ジオターゲティング
2012年08月31日(金) 12時30分29秒

できないよ

テーマ:子供
イヤイヤ期に突入してきた娘。

何でも自分でやらないと気が済まないようで、親が何かをしてやろうとすると決まって撥ね付けます。毎朝の着替えでも、なにやら、自分の箪笥を覗き込み、気に入った服を引っ張り出してきますし、何より、兄に出来ることは自分も出来る気になって張り合います。

仕方がないので、放っておくとしばらくして「できないよ」と情けない声で独り言が始まります。それでも放っておくと、今度は癇癪が始まります。手伝われたくないものの、自分ではできないもどかしさなんでしょう。最後は崩れ落ち、床に突っ伏して泣き始めます。

でも、だからでしょう、できたときの喜びもとても大きいようです。

「できないよ」の段階でうまく手伝ってやれて、「できた?」と問えば、「うん」となんとも嬉しそうな声で返事が返ってきます。


できる、できないを行ったり来たりしながら、子供の毎日というのは刺激の連続なのでしょう。

そう言えば、子供って大人がやることに興味津々。

子供は大人をじいっと見ています。

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2012年08月24日(金) 09時59分16秒

「喜ぶこと」、「願うこと」、「感謝をすること」

テーマ:保育
教育を語るというとき、何を教えるかということを考えるとき、保育所などが担当する幼児教育、小学校から始まる学校教育、任意で行われる高校、大学といった高等教育などといった区分けで語られる向きが多くなってきました。

特に、実践と実戦が重なって捉えられる向きも多くなってくる中で、それぞれの領域で「教えるべきもの」が語られるわけですが、実はその本質は、「喜ぶこと」、「願うこと」、「感謝をすること」に由来することは知られていません。

学習とは、この三つがあって初めて進むのです。逆に言えば、この三つがなければ、学んだことも何の役にも立ちません。保育はその三つの大切なことを子供達に提供し、味わって、実感してもらうためにあるのです。

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2012年08月23日(木) 12時06分46秒

暑い日が続いています

テーマ:子供たち
先日、家族で買い物に行ったのですが、その折、娘が私のかけていたサングラスを見て、欲しいと言い出しました。

あまりにもがんばるので、子供用品店に行って子供用のサングラスを買ってやりました。180円也。

娘はご満悦。

お気に入りのワンピースとセットで、気分はどこでもリゾート地。


電気屋に行って、決めポーズ。後ろのエアコンが清涼感を醸しています。

ある教会の牧師室-2012081217090000.jpg


また、お気に入りの車を格好良く乗りこなしているの図です。

ある教会の牧師室-2012081217370001.jpg


ある教会の牧師室-2012081217370000.jpg


まあ、何はともあれ、暑い日が続きます。

どうぞ、皆さんもお体を大切にお過ごし下さい。

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2012年08月19日(日) 07時57分02秒

渋茶爺さんへ

テーマ:ブログ
まず、私が指摘したホームページ(http://teikoku-denmo.jp/history/honbun/mujoken.html)の作者さんなのかどうかで答えが分かれますが、作者さんとしてお答えいたします。

全般的に見て、論理のすり替えが起こっています。

私が指摘しているのは、

第13条が「『軍隊の無条件降伏』を日本が呑めば、連合国側は『適当且充分なる保障を(日本に)提供する』と条件を提示している」とは読めないことです。もっと細かく言えば、「適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ、同政府ニ対シ要求ス。」を「 連合国側は『適当且充分なる保障を(日本に)提供する』と条件を提示している」とはどう考えても読むことができないということです。

>また、第13項の句読点は下記の方が、シックリ来ると思いますが・・・

吾等(われら)ハ日本国政府ガ直(ただち)ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且(かつ)右行動ニ於ケル同政府ニ対(たいする)ノ誠意ニ付(つき)適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス

どのような理由でシックリ来ますか? なぜ、ニ対(たいする)ノが入った訳を採用されているのか、その理由がわかりません。

私が論拠を調べた限りでは、この「ニ対ノ」が入った文章は公的なホームページ(つまり外務省)からは見付かりませんでしたし、私としては英文から探ってみてもよく判りませんでした。よって、「誤挿入」としたのですが、もし、この「二対ノ」が入った論拠をお示し下されれば幸いです。

