ジオターゲティング
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2009年06月29日(月) 11時45分49秒

マイネ

テーマ:方言
最も有名な津軽弁はこの「マイネ」でしょうか。マイムマイムなんてフォークダンスがありましたが…(--;

友人の前で間違って使ったら「ドイツ語?」と怪訝な表情で聞かれました。ドイツ語では「マイネ. (ドイツ語:meine)私の. 一人称単数Ichの所有限定詞」となります。

このドイツ語からマイネ~となると競馬では有名な冠号だそうで、牝馬の名前に使われています。「私の○○」という意味合いで使われているようですね。有名どころではこんなところ。

* マイネカンナ
* マイネレーツェル
* マイネサマンサ
* マイネソーサリス
* マイネヌーヴェル

競馬ファンなら、良くご存知の馬だと思います。


でも、ドイツ語ではありません。津軽弁です。



先日、子供たちがこんな風に歌っていました。

♪マ~イネんだマイネんだ、先~生に言ってやろ♪


お分かりです?






津軽弁での意味は…





「マイネ」の意味は「ダメ」とか「いけない」という意味です。


子供たちを叱るときに、「マイネェベや」となると、「ダメだろが」という風な意味になります。

「~じゃマイネはんで」とも使うようです。「~ではだめだから」という意味ですね。


つまり、津軽弁で先ほどの馬の名前を聞いてしまうと




………


…………………



皆まで言いますまい。けして駄馬とは言えない結構強い馬ばっかりです。

馬の名前を聞くときは津軽語ではなく、ドイツ語で!!

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2009年06月28日(日) 05時56分40秒

間引きと移植

テーマ:
先週は、月曜日から水曜日で東京方面に行っていました。

去年まで、保育園の園長って、こんなに出張に行くもんだとは思っていもいませんでした。最も子供とのんびり遊べるものかと思っていました。それが、出張、出張、出張の嵐…。もっとも、冷静に考えると、施設の代表者ですもの、そういうのが園長の仕事なんだと思わされた次第。まあ、それに牧師もやっているわけですからね。

それでもってかわいそうなのは、家族と畑…。特に畑はこんな有様に…。

ある教会の牧師室-2009062805550000.jpg


草だらけ。

今回は、この部分を耕して間引いたトウモロコシを移植する作戦です。以前やった様に残った土地を耕します。今回は、表面に生えている雑草を取り除きながら、耕していきます。

出張で寂しい思いをさせているのは家族もそうですから、家族が起き出す前がチャンス。朝5時から作戦です。これだとあまり日差しも強くないので、肉体労働も楽です。それにしても慣れるもんですね。鍬の使い方が断然良くなったのが自分でも分かります。そんなに力を入れるものではなく、サクッ、サクッっと音も心地よくなってきました。まあ、まだまだなんでしょうけど、それでも、そういう自分に対する発見が楽しいということも改めて再確認した思いがします。

7時半を回ったところでとりあえず終了。残りは夕方です。

true-2009061912230000.jpg


移植するトウモロコシは一番最初に植えたスウィートコーン。立派に育っています。しかし、周囲には雑草が…。でも、まだ耕していない部分と、作物を植えた部分は明らかに植生が違います。定期的に耕すことにより、雑草を駆除できるようですね。

夕方、仕事から帰ってきて、日が沈むまでの2時間が勝負。

一穴に3個種を入れていますので、調子のいいところは3本出ています。一番太いのを残し、残りを間引くわけです。去年の経験では、間引いて移植すると間引かれた苗も元気を取り戻すことが多いので、それを今度は移植します。ただし、間引くことにより根が傷ついていますので、根付くまでの管理が大切ですね。

彼らも元気に育ってくれれば良いのですがね。


こんな行き当たりばったりの農作業ですが、育ってくれてることに感謝です。

それでも、耕しているとご近所さんが「紺だけ手を入れてるんだもの、愛(めご)いっきゃね」と声を掛けてくれました。確かにそうも。

愛って、手間なのかもしれませんね。

ある教会の牧師室-2009062806230000.jpg



さて、先日植えた「どでかコーン優作」君ですが、元気に発芽しました。もう少ししたら彼らも間引きと移植しなくちゃなりません。

どうか、作物にとって良い天気が続きますように。


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2009年06月26日(金) 22時17分19秒

教会探訪 弘前教会

テーマ:教会探訪
ある教会の牧師室-2009062311470000.jpg


6月21日、弘前教会で就任式が行われました。招待状が来たので、教会員さんたちと一緒にお祝いに伺いました。この写真はその時のもの。なかなか味のある建物ですね。一見すると石造りの教会かとも思ってしまいますが実は木造の建物です。

