ジオターゲティング
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2008年12月29日(月) 17時01分52秒

帰省ラッシュ?

テーマ:ブログ
新幹線が止まったり、大寒波が襲ったりと帰省ラッシュはとても大変なようですね。私自身は、帰省ラッシュというのは学生時代に経験したのみで、ラッシュとは反対方向の移動が多かったり、仕事柄、そもそも休暇が帰省ラッシュの時期とは外れるので、いつも帰省はのんびりとしています。

さて、今日は天候も穏やか、昨日まで降り積もった雪も少し解けたようです。買出しに行かなくてはならないと言うことで近所のショッピングモールに行きましたら、途中はめったに経験しない渋滞。更にお店はとても混んでいました。いつもの3倍ぐらいかしら?

「そうか、ここは、帰省先なんだ」と改めて思いました。

今、都会の方は閑散としているんでしょうね。お店の方は掻き入れ時って感じであっちこっちで年末セールを行なっていました。ショッピングモールでは「あ、園長先生だ」と園児一家に声を掛けられることもありました。

さてはて、私たちも明日から実家に帰ろうと思ってはいるのですが、今夜からまた雪だとか…。気温が高いから大丈夫かな?と思ってみたり、十和田とか八幡平はどうなのかな?と情報収集しているところです。

さて、帰るなら帰るで準備をしなくちゃ。水道やボイラーの水抜きなど、色々やることが多いなあ。

そもそも、明日本当に帰れる天気ならいいんですけどね。


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2008年12月27日(土) 11時06分01秒

相変わらず

テーマ:ブログ
今日も吹雪いています。むしろ今日の方が激しいかな?

昨日、教会員さんから電話が来ました。

「先生、大丈夫だぎゃ?震えてたんでねぇが?これは、序の口だはんでな。」

序の口って…(^^;

教会の水道は凍り、我が家のカーテンは結露した窓に張り付いて凍ってました。トイレの窓も凍結で開かなくなり、車は雪に埋もれています。車を出そうとすると車に積もった雪を落として、凍りついた窓をとかして、車の前を除雪して…結構時間がかかります。

最近の私の出勤スタイルは、防寒合羽と防寒ズボン、それに、防寒長靴…まるでスキー場での姿ですね。先日、「園長、大分、津軽人らしくなってきたな」と保護者からお褒めの言葉を頂きましたが…。(^^;


地吹雪は、気温が下がっている時に吹雪くので、雪がサラサラ~と舞い上がります。足跡なんて30分もあれば消えてしまうくらいです。まるで白い砂漠…雪が砂のように流れていきます。

で、津軽の方々は、冬、傘は差しません。どうしてか、それは差すだけ無駄だから。それどころか傘がとんでもないことになってしまいます。

それと、津軽の方々は、そんな日でも自転車に乗って走っていたり、犬の散歩をしていたり…。

そう言えば、夕べ、車が一台田圃に落っこちてました。地吹雪で道がないのに気が付かなかったみたい。声を掛けようと思いましたが、パトカーが到着したので、そのままスルーしましたが、教会員さんから「事故や行き倒れは見付けたら必ず助けないとまいね(ダメだ)よ」と言われました。なるほど、命に関わるわけね。

洒落でなく前が見えないそうです。

そういう時は、横を見て現在地を確認しながら走るのだそうで…。

「横見て走ったら、前はどうするんです?ぶつかるじゃないですか」と訊くと

「そう、ぶつかるよ。だから、ぶつかってもいい速度で走るのさ」と軽く答えが帰ってきました。


毎日が貴重な体験です。


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2008年12月26日(金) 09時55分33秒

地吹雪き…

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先日、不審者進入の防犯訓練を行ないました。お巡りさんに不審者役を頼み、不審者が来た時の対応を確認したのですが、お巡りさんには、「ちょっとでも怪しいと思ったときには、勘違いでもいいから110番してください」と言われました。

そして先日雪の日、お迎えの時間になったら、目出し帽をすっぽりと被った男がやってきました。

「わ、目出し帽の男が来たよ」と言いますと、

「そりゃあ、普通ですよ」との答え。

地吹雪の町では、目出し帽は被りたくなるものなのだそうで…。そう言われてみれば、目出し帽だけじゃなくて、マフラーなどで目以外を覆っている人もいますし、

「なるほど、こりゃ、全員不審者状態だわ…。」

さて、じゃあ、いったいどうやって不審者を見分けるか…。

「背格好ですよ」とは熟練の保育士。

「背格好で大体見分けが付きますから」

なれと言うものは凄いものですね。


さてはて、昨夜から、その津軽名物の地吹雪と相成りました。私は約1キロメートルの徒歩出勤なのですが、その1キロメートルがとても長く感じました。なんせ、雨のように降る雪と、10メートル前後の強風に巻き上げられる雪…。視界は、2,30メートルかな?