逆に言えば、「軍隊の無条件降伏を日本が呑めば、連合国側は適当且充分なる保障を(日本に)提供する」という意味の文語文を作ってみても、13条のような文章にはなりません。

また、述語が「要求」であり「約束」ではないと言うことは、主語が「要求」していることであり、この主語とは、宣言文を作った「我等」であることは間違い洋がないと思うのですが…。
更に、「右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス」は恫喝でしかなくこっちの条件を飲んで頂ければ穏便に済ませます(つまり、適当且充分なる保障を日本に提供します)とは読み取れません。

これは、文学的な問題です。

>ポツダム宣言第5項は、「吾等ノ条件ハ左ノ如シ(Following are our terms)」として、
第6項以降の条項は「条件降伏」を明示した文章で、「無条件降伏(unconditional surrender)」なる語が用いられているのは第13項においてだけで、それも唯一「全日本国軍隊ノ無条件降伏(the unconditional surrender of all Japanese armed forces)」という記載いるだけだからである。つまり、ポツダム宣言を受諾した結果、「無条件降伏」したのは「全日本国軍隊」であって日本国でも国民でもなかったと読み取れますが・・・



では、同様の理論で質問いたします。

この戦争の中で日本側の「宣戦布告書」と称するものは、存在しておりませんよね。「対米覚書」というものだけです。そして、その中では、『開戦』などの単語は一言も入っていないから、日本は宣戦布告を行っていないという理屈には同意なさると言うことになりますが、いかがでしょうか?そのことを同意なさるのであれば、仰っていることも理解できます。

英文を混ぜてはいますが、私の疑問に対する反論(「ニ対ノ」の論拠)にはなっていません。この「ニ対」の存在が確定されなければ、そもそもの論拠を失ってしまうわけですから、この点はぜひとも明らかにして頂きたいと願っています。

また、「無条件降伏」とは、連合国側が突きつけた条件を「“無条件”で飲まなければならないから無条件降伏」なのではないですか?

更に、仰りたいことを全面的に受け入れたとして、その理解は「“軍隊が無条件降伏をしただけ”で、大日本帝国と国民はアメリカと開戦も敗戦もしていない」と言うことでしょうか?仰りたいことがどういう意味であるかわかりません。


>ポツダム宣言において
第6項の内容は、戦犯処理を行うことの明記ですが、無条件降伏であればこの項の条件記載の必要性は無いのでは?

無条件降伏の意味をそもそも取り違えていませんか?

現実には、日本は条件付降伏を行う用意がありましたよね?

それが、「和平交渉の斡旋」をソ連に求めると言う動きになるとは思いますが、失敗したのは周知の通りです。ここで、「条件付降伏」の道は経たれたと私は判断しています。

もし、条件付降伏というものをこの時点でなお設定しようとするのであれば、反無条件降伏派はが最後まで御前会議などで主張した「自主的な武装解除」・「自主的な戦争犯罪の処罰」・「日本本土への占領を行わない確約」の追加ですが、最前線における日本軍の崩壊や原子爆弾の被害などを考えると、そんなことを言って居れる状況ではありませんでした。また、連合国側からすれば、そんな条件を受け入れるつもりもありませんでした。

結局国体の護持は「バーンズ回答」の「日本の政体は日本国民が自由に表明する意思のもとに決定される」に基づいて、象徴天皇制に落ち着かせることで決着させざるを得なかったのは後年の日本国憲法成立の時の話です。

条件が提示国からでも被提示国からでも付けられたのであれば、無条件降伏ではないという事なら、そうかもしれませんが、そういう風に理解してよろしいでしょうか?

だとすれば、無条件降伏そのものが死文化してしまいますが…。

更には、戦陣訓には、条件付きとか無条件とか言う前に、降伏そのものに対する言及もありません。更に言えば、ポツダム宣言の受諾を当時の大本営が渋っていたのも、ポツダム宣言の受諾そのものを「無条件降伏だ」と理解していた事を示しています。

降伏する側が勝利者に対して、約束が確実に果たされるときのみに降伏を受け入れる場合にのみ、条件付降伏と呼ばれ、勝利者が国際法に定められたこと以外に何の約束もしないときや、通告した条件以外での降伏を認めないのであれば無条件降伏とよんで差し支えないと思っています。

