2006年12月25日(月) 23時24分13秒

クリスマスおめでとうございます。

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クリスマスおめでとうございます。

今年は、24日が日曜日。10時30分よりクリスマス礼拝を行い、夜7時より、クリスマスイブの讃美礼拝を行いました。


イエス様の誕生については、旅の途中に馬小屋で生まれた話、また、東の国から占星術学者がやって来た話など、多くの人が耳にしたことがあると思います。最初の話はルカによる福音書、後の話はマタイによる福音書の話です。実は教会や、教会付属幼稚園で行われているページェント(降誕劇)はこの二つの福音書をミックスして行われていたりします。(^^;

ところで、生誕劇やクリスマス礼拝ではあまり紹介されないのが、次の部分です。

さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。
「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」(マタイによる福音書2章16ー18節)

イエス様が生まれた、その背後で、このような幼児虐殺 が起こっていたということを聖書は伝えています。この事件で虐殺されたとされる幼児の数も2、30人という説から、64000人だったという説まで諸説紛々ですが、そもそも、この幼児虐殺があったか否かも論議が別れているところです。

私共夫婦の間に、息子が与えられたのは6月のことでした。8月中頃の予定日より2ヶ月弱早く、早産で生まれることになりました。

「この時期は、まだ肺が開いてないんです。ホルモン剤を投与して、肺が開くのを待って手術での出産になります」

こう医師から告げられ、担ぎ込まれた病院で帝王切開によって生まれた息子は、1500グラムちょっとしかありませんでした。生まれた息子は小さいながらも点滴を受けながらも非常に元気でしたが、そのままNICU(新生児集中治療室)に担ぎ込まれ、保育器に一ヶ月半の間入っていました。私どもの両親はその一ヶ月半の間、入室することも出来ず、窓越しに首をのばしてなんとか初孫の顔を見ようとしていましたし、私達にカメラを託し写真を待ちわびていました。何とも微笑ましい光景でした。

しかし、その一方で、このNICU(新生児集中治療室)にいて、気がついたことがありました。それは「みんながみんな、元気で生まれてくるわけではないのだ」ということです。障害を持って生まれた子もいましたし、その障害の故に成長すら出来ずに死んでいく赤ちゃんがいるということは、何とも重たい事実でした。

一つの命が生まれてくるその陰で、亡くなっていく命がある…これは厳然とした事実です。でも、だからこそ、命は尊いのだと思わせられます。先日、定期検診の折り、「息子さんね、このNICU(新生児集中治療室)では伝説の男なんですよ」と、看護婦さんが教えてくれました。何のことかわかりかねまして、「伝説の男ですか?」と聞き返したら、看護婦さんがニコッと笑って、「ええ、伝説の男です。早産で生まれた子と親御さんに話してあげるんです。大丈夫だよ。元気で育った先輩がいるから、一緒に目指そうねって」

その言葉を聞いた時に、命って、生まれるだけで凄いことなのだと、そして、その言葉のみを頼りとして、小さく生まれてしまった我が子の成長を一生懸命願って看病している親御さんが今もNICU(新生児集中治療室)にはたくさんいるのだと涙が出そうになりました。

先日、「今年の漢字」が発表になりました。「命」が選ばれたそうです。「命」が選ばれた理由の一つに、多くの子供たちが命を奪われたり、命を奪ったり、また自分の命を絶つ事件が多かったからというのがありました。今、この一年を思い返す時、本当にそうだったなあと思わされます。今年ほど「命」の大切さを考えさせられたことはこの数年なかったのではないかと思います。私達がこうしてクリスマスを過ごしていたその背後で、独り悩んでいる人、病の中にいる人、悲しみの中にいる人、自分の命を絶とうとしている人がいます。「おめでとう」だけでは済まされないクリスマスを迎えた日本なのです。

こんな殺伐となったのは何が何が問題だったのか、足りなかったのかは様々な場で論議されていますが、しかし、その一方で私達はできることをしたいと願いましょう。私達は多くの「良かった」を抱いて生きています。だからこそ私達が出来ることがある、しなければならないことがあるのではないでしょうか?

