ジオターゲティング
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2006年10月31日(火) 20時04分44秒

上からの視点

テーマ:ブログ
先日、大宮駅で友達と待ち合わせることになりました。大分早くついたので、改札口を見下ろす喫茶店で改札口を見守っていたらその友達が改札から出てきました。

辺りを見回し、携帯を取り出しました。程なく私の携帯が鳴りました。その友人からです。

「今着きました」

こっちはそんなことお見通しです。

「改札の前ですね、そこから右に向かって10メートル程行って。」

「?…右って、どっち?えっ?えっ?こっちかな?」

だいぶ混乱しているようです。

「そうそう、そこで後ろ向いて、…そう…そこで上を見て」

こちらを向いた途端、私の姿が目に入った様で、苦笑しながらしゃがみこんでしまいました。してやったりです。(^^)v

不思議なもので、上からの見下ろされていることにほとんどの人は気が付きません。うっかりすると、今日の天気も見ていないことがあります。ほとんどの人は上からの視線に無防備です。

でも、これが下から見上げられるとほとんどの人が気付きます。下からの視線に対しては、防衛的になります。

これって、生き方にも通じるところがあるのに気が付きました。

人生観に、上からの視点は必要だと思います。これが謙虚さというものだと思うのです。そして今の日本人が最も不得手なのが、今ではこの“謙虚さ”だと思うのてす。上からの視線に無防備だということは、上を意識していないということに他なりません。そして絶えず、見下す存在に対して過剰なほどの反応をするタイプの人が増えて来たように思います。「宗教は嫌い」という人に考えて頂きたいのはこのことです。

昔から、人間は「天」を意識してきました。

「天網恢々粗にして漏らさず」
「天は二物を与えず」
「天は自らを助くる者を助く」
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」などなど

上よりの視点があることを意識し、どう映るのか想像を巡らせながら生きていた人達が沢山いました。

「人は一代、名は末代」

それどころか、悠久とも言える時間の視点をも持っていたのです。

「天を仰ぐ」

私達の人生は、今、あまりにも近視眼的な生き方になってはいないでしょうか?もっと、人生を大局的に考えるためにもたまには天を仰いでみたらどうでしょう。悩みなんかちっぽけなものに感じられるかもしれません。

「人事を尽くして天命を待つ」

大きな流れに身を委ねつつ、生きていくゆとりと強さは正に、天の視点を持つことにその秘訣があるのです。


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2006年10月30日(月) 23時02分05秒

鋼の錬金術師

テーマ:アフリエイト
私、他人に言わせると結構ディープなオタクだそうです。結構いろんなジャンルの話についていくことが出来るということで、以前、初対面の女性に、「先生って『こち亀』の“両さん”みたいですねえ」と言われたことがありました。褒め言葉になっていませんって(ーー;

でも、自分の人生振り返ってみれば、なるほど、アニメ、プラモデル、パソコン、ゲームなど、秋葉原で扱っているものには大体興味があるようなないような…。アキバ系の牧師ということになってしまうのでしょう。orz

でも、おかげで中学生から大学生まで幅広く話があっちゃうので、そう言う意味では得をしているかもしれません。で、最近ハマっているのが、このアニメです。
鋼の錬金術師 vol.1
¥3,420
 
教会員の一人がハマっていまして、彼女が妻に“伝道”したのがきっかけで、ケーブルテレビで再放送をやっていることもあり、私も見始めました。そして「なるほど、面白い」とハマっています。

「人は何かの犠牲なしには何も得ることは出来ない。何かを得えるためには同等の代価が必要になる。それが錬金術における等価交換の原則だ。そのころ、僕らはそれが世界の真実だと信じていた。」…この言葉は毎回冒頭に入るナレーションですが、この「等価交換の原則」が世の中でも通用しているような気がします。それは、私達の希望でもあります。「頑張ればそれだけの見返りがくる」というのもその「等価交換の原則」とでも言うべきものでしょう。でも、それが実際には通用しないのが世の中の不思議なところです。さして努力をしないでも手に入れる人がいる一方で、どんなに努力しても報われないこともしばしばです。この「等価交換の原則」について物語を通して考えさせられました。

日本のアニメは国際的に、非常に高い評価を受けています。それは、その物語の背後に非常に深い思想が流れているからなのだと思います。結末は気に入る人も気に入らない人もいるとは思いますが、この思想を「ああ、アニメか」と一蹴するのは余りにも勿体ないなあと思っています。

