ジオターゲティング
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2007年08月30日(木) 20時46分59秒

帰ってきました。

テーマ:ブログ
ボランティアから帰ってきました。

今日は朝5時に太田を出発しました。

高速に乗り途中朝ご飯を食べながらゆっくり向かって、現地に8時45分くらいに到着。早速、ボランティアに入りました。現地に入ったボランティアは4名。今日の仕事の内容は、全壊家屋の瓦礫の選別でした。瓦を集めるのが主な仕事。これがなかなかキツかったです。一番上に乗っているもんだと勝手に思っていたのですが、これが甘かった。

建物は古い土蔵だったそうで、それも三重屋根2階建ての立派な土蔵だったとか。これが自身でペシャンコになったそうです。上に乗っていた瓦はほぼ片付けられましたが、崩れた土蔵の土壁に埋もれてしまった瓦を探し、掘り起こし、回収します。1トン入る廃棄物用の袋に分別して行く訳ですが、あっという間に一袋、集まってしまいました。だんだん目に見える部分の瓦が少なくなって来ると、いよいよ瓦礫の山を掘り返しながら瓦の破片を探して行きます。これを今日は5時間ほど行いまして、3時に解散、途中日帰り温泉によって帰ってきました。

瓦礫を掘り返していると、いろいろなモノが出てきます。その殆どは使い物になりません。台所の界隈からは腐敗臭がします。それでも、写真アルバムなどが出てきましたが、震災後の雨により、どれもずぶ濡れですし、泥で汚れています。

そんな中、小銭の貯金が出てきました。内容は1円玉と5円玉ばっかりが一握り。家主さんに持って行きますと、「まあ、嬉しいねぇ。洗ってこなきゃ」と言っておられました。

それにしても、瓦礫を掘り起こしながら思ったことは、「これが自分の家なら泣けて来るような作業だなぁ」ということでした。壊れた自宅、持ち物、捨てるしかないモノの山…。それをただ黙々と、そして私達に気遣いまでして片付けている姿を見たとき、「さぞ無念だろうなあ」と思いました。瓦礫を掘る作業というのには本当は喜びはないのだろうと思わされました。このような状態で「ありがとう」ということ自体辛いことに違いないと思います。それに対し、私達は、もう十二分に頑張っている被災者の方々に、「頑張って」ということしかできないのです。

「まあ、しょうがないね。未来を見て、なんとか立て直して行きますよ」とは家主さん。私達もかかわった以上、「頑張って」だけでは済ませたくないと心から思って帰ってきました。

ところで、最近、中越沖地震の復旧にかかわるボランティアは不足しているようです。皆様もお力を貸して頂ければと思います。

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2007年08月30日(木) 04時37分09秒

柏崎

テーマ:ブログ
おはようございます。

今日は、これから柏崎に行って、ボランティアに参加してきます。
片道4時間かな?

行ってきます。

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2007年08月25日(土) 23時35分16秒

デススパイラル

テーマ:ブログ
デススパイラル…死の螺旋とでも訳すのでしょうか。元々は飛行機関係の言葉だったようです。制御不能の錐揉み状態のことで、これが始まると墜落は免れないという状態ですが、これが経済等で使われるようになったのでしょう。このデススパイラル、人間関係でも当てはまることがあります。似たような言葉では「ボタンの掛け違い」というのがあります。これも途中では修正が難しく、行き着く所までいってしまう状態のことを示します。

他人との関係の中で、信頼関係が失われたとき、このような状態に陥ることがあります。つまり、一つのことを切っ掛けに、信頼感が揺らぎ、揺らいだ結果相手に対する不信感が増大し、そのことによって更に信頼できなくなるという状態がそれです。「一度失った信頼は取り戻すことができない」という言葉がありますが、まさに、このような状態を示しています。

例えば浮気問題でそう言うことは顕著に現れます。一度発覚してしまうと、相手に対する疑念に苛まされる訳です。冷たくされれば「見捨てられたのではないか」と思いますし、優しい言葉をかけられればかけられたで「何か隠しているんじゃないか」と思ってしまいます。疑念に支配され、相手のことが見えなくなってしまうのです。「信じられない状態」はデススパイラルの始まりなのです。こういう人間関係で構築される世界観は疑念に満ちあふれています。そして、その人の存在を徹底的に抹殺しようとし始めます。ストーカー問題がしばしば殺人事件に行き着くのはそう言う経緯からです。