まず、自分の命を大事にして下さい。そして、命に対して謙遜に向き合って下さい。最大の敬意を持って命に接して下さい。クリスマスのこの思いをいつも、いかなる時も抱き続けて歩むことができますように、主の祝福が豊かにありますように祈りましょう。

クリスマスおめでとうございます。主の祝福と守りと導きとが全ての命の上にありますように。
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2006年12月22日(金) 13時24分17秒

宗教と政治

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しま猫さんから、ちょっと質問を頂きましたので、それに対するお答えを…。




>いつも疑問に思っているのですが、アメリカの裁判所で証人席に立ったときも、聖書に手を置きますよね。


>欧米人の殆どがクリスチャンだからいいのかもしれませんが、もしイスラム教徒だったり仏教徒だったら


>どうするのだろう??




これは、私も知らないのですが、もし、イスラム教徒や仏教徒が聖書に手を置いて宣誓をさせられるのであれば、「嘘を言っていい」といっているようなものですね。よく言われる話ですが、日本では「無宗教」の人が信頼を得るのに対し、欧米では信仰を持っている人が信頼を得るそうです。これは、日本と欧米のモノの考え方の違いを表すことですが、信仰と言うのは、「謙虚さ」を生むというのが、欧米の考え方です。日本の場合には、「末代までの語り草」だとか「ご先祖様に合わせる顔が無い」などという言葉がある通りで、一族信仰とも言うべきものが基本の考え方でした。




>あと、今のアメリカの大統領も間違いなくクリスチャンですが、それでもイラク問題でゆれていますよね。


>人を殺す無かれ、とは習わなかったのでしょうか?





「人を殺すなかれ」と言うのは、人間生活の基本ですが、政治では足し算引き算が関係してきます。「どれを犠牲にして、どれをとるか」を考え、実行するのが政治の話になります。だからこそ、事前に決めた約束事に従って、厳正に執行する権限を付託されていると考えるのが筋でしょう。例えば、正当防衛か否かを判定するのは、この様な権限によるわけですが、政治の世界と言うのは、利害のぶつかり合いを整理する場とも言うことが出来ます。例えば、浅間山荘事件の時には、警察は犯人を射殺することを許されず、殉職者を出しながら、取り押さえたことは有名な話です。また、先だってのイスラエルのパレスティナ侵攻でも、2名の兵士が人質となったことが始まりでした。つまり、どの段階でどのように対処するかで話は変わってくるわけですが、その時に、「人を殺すなかれ」というこの「自然法」とも言うべき法律を、どこに、どのように適用していくかが、政治家のセンスと言う風に言うことが出来ます。




そして、その政治家のセンスが、全体的に低下しているということははっきりと言うことが出来ると思います。そのことを私たちははっきりと指摘していかなければならないでしょう。政治家に求めるものはリーダーシップではなく、センスであり、誠実さであると私は思います。





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2006年12月19日(火) 10時53分13秒

宣誓

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アメリカでは、大統領が就任する時に、宣誓式を行います。その内容は、

"I do solemnly swear that I will faithfully execute the office of president of the United States, and will to the best of my abillity, preserve, protect and defend the Constitution of the United States."

「アメリカ大統領の職務を忠実に執行し、その能力の限りを尽くして、アメリカ憲法を守っていくことを厳粛に誓います。」

歴代の大統領は、聖書に手を置いて、この宣誓を行う訳ですが、これは、その人の信念にかけてと言う意味合いなのでしょう。

信頼は、どこでも専制の親である。自由な政府は信頼ではなく猜疑に基づいて建設される。我々が権力を託さなければならない人々を制約的な憲法によって拘束するのは、信頼ではなく、猜疑に由来する」(トーマス・ジェファーソンの言葉:ケンタッキー州議会決議1798年)

