ジオターゲティング
2012年02月25日(土) 17時30分21秒

信じる心

テーマ:ブログ
「信じる」とは一体何かと言えば、難しい事です。

今の社会では、国も学者もマスコミも「信じることの出来ない」ものとして語られる事が多い昨今です。信じる事の難しさは、社会問題にもなっています。自分の将来、家族、隣人、同僚、友人、上司、部下…信じることが出来る人が何人も居ない様な人もいるようです。

「病気が治ると信じる」とか「合格すると信じる」とか、もっと言えば「奇跡を信じる」なんて言い回しまでありますが内容的には、「『そうである事』が実感できていない段階で、『そうであると』あらかじめ決める事」と言う事になるのでしょう。友達や友情などを「信じる」なんて時には、友達を神様として信じるわけではありません。「自分に決して不利益をもたらさない」ということを信じているわけで、更には「自分を信じる」なんてことであっても、それは、「必ず自分には未来がある事」を信じているのです。

信じる心というが信仰だとすれば、信仰とは、誰もが持っている心であると言う事ができると思います。しかし、今の日本は、「信じる心」よりも、「疑う心」の方が多いの様に思えます。それは信じた事が実現しない…裏切られた時のダメージを体得している人達が多いという事にあるのでしょう。

上司は部下を疑い、部下は上司を信じられず…。その結果として出てくるのが数値主義です。「他人は疑ってかかれ!」が合い言葉の世の中にあっては、人が必ず持っているはずの信じる心さえ、ずたずたにされていきます。

日本人は待つのが苦手になってしまいました。

去年の3.11震災の時に多くの帰宅難民が生まれた事はご存じの通り。そのメカニズムは、多くの人の場合

「携帯や電話が繋がらない」
   ↓
「家族が心配」
   ↓
「連絡が取れない」
   ↓
「歩いて帰るしかない」

連絡が取れない以上、家に帰らざるを得なかったのです。そこには、「家族はきっと大丈夫」と信じ切れなかった人々の姿があります。酷な話ですが、家族を信じる事が出来なかったのです。ではなぜ、家族を信じられなかったのでしょう。それは多くの人が「そうなった時に考えればいい」「そういうことなんか起こりっこない」と高をくくっていた事が原因だったのだと思います。「信じる基盤」がなければ、結局それを確認するしかなく、その結果は多くの人々が集団催眠的に、買い占めに走る結果も引き起こしました。

信じる事が出来ないと言う事は、結果的に数値、物量によって安心感を得ようとします。そして、それが新たな不信感を他の人に植え付けます。

「お隣さんは10時間もかけて歩いて帰ってきたのにあなたはなんなの!」

なんて怒られた人もおられるかも知れません。

「買い占めで、物がなくなって苦労したから、次の時には買い占めしなきゃ!」

と思った人もおられるかも知れません。

私は仕事柄、信じる事が出来ない人の相談相手になることが少なくありません。子供、配偶者、親を信じられない…そういう人を相手にする時に共通して感じるのは、すぐに結果を求めてしまうこと。忍耐ができないのです。「今すぐ結果が欲しい」という渇望が「信じるべき対象」から目をそらしてしまうのです。

信じるためには忍耐が必要です。信じる事は、その基盤を必要とします。そして、その基盤は挨拶、ちょっとした会話などの常日頃の何気ない行いによって形作られていきます。また、そういう小さな喜びを少しずつ積み重ねる中で、忍耐は形成されていくのです。

信じる事ってごく当たり前の生活をすると言う事なのかも知れません。

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2012年02月13日(月) 06時38分31秒

教会に来る人々…その26 除雪

テーマ:教会に来る人々
津軽の朝は早いです。保育所の除雪は、朝5時から始まります。私だけではしんどいので、ある方にお願いして、除雪をして頂いています。二人で、5時に集合し、保育所の前、両隣、向かいの当たりを除雪します。…なもんで、ご近所さんには大変喜ばれるわけですが…、保育所の都合としては、送迎の保護者の車の安全を考えれば、そこまでは最低やらなければいけないわけで、一石二鳥かと…。