この原因は、相手に対して過度の信頼を持つこと、持とうとすることにあります。結果、「信じてたのに」という言葉を発し、相手が何をしようとも、それに対して疑念を持ってしまうのです。これは、私達にとってとても大きな課題です。人間というのは、欠けがあるのが普通ですが、そう言う状態になってしまうとその存在すら否定されてしまうのです。

だからこそ、日本では一期一会という思想が大切にされました。毎回の出会いが初めての出会いだと心得て付き合いなさいという教えです。これは「疑いを怨念として溜めない」という意味でもあります。毎回の赦しということです。

人間というのは罪深い存在です。ある時は自分を神に並べる傲慢さを持ち、ある時は神を呪う卑屈さを持ちます。そういう人間に対し、一方的に赦しを宣言し、救いを与え続ける神の姿こそ、私達の希望なのです。

神に対する一期一会は、他の人に対する一期一会に通じる。

一期一会は謙遜さの姿なのです。

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2007年08月24日(金) 13時33分38秒

葬儀

テーマ:教会あれこれ
以前、葬儀を行なった際、葬儀社の担当の方に言われました。

「先生、大変ですよね」

はい、正直大変です。教会式の場合、礼拝の一つの形態として葬儀は行われます。プログラムを決め、讃美歌を選び、遺族の相談に乗り、説教を考えるのはもちろんのこと、葬儀社さんの質問まで受け付けます。キリスト教式の葬儀は、お経を読むだけという訳には行きません。葬儀の最中も司会進行から、ひょっとすると弔電の朗読まですることがあります。

前回の葬儀では、火葬場の都合で、いつもは1時間半ほど見ている葬儀時間を1時間に短縮してくれという話になり、更に大変でした。「弔電は朗読ではなく展示しましょう。説教は短くします。」と一つ一つ指示を出しながらプログラムをショートバージョンにして、印刷物の作成をし、会場に行って、葬儀社やお花屋さんの相談を受け付けます。「弔辞のマイクはどちらに置きましょう?」「会葬御礼の文案はこれでよろしいでしょうか?」と会葬御礼の文案にも目を通します。その一方で教会関係の手配も忘れてはいけません。訃報を伝える手配、オルガニスト、受付などお手伝い下さる方の手配…。説教も前夜式(通夜)用と告別式用の二つを用意します。

式の30分ほど前から、控え室に引きこもり精神を整えます。この控え室の名前が「導師控え室」…昔は「住職控え室」などと書かれていましたが、宗教が多様化して来たため、導師となったのでしょう。なるほど、これなら牧師だろうがなんだろうが大丈夫ですね。

10分前に式場に入り、葬儀の流れを参列して下さった方々に説明し、讃美歌等を歌って下さるようにお願いをしてから始めます。歌ってくれと言われても、気恥ずかしいのかもしれません。ちょっと独唱みたいになって…。しかし、その内、皆さんも歌ってくださいます。

葬儀って言うのは、「亡くなったその人を偲ぶ儀式」という理解が一般的かもしれませんが、私達の立場で言わせていただければ、葬儀とは、「亡くなったその人が滞りなく死後の世界に旅立つための儀式である」のです。ですから、悲しいばかりでは葬儀は成り立ちません。

「俺の方が先に死ぬのは確実だから、死んだら天国に先に行って『いい場所』をとっておいてやるよ」と夫から言われたと教えてくれた方が居ました。天国に『いい場所』があるのかどうかはわかりませんが、死ぬというのは「死後の世界に生まれる」とか「死後の世界に返る」という理解がどの宗教でも共通の概念です。つまり、葬儀において死とは「命や関係の断絶」ではなく、「命や関係の始まり」の意味を持つのです。

ですから、確かに「故人とのお別れ」ではありますが、それはいずれ死ぬであろう私たちそれぞれの始まりでもあり、そのために故人から引き継ぐべきものを受け止めようとすることはとても大事なことなのです。

キリスト教のジョークにこんなのがあります。

「牧師先生。なんで、こんなにいい人が若くして亡くなるのでしょう」と聞かれた牧師は、ちょっと考えて答えました。「天国で、彼のようないい人が必要なのでしょう」


「たった一度の人生」という言葉がありますが、その背景には、「たった一度の人生」=「権利」という考え方が見え隠れします。「たった一度の人生、楽しまなくてどうする」なんて言葉を聞くたびにドキッとします。本当は、たった一度の人生なのだから、死に向かって進んでいななくてはいけないこと、そして自分に訪れるであろう死を意識することが葬式においては大切なことだと思うのです。