ウィンストン・チャーチルは 1944年2月のイギリス下院において「無条件降伏ということは勝った国々が自由裁量を持つという意味である。もちろん勝った国々が蛮行をほしいままにし てもいいという意味でもなければ、ドイツを欧州諸国の間から抹殺してしまうことを望んでいるわけでもない。 もし我々が縛られているとするならば文明に対するわれわれ自身の良心に縛られているだけである。いろいろな取引をやる結果縛られるのではない。これが無条件降伏の意味である。」と述べています。逆に言えば、ポツダム宣言を出した方にすれば、「宣言を提示する者の良心として提示しているだけである」と言うこと….。

つまり、「生かすも殺すも勝利者次第」という意味合いが、当時、大日本帝国が受け取った無条件降伏の指す意味です。結果、日本は連合国側の顔色を見ながら(連合国軍側の言う良心に従い)生き延びる選択をしたと言うだけのことになります。

>第9項について、「各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルヘシ」にシベリア抑留は反しています。

その通りだと思います。そして、日本は戦後、そのことに対しては一貫して講義をしていたことはご存じの通り。でもあなたの意見は時系列を敢えてゴチャゴチャにして指摘していますね。

戦後、冷戦の急速な激化、占領軍による1950年からのレッドパージも、帰国事業が本格化してからの彼らの存在を、日米両政府が危惧したことが遠因となっているのは、ご存じかと思います。現実的に、「日本の公安警察は“共産主義の脅威”を理由に1990年代後半まで彼等を監視下においた」…つまり、当時としては「帰ってきたとして、共産主義革命運動に荷担するのではないか」という危惧があり、政府としても腰が引けていたことを示しています。

因みに、外交文書上の日本とソ連との戦争状態は日ソ国交正常化宣言が成立する1956年まで続きます。「日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の戦争状態は、この宣言が効力を生ずる日に終了し、両国の間に平和及び友好善隣関係が回復される。」とある通りです。

>第10項について、「宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ」と言っておりますが、検閲、焚書によって徹底的に言論弾圧、思想の自由を侵害したのはGHQであったのは周知言の事実です。

私は、キリスト教会の牧師ですが、終戦前には大日本帝国による検閲、焚書によって、徹底的に言論弾圧、思想の自由を侵害をされたのも周知の事実だと思っています。戦前から戦中にかけて、日本が宗教及び思想の自由、言論の自由を圧迫してきたことをご存じのない方なのでしょうか?新聞の検閲、集会の監視など日常茶飯事でしたし、敵国の宗教として教勢を落としていた教会の礼拝にすら警察官が毎週張り付き、その警察官の判断で、解散を命じられると言うことも日常茶飯事であったと聞きます。野球でも「アウト、セーフ、ストライク」など全てが日本語化を強制されたことはご存じありませんか?

仰っていることは、一部に対しては理解できますが、日本の宗教である(とされる)神社等への弾圧や焼き討ちなどが引き起こされたわけではありませんし、そもそも、降伏に反対し戦争継続を望んでいる者達の排除は、降伏を受け入れた日本にとっても不利益な存在であったための方針であったと思います。

終戦まで国家の後ろ盾を得ていた自由が無くなっただけであるとも言うことができます。そして、国家の後ろ盾を失ったために瓦解した言説は様々に存在しました。例えば、足利家は終戦まで逆臣、逆賊の汚名を着せられ、当時の当主は相当な迫害にあったと言うことを当人より伺っています。戦局が厳しくなるにつれて、石が投げ込まれたりもしたそうですし、多くの牧師や思想家、宗教家が思想犯として断罪されました。

それは国として指示した証拠がないという風に仰るかも知れませんが、だとすれば、あなたがなさっている過去の膨大な資料に当たってまで、その公文書の矛盾点を指摘をすることそのものが意味をなさなくなってしまいませんか?杉原千畝、樋口少将など本国の方針に反してまでユダヤ人を助けました。その一方で、国の方針を踏み越えて迫害、焼き討ちを行った国民もたくさんいたのです。

歴史とは、人類の動きそのものです。それの外形をどのように把握し後世に伝えるかと言うことは、その分解能や視野の広さ限定してからでなければ、語ることさえ出来ないのです。歴史の流れの中である人はその流れに便乗し、ある人はその流れに逆らい…。それでも、歴史は動くのです。政治家だけが歴史を作るのではありません。当時に対して現代の私たちが思う不満は、当時の人たちが懸命に生きてきた証でもあります。それを封殺するのではなく、受け入れ、現代をどう解決していくかに活かしていくことが歴史を語る者の務めだと思っています。