下の写真は弘前市が設置した教会前の解説の看板。

ある教会の牧師室-2009062622220000.jpg


建設は1906年だそうです。築102年と言うことになりますね。青森県重宝に指定されたそうで、ウィキペディアにも紹介されています。

実は、青森とキリスト教はとても深い縁があったりします。この弘前教会の設立に尽力したジョン・イング宣教師は、青森リンゴの祖とも言うべき人で、近代津軽の基礎は正にこの弘前教会から始められたと言うことが出来るのです。

実は弘前教会はメソジスト教会というプロテスタントの一宗派の日本における中心教会として存在していた教会で、飢饉の時には幾度となく救済事業を中心となって展開した教会でもあります。

内部はこんな感じ。

ある教会の牧師室-2009062622470000.jpg


漆喰の白を基調にした礼拝堂は、とても大きな空間です。息子を連れて行ったのですが、あまりの大きさに怯んで入りたがらなかったぐらいです。まあ、最後には走り回っていましたが…(^^;

さて、就任式ですが、たくさんの人が来て、みんなニコニコ。とても祝福された一時でした。青森で一番古い教会の新しい歴史が始まりました。


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2009年06月19日(金) 17時52分57秒

どでかコーン優作

テーマ:
ある教会の牧師室-2009061912110000.jpg


一昨日、種植えしたのが、この「どでかコーン優作」くん。本当は先週植えるはずだったのですが、寒い日が続いたのに超多忙が重なり、一昨日にずれ込んでしまいました。最近出張などが多く、落ち着いて畑仕事もできません。結局今回は、朝5時に起き出して、鍬を振るいそれから出勤、2時間半ほどの農作業でした。

これ、甘くてそして実が大きいのだそうで、今回の目玉と期待しています。これは89日ほどで収穫を迎えるそうです。89日といえば、9月14日…。さて、キチンと収穫できるやら…。

ある教会の牧師室-2009061912230000.jpg


さてはて、上の写真は最初最初に植えたスウィートコーン。見事に成長しましたね。

ある教会の牧師室-2009061912270000.jpg


こちらは、次に植えたバイカラー種。まだ、ちっちゃいですけど元気です。


さて、明日はこれを間引きしなければなりません。雑草も結構生えてきましたし…。また、朝5時からがんばりましょう。

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2009年06月17日(水) 12時03分35秒

花の日・こどもの日

テーマ:ブログ
♪この世は花園 こどもは花
 恵みの雨露 愛の日陰
 父なる御神の 日々給いて
 咲かしめ給うよ 色香清く 色香清く (讃美歌第1編 466番)←曲はこちらから


毎年6月の第2日曜日、教会では「花の日・こどもの日」礼拝というものが行われます。今日は子供たちが、手に手にお花を持って登園してきました。そしてこのお花を市役所や警察署、消防署、郵便局などに届けて、感謝しましょうということで、子供たちは朝から興奮状態。

私は市役所へ行く組に付きましたが、市役所では市長さんをはじめ、たくさんの人たちが出迎えてくださいました。花束を渡し、みんなで作った壁掛けをお届けすると、帰りにはたくさんのおやつをお土産として頂きました。なんとも恐縮です。

今回は地方紙の記者さんも来ておられましたから、ひょっとすると明日県内版に載るかもしれませんね。警察署に訪問に行った組は全員パトカーに載せてもらったそうで、こっちも大興奮でした。目を真ん丸くして報告してくれました。子供たちには良い体験で、毎年快く受け入れてくださり感謝です。

さて、明日は年長児をつれて消防署に訪問です。去年みたいなことにならないと良いですが…。

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2009年06月14日(日) 05時44分17秒

天を目指して

テーマ:教育
うちの畑には、アスパラガスが根を張っており、この時期になるとあちこちから芽を出します。一日平均、2~3本、多いときには5~6本も出るので、毎日食べています。朝、アスパラガスを摘むのが日課になってしまいました。ミョウガも一緒に生えていますので、うっかりすると見落とすこともあり、そうすると一気に枝葉を張り、花を咲かせてしまいます。