私は、そういうつもりで、葬儀を行なわせていただいています。

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2007年08月23日(木) 20時32分48秒

残暑お見舞い申し上げます

テーマ:ブログ
尾瀬に行ってきました。群馬地区のキャンプで行ったのですが、とてもいい天気でカラッと涼しかったです。夜なんか寒いぐらい…。

尾瀬沼

この写真は三平峠を越えたところから見える尾瀬沼です。


夕焼け

夕焼けと満天の星空に流れ星…すべてを堪能できました。


2001年夏より7回連続で行って尾瀬。7回も行くと、「ただいま~」と言いたくなります。

小学一年生で第2回目から参加し続けている子も今年で6年生。一番最初は私も30才でした。今年37才です。すっかり中年の域ですね(^_^;)。月日の移ろいは早いものです。毎回参加の子供も何人かいますが、それぞれすっかり逞しく成長しました。

みんな怪我なく無事に帰って来ることができました。「なんじゃ、この暑さは…」というのが帰ってからの感想でした。

これで私が担当した夏のキャンプはすべて終了です。無事にすべてを終えたこと、本当に感謝です。

とにかく、皆さんお体を大切にして下さいね。

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2007年08月18日(土) 23時12分59秒

平和を抱いて

テーマ:ブログ
 夏は私達日本人にとって、最も死者に想いを寄せる時期です。怪談が語られるようになったり、お化け屋敷等も夏限定です。夏になると、死者が集う「あの世」と私達が生きる「この世」の関係が気になってきます。「お盆」もそんな時期の行事の一つですが、この「お盆」は教義的に見て、仏教の思想では説明できないこともあり、日本在来の民俗行事に仏教行事の「盂蘭盆」が習合したと考えられています。

 そもそも、人生50年と言われていた時代、子や孫にとってはまだまだ生きていてほしいと思うその人達が亡くなることは耐えられなかったでしょう。そう言う想いから、盆と正月の休みには先祖が帰ってきて家族と過ごすという信仰ができた様です。迎え火を炊き先祖が迷わず早く帰って来るように整えて迎え、送り火を炊き帰って行く先祖の霊を見送ったのです。

 そんなお盆に重なるように、広島と長崎の原爆の日、終戦記念日があります。心ならずに戦争で亡くなった身近な人々に想いを寄せる日本人の姿がここにもあります。

 古来日本では、死者の魂と会うのは子孫である自分たちの元気な姿を報告する場でした。だからこそお盆ではおたくさんの御馳走を並べ、一同が介しての会食等が行われたのです。「私達は元気で、つつがなくやっています。安心して下さい」と、先祖の霊を交えて歓談した訳です。その報告をどこかで先祖が喜んで聞いてくれているという思いがそこにはありました。

 もっとも、人生80年の現代では、祖父母との交流さえあまりない家族も増えてきました。「お盆にはご先祖様が帰ってきて…」ということを言われてもピンと来ないのでしょう、単なる夏休みとしてしか機能していない家庭はたくさんあるようです。

 そう言う状況になると、交わったことのない先祖に対しても想いが複雑になります。そして「先祖が祟る」なんて思い違いをすることになります。「先祖供養をしないと祟られる」等という当初の想いから逸脱した死者との関係に縛られてしまう訳です。「数代前の先祖が苦しんで祟っている。供養をしなければいけない」と言われ多額の金銭を要求される事件が頻発しています。死者の立場に立つとき、どうして自分の苦しみを子孫に負わせようと思うでしょうか。生前の姿を知っていれば解る、そんな簡単なことさえも信頼を置くことができなくなってしまうのでしょう。

 もう一度深く考えてみる必要があります。私達が死者の前に立つ時、私達ができることはなんでしょう。答えは「残された私達は元気です。安心して下さい」という言うことに尽きるでしょう。死者は既に安らぎを得ているのです。

 さて、聖書ではどうでしょう。聖書でも先祖が子孫を祟るなんて話はありません。アダムとエヴァの時代から、神様は私達を子として愛して下さっていることが解ります。私達が神の前に経つ時も、「私達は元気で、つつがなくやっています」とご報告をするのがその最初になるのです。「平和を抱いて歩む」というのはそういうことなのだと思います。
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2007年08月16日(木) 15時54分06秒

憲法の事

テーマ:憲法の事
日本国憲法を変えようという動きが盛んになっています。特に、憲法9条などに代表される不戦条項が改憲派にとっては目の上のたんこぶの様に思われている所かも知れません。

