ジオターゲティング
2006年06月30日(金) 15時19分55秒

予定は未定

テーマ:子供たち
ギリシャ語では、「クロノス」と「カイノス」という二つの時を表す言葉があります。クロノスは「時間」を表し、クロックの語源ともなりました。もう一つは「カイノス」。これが難しいんですが、「宿命あるいは神意によって配列され、人間には決定的応答を要求する時」(岩波哲学思想辞典)なんて解説されています。

私と妻の間に子供が生まれる話は、このブログにも何回か載せましたが、出産予定日は8月12日でした。実は私、その時期一年前から予定が詰まっているんです。8月6日~10日が軽井沢でキャンプの責任者、13日から15日までが尾瀬キャンプの責任者ということで、妊娠が判明した途端に妻は「あんた、いないジャン」(==)と冷たい視線を向けられました。

「最初の子供を産む時には立ち会いか、近くにいてやった方がいいぞ。いないと一生言われるぞ」と先輩方からも言われていたわけですが、こうもピッタリ仕事の予定にかち合っていては仕方がない…、「初産は遅れるとか言うし、そこに希望を繋ごう…」などと思いながら、『一生の咎』を負う覚悟を固めていました。

ところが、先週水曜日、妻が「様子がおかしい」というので、聖書研究会の前に産婦人科に連れて行ったら、先に帰った私を追いかけるように、「破水しているから緊急入院だって、迎えに来て」との電話。聖書研究会は開店休業状態でしたので、そのまま、妻を迎えに行き、教会の目と鼻の先にある総合病院に入院させることになりました。「32週目ですね、この週数ですと、まだ赤ちゃんは肺が出来上がっていないので、肺をつくるお薬を点滴で入れます。このお薬は24時間で効きますから、週末には生まれることになると思って下さい」

…いきなり大変なことになってしまいました。「まだ名前が決まっていない」と焦りましたが、よくよく考えてみると無事に生まれるかどうかが最初の問題。そして、生まれたとしてきちんと成長できるのかどうなのか…。押し寄せる不安の中で、トムクルーズの「大変だからやるのさ」という言葉にテレビを通して出会った時には、何か癒された感じがしたものです。

さて、入院を妻、私双方の両親に伝えると、母親が飛んできました。金曜日の早朝、あまり寝られずにいたところに夜行バスで私の母が太田に到着。ワールドカップの日本ーブラジル戦をやっていたので、それを見て、朝食を食べてから妻の所に行きました。「逆子ですので、帝王切開で、午後1時から手術します」とのこと。隣の桐生東部教会から小野團三先生がご夫妻で来てくださり、ベットを囲んで祈って下さいました。こういう家族の危機の時には、牧師としては祈れないものだなと実感しました。

みんなで待っていると「30分ほど遅れます」と連絡が入り、ちょっと気が抜けます。ところが、その30分後、再び「もう30分ほど遅れます」とまた連絡。結局2時過ぎに手術室に入っていきました。2時59分、取り上げた赤ん坊を抱いて看護婦がNICU(乳児集中治療室)に走っていくのを手術室の前で祈っていた母が目撃したと、待合室にいた私に連絡が来ました。「元気元気。泣き声も聞こえた。男の子だって」と母。みんなホッとします。その十数分後、妻がストレッチャーに乗せられて出てきました。「ご苦労さん」と声を掛けると「赤ちゃんって本当に赤いねえ」と妻。

18時過ぎ、「お父さんとご家族は、説明を聞きに来てください」と呼び出され、レントゲンを見せられ、「今のところ問題は見当たりません。出産予定日あたりまで、保育器で育てることになります」と小児科の先生が言ってくれました。「面会はご両親だけになります」と告げられ、お祖母ちゃん達の感動の対面は暫く先に持ち越されることになりました。

「未開封の使い捨てカメラは持ち込み出来ます」と言われたので、早速コンビニで使い捨てカメラを購入し、また、「せっかく仙台から来てくださったんだから」と看護婦さんも近くの窓まで二人のお祖母ちゃんをベランダを案内してくださり、窓の外から覗かせてくださいました。

信徒さんの一人が、「子供が産まれるのは、結局子供の都合ですよ。私、3人産んで、そう思いました」と言ってくれましたが、我が子も早産だった割には、元気元気。翌日からは2ccずつですがミルクの投与も始まりました。私の手の親指ほどの太さの手足、頭だって両手で包めてしまえそうです。でも、良く見るとちっちゃい手足にはしっかりと爪まで生えていました。う~ん、、なかなかあっぱれ。

