子供の身体や心の中では、絶えず変化が起こっています。

例えば、よく言われる「食欲が落ちると背が伸びる」なんていうのもその典型です。

症状を見るだけであれば、「食べなくなった」とか「微熱が続く」など一喜一憂、心配になりますが、その子の身体や心の中に何が起こっているのかに想いをめぐらせて下さい。

子供達の成長がより楽しくなっていくと思います。


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2012年09月19日(水) 14時54分56秒

9月23日に進藤龍也牧師がやってくる。

テーマ:ブログ
進藤龍也牧師講演会のご案内

もう9月の半ばだと言うのが信じられない残暑が続いています。その一方で実り豊かな秋を迎え、収穫への期待、喜びを感じて居られる方々も多いと思います。

 さて、木造教会では現在ご活躍中の進藤龍也牧師を一年半ぶりにお迎えすることになりました。ご存じの方も多いかも知れませんが、進藤牧師は前科7犯、服役歴3回のヤクザであった過去から、聖書との出会いを通して牧師へと転身された方です。現在、現在、教会員や支援者と共に、50名前後の受刑者との文通・面会を行っているほか、中学校や高校などの非行・犯罪防止のための講演活動を積極的に行って居られます。また、東日本大震災の被災地に継続して訪れ、支援して居られます。

平坦な人生はどこにもありません。私達それぞれもまた、挫折し、罪を犯し、また悩み苦しむ時を体験します。進藤先生の人生を通し、それぞれが人生を見つめる機会として頂けましたら、望外の喜びです。皆様の参加をお待ちしています。

-記-
☆特別伝道礼拝 9月23日(日)10:15~
 説教題「だれでも未来は変えられる」
 聖 書:コリントの信徒への手紙一 5章17節
 ※礼拝中任意の献金があります。

☆特別伝道講演会 9月23日(日)1:30~
 講演題「人はかならず、やりなおせる」
 聖 書:エゼキエル書33章11節
 ※新藤牧師の開拓伝道を覚えて任意のカンパを募ります。

進藤龍也牧師プロフィール
18歳の時、ヤクザにスカウトされ広域暴力団住吉会K一家S組の組員となる

28歳の時、同じK一家に養子縁組で移籍し、K組組長代行となるが、その後、覚醒剤が原因で降格

30歳の時、三度目の服役の際、ある女性から差し入れされた聖書を読み、回心する。回心の御言葉は、エゼキエル33章11節
「彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち返って生きることを喜ぶ。立ち返れ、立ち返れ、おまえたちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしておまえたちは死んでよいのだろうか。」

拘置中に行っていた、山形県在住でトラクト伝道の月岡世光先生とアッセンブリーの仁司先生との文通が、現在の刑務所伝道の基礎となる。

32歳の時に出所し、単立シロアム・キリスト教会の鈴木啓之先生から洗礼を受ける。

33歳の時、JTJ宣教神学校入学し、就学中より刑務所伝道を始める。

35歳の時、卒業後し開拓伝道をはじめ、単立〔罪人の友〕主イエス・キリスト教会の牧師として、日本各地の受刑者との文通や面会を通し、福音を伝えている。

36歳の時、中野雄一郎師の推薦で岸義紘師、鈴木啓之師、安田眞師より按手礼を受ける。


主催・お問い合わせ先:日本基督教団木造教会
電話0173-43-2317 牧師携帯090-4296-7652


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2012年09月18日(火) 12時47分44秒

話半分

テーマ:子供たち
だいぶ言葉を話すようになって来た娘。息子と二人揃って、いろいろなことを話してきます。

大人の言うことも相当判ってきたようです。機嫌が良くて、こっちに気が向いているときには、よく理解しえくれますが、しかし、機嫌が悪かったり、別のものに気が向いているときには、めちゃくちゃになります。

話半分なんて言葉が昔からありますが、彼等の頭の中は、常にそんな感じ…。

まあ、語彙力が語威力ですからそうなるのは当然なのですが…。

で、結局は身体で考える半分、言葉で考えるが半分のせめぎ合いが見て取れます。

結局、まだ、結局欲求のほうが勝つのでしょうね。頭から湯気が立つほどに怒るときもしばしばです。

大人が良かれと思っても、子供にとっては良くない事って生活の中にたくさんあるんだなあと実感しているこのごろです。でも、人生の基本に立ち返ってみれば、やってはいけないことってそんなにないんじゃないか、更に子供の時代にいたっては、様々な決まりを教えるよりも、基本に忠実な方が大事なんじゃないかと気が付きました。

彼等の話半分の中に、それが残ることが大事だということです。のびのび育てるということはそういうこと。

結局は育てる側が考える人生の価値が問われるということなのでしょう。


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2012年09月15日(土) 11時56分05秒

知り合いに子供が生まれた!!