ある教会の牧師室-地吹雪

隣りの五所川原市金木では地吹雪体験ツアーなるものが行なわれているから、そういう意味では、お得な体験をしたと言うことかしら?

さて、私も目出し帽を買おうかな?

園長が不審者として通報されたりして…。


それでも、晴れるとそらはこんな青空に。

ある教会の牧師室-11月20日の朝

これもまたよし。

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2008年12月24日(水) 15時50分24秒

クリスマス中止のお知らせ??

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ある教会の牧師室-クリスマス中止

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****** 重要 ******

クリスマス中止のお知らせ

2008年12月25日に開催予定のクリスマスは諸事情により中止となりました。本決定により、クリスマスイブも中止になります。中止、ならびに本告知が遅れたことにつきまして、楽しみにしておられた方々、及び関係者各位には謹んでお詫び申し上げます。

********************************

最近、ネット上では、「クリスマス中止(終了)のお知らせ」なんてのが出回っています。

これは、ネット界を中心に数年前から風物詩的に流行っている悪ふざけです。落書きの類の発展版という感じでしょうか、それにしてもまあ、ここまでするかと言うほどに凝っていたりします。落書きの例に習って「サンタクロースが射殺された」などの悪意系、下ネタ系や下品系もある中で、秀逸なものもありますね。まあ、人によっては不愉快な内容のも多いですから、注意してみていただければと思います。

結局その原動力は、クリスマスイブを恋人と一緒に過ごすことができない人たちの「嫉妬」みたいなものであることは明らかです。もっとも、本人達もそう自覚して悪ノリしているようです。「なぜクリスチャンでもないのにクリスマスを祝うのか」とか「消費経済中心の世の中がおかしい」とかそんな主張も展開されていますね。

そうかと思えば、こんな「クリスマス敢行のお知らせ」なんてものもあります。

ある教会の牧師室-クリスマス終了
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もっとも、クリスマスは恋人と二人っきりで過ごすなんてのは、クリスマスを知らない人たちの慣例です。教会に行っている人たちにとっては、クリスマスは教会の皆で祝うものですし、その後は家族で過ごすと言うのが定番かな?私の場合などは、職場が教会ですから、もう大忙し。一年で妻との関係が一番ギスギスするのがクリスマスと言っても過言ではありません。(^^;

ところで、最近クリスマスのキャッチフレーズを目にしてちょっと興味を持った次第。

「クリスマス…誰もが優しくなれる日」

一見、良さそうなコピーですが、ひねくれ根性か、何か引っかかります。「せめてクリスマスぐらいは家族と一緒に…」なんて言うことを良く聞きますが、それってどうなのだろうと考え込みました。

私たちの幸せの感覚は、とても鈍感になっているように思えます。慎ましやかに高望みはしないものの、すべての人と同じ物を所有したいと願っていることが少なくありません。人と人の出会いすら、勝手な妄想の産物に帰結させている時が多いことを思わされます。

そうなると、

1)不必要に自分を追い込む。

2)他人の幸せを喜ぶことができなくなる。

3)人の不幸を当たり前のことと感じる。

4)家族さえも疎ましくなる。 再び1)へ

このような悪循環に陥ってしまうわけです。そのような状態の中で「せめてクリスマスぐらいは家族と一緒に…」となるわけですから、クリスマスだろうがなんだろうが他の人々の不幸などに思いを向ける余裕はいっさいありません。かくして「今年も嫌な季節がやってきた」なんて思う人々は増えていくのでしょう。

しかし、今ある幸せを数え、感謝をするのが本来の教会が説いてきたクリスマスの意味です。災害に遭わなかった、無事生きてきた、家族がいる、友がいるなど私たちが普段気にも留めないそういう幸せを数え、感謝をする日がクリスマスです。その感謝が周囲の人々に向けられる…そして結果的に「誰もに優しくなれる日」がクリスマスであると言うことができます。

この「もが」と「もに」の差は決定的だと思います。

さあ、今夜はクリスマスイブ。

あなたは、どんなクリスマスを敢行するでしょう。今まで育ててくれた人、支えてくれた人、共に歩んでくれた友、祈ってくれた人に感謝を向けて過ごしていただけると、今までのクリスマスとは違う、充実した幸せを味わうことができるでしょう。