改憲派からはいろいろな意見が出ています。最も最たるものは「押し付けではない自主憲法を制定しよう」というもの。安部首相の意見に代表されるものです。「戦後レジームからの脱却」…つまり、日本は戦争に負けた事によって、“とても不条理な憲法を押し付けられた”という立場から、“他国並みの憲法”を持ちたいという意見です。しかし、現実的には、日本国憲法によって専制君主制が否定され、民主国家になった事を認定されて、日本は1956年12月18日国際連合に加盟した時に「戦後レジームからの脱却」を果たしたというのが歴史学的な立場です。戦勝国への賠償から始まり、国内制度の再構築等を果たし、独立国としてふさわしいと認められたというのが国際連合加盟の意味する所だったのです。つまり、この時点で日本は「戦後レジームからの脱却」を果たしたのであり、安部首相が言っている現代の「戦後レジーム」からの脱却は意味不明という事になってしまいます。

百歩譲って、現在まだ「戦後レジーム」の中にあると考えて、この安部首相の意見を考えるとそれは、現国家体制の否定に他ならなくなってしまいます。「戦後レジームからの脱却」を掲げる安部首相の政策は、復古主義の色合いの濃いものとなっている事を考えると、「戦後レジームからの脱却」と現在の日本の国家体制の打破を目指しているというとんでもないことになってしまいそうな気がします。

次によく聞く意見は「9条があるから他国になめられる」という意見。特に北朝鮮の拉致問題が発覚してから盛んになってきた意見です。しかし、この意見は間違っています。現実に似たような拉致事件を多数抱えている韓国を始めとした多くの国々にはれっきとした軍隊があります。軍隊があるからといって拉致問題が起こらない訳ではないのです。

最後に、現実と整合性を持たせようという意見もあります。これは、「自衛隊は元々軍隊なのだから軍隊と認めてしまうべきだ」という意見。これは居直りに近いものを感じます。つまりは、自衛隊創設以降「軍隊とはお恥ずかしい」と言いつつ、「自衛隊は軍隊ではない」の一点張りで来た歴史をひっくり返すものです。「実は軍隊でしたが今までは便宜上軍隊と呼ばなかっただけです。でも実績を積んできてるし、本当の事を言います。だから、憲法を変えて下さい」という何とも情けない言い分に成ってしまいます。

それに対して、護憲派の言う事も今まで的を射ていなかったと言わざるを得ません。「自衛隊は軍隊なのだから即刻廃止すべきだ」という理屈でのみ動いていたのは結果的に見れば大きな誤りだったのです。それは、自衛隊が軍隊とは似て非なるものであるという性格を解らなかった、解ろうとしなかったつけという事ができます。

そもそも、「改憲派=保守派」、「護憲派=革新派」という図式もおかしなものです。本当は現行の制度を守ろうとする方が「保守派」であり、変えようとする方が「革新派」と呼ばれるべきだと私は思うのですがいかがでしょう?

さて、ちょっと考えれば現実問題としてはおかしい意見を孕みながら、憲法に対する論争が活発化する事は恐ろしい事だと言わざるを得ません。耳障りのいい意見には落とし穴が沢山ある事を忘れてはいけません。うまい話には必ず用心して当るべきなのです。

そもそも、国という概念はあらゆる形態をとり、とても掴むのが難しい概念です。ある時には国とは「時の政府」を意味します。また、ある時には「民族」を示します。また、ある時には「国民一人ひとり」を示し、またある時には「文化や伝統」を示す時もあります。またある時には「権力」を示しその中では「上層階級」を示す時もあります。しかし決定的に言えるのは、国とは個に対する表現であることでは一致しています。

戦前の大日本帝国憲法は欽定憲法といって、「王に主権があり、その王が国民に対して保証する権利」が明文化されたものでした。それに対し、現在の日本国憲法は国民主権を明示した憲法で、民主憲法という事もできます。「国民に主権があり、その相違に基づいて国を営む方法」が明文化されたものが日本国憲法なのです。だから政治家や閣僚を縛る為の憲法であるという事ができます。この憲法に政治観概論を唱えるという事自体、本当はあってはならない事なのです。

私達は、自分たちで調べたり考えたりする事をしないで、今まで歩んできたのではないかと思います。歴史を学ぶという事は「過去を振り返る作業」です。間違っては行けないのは「過去を確定する作業」ではないということ。ある一つの資料が出てきた段階でそれまで通用していた「歴史的常識」は簡単に覆されるのですから…。だからこそ、歴史というのは過去、現在、未来の時間軸で語られなければなりません。

歴史を学ぶものは過去に捕われてはいけません。現在も未来も、すぐに過去になってしまうのですから。大事な事は、過去に柔軟な姿勢を持ちつつ未来を考えていく姿勢ではないかと思います。
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2007年08月15日(水) 22時05分04秒