カイノスとは辞書に寄れば「宿命あるいは神意によって配列され、人間には決定的応答を要求する時」と言うことですが、“子供が産まれるその時”というのは立派なカイノスです。出産予定日と誕生日は違って当たり前です。ここまでずれることも珍しいのかも知れませんが、結局「予定は未定」なのです。計算を用いて未来を予測するのではなくて、“その時”を自覚して歩むことが大切なのです。「子供の都合」なのか「神様の導き」なのか、振り返ってみれば、一番いいタイミングを選んで彼は産まれてきたように思います。

「息子よ。ようこそ我が家に…」

私の両親も、妻の両親もウキウキです。手術に立ち会ってくださった方達もニコニコです。日曜日、礼拝後にご報告しましたら、皆さんワクワク、ワイワイ言いながら写真を見てくださいました。みんな彼の誕生を信じて待ってくれていました。ありがたいなあ。

以上、ご報告でした。
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2006年06月22日(木) 23時54分52秒

トム・クルーズの言葉

テーマ:保育
今朝、テレビを見ていたら、トム・クルーズが来日していて、貸し切りの新幹線でファンサービスを行ったとか伝えられていました。それを見ていて、とても心に残る言葉に出会いました。こんなやりとりだったと思います。

ファン「子供さんが生まれて良かったですね」

トム・クルーズ「五人は欲しいんだよね」

ファン「五人ですか。大変ですね」

トム・クルーズ「そう。子育ては一番大変だよ。でも、一番報われるのが子育てだよ」

すごい発言だと思いました。「一番報われるのが子育てだ」とは彼の思いの力強さを示しているように思えました。だから「五人は欲しい」と言うのでしょう。

今、「子育てほど報われないものはない」という声が聞こえてくる中で、「仕事が忙しい」、「経済的に厳しい」といった理由や「きちんと育てる自信がない」、「子供は苦手」なんて理由から「子供はいらない」という親が増えていることが問題視されています。そんな風潮に私も知らず知らずに流されていたような気がしましたし、この発言によって自分の心のモヤモヤがスキッとしたような気がしました。「大変だからやるのさ」と笑って応えられる自分が帰ってきたように思います。

さあ、夢と希望を持って、親になるとしましょう。
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2006年06月17日(土) 11時17分49秒

親となるために

テーマ:教育
先日、犬が乗ったベビーカーを若夫婦が押しているのを見てびっくりしました。ペットというのが、「家族の一員」から「家族」…いや子供としての扱いを受けるようになってきたことをヒシヒシと知らされました。でも、子供を育てるよりもずっと楽しくて、平和で、多分楽なんだろうなと思います。

今、もう9ヶ月目を迎える妻と、そのお腹を見る時に感じるのは、現実感に裏打ちされた責任感です。しっかり育てられるのだろうか、親として責任をしっかりと担っていけるのだろうかと自問自答してはその責任を重たく感じます。もうすでに、子供が出来た時に備えて緊縮財政をに移行していますから、好きなものを買うのも躊躇します。これから二十数年間はこの状態が続くと思うとゾッとします。

しかし、それが当然と言います。「子供の責任を持つのは親」という発言が小泉首相から出ていましたが、おしゃれも、行きたいところも我慢して、子供を育てるのが親として当然なのだと言う一方で、「親としての責任は持ちたくないから、子供はいらない。跡を継がせる仕事でもないし、子供がいた方が大変でしょ」という若い人も増えているのです。でも、それを個人の責任に押しつけるのは、もはや手遅れではないでしょうか?育児放棄は、何も人間に限ったことではありません。動物園の動物たちの話でもよく聞くことです。つまり、「子育ては本能だけには頼れない」ということなのだと思います。動物の育児放棄は周囲の状況と言われます。それなら人間はどうなのでしょう?