今宵クリスマス、皆さんのクリスマスに、主の祝福がありますように。

クリスマスおめでとう。




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2008年12月19日(金) 18時30分21秒

出す気になれない

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先日、喪中欠礼状の記事(「喪中葉書から見えること」)をアップしましたが、そうしたら、もう一つ、私の触れていない概念に突き当たりました。それが、「新年の挨拶をする気になれない、年賀状を出す気になれない」という概念です。「あまりにも悲しいので、年賀状を出す気になれません」という意味が込められているというわけですね。

確かに、「喪に服する」のもう一つの意味に「悲しみを表現する」という意味合いがあります。ペットの喪中葉書にはそういう感覚も見え隠れします。また、忌引休暇にしても「悲しい中、葬式なども大変だろうし…」という意味も含まれているようにも思えます。

しかしながら礼儀と言うのは、行為を向ける相手に対して意味のあることであって、自分に対して向けることは礼儀とはいえないのではないかと思うのです。「礼儀とは均整が取れた自己犠牲の交換の形」と言うことができるでしょう。

つまりは、その「喪に服している」間にも、誰かが何かを担ってくれていることを見ることができないと「喪中そのものが単なる権利になってしまう…」そういう危険が付きまとうのではないでしょうか。

実は、人の迷惑を受け止めることができる人は、自分が周囲に迷惑を掛けたことを認める事が出来る人なのです。多くの場合、親兄弟親戚のみならず、先輩や上司に迷惑を掛け、世話になったた自覚が、次の世代を育てようという力になります。

文句を言われないように、迷惑を掛けないようにひっそりと生きて来た時に、何か問題事が他人から降りかかれば、それは受け入れられませんから、怒りに近い反応を示します。また、自分が他人に迷惑を掛けたり世話になることも受け入れられませんから、そういうことを指摘されると切れる人ことが多いです。そうして独りよがりの価値観に引き篭もるようになります。

最近、「自分は他人に迷惑を掛けていない」ことを誇る人が増えてきたように思います。しかし「自分は他人に迷惑を掛けていない」と思い込むことこそが「最大の傲慢」です。

自分の権利は他の人の犠牲によって成り立つという考え方によって、日本は打たれ強く、そして力強く何度でも立ち上がり、復活し存続してきました。「みんなが心配してくれているから頑張ろう」「だいぶ迷惑掛けちゃったな。恩返ししなきゃな」という思いによって連帯感を強め、歩んできたのです。


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2008年12月18日(木) 17時57分20秒

冬グッズ

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今日、保育園の買出しで、ホームセンターに行ったら、こんなものが売っていました。

ある教会の牧師室-カンジキ

「かんじき」って…。

普通の道で必要になることはないと思いますが…。

それにしても、「かんじきってこんなに種類があるんだ」。

安いのは3000円くらいから。7,8種類売っていました。どうも、雪掻きの時などに使うようです。

そういえば、防寒長靴も十数種類売ってましたね。ちなみに私も長靴を買いました。踵に収納型のスパイクが付いています。それから、防寒の合羽、防寒作業手袋も買いました。

先日、雪の日にそれを身につけて出勤したら保護者の一人に、

「園長、津軽人っぽくなって来たな」と声を掛けられました。

本格的な雪は来週かららしいです。今日は、強い雨と強い風、夜半からは雪だとか。

明日の朝は雪掻きかな?


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2008年12月16日(火) 14時52分58秒

喪中葉書から見えること

テーマ:ブログ
喪中葉書なるものが、飛び交う季節になりました。正確には「年賀欠礼状」と言うそうです。

文面はぼぼ形式化されていて、

喪中につき年末年始のご挨拶ご遠慮申し上げます


というのが一般的です。でも、この「ご遠慮」が問題になります。


「遠慮」なら「申し上げます」、「ご遠慮」に付くのは「下さい」ということになります。

つまり、「ご挨拶をしません」なのか「ご挨拶しないで下さい」なのか、それともどちらも兼ねている内容なのか…。とても玉虫色な感じの文章ですね。

ところで、喪中とは何かというと、「死は穢れの一種であるため、それに関与するものを一時的に地域社会の慶事より外すことによって穢れを移さないための措置」として考えられていました。ですから「家族が死んだ家は身を慎み、その穢れを他に移さない為、細心の注意を払う」というのが喪中の第一の意味です。神事、ご挨拶などは厳に謹んだ訳です。その名残が「喪中欠礼」の葉書となったようです。

ですから「本来なら年賀の挨拶をしなければなりませんし、ご挨拶したいのですが、喪中の為、ご挨拶を遠慮することといたしましたが、ご理解ください」が本来の意味のようです。