そんな中で、変り種を見つけました。

ある教会の牧師室-2009061405350000.jpg


後ろのミョウガと重なって見づらいですが、我慢してくださいね。右が普通に育ったアスパラガス。中央のはなぜか、茎が一回りしています。どうも、土の中で石か何かに押さえられていたのでしょう。穂先が曲がったまま、茎の部分が延びたのでしょうか。それでも、穂先は、上に向かって伸びようとしています。

先日、園長の研修会のときに恩師が講演をしました。その席で、ある園長が「最近、問題行動をとる子が多い。落ち着いて座れないし、何とかできないものか」と訴えると、「私が皆さんを教えているときは、皆さんはそんなに問題のない学生でしたかね。」と答えられました。

た、確かに…

私も、その先生の講演中にそんなことを思っておりました。学生の時には授業を居眠りしたりサボっていたのに、どうして今はこうして真面目に講演を聞いているんだろうと内心可笑しく思っていた時でしたから、ドキッとしたのと同時に、思わず吹き出してしまいました。

「でも、御覧なさい、今は、あなたたち園長をやってみんなおとなしく座ってるじゃないですか。で、今、『あの子は問題だ、どうしよう』って言っているわけでしょう?」とニヤリと笑いました。

わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。(第1コリント3章6~9節)

教育や保育に関わっていて、うっかり陥る思考の落とし穴が「成長させてくださる方の存在を忘れること」です。「俺がこの子を育てる・成長させる」と思い力んでしまったりします。でも、じゃあ、自分はどうだった?と自分を振り返れば、そんな大した人生ではない…むしろ、多くの人に目をかけてもらい、手をかけてもらい、今があるわけです。私たちはそんなとき、教育者を選んできたでしょうか?友を選んできたでしょうか?もっと遡れば、自力で生まれた人間なんかいるわけもない。

私たちは実りではなく、実りを生み出す者でるのだということです。子育てを畑作りとして考えれば、子供たちが持っている可能性に気が付きます。何が根付くかは分からない畑を前に、様々な作物を試してみようと決意をするのと似ています。マメに雑草を取り、肥料をやり、水を注ぎ収穫を望みます。それでも「収穫がなかったから」といって、その畑がだめな畑ではないのです。畑の中でもご紹介したアスパラガスのように、一度は曲がったものの再び天を目指すようなことは、あちこちで起こっているのです。そういう小さい出来事に目を向けられれば、子育てってとっても深い、楽しい事なのだと思えます。

そういう私たち自身も畑です。もうすでに、得意な作物がいくつか見つかった畑なのだと思いたい。でも、更に新しい作物に挑戦し続けたいなあと思わされます。畑である私たちの実りで、新しい畑が更に豊かに実を結ぶ…そんな世界って、素敵なんじゃないかな、そう思います。

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2009年06月11日(木) 18時34分51秒

トイレトレーニング

テーマ:ブログ
最近やっとトイレに興味を示し始めた息子。特に、私がトイレに行くときは大喜びでついて来るので困ります。(--;

その息子、先週からやっと子供用便座に座り始めました。座って、トイレットペーパーをとって尻のあたりに当てて喜んでました。

「おっしゃ!一歩前進」と思いきや、機械好きの息子は一昨日、ウォシュレットに気がついてしまいました。早速ボタンを押すと尻に水が当たります。

「おお!?」と声を上げました。

この不思議な感覚はビックリだった様子…。

昨日も今日も、便座に喜んで座るのはウォシュレットのお陰かも…。

トイレが遊ぶところではないと彼が知るまでにはまだまだ、長い道のりの様です。

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2009年06月07日(日) 05時23分49秒

不戦世界

テーマ:埋もれた歴史
ある漫画の中で護衛艦隊指令のセリフにしびれた事を思い出しました。
「攻撃すること無しに守りきることができますか」との問いに「それをするのが自衛隊ではないか」と司令官。

こういう誇りはどんな現場にあっても持っているべきだと思います。

「できると思いますか?」「それをするのが自分達の役目じゃないか」これこそ、正に武士道だと思います。


さて、ネット検索していたら、なんか変なニュースが出てました。

「敵基地攻撃能力保有を」自民委員会が提言を正式決定(読売オンライン http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090609-OYT1T00887.htm)