人間は、元々群れて生活する動物ですから、その群の構成がおかしくなっているのではないかと思います。学校などでの横割り生活固定化と、家庭内での縦割り生活の破綻。その中で他世代に対する思い遣り、理解力、包容力などがなくなった結果が現代の日本の姿ではないかと思います。

親となる準備をしていようがしていなかろうが、親は子供が産まれた途端、親になるのを迫られます。そして、親は絶えず親として成長していくことを求められるのです。最近、私の記憶の中にある両親の歳を越えました。ああ、両親はこの年で親として頑張っていたんだなあ、あの時の言葉、表情の意味が判るような気がしました。子供の時は、「何でも知っていて何でも出来る」と思っていた両親は必死に親をやっていたんだって思いました。私もこれから親になりますが、子供の頃に見た両親を思い出しながら、一歩一歩成長していきたいと思っています。

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2006年06月16日(金) 23時50分58秒

妻のブログ

テーマ:ブログ
彼女と付き合い始めた頃、彼女の家は猫を飼うことになりました。それが「くるみ」です。三毛猫で、なかなか可愛らしい子猫に妻は一目惚れ。結婚してからも、時々無性に会いたくなるらしく、実家に帰る時にはデジカメ持参で、帰ってくると100枚近くの写真をパソコンに取り込んでニコニコしています。

くるみが来てから一年半後、彼女の実家ではもう一匹猫を拾いました。これも三毛猫。光のページェントで見つけたので、「きらら」と名付けられました。不思議なことに全く血の繋がりはない二匹が、「親子ですか?」と聞かれるほどに似ているのです。

きららが来てからは妻は帰省にも気合いが入りました。我が家にも独身時代から飼っている猫がいるのですが、時々、私がうちの猫の写真をブログに載せたりするのを見て、「くるみちゃんやきららちゃんも載せて欲しい」ってせがむようになりました。

「ならブログをつくってやろうか。写真も数百枚あるんだし、一日2枚ずつ載せたって一年は持つし…。文章書くのが嫌なら、写真だけでやっても面白いじゃない」とアメブロに早速登録。…遂に、妻もブログをはじめました。題して「くるきら通信+1」

くるきら通信←クリックでリンクします。

「文章が苦手」なんて言っていましたがどうしてどうして、二日毎に更新をしています。頑張ってます。でも、まだ、訪問者が少ないので、是非見てやってくださいませ。

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2006年06月14日(水) 23時41分48秒

1名vs38名

テーマ:教会あれこれ
毎年この時期、私達の教団では、関東教区の婦人達が集まって、研修を行います。著名な講師をお迎えすることもあり、毎年大人数が集まります。今年は茨木市で行われ、三百数十名の参加があったということでした。私達の太田八幡教会からも3名が参加しましたが、大変盛況だったようです。私も、この教会に着任してから一昨年まではほぼ毎年参加しておりました。

まだ、顔があまり売れていないこともあり、スーツ姿で立っていますと、他教会のおばちゃんに「トイレどこ?」とか「夕食はどこですか?」なんてよく聞かれました。どうも、ホテルとか会場の従業員か添乗員に間違われているようですが、学生時代に旅館に勤めていた経験が働き、しっかりと従業員らしく受け答えしてしまいながら「そうじゃない。私は牧師なんだ」と心の中で叫んでいました。

まあ、そういうことが何年か続き、やっと牧師であることを認知してもらえてきたかなあと思っていた5年前の新潟で行われた研修会に参加した時、佐渡に渡るオプションツアーに参加しましょうと、一緒に行った婦人会のメンバーに提案され、参加することにしました。

参加して、ビックリしました。私以外38名の参加者はみんなおばちゃん達。多分私を除いた平均年齢は60歳前後ではないかと思えます。その頃私は、若干29歳です。「やっぱり帰ります」とも言えず、佐渡に渡り、バスに乗り込みました。

「いや~、先生、初々しいねえ」「先生、息子よりも下よ」おばちゃん達に取り囲まれながら、仕方なく愛想笑いです。唯一の希望はガイドさんかと思いきや、ガイドさんも「あら~若い男性がいるわ♪」ってな塩梅…orz

こうして一泊二日の奇妙な珍道中のスタートです。最初に、佐渡教会を訪問しました。「あれ?添乗員参加と思ったよ」と早速のツッコミでした。佐渡金山、朱鷺保護センターなどを見学して宿泊。当然男一人ですから12畳ぐらいの部屋にポツンと一人。同行した教会員が、「先生寂しいでしょう」なんて同情してくれましたが、夕食では、周囲の皆さんが「先生、食べて」と自分の蟹を次々と回してくれます。結局六尾ぐらい食べたような記憶があります。

次の日も当然男は私一人。能博物館、妙宣寺などいろいろ見学しましたが、一番評判がよかったのは尖閣湾…。何たって、「君の名は」のロケ地だってくれば、みんなうきうきです。「あの時はラジオに張り付いて聞いたものよ」なんて言う人あり、歌う人あり、一挙に盛り上がります。

さて、旅も終わりに近づいて、ガイドさんが「じゃあ、佐渡情話をやりましょう。私がお光をやりますから…吾作は…ああ、やっぱり唯一の男性である千葉先生ですね」ワー!っと拍手。

ええい!ヤケクソ!