テーマ:ブログ
知り合いに子供が生まれたそうです。

本人曰く、「今まで親ばかをネタにして笑っていましたが…」と言っていましたが、親ばかって笑ってもらっても幸せなもんです。そして、それが聞けないと周囲はちょっと物寂しい…。

出産に立ち会うということは、何も「産室に居る」ということだけを意味しません。

出産に向けて協力することそのものが、出産に立ち会うということです。ある人は、祈り、ある人はお下がりを用意し、ある人は仕事を代わり、ある人はその報告に顔をほころばせ…。みんな出産に立ち会っているんです。

私たちはクリスマスの出来事が、馬小屋で起こったことを聖書によって示されます。そもそも、イエスの誕生は12月25日って言うのは、後世に設定された話で、聖書にはどこにも書いていないのですが、このイエスが生まれたそのときの騒ぎというのは、まさに、こんな騒ぎだったでしょう。

「馬小屋に泊まらざるを得なかった旅行者が産気づいた!」

さあ、大騒ぎです。女の人たちは総動員されたに違いありません。そこの女将さんを筆頭に、産婆さんを呼びに走る人、お湯を沸かす人、ただオロオロする人、父親になるヨセフと共に居て励ます人…。

生まれてきた赤ん坊は、みんなの笑顔に囲まれていたに違いありません。

「賢そうな顔してるなあ」、「目のところはお母さんにだね」、「元気な鳴き声だこと」いろいろな話で盛り上がったに違いないのです。親ばかは親だけが馬鹿なのではありません。それを取り囲むすべての人々の相違が親を代表し親ばかとなるのです。

しかし、今の出産はそんな豊かさが、失われてきているように思います。出産そのものは、システム化され、家族だけの出産なんてものが当たり前になり、出産時の感動を味わうことなく中年にまでなってしまう人が多くなってきました。結果は親ばかを「馬鹿親」と呼び、子供を「害獣」呼ばわりする人まで出る始末。

江戸時代、大名行列の前を横切ったり、列を乱すような行為は無礼な行ないとされ、場合によってはその場での「無礼討ち」も認められていたが、特例として飛脚、出産の取上げに向かっている産婆は行列を乱さない限りにおいて、前を横切る事を許されていたそうです。

大名さえも、その出産を案じて産婆に道を譲り、そして、後刻報告が寄せられれば喜んだのでしょう。


だから、子供を授かったすべての方々に声を張り上げて申します。

「おめでとうございます」

あなたの子供が生まれたことは私たちの喜びです。一緒にばかになって、子育てを楽しんでいきましょう!!あなたの親ばかは世が明るい徴なのです。

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2012年09月06日(木) 17時51分30秒

保育

テーマ:保育
つい、先日まで、保育所の全てを2015年度を目処に「総合ごども園」化すると言うことになっていたのが、今度は「認定こども園」構想へと逆戻りしてしまいました。

幼保一元化から幼保一体化へ、「認定こども園」から「総合こども園」、そして再び「認定こども園」へと看板も目まぐるしく変わっていますが、その一方で、一体化する理由についても「待機児童対策」から「就学前教育」なんてものまで盛り込まれています。

そもそも、教育とは何なのかを考えないで言っている様な気がします。政治家や官僚の言う教育って中身がその時々にコロコロ変わっています。

そんな中、「ゼロ歳児などの幼児教育」って言葉まで飛び交っています。始めて聞きました。一体何を教育するのでしょう?

0歳児に対して大切な事は、たっぷり愛情を注ぐこと。それを教育と言っているのならいざ知らず、政治家や官僚や有識者(?)が言っている「ゼロ歳児などの幼児教育」というのは、そういう意味で言っているとは思えません。

未だに「大人からの押し付けによる早期教育」の信奉者が多いのも気になるところです。

保育所は「保育に欠ける」として措置された児童を預かる施設です。形態から言えば、「自治体によって措置された児童の保育を委託されている」のが保育所の姿です。しかし、じゃあ、自治体ではどのように育てたいというのですかと言う問いに対しては、「保護者の要望に添うこと」としか返答が返ってきません。