しかし、その一方で最近増えてきたのは、「悲しみの中にある人に対して、おめでとうはないだろう」と言う概念。つまり、「私は悲しみの中に居るのだから、年賀状なんて送らないで下さい」というお願いが込められていると受け止める向きもあります。そうなってくると、知らずにとか、行き違いに年賀状が届いて日には、目も当てられません。現実、「非常識だ」と相当怒っていた人もいました。

さてはて、今朝の読売新聞に「ペットの喪中葉書」なるものが紹介されていました。「ペットも家族の一員なんだ、喪に服して何が悪い」という意見もありますが…。これは明らかに後者の考え方ですね。「私は悲しいんだから」と…。

死に対しての考え方がこの数十年で大きく変化してきました。

「死が当たり前だった時代」には、その連鎖をどの様に食い止めるかが大切だったのに対し、「死が当たり前ではない現代」では、それをどのように受け止め、乗り越えるかが大切になってきたのでしょう。

そう言えば「一番悲しい人が、一番忙しくならない葬儀」をウリにしている葬儀社もありますが、それって考えようによっては、「一番悲しんでいる人が更に悲しみを深めるしかなくなる」っていう残酷な部分ってあるような気がします。「故人のために忙しくしているからこそ癒される」…そう思ったりもします。

 門松や 冥土の旅への 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし 一休禅師

一休禅師の指摘からも、私達は死へ向かって歩んでいると言うことができます。もし、死ぬその時が完成なのだとしたら…。生きると言うことは、「死という完成形」歩むに向って途上の姿だとすれば…。浦沢直樹の「Monster」では、主人公のテンマは「人の命は平等だ」という想いに対し、ヨハンは「誰にも平等なのは死だけだ」って言いましたっけ。

今の日本では「死とは忌み嫌うもの」、「悲しいもの」、「あってはならないもの」という概念が殆どです。現実から死を追いやって、そして満足してきました。しかし、そうではない「死の意味」を、私達はそろそろ捜し始めなければいけない、そう思いますし、「死の当たり前」を私達は受け止めるべきだとそのように思います。


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2008年12月15日(月) 09時05分20秒

クリスマスの喜び

テーマ:説教
さて、クリスマスはもはや日本の年中行事として定着しつつあるものですね。都市部にいきますとこの時期、ピザの宅配はサンタクロースの扮装をして行なっていますし、また、お店に行けばクリスマスセールと題して、プレゼント用の品々、様々な飾りなどが売られているのは皆さんもご存知の通りです。

なぜクリスマスなんだろうと考えはじめると、色々なことが思い浮かびます。冬の一番厳しい時期にさしかかり、人のぬくもりを求める時期に、プレゼント交換などをしたり、大切な人と一緒に過ごしたいと願うのは当然と言えば当然の話です。そしてその願いに、正にぴったりくるのがクリスマスで、これこそが日本にクリスマスが定着した理由の一つに挙げられています。「クリスマス=恋愛」という図式はこうして出来上がったのでしょう。若者達の間では、この時期になるとクリスマスを一緒に過ごす恋人が居るかどうかが話題の中心に踊り出ることも納得です。
また、子供達はサンタクロースを心待ちにします。保育園の子供達もサンタクロースが来る日を指折り数えて待っています。

さて、そのクリスマスに際して、聖書には、こんなことが記されています。
天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今 日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』
(ルカによる福音書2章 10~11節)

民全体とは、全世界の人々ということ。つまりクリスマスは、全ての人々に向けられた喜びであり救いの約束だったとそのように聖書には書かれているのです。「私とあなた」「私と家族」だけではなく、全ての人々がこのクリスマスの喜びに与るのだと、そういう概念がクリスマスにはあります。そしてその概念を基本として、教会は様々な活動を行なっています。木造保育所はそのような概念から生まれそして、そのような概念によって保たれています。
日本のクリスマスは、バブル期以降、やれイルミネーションだ、やれパーティーだと、豪華できらびやかなクリスマスに、そして、過当競争社会の中では勝者の象徴に変遷してきたように思います。「勝ち組だけが祝えるクリスマス」みたいは思い込みが都市部に蔓延する中で、しかし、その一方、もう一度クリスマスによって家族の、そして人の温もりを感じたいと願うクリスマスの行事が地方から少しずつ広がっています。 