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2006年10月28日(土) 22時25分02秒

バザー

テーマ:教会あれこれ
今日は、教会でバザーを行いました。
利益は10万円ちょっと。この利益は、新潟中越地震で被災した教会の再建費として送金します。

さてはて、毎年この時期に実施しているバザーですが、献品の申し出も結構あって、今週はほぼ毎日、朝玄関を開けると献品が玄関前に置かれていました。なんか、毎日サンタクロースが来てくれている感じです。

でも、その一方で、在庫もどんどん増えていきそうなので注意が必要です。バザーであってもお客さんに売るわけですから、仕分けは結構シビアです。テンポよく仕分けていきますがそれでも時間がかかります。毎回、バザー前と後に婦人会が中心になって仕分けをします。売れ残りでもリサイクルショップ等に持ち込めるものはそこで換金しますが、残念ながら売り物にならないものは廃品回収に回します。

それにしても、今年は町内会の区長さん等も顔を出してくれました。ご近所さんも増えているように思います。そして何より、今年は農家の方が野菜を大量に下さいましたので、まるで気分は八百屋さん。ネギや大根、白菜、水菜などが山積みでしたがものがしっかりしているのと安いので、朝からポンポンと飛ぶように売れました。

教会員たちも、お客さんの中に知り合いを見つけ、大喜び。喫茶コーナーでコーヒーなんかを飲みながらの笑い話があちこちに見受けられました。「先生、○○さんです」とあちこちからご紹介がかかり、挨拶に大忙しでした(^^)

楽しいバザーでしたよ。でも、疲れたけど…。何よりも、教会員が一番疲れたでしょうね。ご苦労様でした。
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2006年10月26日(木) 23時46分35秒

卒業取り消し?

テーマ:教育
必須科目を履修させていない高校が全国に数多くあることが発覚して問題になっています。現在、35都道県244校、生徒数は3万人超(毎日新聞まとめ)に登るそうです。何でも、これから特別カリキュラムを組んでその単位を履修させるということだそうですが…。

しかし、この問題は当年度に限ったことではないことではないようです。18年前のすっかりぼやけてしまった記憶を振り返ってみて、「ひょっとすると私も単位が足りなかったかも?」と思います。この春までに“卒業”した人達の卒業資格は取り消されてしまうのでしょうか?もし、私の場合も履修単位が足りない制度で卒業していたとすれば、大学の入学自体が理論的には、不可能になってしまいますし、当然卒業の資格もないわけで、その結果それに付随する資格等も効果はありませんよといいたいのでしょうか?

そんなことをしたら、さすがに現在の国の制度根本が崩れてしまうわけですから、そんな声明を都道府県教委はおふざけにも出さないとは思いますが、この教育委員会のカリキュラム主義の発想は本当に情けない限りです。私なんぞは、大学入試の時に、学校では習ってもいない「政治経済」で受験して合格しましたが、学校で習っているからと言って、それ相応の知識を持っているかと言えばそうはならないのは周知の事実です。高校によっては、四則演算すら出来ない卒業生がいる程の違いが出るのです。高校卒業に際し、追試、補修などの温情措置がありましたが…。

私も宗教科なんて教科を教えましたが「受験に必要ないんだから時間が勿体ない」と公然と言われ続け、どんなに点数が悪くても、どんなに無視されても単位は与えなければいけない科目でした。そんな現実を各教育委員会は全く知らなかったと言わんばかりの対応ですね。発覚したのが今年だから今年の卒業生から、特別カリキュラムを組んででも単位を履修しなければ卒業を認めないとするのはおかしいと言わざるを得ません。あまりにも四角四面な対応策に呆れてしまいます。

はっきり言って今回の問題は、
生徒たちには全く罪がありません。

それにもかかわらず、カリキュラムを振りかざし、相応の対応を迫る教育委員会…。こんな組織だから学校が崩壊することになるのではないでしょうか?

大人の対応が出来ない大人の世界が蔓延しています。何が良くて、何が悪いのかもわからずに規則だけを振りかざす情けない大人がなんと増えたことか…。
これから受験期を迎える生徒たち守ってなんぼの大人じゃないかと思うのですが…。

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2006年10月25日(水) 23時15分58秒

凶器に乗る

テーマ:ブログ

最近では、飲酒運転などの悪質な交通事故がたくさん報道されています。その前までは、大型トラックの普通自動車の事故が多かったですね。結構凶暴な 運転を目撃することも少なくありません。そしてそういう車って大抵、値段の高そうな大きく、立派な、性能の良い車がほとんどです。ちょっと踏み込めば、 100Km/hなんてすぐに出てしまいます。