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2012年08月15日(水) 21時17分53秒

戦争に負けると言うこと

テーマ:ブログ
なんか変な文章をだいぶ前に見つけました。

大日本帝国は「無条件降伏」等していない!!(2005.10.10)http://teikoku-denmo.jp/history/honbun/mujoken.htmlと言うものです。

ちょっと、引用してみます。   

ここから~~~~~
『ポツダム宣言』
十三 吾等ハ日本国政府ガ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ニ対ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス

詰まり、「軍隊の無条件降伏」を日本が呑めば、連合国側は「適当且充分なる保障を(日本に)提供する」と条件を提示している訳です。これは、「無条件降伏」どころか、逆に「有条件降伏」と言った方が良い代物(しろもの)である事が分かります。
ここまで~~~~~

とりあえず、引用されている文章自体、意味が通りません。

そこで、いくつか和訳を調べてみました。
以下は、http://www.geocities.jp/sybrma/19potsdamsengen.htmで見つけたポツダム宣言の和訳です。外務省ホームページの中の「外交史料館」[外交記録公開文書] 「A'・1・0・0・1第四巻」からの引用だそうです。ここでは、各資料との差異も紹介されていますが、このページで引用された和訳は取り上げられていませんでした。

因みに外交資料館で紹介されているものの同一箇所はこうなります。

吾等ハ日本国政府ガ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス

差異は以下の

無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ニ対ノ誠意ニ付

無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付

「対ノ」という事になりますが、「対ノ」が入ると、全く意味が通りませんので、誤挿入されているものとします。

もし、引用されている和訳から考えれば、「無条件降伏を宣言し右行動に於ける同政府に対するの誠意に付き」という理解から

>つまり「軍隊の無条件降伏」を日本が呑めば、連合国
>側は「適当且充分なる保障を(日本に)提供する」と
>条件を提示しています。

という理解で、句読点を入れれば、

吾等ハ日本国政府ガ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府二対ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供セン。コトヲ同政府ニ対シ要求ス。右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス。

となり、「コトヲ同政府ニ対シ要求ス」が宙に浮いてしまいます。

もう一度、句読点を入れ直します。

吾等ハ、日本国政府ガ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ、且右行動ニ於ケル同政府ニ誠意ニ付、適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス。右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス。

更に注釈を入れれば、

吾等(連合国)ハ、日本国政府ガ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ、且右行動(日本国軍隊の無条件降伏を宣言すること)ニ於ケル同政府(日本国政府)ニ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府(日本国政府)ニ対シ要求ス。右以外(速やかに日本国軍隊の無条件降伏を宣言しない限りこと以外)ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス

因みに英文ではこうなります。

13. We call upon the government of Japan to proclaim now the unconditional surrender of all Japanese armed forces, and to provide proper and adequate assurances of their good faith in such action.

これを「エキサイト自動翻訳」にかけると下記になります。

13. 私たちは、今すべての無条件降伏を日本の軍隊と宣言し、かつそのようなアクションでのそれらの誠実の適切で適切な保証をするように日本政府に要求します。

「yahoo!自動翻訳」だと下記の通り。

13. 現在すべての日本軍隊の無条件降伏を宣言して、そのような行動において彼らの正直の適当で十分な保証を提供するように、我々は日本の政府に求めます。


結局、英語文からも和文訳からも、「『軍隊の無条件降伏』を日本が呑めば、連合国側は『適当且充分なる保障を(日本に)提供する』と条件を提示している」と読み取ることは出来ません。

結局、現代文の読み下しとしては、

「連合国軍は日本政府が直ちに日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、その行動のための日本国政府が誠意に基づいて適当で、かつ十分な補償を提供することを日本国政府に対して要求する。それ以外の日本の選択は、迅速で完全なる壊滅を招くだけである」

が適当だと言うことになります。

つまり、「日本国政府が責任を持って軍隊の無条件降伏を行い、誠意に基づいて適当かつ、十分な補償を提供を約束しなければ徹底抗戦を望んでいるものとして、徹底的に破壊し滅ぼすぞ」