今年一年をゆっくりと振り返り、その軌跡を振り返ることのできるクリスマスあっていただきたいな、そう思います。

クリスマスおめでとうございます。まず、今ある幸せを見つめ、そして何よりも「自分の温もり」を確かめ、周囲の人とこのクリスマスを祝いたいと願っています。


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2008年12月13日(土) 17時27分21秒

夜を守る友よ

テーマ:ブログ
先日、ある物を運ぶ必要ができて、信徒さんから軽自動車を借りました。

「ああ、いいよ。ただし、オイルが漏ってるかも知れん。足してから気をつけて行きへ」

でも、色々調べてみればオイルが漏っている形跡は形跡は無し。大丈夫だということで、借りることにしました。

さて、乗って向うは十和田。走り出してから気がつきました。

この車、暖房が効かない…。

寒いし、でも窓は曇るし…仕方がないので、厚着をして手袋をして、防寒対策をしっかりとして乗り込みました。曇ってきたら窓を開ければいいやと…。夕方のスタート。途中では気温が2度。しっかり後悔しました。まるで走る冷蔵庫。10分が30分に感じるほど過酷でした。(^^;
それでも、無難に物を運んで帰ってきましたよ。

ETCなんて付いているわけがないので、久しぶりに窓口精算です。係りの人に思わず、「寒くて大変ですね」と声を掛け、にっこり笑顔をいただき帰って来ました。人間、同じような境遇だと思うと自然に声を掛けたくなるものです。

さて、

クリスマスの讃美歌に、「夜を守る友よ」という讃美歌があります。「讃美歌21」では236番「見張りの人よ」と題されている讃美歌です。

城門を守る見張りに、夜旅を続ける人が語りかける、そんな情景を再現した歌です。

夜旅をしなければいけないというのは余程の事情があったのでしょう。暗い道を旅する不安が彼の口を開き、見張りの人に呼びかけさせます。「夜明けはまだか」と…。

見張りにとって夜明けは辛い仕事から解放される時。彼は、遠くに目をやり、「明けの明星が輝いている。もうすぐ夜明けだ」と答えます。

2番、3番、4番と歌い継いでいくうちに、その見張りと旅人の会話は、今を生きる私達の不安や、希望を代弁していきます。

私達はよく、どん底を経験します。

どん底の中で、同じような境遇の人に呼びかけます。

「あなたはどうだ、どう考える?と…。」

この時の、その人の答えによって人は優しくもなり、強くもなることができるのではないでしょうか。

苦しい境遇の中にあって、ちょっとでも見える希望を語り合うのは、お互いの人生にとってとても大切なことです。そういう私達の交わりは、とても尊く思えるものです。

「友よ。あなたに何が見えるか」と問う声に、応える勇気をほんのちょっと、みんなが持てたら暗い時代でも乗り越えることができるのではないでしょうか?

一人では乗り越えられないからこそ、同じ境遇に友が居る…はじめてあったその人が友に見える体験…。

個人の弱さであり、出会って結ばれた人たちの強さです。

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2008年12月12日(金) 08時57分04秒

最初と最後の決め台詞

テーマ:ブログ
「なぞの言葉」を色々としゃべっていた息子が、だんだん意味がわかる言葉を話すようになってきました。

よく言う言葉が「おかえり」です。

私が帰宅すると、「おかえり」と言います。

ところが、最近気がついたのが、その法則性。

どうも、私がコートを着て部屋に入るのを見ると「おかえり」と言うという法則があるようです。

先日、一家で外出するのにまず、私がコートを着て、息子にもコートを着せようとしていると、「おかえり」の大連発。外出がよっぽど嬉しかったと見えます。「まるで、散歩紐を持っているのを見た犬みたい…(^^;」と思っていました。


でも、一昨日、9時過ぎに帰宅をすると、息子が寝る直前でした。妻と変わって寝かしつけることにし、息子を抱いて寝ていると、布団の中でムニュムニュ動いていた息子が一言。



「おかえり」


これにはやられました。(^^;









息子にとって「おかえり」は「嬉しい」という意味が確かに込められているのでしょう。


そうなんだよな。本当は「おかえり」って挨拶は嬉しい挨拶なんだよなって、そう気付かれました。

以前、ある面白投稿写真にある中学校の挨拶に関する標語が紹介されていました。

「会えた、良かった、おはようございます」って標語でした。それを見たとき、「どれだけ大変な学校なんだろう」と友達と大笑いしたのを思い出して、恥ずかしくなりました。

「気持ちのこもった挨拶」って本当に大切だと、改めて知らされました。挨拶は100%相手を思いやることによってのみ大切な言葉なのです。「挨拶とは最初と最後の決め台詞」ということができるでしょう。

今朝も出勤すると園児たちが「園長先生、おはよ~!!」と駆け寄ってきました。負けずにこっちも大きな声で「おはよ~!!」と。

こんな挨拶ができる世界は素晴らしい世界だなって、しみじみと感じています。


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