憲法改定論が相次いでいますので、改めて憲法全文を読んでみました。で、出会ったのがこの第99条。

第99条 〔憲法 尊重擁護義務〕
天皇 又は摂政 及び国務大臣 、国会議員 、裁判官 その他の公務員 は、この憲法 を尊重し擁護する義務を負ふ。

「はてなダイアリー」憲法99条 でも書かれていますが、本当にその通り。それどころか、内閣総理大臣が「日本国憲法を改正すべきだと考える理由は3つある。第一に、今の憲法は日本が戦後、独立を回復する前に書かれたものです。第二に、制定から60年たった今、現在の実態に見合っていない部分がある。第三に、憲法制定以降に生まれた新しい価値観を取り上げ、憲法に書き込むことでその精神を後押しすれば、日本にとって新しい時代を開くことができると考えている。」なんて声高に言うこと自体が、この憲法99条の精神に反していると言う事になりかねません。尊重し養護する義務はいったいどこに行ったのでしょう?

そもそも、日本国憲法はその前文に「国民主権」が謳われています。

日本国民 は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍 の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法 、法令及び詔勅 を排除する。

この中では、「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とあります。国民が厳粛な思いを持って信託する条件として「憲法」が存在するのです。これって、「憲法を守る意思がない人は政治家としては認められませんよ」と言う事ではないかと思うのです。つまり、政治家や大臣、公務員になる事は憲法を守る事が大前提だと言う事であって、改憲を公約に掲げるなんて、もっての外だと思うのですがいかがでしょう?

すべての国家公務員であれ、地方公務員であれ、公務員はそれぞれに以下のような服務の宣誓を求められています。

===============================
        宣  誓  書

 私は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき
責務を深く自覚し、日本国憲法を遵守し、並びに法令及び上司の
職務上の命令に従い、不偏不党かつ公正に職務の遂行に当たるこ
とをかたく誓います。

     年 月 日
                    氏    名
===============================
職員の服務の宣誓に関する政令
 昭和41年2月10日 政令第14号
昭和41年2月19日 施行 
根拠法令: 国家公務員法 第97条


そう言えば、日本の総理大臣の宣誓なんて聞いた事がありませんね。聖書に手を置く必要などありません。本当に靖国が大切だと思っているのであれば、靖国神社の本殿で、「英霊」に対し「日本国首相の職務を忠実に執行し、その能力の限りを尽くして、日本国憲法を守っていくことを厳粛に誓います。」と宣誓して欲しいものです。
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2006年12月14日(木) 17時51分45秒

帰って来た自転車

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今年の正月、帰省している間に自転車が盗まれてしまいました。鍵をかけていなかったこともあり、警察には通報しないことにしました。その代わり最寄り駅の自転車置き場を見回りましたが、見当たりませんでしたので、諦めていましたが、先日、市役所から書面で、「あなたの自転車が放置されていました。ご連絡下さい」という連絡が来ました。


連絡してから行ってみると、見覚えのある自転車。しかもラッキーなことに、傷だらけで、荷台がありませんでしたが、許容できるものでしたので、引き取ってきました。ただ、困ったのは、盗んだ人が、今度は鍵をかけて放置していったこと。どうやっても壊せない鍵で、仕方がないので調整旁々近所の自転車屋さんに持ち込みました。



「へ~盗まれた自転車が帰って来たって?良かったねえ。これだったらまだ乗れるし、お客さんついてたよ」と自転車屋さん。



確かにたくさんの傷や、荷台が無くなっていたことは確かですが、盗まれ、放置されていた自転車の割には、上出来の部類です。確についていたと思いますが、それを喜ぶまでには時間かかかりました。良いことは得てしてその価値に気がつきません。そして、当然だと思い込んでしまった中では、良いことをリアルタイムに喜べなくなってしまいます。


聖書の「ルカによる福音書」には、放蕩息子のたとえと言うのがあります。裕福な家庭に育った息子が、親にせがんで、自分が引き継ぐはずの遺産をもらって放蕩の末にその財産を使い果たして帰ってきます。その息子を出迎えた父はその息子が帰ってきたことを喜んだと言うお話。このお話、息子が帰ってきてその後がどうなったかは書いていません。ひょっとすると、その後、また何か問題が起こることもあったと思うけど、そのときは、とにかく息子が無事で帰ってきたことを喜んだ父親の姿が印象的です。