「万が一の事故にも安心」なんてのはコマーシャルでも当たり前に言われています。本当に最近の自動車は良くなりました。シートベルト、エアバッグ、ボディーの強化と衝撃吸収性などなど。多少無理な運転でも、事故後の生存率も大幅に向上しました。


ただ、その一方で自転車、子供や高齢者などの交通弱者の生存率は低くなっているように思います。つまりです、自分が事故に巻き込まれるという「万が 一のための備え」をして、その結果、安心感が増し、無謀運転に繋がっているようなところってないかなあと、強く思うのです。安全な箱の中に入って、外に向 かっては危険な存在になってしまうというある意味矛盾した状態になってしまっています。


過剰防衛になれば、その犠牲がでるのは何とも皮肉なことです。「走る凶器」という言葉は交通弱者に対する自動車の姿ですが、いっそのこと、運転者にとっての走る凶器にしてしまったらどうでしょう?高性能タイヤ、シートベルト、エアバックや高性能ブレーキを全廃し、更にはボディーが陶器等で出来ていたらどうでしょうね。40Km/h位でぶつかっても粉々になっちゃ うような危険性の高い車に乗ってはおいそれと飛ばせないと思うのですが…。「良い仕事してますねぇ。この深い色合いは○○焼きの特徴で…」なんて、変な陶 器ファンの解説がついちゃうおまけが期待できるかもしれません。(^^;

まあ、実現するわけはありませんし、そんな車になっても飛ばす人は飛ばすでしょうから所詮、冗談でしかありませんが…。

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2006年10月24日(火) 23時00分11秒

番号ポータビリティー制度

テーマ:ブログ
ついに始まりましたねえ。番号ポータビリティー制度。

それにしても、私は1997年に、関西デジタルフォンにして以来、ずーっと会社を変更せず、でも会社の方は勝手に「関西デジタルフォン」→「J-Phone」→「vodafone」→「SoftBank」と名前だけは四つ目です。(ーー;

さてはて、もう既に10年程使っていますと、長期割引サービスは最大の割引率ですから、これを棒に振って他社に移るなんてことはだいぶツライです。(ーー;結局、今回もこのまま長期契約の記録を伸ばしていくのだろうなあと思ったりしています。そんなこんなで、思うこと。

携帯電話会社は新規に優しく、長く契約している顧客に冷たい…様な気がする。複数の会社を、一年ごとに行ったり来たりしている人達のことを見ると、本当にそう思ってしまう時もあります。そして、何より契約をしてしまってからがどこも頂けませんねえ。「どうせ引き止めたっていつかは移るんでしょ?」「文句があれば出て行けば?」「いいよ、替わりが入るから」と等と言いたげなサービスの多いこと…。

「長くご愛用下さい」という言葉を持って製品が売られていたのはもう遠い過去ですね。「長く愛用されたら利益にもならないし、たまったもんじゃない」というのが本音なのかもしれません。でも、お客を使い捨てるサービスは結局、自らも捨てられる運命にあることがしっかりと念頭にあっての顧客獲得競争であってほしいと思います。

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2006年10月24日(火) 12時08分28秒

凶器に乗る

テーマ:ブログ

最近では、飲酒運転などの悪質な交通事故がたくさん報道されています。その前までは、大型トラックの普通自動車の事故が多かったですね。結構凶暴な運転を目撃することも少なくありません。そしてそういう車って大抵、値段の高そうな大きく、立派な、性能の良い車がほとんどです。ちょっと踏み込めば、100K/hなんてすぐに出てしまいます。


「万が一の事故にも安心」なんてのはコマーシャルでも当たり前に言われています。本当に最近の自動車は良くなりました。シートベルト、エアバッグ、ボディーの強化と衝撃吸収性などなど。多少無理な運転でも、事故後の生存率も大幅に向上しました。


ただ、その一方で自転車、子供や高齢者などの交通弱者の生存率は低くなっているように思います。つまりです、自分が事故に巻き込まれるという「万が一のための備え」をして、その結果、安心感が増し、無謀運転に繋がっているようなところってないかなあと、強く思うのです。安全な箱の中に入って、外に向かっては危険な存在になってしまうというある意味矛盾した状態になってしまっています。


エアバックや高性能ブレーキを禁止してみたり、ひょっとして、ボディーが陶器等で出来ていたらどうでしょうね。時速数十キロでぶつかっても粉々になっちゃうような危険性の高い車に乗ってはおいそれと飛ばせないと思うのですが…。「良い仕事してますねぇ。この深い色合いは○○焼きの特徴で…」なんて、変な陶器ファンの解説がついちゃうおまけが期待できるかもしれません。(^^;