「♪~これから介抱は愛の力の一筋に、治してみせるよ必ずに~♪」なんてやってみたら大評判。帰りの高速船の中ではまるでアイドルみたいな扱いでした。氷川きよしはこんな気分なんだろうな、なんて大それたことを思いながら最後にはみんなと仲良くなってお別れしました。何だかんだ言って、最後はとっても楽しかった旅でした。

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2006年06月11日(日) 09時54分00秒

ごめんなさい

テーマ:教会学校新聞「みんなかみのこ」
みんなはあやまるる事ってできますか?
今、大人の世界では謝ることができない人
が増えています。
みんなに「それは悪い」と言われても
認めることができないのです。
いろんな言い訳をしてしまうのです。
誰だって、謝ることが好きな人はいません。
「お前が悪い」と言われても認めたくはないのです。
でも、良く考えてみれば「それはダメだよ」という
先生やお父さんお母さんは、そういうことをみんな知って
言ってくれているんだと思うのです。
「あなたにはそういう理由があることは知っているよ。
 だけど、それでもそれは悪いよ。謝りなさい。」
そう言うふうに言ってくれているわけです。
私の母が「あやまることは親友を増やすことだよ」
と言っていました。
自分が悪かった時には「ごめんなさい」
と素直に言うことが出来るから、
親友なんじゃないかと思うのです。
心の底から「ごめんなさい」と言うことができる人は、
多くの人から愛される人でもあるのです。
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2006年06月07日(水) 23時55分12秒

投資家?投機家?

テーマ:犯罪
ハルさん
かずあきさん
コーノマンさん

コメントありがとうございました。村上容疑者の逮捕により様々なカラクリが明らかになってきました。法の隙間をかいくぐると言うよりも、「ばれなきゃOK」という姿勢が見え見えになってきました。「メモ、録音、メールなどは残さない」という村上容疑者の姿勢はそういうことを裏付けるものでしょう。インサイダー取引どころか、株価操作も当たり前の手法が見えてきました。

彼も会見の中で、「儲けすぎたのがよくなかった」ということを言っていました。儲けすぎたからやっかみを買ったのだと言わんばかりの意味に聞こえました。しかし、彼の「儲ける」と言う言葉の意味は、「株の売り買いで儲ける」ということ(=株式投機)であり、それには多くの人たちの損害が直結していると言うことです。投機は博打です。

投資というものは産業を興し、社会を育てるものですが、それが投機になる時それは単なる博打となってしまいます。そして、その博打で、イカサマをした彼は、投資家などではなく、また博徒としても失格だったのです。世直しという高邁な理想を掲げて株式市場に参入した村上容疑者は、今、イカサマ博徒として退場せざるを得なくなったのです。

金というのは人を変えます。ちょっとやそっとの信念なんか結果的には吹き飛ばされ、金に振り回されて最後には「人の心は金で買える」などと言い切ってしまえるほどにその人自身を変えてしまいます。仏教用語では「喜捨」という言葉があります。「寺社や困窮する人に金品を差し出すこと」ですが、ここには「自分の大事なものを喜んで捨てる」という概念が含まれています。与えるではなく、捨てるのです。敢えて捨てることによって自分を保ち初心を取り戻すと共に、その捨てたモノを頂いて救われる人たちがいました。献金、募金などとは違う概念がここにはあります。しかし、今、「喜捨」の精神は、この日本では滅亡寸前です。

寄付でさえ、ボランティアでさえ宣伝の一環として行われるこの国で、「人を騙したって儲けた者勝ち」という理解はなかなか食い止めることができないと思います。それにしても日本にだって昔は良い言葉がたくさんありました。

「損して得取れ」「情けは人のためならず」「先憂後楽」「罪を憎んで人を憎まず」…挙げてみて良く考えればこのどれもが、現代流に置き換えられ、それが周知されているのに気が付きました。