という恫喝とも採れる文章でしかありません。

結論からすると、文語をしっかりと読み下しできないまま、英語文にも当たらず、

「軍隊の無条件降伏」を日本が呑めば、連合国側は「適当且充分なる保障を(日本に)提供する」と条件を提示している訳です。これは、「無条件降伏」どころか、逆に「有条件降伏」と言った方が良い代物(しろもの)である事が分かります。

などと鬼の首を取ったように言っているわけで、情けなくなります。

また、

五条 吾等ノ條件ハ左ノ如シ
吾等ハ右條件ヨリ離脱スルコトナカルベシ右ニ代ル條件存在セズ吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ズ

これは、六条以下の条件を全て飲むことを前提条件とし、また、その条件は「これを了解しなければ降伏は有り得ない」と言うことを意味しているはずです。また、「遅延を認めない」とのことですから、「呑むか呑まないか、どっちだ!!」とここでも恫喝していると受け止められるわけです。

連合国軍側からは「条件を付けた」という状況であると言うのは理解できますが、日本側の条件は受け入れられた形跡すらありません。

また、「戦争の主導に対し内閣を凌駕する権限を持っていた大本営という戦争指導態勢を解体すると言うこと自体をもって政権の崩壊を意味すると受け止めますよ」という、ちょっと間口を広げたスタンスにすることで、連合国軍側は落としどころを示したと言うことはできるでしょう。

天皇を退位させたり、戦争責任を問わなかったことについても、天皇と国家を切り離したところには、昭和天皇の「平和を愛する人柄」を世界各国の首脳が理解していたことはこのポツダム宣言において大切なことであったと言うことは言えるかも知れません。でも、もし、国体として、天皇と国家が同一視されたりしていれば、内容はもっと熾烈を極めたものになっていたでしょう。

昭和天皇はキングジェームス5世の許で、立憲君主制を学んだと自他共に認めていました。「天皇はヒットラーやムッソリーニなどの独裁者と同じにあらず」こんな世界的な常識があったことは確かでしょう。

大日本帝国は戦争に敗北しました。そして国号を日本国に改めました。これは、天皇の威光を笠に着た軍部政権が、無条件降伏をしたと言うことを意味します。また、天皇は占領されていた一時期、マッカーサーに統治権を委ねていたのです。そして、その統治権は専制君主制には戻されず、立憲君主制という民主制に委ねられたのです。

その意味においても、日本に選択の余地などは全くなく、名実共に(日本側は連合国に何の条件も付帯することが出来ない)無条件降伏を受け入れざるを得なかったのです。


日本の救済は、時の政権を担う軍部の無条件降伏から始まったのです。


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2012年08月14日(火) 17時25分21秒

誰が飯を食わせるのか

テーマ:ブログ
「情けは人のためならず」という言葉が、逆の意味に使われていると言う話はよく聞きます。

最近、それと同じような誤解の上で、「誰に食わせてもらってると思ってるんだ!指図するな!俺に偉そうに言うな!嫌なら出て行け!」と切れる父親の話をよく耳にします。しかし、この言葉はそもそもは、「俺が食わしてやってるんだ!」と父親が居直る台詞ではありませんでした。

元々、この言葉はお客に対する感謝を促す言葉でした。

そもそも、私たちの仕事は顧客があることによって成り立っています。つまり、顧客が居なければ生活が成り立たないわけで、そんな顧客を軽んじるわけにはいかないという思いがこの言葉には込められていました。

この「誰に食わせてもらってると思っているんだ」と言う言葉は、顧客より与えられた仕事を背負う父親の覚悟とも言うべきものであり、だからこそ、その覚悟を語るために「誰に食わせてもらっていると思っているのだ」という問いを家族に向けたのです。

今でも田舎では屋号というものがありますが、屋号はその共同体のなかでの位置関係を表す機能を持っていました。つまり、屋号を持つ家族を一つの法人のように機能させていたわけです。その中では顧客を明確化することが大事でした。「誰に食わせてもらっていると思っているのだ」はそういう中での言葉でした。

つまり、「誰に食わせてもらってると思っているんだ」と言うのは、顧客の存在を指し示す言葉なのです。その顧客に感謝を持って応えようとするからこそ、更に仕事が回ってきて「食わせてもらう」事が出来るわけです。逆に言えば、「俺が働いてお前達家族を食わしてやっているんだ」という独りよがりの発想はそもそも日本では通用しませんでしたし、存在しません。