その結果、保育所は自治体と保護者という二重構造の顧客の求めに応じるために汲々としてしまい、その結果、園児である「保育に欠ける児童」の「福祉の構造」を実現することが出来ない状態が続いています。

実は保育所にとって、魅力的な経営モデルがあるのです。

それは、保育士の勤務年数を7年以下に抑えること。保育所に国と自治体から支給される運営費には人件費も算定されて含まれていますが、その金額は8年勤務の給与です。平均値でこれぐらいだろうって事。

ですから、若い保育士ばかりを入れ替えていけばとても大きな経費の圧縮になります。しかし、経験年数の浅い保育士ばかりでは、保育が成り立ちません。そこで、成り立つ様なメソッドを構築すると言うのが、最近の保育界の流れになっている様にも思えます。

例えば、保育以外のプログラム(外国語やスイミング、体操など)を希望有料制で導入すれば、その間の保育の手間は省くことが出来ます。また、経験の薄い保育士(人件費が安い)しか居ないと言うことを逆手に取れば、赤字になりやすい障害児保育なども合法的に回避することができたりします。

手間をかければ、それだけ赤字になるのが、現在の保育制度です。

どうやって、手間をかける保育を実現していくのか…それが経営者の腕の見せ所ってヤツなんですが、現実を見れば、とっても難しいと言わざるをえません。

さあ、祈って、立ち上がりましょう。

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2012年09月02日(日) 00時20分44秒

神と共に歩むと言うこと

テーマ:説教
「天賦の才」と言う言葉があります。これは、その人にだけに天から与えられた才能という意味ですが、この言い方は古今東西に共通する言い方です。教育界なんかでは、マタイ福音書25章に由来する「タランテッド」とか「ナチュラルギフト」という言葉を使ったりします。これら言い方は、その才能を与えるのは人知を越えた存在にしかできないことという理解に基づきますから、そんな才能に応じた教育のことを「ギフテッド教育」と呼んだりします。

英才教育とは、天賦の才を見極めて行う教育と言うことになります。つまり、その人らしさを見抜き、その人に対して必要なものを必要な手順によって提供していくことが英才教育の基本となります。

さて、どうしてこの様な特殊な教育方法を行わなければならないのかと問えば、それは、大きな反省があるからに他なりません。飛び抜けてある分野に秀でている人も、例えば老化などでその才能が奪われてしまえば、自らの存在意義そのものを見失ってしまいます。更には、この才能の用い方を誤れば、本人だけではなく周囲の人にまで、とんでもない苦痛を与えてしまうことが多くあったからです。

ギフテッド教育とは、そんな反省から生み出されたものでした。つまり、人知を越えた力によって生み出される「天賦の才」をその人自身がどのように使うべきかを考え、教えていく教育と言うことができます。

残念ながら、日本におけるギフテッド教育は英才教育という名前の下に行われる早期教育の範疇を超えてはいません。理由は、「人間は産まれた時点では、同一の企画として産まれ、その後の教育によって才能が形成されていく」と社会が思い込んでいるからです。しかし、現実はどうでしょう。同じ教育を受ければ、同じ点数を得られ、同じ能力を発揮できる訳はないのは周知のことです。実は「天賦の才」は誰にだってあるのです。ただ、ほとんどの人そのことをして、自分にも「天賦の才」があると認識していないのが問題です。「天賦の才」とはその人らしさと言うことができるのです。

だとするならば、ギフテッド教育は総ての人に対して行われなければいけません。そしてそれは、「天賦の才」を与えた意思を知ることに他なりません。キリスト教ではそれを「神の召し」とか「召命」と呼んだりします。「天賦の才」はそれを与えた人知を越えた存在の意思に従うことを求められ、それに従う時に「神の御業」として感動を持って受け入れられるのです。私達が味わう苦悩は、実は私達らしさ…つまり、私達に与えられた天賦の才によって引き起こされます。優しさや真面目さ、容姿、才能などによって引き起こされるのです。

あなたがもし、今、悩みの中にあるとすれば、それは、あなたに与えられた「天賦の才」が姿を現した証拠です。挫折を体験を乗り越えた人たちが、その人生そのものまで変わったかの様に生きる姿を私達は見聞きします。

挫折はあなたに与えられた「天賦の才」の意味を問う期間です。そんな時、あなたに「天賦の才」を与えた存在は、あなたと共にあります。「天賦の才」を与えられたからこそ、ゆっくり、ゆっくり、あなたのペースで…。神様と一緒に歩むと言うことは、自分らしさを問いながらゆっくり歩むと言うことなのです。

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