「今時、敵基地を攻撃できなければ勝てません」と言う事なのでしょう。戦争は武士道とか正義とかではなく、物量と兵器の能力、そして狡賢さによって決まること暗に示しています。

近代戦術の生みの親であるナポレオンは必勝の軍略の秘訣を「敵兵一人に対し二人の兵が当たるようにすること」と明かします。近代戦争では強い軍隊とは「卑怯な軍隊」と言う事ができます。最新鋭の戦車や戦艦、飛行機に乗って、はたまた優秀な武器に身を包んで(もっとも最新の兵器は遠隔操作のロボットまで生まれています)安全なところから、貧弱な装備の「敵」を一方的に打ちのめすのが戦争です。戦艦に対しては飛行機で、飛行機に対してはミサイルで、ミサイルに対しては核兵器で…軍拡がとまらないのは「近代戦争がそういうものだから」ということを示しています。

ところで、不戦条約というのをご存知でしょうか? 第一次世界大戦後1928年に締結された多国間条約で、国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し、紛争は平和的手段により解決することを規定した条約です。第一時世界大戦の経験から判明したのは、毒ガス、だまし討ち、「何でもあり」の近代戦争の姿でした。その「何でもあり」の近代戦争の惨状を味わった各国は戦後さっそく戦争を無効化させる条約を発効させます。それが不戦条約です。締結国の中には大日本帝国の名もありました。

不戦条約は正確には「戦争抛棄ニ関スル条約」と言います。その第一条には締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス」とあります。

下記の憲法九条と比較してみて下さい。

憲法第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


無期限条約であるこの不戦条約は今も効力を持っているというのが世界的な認識で、日本も脱退していません。それゆえ多くの国で軍隊の管轄省庁が「国防省」とか「防衛省」と名乗っています。この不戦条約が生きていることの現われです。そして、日本国憲法第九条はこの条約を受けて取り入れられました。言っていることは同じような内容であるのと同時に、九条の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」は不戦条約の存在を意識していることが分かるかと思います。

つまり、国際世界は既に昔から九条に覆われていると言っても良いわけです。不戦条約によって現代の軍隊は既に国のみならず国際社会の存続基盤の座を法(文民)に明け渡したのです。この条約以降、戦争は他国からの「防衛」が目的となります。国際条約を基礎に考えた歴史を見ればもう100年も前から軍隊は統治や外交の手段としては用いることのできないものとなっていたのです。

しかし、なぜ戦争が起こったのかを問えば、それは庶民一人ひとりが感情論に身を任せ、彼らの後押しを受けた政治家が、法、条約などを簡単に無視し、曲解し、悪用したからです。「戦争をしたいわけではないのだが、相手が攻めてきて仕方なく戦争をする必要がある」という状態にならなければ戦争はできないことになります。こういうのを防衛戦争と言います。

でも、戦争をしようと思ったら、先制攻撃をするほうが決定的に有利になりますので、その先制攻撃に踏み切る理由を述べるようにということで「宣戦布告とみなす」と宣言してみたり、条件を付し、その条件が解決されないことをもって、「条件を履行されない場合○月○日何時をもって宣戦を布告する」という風に言ったりするわけです。この場合、一国で言ってもあまり意味がありませんので、連合を組んでやります。このようにしてアメリカが中心となって行った戦争が、アフガニスタン戦争であり、イラク戦争です。今では、北朝鮮がよく「宣戦布告とみなす」などと虚勢を張っていますが、それも「開戦の責任は私にはないよ。私は戦争をしたくないんだ」というパフォーマンス合戦であるということもできます。

国防の名の下に侵略戦争を繰り返しつつ近現代社会は歩んできたということができます。未だに「太平洋戦争は侵略戦争ではない」とか「太平洋戦争は侵略戦争だ」という主張が乱れ飛んでいますが、庶民一人ひとりの単位で考えれば「戦争とは互いの国民を虐殺すること」でしかありません。

だからこそ「國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス」と国家が条約で宣言し、日本国民は「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と答えているのが九条の本当のスタイルだと思わされます。そして九条と共に大事な九十九条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」とあります。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」には「憲法を論議をするのは自由」は通用しません。公務員などは、この九十九条に対し、誓約書を書かされるほどです。