商人のみならず武士にしても、農民にしても、「お陰様」という概念が、それぞれの生活の裏付けには存在していました。その為、昔の人たちは自分の存在をかけて、仕事と向き合ったのです。

一生懸命は元々、一所懸命という武士の覚悟を示す言葉でした。「主君より与えられた(自分で掴み取った)領地(一所)に命を懸ける(懸命)」という意味合いでした。“一箇所の領地からの収入に【命が懸かっている】”(=それを取り上げられたら生きてはいけない) 大切な領地という意味だと言います。

これが、江戸時代の太平と貨幣経済の発展によって、「一所」は完全に時代にそぐわなくなり、17世紀初頭に「いっしょう」には、「一生」があてられたようです。そして自分の「生(=命)」そのものが自分以外の存在によって成り立たされていると言う理解になりました。

先日、「道」というものに少し触れましたが、「道」とは、相手が居ることに感謝をすることから始まる日本独自の考え方です。競う相手があって初めて技術の向上が出来ること、相手から自身が学べたり初心に帰る事など、相互扶助であるという認識を常に忘れない心の緊張をもって、相手を尊重する思いやる姿が「道」であるとされます。

聖書には、「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全てのことに感謝しなさい。」とありますが、これを直感的に捉え、素で行っていたのが日本のすばらしさであり、今、都市部では消えかけている日本らしさの原点でもあります。


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2012年08月13日(月) 18時43分47秒

社会がいじめを作る

テーマ:教育
タレントであり、魚類学者である「さかなクン」。2006年12月2日朝日新聞に掲載された彼の文章が目に止まりました。「広い海へ出てみよう」http://www.asahi.com/edu/ijime/sakanakun.htmlという題の文章です。その中にこんな一文がありました。

(前略)
>たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでい
>ます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、
>1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始め
>たのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを
>別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別
>の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また
>次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を
>水槽から出しても新たないじめっ子があらわれま
>す。

>広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世
>界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。
>同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同
>士です。
(後略)

「いじめ」の原因は、何かというと「小さな世界に閉じ込め」られることだと言うのです。人間も同じです。でも、「小さな世界」とは、教室が狭いとかいう話ではありません。小さな世界とは、精神的な広がりを持つかどうかと言うことで判断されるべきです。

例えば、勉強をしなければいけない理由を、どういう風に言いますか?

他の子供と比べたり、順位ばかりにその理由が理解されれば、そういう狭い精神的な世界観で生きざるを得なくなります。すると、その途端にいじめが始まるのです。いじめは子供達をそういう「狭い精神的な世界観」に閉じ込めてしまうことによって始まるのです。

いじめが起こる環境を考えてみればよく判ります。厳しいヒエラルキー(序列)が存在する世界、また、特定の能力差を強調するような、単一の価値観を重視する世界などでいじめは好発します。

そんな「小さな世界」から「広い海へ出てみよう」とさかなクンは私たちを誘います。

「広い海」って一体何でしょう。

一度、考えてみる価値のある問いだと思います。

保育では、環境構成と言う言葉が使われます。子供達が精神的な広がりを実感できる環境を提供する事が保育では重視されるのです。興味を持った遊びを没頭できる環境、また、たくさんの関わりの中で協力することが出来る環境などを構成していくことがとても大事だと考えるのです。だからこそ、環境構成とは、人間関係がどのように構築されるかについても注意を払わなければならず、保育に関わる者は、園児に対する「声掛け」の内容の質まで問われるのです。

誰もがいじめを否定しつつ、それを出来ない理由は、社会そのものにあります。相手を認める事が出来ない風潮、この中でいじめに至る心理は熟成されていきます。私たちが小さな世界で満足してしまう時、私たちは知らず知らずにその世界の中でいじめを行ってしまうのです。


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2012年08月05日(日) 02時25分24秒

世界の柔道

テーマ:ブログ
オリンピック史上初めて、男子柔道が金メダルを一つも獲得できなかった。この結果に、「歴史に汚点を残す結果」とテレビでは大騒ぎ。そして、「西洋人の柔道ってのは、けだもののけんかみたい。(国際化され)柔道の醍醐(だいご)味ってどっかに行っちゃったね」、「ブラジルでは、のり巻きにチョコレート入れて食うってんだけど、これはすしとは言わない。柔道もそうなっちゃった」と石原都知事が言ったそうです。