時代の変遷なのか、それとも亡国の兆しなのか…投資と投機の区別が付かない現代は、分別がない時代だということだけは言えそうです。

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2006年06月05日(月) 23時30分01秒

村上世彰氏への答え

テーマ:ブログ
「金儲けすることが悪いことなんですか?」

今日、村上ファンドの代表、村上世彰氏が逮捕されました。その直前、彼が80分に渡る記者会見の中で言っていた言葉です。それに呼応するように「額に汗して働かない」という批判もニュースでは紹介されていました。でも、私は、金儲けすることが悪いとは言いません。現実問題として、額に汗して働くだけでは成り立たないのが資本主義の恐ろしい所なのです。

今、多くの人々が不安を抱いている年金問題は未払いの問題も大きいのですが、運用益の現象が大きな原因になっているのです。そもそも、年金とはみんなから集めた年金掛け金を一つにして、銀行やファンドなどに預け、その運用益を持って運営されていくものです。銀行の金利が極端に下がった現在、それぞれの年金は大した運用益も得られずに基金を取り崩さざるを得なくなってきているわけで、そう言う意味で、金儲けの天才という人は必要なのです。現実に、村上ファンドの「投資家の6割は米国の大学財団」であると今日、記者会見で明らかにされました。

「額に汗して働くだけ」では、事が進まないのも事実なのです。地道に研究をするというイメージの大学は、今では莫大な研究資金を賄うために基金を設立して、その基金からの運用益をあてにするしかないのでしょう。彼は、「株の世界で実績を上げ、また、その仕事によって世を変えて行くのだ」と言うことを以前から言ってきました。それぞれの企業価値を上げ、また、株主価値を上げ、その中で株の運用益から出資者に対しては高額な配当をすることによって世を変えていくのが仕事だと…。

言っていることは勢いが良いことでした。でも、この理屈が通用するのは、日本の全ての人たちが株を持っているという前提での話です。裕福な人たちしか持つことの出来ない株…そしてその株の故に支配されてしまう庶民にとっては、彼の金儲けはやっぱり悪いことだったと思われて仕方のないことです。人の命は金で買うことが出来ないことが常識の世の中にあって、人の命が吹き飛ばされるような金額が遣り取りされ、その結果多くの人たちの命が危機にさらされている現代なのです。

お金を儲けることが悪いことではありません。金儲けも才能です。でも、才能というのは、自分のためだけに使うとすれば、それはやはり多くの人の怒りを買うということが言えるのです。金が払えないからと患者を見捨ててしまう医師は見下げられるのは仕方のないことです。今、災害などで、ボランティアの働きが注目されています。それぞれが持っている才能を無償で提供することは社会を営む上で大切なことなのです。しかし、そのボランティア自体の資金繰りが行き詰まることが多いことも事実です。だとすれば、その才能を持ってボランティアをするこそが彼らに求められることではないかと思うのです。

「金儲けすることが悪いことなんですか?」

村上世彰氏の問いに答えます。「金儲けすることは悪いことではありません」でも、それを知っているのだからこそ、ただで働くことも大事なのだと、彼の問いに答えたいのです。

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2006年06月03日(土) 21時40分26秒

愛してますか?愛されていますか?

テーマ:説教
「あなたはその健やかなるときも病めるときも富めるときも貧しきときもこれを愛し、これを敬い、これを助け、その命の限り硬く節操を守ることを約束しますか?」(日本基督教団式文より)

ご存じの結婚式の誓約の言葉です。キリスト教会で結婚される方はみなさんこの誓約を誓わなければなりません。私も過去何組かのカップルにこの誓約を問うてきました。もっとも、愛し合っていると確信しているわけで、うれしそうに「誓います」と言います。

さて、じゃあ、その先の質問があったらどうでしょう。「では、あなたが今誓った愛とはどういうものであるか言い表して下さい。」意地悪い質問だと思いますよね。でも、その一番大切なことを教会は教えていなかったのではないか…その様に思えてなりません。

愛とは一体なんだろうか?そんな問いに私たちは答えることができないのが実状なのです。あなたは家族を愛しているでしょう?でも、その愛って一体なんだと思いますか?

実は、愛とは信仰です。信じることそのものが愛なのです。当然のことですが、愛とは抱きしめることではなく、キスをしたりセックスをすることではありません。そういった行いが愛無く行われれば犯罪です。しかし、愛の中にその様なものが含まれていること確かなことです。その反面、愛の鞭なんて言葉もありますね。

愛しているか、愛されているかどうかも、信じる以外にない事柄です。いくら大切に思ったとしても、その思いを受け止める人がその事を信じられなければ、愛というものは存在しないのです。それなのに世の中では愛があるかどうかだけを問おうとします。「探せば見えず信じれば見えるもの」が愛なのかも知れません。

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