今は、とりあえず、自転車が帰ってきたことを素直に喜びましょう。「お帰りなさい」って言ってやろうと思いました。

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2006年12月11日(月) 22時08分02秒

ノロウィルス

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最近、更新が滞りがちで、すみません。何かと子育てに忙殺される事が多く、なかなか文章をまとめる事が難しくなっています。(ーー;

実は先週、日曜日に私の妻がダウンしました。教会の用事も済んで夕方、テレビを見ていましたら突然妻が、だるいとか言い出してそのうち、吐くようになってしまいました。熱も一気に上がりました。悪寒と熱による関節痛で呻くようにありましたので、息子を知り合いに預け、近所の総合病院に駆け込んだのが夜の8時過ぎ。点滴をする事になり、その間2時間ほどの時間を利用して夕飯を食べ、息子を風呂に入れ、寝かしつけて、妻を連れ帰ったのが0時30分でした。結局息子に感染してはまずいと言う事で、子供と猫を引き取り別々に寝ました。

さて、翌朝、妻はまだ病み上がりです。今日は看病しつつ息子の世話を…とか思っていたら、自分も怪しい事に気がつきました。その内下痢が始まり、一時間に3,4回はトイレに駆け込むようになってしまいました。こういう時って、先に倒れた者勝ちです。食事を作り、息子にミルクを飲ませ、妻の体調を窺い、自分の症状を押さえ込むってとんでもない状態でした。

何とか乗り切りましたが、火曜日は私は大宮に出張しなくてはならず、仕方がないので教会員に事情を話してお願いしましたら、快く引き受けてくれました。その方も、水曜日の夜から調子をが悪くなったとあとから聞きました。後日、この話を知り合いにしましたら、「ノロウィルスだよ」とあっさり言われました。なるほど、そう言えば症状も風邪とは違いました。

今年は例年の5倍ほど蔓延しているとか聞きました。どうぞ皆さんも気をつけて下さいね。


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2006年12月08日(金) 23時54分20秒

親の警告表示について

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すべての親は「まともな親であるべし」と言う意味合いでは書いてないつもりでしたが(^^;

ちょっと補足です。

この十箇条を突きつけられて、なお、結婚したい、子供が欲しいと言えるのであれば本物の親だと言う認定が出来るのでしょうか?今、「結婚しても子供は作らない主義」の人たちが増えていますが、そちらの人たちの選択の方が正しいと言えるのでしょうか?

私も含めて、人は子供を持った途端、どんな人でもダメ親になると思うのです…と言うよりも、親としては初心者も初心者ですから…。私もつい最近親になりましたが、周りの人は冷や冷やしてると思います。私は結婚する前から、子供が好きでよく子供と接していましたので、子供の事は他の人よりも詳しいしよく判ると自負していましたが、それでも、自分の子供が生まれてからはそんな自信なんて吹っ飛んでしまいました。落ち込む事もあり、また、得意になる事もあり、そして自慢してみたくなることもあり…。こんな姿を、昔は親バカと言いました。ただ、昔と現代の違いは何かと言えば、その自分が「親バカ」であることを自覚しているか否かであると思います。

親バカを自覚しているからこそ、子育ての先輩や、同年齢の子供さんを持つ方と話したり、意見を聞いたりしたくなる訳です。要は、子供が出来たその時点で、「自分が親バカである」ことを認めるかどうかが、問題だと思うのです。

今、子供の教育問題を語る時、「親が悪い」という意見がほとんどですが、それって、結局は周囲の人たちの、都合の悪い事には我関せずを通していくと言う現代社会の風潮だと思うのです。