「戦争で死んだ兵士のこと」

テーマ:ブログ
とてつもない本に出会いました。妻が見つけて来た絵本のような本でした。

題は、「戦争で死んだ兵士のこと」という本。

戦争で死んだ兵士のこと/小泉 吉宏

¥924
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湖のほとりで死んでいる兵士に焦点を当て、一時間前、二時間前、一週間前、一年前に何をしていたか遡っていく本です。生まれた時まで遡り、再びその兵士が「死んでいる」現実を見せられました。戦場に来るまでは「民間人」で、戦場に来た瞬間、「兵士」という名も無き道具になってしまい、そして今、湖のほとりの一体の死体として数えられてしまう…。

「君の為に死にに行く」なんて一見格好のいいフレーズで戦争を振り返ろうとする動きがありますが、「死にに行かれて残された」方は一体どうなるんでしょう。そんな関わりのある人達の嘆きが、名も無き兵士の人生を振り返る中でどんなに沢山居るのかを思わされました。

ぜひ読んでみて下さい。兵士と一括りにされた人達の人生に想像を巡らせましょう。
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2007年08月15日(水) 12時52分49秒

戦前、戦中、戦後…何が起こったか

テーマ:埋もれた歴史
平和憲法として有名な日本国憲法は、国家が国民を戦争に行かせる事はしないという誓いを明らかにしています。「国の交戦権は、これを認めない。」はとても大切な条文です。

純粋な心で「お国の為に命を捧げる」人達が悪いと言っているのではありません。その人達を利用し、戦争に駆り立てる世の中のシステムを何とかしなければならないのです。戦争を食い止める為に、命を賭ける人が居ます。しかし、あの大政翼賛政治の中では、そういう人達は非国民と呼ばれ、命を付け狙われ、獄に入れられ、また、命を落としました。

もし、あの戦争が正しい戦争だったとして、有能な若者が全てお国の為に死んでしまった戦後の日本はどういう姿だったかを思い返す必要は無いのでしょうか?「大和魂を示すために本土決戦で、最後の一人まで戦って憎き鬼畜米英に一泡吹かせる」ことが実施されていたら、この国は一体どうなっていたのでしょうか?

終戦直後、日本に入ってきた連合国軍(進駐軍と言われますが)が見たのは、とても惨めな姿の国でした。衣食住に困り、職は少なく人があふれた敗戦直後の姿。ララ物資…脱脂粉乳をはじめ、さまざまな援助物資を受けながら私達の国は立ち直ったのです。現行憲法がアメリカからの押し付けだという風に言い、屈辱だと感じる人が居るようですが、国の復興さえそんな有様だったのです。古き良き日本を懐かしむのもいいでしょう。でも、それだけでは国の歴史を学ぶ事にはならないのです。

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2007年08月11日(土) 10時39分20秒

キャンプ開け

テーマ:ブログ
さて、二つ目のキャンプも目出度く終了致しました。日曜日の夜集合するスタッフの場合4泊5日というマラソンキャンプです。参加者は月曜日から木曜日までの3泊4日。それでも、参加者は「もっと長くしてほしい」との要望を口にします。スタッフとしては「殺す気か。(´д`lll) 」と思ってしまいます。

さてはて、今回のキャンプ、高校生、大学生を併せて12人の参加者がありました。最も私が高校生として参加した時には40名ほどの参加者が居ましたから、減ったなあというのが実感です。このキャンプは、もう50年以上の歴史を持つキャンプで、元々「献身修養会」という厳めしい名前がついていました。

「献身」…「身を献げる事」ですが、昔は牧師になりたいと思う高校生達を生み出し、また、神学部にリクルートするのが目的だったようです。時代が下り、「献身」とは神様の与えられた使命に生きる事という風になりました。現代の高校生達の実情は複雑です。何より高校生がとても忙しくなっています。それに、いじめ、不登校や、生き方に悩む者、自殺の問題が吹き出してきます。

高校生達が、同じ世代と顔を併せ3泊4日の間、みっちりと話したり聞いたりするのはとてもいい経験のようです。結果的に「神学部に行きたい」という参加者も居たりします。去年参加した高校生も「神学部になんか絶対行かない」と宣言しておりました。「おう、行くな行くな」と私などは言っていたのですが、半年後「神学部に合格しました」と照れながら報告してくれた事を思い出します。これから彼が牧師に成るのか、はたまた何に成るのかは正に「神のみぞ知る」わけですが、このキャンプで得た事を人生に役立ててほしいと思います。
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