私達は憲法を通し主権をこの手に握りました。この憲法は人であれば確実に保障されるべきである「基本的人権」に立脚して作られたものです。そして日本国憲法は国と個人とが結ぶ契約です。私たちの先祖は、子孫である私たちのことを考えて、軍閥や財閥に独裁されていた国に対して、「人間が人間である権利」をこの憲法によって勝ち取ったのです。でも、その労苦に敬意を表さず、むしろ貶めて「アメリカの押し付け憲法撤廃」などと言っている訳ですから、がっかりします。

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2009年06月07日(日) 05時20分04秒

「勝った時が負ける時」

テーマ:説教
「勝った時が負ける時」…トヨタがアメリカのビックスリーを抜いた時に、トヨタの奥田会長がこのような言葉を使ったのを耳にしました。けだし名言と思いました。当時、トヨタはビックスリーに勝たないようにするために、ハイブリット技術を無償提供することまで検討していたようです。なぜでしょう?
 人間は目標(夢)を持って生きています。追いつきたい、負けたくない、勝ちたい、そんな思いが私達を前に進ませてくれるのです。夢はかなえたいと思いますが、現実には、その目標を達成した時に、時として虚無感に教われる事があります。「燃え尽き症候群」なんて言葉が以前流行りました が、今まで追い求めて来た目標が失われたその時に、全く目標を見いだす事ができなくなるのです。目標のない人生は、砂漠をあてどなく彷徨うようなものです。多い事例として、子育てを終えた時や、退職をした時等、目標を達成したと思った時で、離婚などを考える夫婦は増えています。

「勝った時が負ける時」という当時の奥田会長の言葉は、そういう悲しい私達の現実を指し示している言葉に聞こえました。結局、数年前までビックスリーが倒産するなんて夢にも思わなかったニュースが飛び交う時代です。私たちも、うっかりすれば簡単に生きる目標を見失ってしまうような世の中であるということができます。

後の同志社大学の創立者、新島襄はロビンソン・クルーソー物語を読んで、なぜ、助かる当てもない絶海の孤島で長年暮らすことができたのか不思議に思った様です。そうなったときには潔く腹を切るというのが武士の生き様でしたが、ロビンソンが日々の祈りを中心に孤独な生活を乗り越えたことを知るときに、彼は信仰というものの必要性に気がついたそうです。

一般の理解としては、信仰とは「目標を達成したり、獲得するための手段の一つ」と考える向きがありますが、それは間違いです。この事は「目標の達成」を謳い文句にしたカルト教団の末路を見れば明確です。カルトの場合、多くの信徒は、目標の達成を味わった後、人生の砂漠に放り出され、結果的に教祖に盲従する道を選び取らざるを得なくなってしまうのです。

 本物の信仰とは私達の人生の地図であり方位磁針であり、私達を人間たらしめるものです。もし、何の目当てもない砂漠に放り出されたとしても、地図と方位磁針を与えられ、現在地を知らされていればしっかりと方向を決めて歩む事ができるでしょうし、砂漠から脱出する事ができるでしょう。

 信仰というものは、人間としての生き様であると言う事もできます。人生の中でも絶えず目的を見出す作業ということもできます。そう言う意味で、私達それぞれが持ち合わせる良識、良心、思い遣りなどは、生きることのもっとも基本的な形態であり、重要な信仰のパーツなのです。

「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(第一コリント13章13節)

「勝った時が負ける時」の反対語は、まさにこのパウロの言葉です。信仰とは自らを見つめる鏡であり、生きて行く時の杖であるということができるのです。

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2009年06月04日(木) 23時52分00秒

遠足

テーマ:ブログ
今日は園児たちが待ちに待った親子遠足でした。

今年の行き先は浅虫水族館です。規模は小さいですが子供たちにとってはちょうど良いサイズの施設です。親子総勢184人、バス三台で乗り付けました。

雨がちの天気でしたので、晴れのプログラムを切り替えて来た保育所も多数あり、休日のような混み具合でしたです。お隣の保育園も来てました。ばったり会ってお互い苦笑いです。

聞けば、晴れのプログラムが4年連続でダメになったとか…。全くこの時期の遠足は天気に気を使いますね。ウチもそうで、今年は晴れの場合でも関係なく屋内でやることにして居ましたから楽でした。

みんな水族館は楽しかったようで良かった良かった。

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