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2006年10月20日(金) 19時49分36秒

どうしよう

テーマ:ブログ
今日、道を歩いていたら、道路の真ん中で何かがバサバサと動いているのに気が付きました。

それが何かはすぐに判りました。猫です。高くとぶような感じなのですが頭が上がりません。どうやら車にひかれた様です。近付いたころには動かなくなっていました。

さて、どうしようか…。
割りと交通量も多く、そのまま放置するのも危ないなぁと思いました。

せめて段ボール箱にでも入れて、道の脇にでも寄せてやりたかったのですが、今は出張からの帰り道。家の近所ならまだしも、手の出しようもありませんでした。

暫く考えて、結局、交番にお願いに行きました。

「はあ、そうですか。じゃあすぐ見に行きますね」

そう言われてホッとしましたが、嫌なことん押し付けちゃったわけで、なんか猫にも、お巡りさんにも申し訳なく思った出来事でした。
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2006年10月19日(木) 19時56分58秒

国家教育権?

テーマ:教育
それにしても学校の崩壊は食い止めようがありません。。もはや、以前のような学校の姿は取り戻せないでしょう。5月27日の記事http://ameblo.jp/ootahachiman-ch/entry-10012947472.html の中で、教育免許の書き換え制に対する意見を書きましたが、現在、誰が学校の現状を見て、いろいろな提言をしているのだろうか?と疑問になります。

安倍首相の公約の一つに「教育改革」というものがあげられていました。「教育免許の更新制」と共に「国家教育権の強化」が掲げられていましたが、これって私は絶対におかしいと思います。学力低下、学力格差を理由に「国が責任を持って教育しましょうということです」という理屈がそこにはつけられていますが、それこそ屁理屈です。

調べてみますと、義務教育は日本国憲法の26条に定められています。

第26条
 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。


これが義務教育ですが、第一項では「教育を受ける権利を有する」とあり、また2項で「普通教育を受けさせる義務を負ふ」と定められています。つまり、この26条による義務教育の概念は「国民が能力に応じて等しく教育を受ける権利」の保証であるわけで、その権利は国民の義務によって保証されなければならないということです。つまり、

「子供が学校に行きたがっているのに、それを親や周りの大人が妨げたらあかんで~」と言っているわけです。

しかし「国家教育権の強化」の発想というのは、この憲法26条の逆を行きます。つまり、

「親は国家が提供する教育を自分の子供に受させなあかんで~」と言うわけです。

最近の教育基本法改正論議と合わせて考えていきますと、国が教えることを決めるのだという姿勢が強く感じ取れます。これって大きな問題だと私は思います。 「子供たちが必要とするかいなかは問題ではない。子供たちに必要だと思うものを教え込む」…こういう考え方になっているのが最近の教育論ではないかと思います。

教育の問題点を語る時に、
「歴史はこう教えなければならない」、「学力を押し上げるためにはどうしたら良いか」、「いじめが悪いことであることを教えなければ」という効率論に終始し、「教え方が悪い」という結論に至るのが昨今の風潮であるように思います。最後には「スパルタ教育」の復古が叫ばれたりします。ここでは、豊かな子供たちの個性なんて微塵も語られていません。

私は、教育というのは「先輩として近道を教えること」であると思います。子供たちは成長するに従って、様々な問題に直面します。生きるということは、そう言う問題に直面し続けること、そしてそれを解決するための歩みであると言えます。俗に、「読み、書き、そろばん」と言われますが、そう言う学校で教えられた技術を通して彼らはいろいろなものを獲得していくのです。他人の意見を聞き、自分の意見を言う。そして、それらを通して、実際に生活に必要な知識を、彼ら自身が得ていくその導きが教育なのです。それは、偉人の名前を教えれば良いとか、公式を教えれば良いとか、読み方を教えれば良いという単純なものではなく、彼らの生活に根ざしたものなのです。


学校とは、現実の世界を生きていくシミュレーションの場であると私は思います。自動車学校のことを考えてみれば良いでしょう。練習場を走り感覚を身につけ、仮免許を取得し指導教官と一緒に路上に出て、そして卒業していくでしょう。今の交通道徳の荒廃が自動車学校のせいではないことぐらい誰が考えたって明らかです。

来るべき恋愛、結婚、仕事、子育て、家庭、人の愛し方、愛され方、哲学…。子供たちは、学校で習った「学問」を駆使して、たくさんの本に出会い、たくさんの思想に触れ、たくさんの技術を習得します。そして
年齢に応じて、それらの課題に立ち向かっていきます。社会に出た時に豊かな感性を持った大人として歩むための練習期間が義務教育であると私は思います。教師は、そんな彼らの傍らに寄り添い、一つ一つの目標に、自分が大人として持っているノウハウを提供することによって、子供たちへ解決の近道を提供する存在なのだと私は確信していますそして夢と現実、希望と挫折を体験する場であり、彼らが体験する社会の縮図が学校という場なのだと思うのです。