しばらくしたら、お向かいさんがいつからか無言でお手伝い下さる様になりました。最初は隣をやっていたのですが、その後、私たちに混じって除雪をする様になってきました。交わす言葉は「おはようございます」の一言だけで、黙々と雪をどけていきます。全てを終わる頃、彼は家に入っていきます。

そんな除雪を繰り返していても手が届かないのが、屋根の雪。

着任以来礼拝堂の雪下ろしなんてした事はなかったのですが、今年は特別。教会の屋根は、深いところは2メートルほどはあるでしょうか。あまり、放置しておくと、暖房で暖まった屋根の上で溶けた雪が凍り、溶けた水をせき止め、雨漏りみたいに漏れてくる…。これを「シガモリ」と呼びます。シガはツララのこと、ですから、シガモリは「ツララ漏り」と言う事になります。

更に屋根の片方だけ落とすとバランスが崩れるそうで…これは、何とかしなければなりません。

ということで、11日にトライする事にしました。除雪をお願いしている方と、教会員さん、教会員の息子さん、私の男三名、女一名の4人で行う事にしました。

男三人は屋根に上がり、雪を屋根から落とし、下で事故が起こらない様に監視して貰う事にしました。

ある教会の牧師室-P1000193.jpg


それにしても怖い。一番高いところは、二回の屋根の上。そして何より勾配がきつい。足場になる様に雪を残しながら上から削り、落としていきます。最後はその雪を軽トラックに積み、排雪場に捨ててきます。結局朝10時から始まり夕方の5時までかかりましたが、何とか終わりました。

除雪は、何人かでやるに限ります。でも、群れることなく自分の持ち場を自分で見つけ、黙々と…。

この冬も、あと一ヶ月ほど。みんなで黙々と春を待ちましょう。

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2012年02月10日(金) 11時03分52秒

Aの悪夢 Bの恐怖

テーマ:ブログ
インフルエンザで一家感染した我家。最後の感染者である妻のリレンザ投与も終わり、平和が訪れたのが、先週の土曜日。

ところが、昨日、「熱が39℃を超えました」とのメールで、その平和が打ち破られました。

つがる市界隈では、B型も流行り始めているという情報を掴んではいましたが、まさかそんなことになるとは…。

所詮はつかの間の平和だったか…。

早速病院に連れて行きました。

「B型だった…。お医者さんに気の毒がられたよ」と力ない報告をする妻。

聞けば、先のインフルエンザ騒動の時に、ほぼ食材の在庫を使い果たしていたとの事で、火曜日にショッピングセンターに言ったのが、唯一の心当たりだそうで…。

今度は、妻を隔離します。

夕食の準備をし、食べさせ、着替えさせ、歯磨き、就寝まで…。

今朝、部屋を覗いてみれば、さすがリレンザ、熱は下がったようで、一安心。ただ、まだ、これから三日間は用心の日々が続きます。

今までは、一回かかれば、それまでだったのですがね…。

Bの恐怖は今後しばらく続きそうです。

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2012年02月08日(水) 16時31分41秒

落雪

テーマ:ブログ
昨日は、久しぶりに一桁の気温になりました。こういう日は、雪融けが進みます。雪融けが進めば、道に厚く凍りついた氷がところどころで融け、深さ十数センチの穴ぼこが出来ます。雪がシャーベットになり、滑ります。雪がとても重たくなります。屋根からは雪が落ちてきます。

さてはて、昨日は盛岡の出張でしたが、その出張先に電話が掛かってきました。妻からです。

何でも、屋根から雪が落ちたとか…。妻から来たメールの写真を見てビックリ。
ある教会の牧師室


落雪で木柵がひしゃげています。暖房で再凍結していた雪が一挙に滑り落ちたようです。通行人がいなかったことと、生活道路だったので助かりました。

夜8時に帰宅し復旧作業です。

ある教会の牧師室


我家の除雪機はこんなヤツ。でも、この除雪機だから助かったといえます。

氷塊の一番大きいやつは、厚さ十数センチ、幅1メートル弱、長さ2.5メートルほどありました。スコップでは歯が立ちません。暗い中、柵の上に残っている氷塊と雪をこの除雪機で砕き、どけていきます。