しかしながら、発祥の地だから最強でなければならないとするならば、それぞれの競技だってそうなるはずです。開催国のイギリスはサッカー発祥の地ではありますが、イギリス代表はベスト8で敗退しています。だからといって、サッカーが堕落したとは誰も考えていないわけです。

日本勢が苦戦したのは、柔道が「世界の柔道」になったからです。日本がいつまでも柔道を日本のものだと…つまり最強を独占したいのであれば、オリンピックの正式種目にしなかったら良かったのです。世界的に拡がれば、日本では想像も付かなかった戦い方だって出てくるに違いありません。

柔道とは「道」を重んじる武芸の一つです。「道」とは哲学とも言われ、一つの物事を通じて生き様や真理の追究を体現することや自己の精神の修練を行う事。礼儀を尊び、勝敗を超越したものを尊ぶ境地に至る過程を「道」と言うわけです。だからこそ、他の競技にはない、段位なるものが存在し、それは世界ランキングとは相容れるものではありません。そして、柔道が受け入れられた各国ではどこでも、その段位をもって敬意を払われます。

柔道の世界的な広がりには目を見張るものがあります。「道」としての価値を受け入れ、教育に柔道を取り入れている国も多いと聞きます。そしてそれらの国々では、少なくても二段以上の有段者が柔道を教えているそうです。方や宗主国と威張っている日本の現状は、やっと中学校の体育の授業に学校の選択科目として再指定されたばかり。それも、教える教師の側はほとんどが白帯だって言うのですから情けない限りです。

イソップ童話に「酸っぱい葡萄」という話があります。

「キツネが、たわわに実ったおいしそうなぶどうを食べようとして跳び上がるが、ぶどうはみな高い所にあり、届かない。何度跳んでも届かず、キツネは怒りと悔しさで、「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」と捨て台詞を残して去る…

こんな話ですが、

フロイト心理学ではこの童話を「手に入れたくてたまらないのに、人・物・地位・階級など、努力しても手が届かない対象がある場合、その対象を価値がない・低級で自分にふさわしくないものとみてあきらめ、心の平安を得る防衛機制・合理化の例」と紹介します。

金メダルをとれなかったことを嘆くより、金メダルを取れる選手が世界各国で養成されていることを喜ぶのが、そして、何より日本を背負って「柔道の手本」であろうとした日本人選手達に感謝することこそが、何よりも、「道」を極めようとする人たちが世界中で増えている事を喜ぶことが、「道」を知る私たち日本人の務めではないでしょうか。


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2012年08月04日(土) 15時57分48秒

あなたの引き出し

テーマ:ブログ
魅力的な人に出会った時、私たちは自然と、「昔(部活など)は何をやってたの?」と聞きたくなるでしょう。それは、その人の過去に何があって、今があるのかを知りたいからに他なりません。その人のことを知ろうと思えば、どんなことを学び、見て、触れて、更に挑戦し、挫折したのかを訊きたくなります。

学校で学んだこと、テレビや研修で仕入れた物、部活動やサークルで培ったこと、自分が今まで関わってきたこと、うまくいかなくて途中で投げ出したもの…それは人生の無駄ではないのです。

人生には「人生の様々なことを諦めた結果今がある」と言う考え方と、「今までの経験があったからこそ、私の人生は豊かだ」という考え方の二通りの考え方があります。前者であれば、自分を卑下するしかありません。でも、後者の考え方ができたら、私たち人生は、充実したものとなります。

私たちも様々なものを学び、見て、触れて、更に挑戦し、挫折し、今があります。子供の時から私たちは様々なことを体験してきました。そして、それらが凝縮した姿として今の自分があるはずです。特に、幼児教育に関わる者にとっては、この一つ一つが大きな賜物なのです。自分では無価値だと思っていても、子供達にはキラキラと光る宝もとして見えているのです。あなたはあなただから価値があるのです。子供達は、そしてイエス様はそう語りかけててくれます。

「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」マタイによる福音書6章26~34節

触れられたくない失敗、思い出したくない過去が主の祝福によって、あなたの大きな魅力に変えられていきます。そして、それは神様の御手によってあなたの中にある「引き出し」の中で宝として、大切にしまい込まれているのです。「引き出し」はあなた自身の笑顔という素敵な鍵によって開かれるでしょう。「あなたの引き出しの中にあるもの」は、「あなたを笑顔に変え、更に笑顔を作り出すもの」なのです。

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