子供たちには子供たちの世界があります。喜怒哀楽の思いがあり、夢があり、希望があり、挫折があり、絶望があります。好きな子ができたといってドキドキしたり、ある時にはいじめたり、いじめられたり、いじけたり…。どんな立派な人の子供であったとしても、そう言う問題に出会わない子供はいません。加害者になったり被害者になったりする中で子供たちは社会生活の基礎を身につけていかなくてはならないのです。それが義務教育なのです。ですから、日本では年齢によって教育課程を定めてきました。それは、点数よりも大切なものが、その年齢によってあるのだという発想からです。

子供たちの世界観がその年齢に相応し世界に保たれているか、そして、その中での問題を洗い出すのが教師の仕事なのです。
ですから教師はクラス全体を俯瞰することが求められるのです。そして学校がそう言うところだからこそ親は自分の子供の目線を通して学校を見つめ続けなければならないのです。この両者がお互いの働きに敬意を持てないからこそ、現在の学校には悲鳴ばかりが聞こえるのです。

親は、子供にとって最初の教師であり、彼らの手本です。小学校に入るまでに親や周囲の大人の背中を見て、身につけたものを子供たちが実際に試す場が学校です。そう考えたらゾッとしませんか?そして、自分たちが教え損なったことを教えようとする教師たちの大変さがわかるのではないですか?

誰も自分の子供に対する教育を手放してはなりません。もし手放したとき、学校は崩壊し、子供たちの社会は冷たいものになり、彼らの生きる希望も、子供らしい発想や、子供らしい輝きさえ手放してしまうのではないかと思います。

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2006年10月16日(月) 22時57分18秒

学校なんて

テーマ:ブログ

最近、学校に対する不安、不満等が噴き出しています。特に、いじめ等が原因で自殺する子が続出していることがその原因にもあります。私も、このような仕事柄、登校拒否になったりする子やその親御さんから相談を受けたりする機会がありますが、その時に思わされるのが、学校と子供と親の関係のあり方です。

つまり、義務教育の意味をとり間違えていることが原因です。義務教育というのは出来るだけ休まずに学校に行くことではなくて、最低限身につけるべき教育という意味です。サラリーマンの親御さんが特に陥る思考が、「学校に行くのは子供の仕事」というような「登校義務」とでもいうようなものです。つまり、「理由もなく学校を休むこと」=「さぼり」=「悪いこと」という発想があるのが見え隠れするのです。結果、原因が見つからない場合、その現状を少しでも早く打破したいために病院(主に精神科系)巡りが始まります。

親心としては、子供がとても心配なのでしょう。そして、その心配を解消するために病院に行くのですが、病名がつくまで納得できず、病名がつくまで病院巡りをしてしまう人も少なくありません。そして「睡眠障害」などという病名が付き、薬が出ると満足しますが、睡眠剤を服用して朝が起きられないと今度は抗不安剤といった案配で、次から次へと薬付けになってしまう場合もあります。「学校に行かせなければならない」という思いは実は子供たちから見れば、大人(親)の一方的な都合でしかないわけです。

でも、自営業や農業等の子の場合、家業が忙しければ、学校を休ませて手伝わせる場合が少なくありません。学校というのは必ず行かせなければいけないものではないのです。彼らの意見は単純です。学校は行かなくたって家業を継ぐ方が大事だという意見なのです。

「学校に行かせておけば心配ない」という発想はいつ頃から出て来たかはわかりませんが、学校というのはそんな単純なところではありません。自分の子が被害者になることだって加害者になることだってあるのです。学校に行かせることが良くない場合だってあるわけです。

ある登校拒否の子の親御さんがこんなことを言っていました。「最初はすごく落ち込んだけど、よく考えてみれば、学校でなくたって、食っていければ良いんだって思ったら、楽になったよ」子供が心配なのはどの親でも一緒ですが、その心配の解消を、知らず知らずのうちに大人(親)の都合で求めている場合が少なくありません。子供には子供の都合があります。それが表現できないからこそ、不登校等の形として表現してしまうのです。

「学校なんか行きたくなきゃ行かなくても良いよ。でも、何か原因があるんだったら一緒に解決してみよう」と声をかけてみて下さい。そして、ゆっくり時間と手間をかけてあげて下さい。何よりも子供たちにはそれが一番必要なのです。

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