今朝、記録用にパチリ。落ちた氷塊はこんな感じ。真ん中の黄色いのは手袋です。

ある教会の牧師室


これでも、砕いた後です。

その後は、倒壊した木柵の撤去です。撤去した木柵はこんな感じ。

ある教会の牧師室


結局2時間ほどかかって、なんとかすることが出来ました。

ある教会の牧師室


危ない危ない。

落雪、雪崩、雪融けに伴う洪水…。

雪国は春を待ち望みはするものの、その一方で、春に対して恐怖心を持っていると聞いたことがあります。そう言えば、去年は一挙に雪融けが進み、岩木川の下流域に洪水警報が出たとか聞きました。今年の春も、そういう恐怖と抱き合わせで訪れるのかもしれません。

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2012年02月04日(土) 09時40分03秒

想定外を乗り越えるために

テーマ:ブログ
ある教会の牧師室-2012020409390000.jpg


ある教会の牧師室-P1000163.jpg


大雪のお見舞い、ご心配ありがとうございます。

例年に比し、倍以上降っているようにも思えるこの大雪ですが、各地で大きな被害をもたらしています。津軽でも筋肉痛等や「やってもやっても…」という挫折感には悩まされていますが、除雪道具や除雪機を引っ張り出し、夜明け前から除雪を始め、行き交う人と雪の話で互いを慰め、励まして乗り越えている様子を見るに付け、津軽の人達って凄いなあ、と心の底から思ってしまいます。大雪だとは言いながら、まだ何とかなっているわけですから…。津軽の人達の雪に対する備えは、例年の倍ほど雪が降ってもしのげるだけのポテンシャルを持っているということが出来るでしょう。

それより、数センチの雪でも機能が停止する大都市圏の皆さんの方が大変なことと思います。雪国以外の方で、数~十数年に一度降る数センチの雪に対して除雪道具を買う人はいなでいしょうし、スタッドレスタイヤやタイヤチェーンさえ持っていない人がほとんどでしょう。そんな状態で数センチでも雪が積もったり、道が凍結したりすれば、パニックになるのも当然です。そんなニュースを見ながら、生活に、どんな想定をするかということはとても大切なことで、また、それが地域の特性なのでしょう。

「想定外を想定する」…去年の流行り文句の一つになったように思いますが、現実問題として、想定外を想定しつつ生きていくことは難しいです。数年から数十年に一度の想定外に対してだって、無理があるでしょう。

この大雪を通して思うのは、自分だけ除雪をしても何にもならず、自分だけしないわけにもいかないという横一列の体験…そういうものが乗り切る力になっていること。そしてこの「体験の共有」はこの先結ばれるであろう絆の種になるかもしれない希望を秘めています。

「自立」と「孤立」は違います。たとえ災害に万全の備えをしていたとしても、孤立化を招くのであればそれは意味のないことです。いくら非常食を持っていたとしても食料配布が行き届かない避難所で一人食べるわけにはいかないでしょう。

酷な言い方ではありますが、想定外の災害とは新しい経験ということになります。つまり、それまでの経験は役に立たないという事です。想定を越える瞬間というか、超える徴を見逃さないことが大切で、その徴を見つけたら、これまでの経験を一切捨てて対応することが大切なのだと思わされます。しかし、その一方で、日常においてはこれまでの経験を捨てるわけには行かないのです。災害に対するポテンシャルとは、そういう思考の柔軟さなのかもしれません。生活での想定の範囲をどこに置くか、どこに限界があるのかを知らなければ、たった数センチの雪でも下手をすれば命に関わることになります。

「想定を越えたその瞬間」人々はふるい分けられました。一方は「想定外」という言葉を繰り返し、何も出来なくなる人達。もう一方では「想定外なのだから」と出来る事、新しい事を始めようとする人達。これからの時代を託せるのは、後者でなければならないのは、自明の事です。日常と非日常を行ったり来たりして私たちの生活は営まれていきます。千年に一度と言われたあの大災害からもうすぐ一年。否応なく放り込まれた新しい世界を私たちはどのように建てていくのか問われています。

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