結婚して数年目の若い夫婦に、子供が出来ると言う事は、それだけで大きなプレッシャーだと思います。「怪我をさせちゃいけない」、「優秀な子に育てたい」と願う一方で周囲からは「甘やかしてはいけない」、「親としての自覚を持つべきだ」と言われ続け、そしてまた、その一方では「自分の生活のペースを崩したくない」という思いの中で板挟みになってしまう人は決して少なくないでしょう。夫婦間のスキンシップだって大きく制限される中で、分厚い育児書を渡されて途方に暮れてしまうのは仕方がない事なのではないかと思うのです。それでも親になった人に対して、相応の思い遣りが向けられない世の中が今の世の中だと思うのです。

私たち夫婦は幸いにして、私たち家族を丸ごと愛して下さる人たちに囲まれていましたから、子育てを楽しむ事が出来ます。息子が退院した時には、顔を見に来てくれた人たちに無理にお願いして抱いてもらったりしたものでした。こういう行いを通し、私たちは、「私たちに子供が授けられた」のではなく「私たちを通してこの世に子供が授けられた」という理解にたどり着く事が出来たと思っています。

「親だから当たり前」っていう概念を周囲の人たちがまず捨てる必要があるのだと私は思います。

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2006年12月05日(火) 11時12分44秒

子育てにおける警告表示?

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最近、契約社会が浸透してきたからか、警告表示や説明が義務づけられるようになってきました。「シャンプーした猫を乾かそうと電子レンジに入れたら、爆発して死んでしまった」とか、「ファースドフード店で熱いコーヒーをうっかり飲んで、火傷してしまった」なんて訴訟がアメリカで始まったなあと思っていたら、それぞれ損害賠償を認める判決がでて、一挙にそっちの方に世論は傾れ込んでしまったようです。注意して見ると、最近では「紙を切る以外の目的で使用しないで下さい」なんて鋏の包みに書いてありました。「それ以外に使った場合は自己責任ですよ」という事です。

しかし、この自己責任論が結果論を持ち込んで、結果責任を求めるものになってきているのが、現代の憂うべき風潮だと思います。そして、その結果論から原因を抹殺しようとするから手に負えません。

例えば、子供を産み育てるその事は、とても大きな事です。そこに警告表示を書くとすればどういう事になるのか…。

「子供を育てるという事は重大な責任を負う行為です。以下を熟読の上、個人の責任で行って下さい。

1)子供が生まれたら、「保護責任」の義務を負います。保護責任は法律によって明記されているもの以外にも、不意の略取誘拐などの犯罪、事故、天災、世間のバッシングなど様々な状況の中でも最大限に発揮されなければいけません。

2)子供には必ず可愛くないと思ってしまう部分があります。その部分を受け入れる度量が必要です。その度量がない場合、子供が犯罪や非行をおかす確率が飛躍的に高くなります。また、その結果あなたが犯す児童虐待などについては国が処罰する権利を有します。ご注意ください。

3)離婚、別居、夫婦喧嘩、再婚などは子供の発達過程に大きな影響を与えることが報告されています。

4)突然の不登校等については、その原因を適切に判断し、迅速な問題解決に尽力しなければいけません。その結果の自殺、非行などの行為に対して、親として責任を求められる事があります。

5)あなたの子供たちが成人した時に国が良くなっている保証はありません。産み育てる時期については世界情勢などを十分に考慮し、責任を持って決めて下さい。

6)国は教育基本法に則り、教育を含む義務教育を行う権利を有します。しかし、その結果生じるいかなる損害も国はその責務を負いません。

7)他の大人の指導などはなるべく受け入れるようにしなければなりません。しかし、その結果生じるいかなる損害もその責任は親にあるものとします。

8)国はあなたの子供に対し、徴兵や兵役などの義務や責務を負わせる場合があります。その場合、原則として親、本人などの意向は反映されません。

9)前項で掲げる事例に際し、損害を被った場合、国は年金等でその働きに報いるものとします。もし死亡した場合、その死に方によっては靖国神社に合祀される場合があります。

10)子供が成人した後でも、親は「道義的な責任」を問われる事があります。」

ああ、書き出してみて憂鬱になってきましたので、このぐらいにしておきます。世間の風潮や国の態度から言いたい事を抜き書きしてみるとこんな感じですね。

子供をそだてるって大変だなあ…。


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