ジオターゲティング
2006年01月31日(火) 23時21分52秒

ネットの世界で

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最近の情報管理には閉口します。先日、教会員が入院したのですが、どのような状態なのか病院は一切教えてもらえませんでした。まあ、家族でもないので、当然と言えば当然ですが…。ただ、納得がいかないのは、遠い所に住んでいるお母様が病院に電話をかけても何も教えてくれなかったことです。「本人の確認が取れないから」というのがその理由のようです。その一方で私が聞いた時には、「あなた様はどういったご関係の方ですか?」と聞かれました。もし、「家族です」とか「弟です」などと答えていたら教えてくれたのだろうかと疑問になりました。大体、急を聞いて駆けつけた家族に対して、病院はどのようにして本人認証を行うのでしょう…。

最近、迷惑メールの数も半端じゃないほど来る様になりました。大体、個人情報というのは、一回流出してしまえばもはや守る価値などはありません。百歩譲ってメールの場合は、アドレスを切り替えれば良いということになりますが、住所などが出回った場合に引っ越しなど出来ない訳です。一回出回った情報は消滅することがない訳です。

その結果、情報の扱いを出所の所で規制しましょうということで産まれたのが「個人情報の保護に関する法律」です。情報を流出させた場合には罰則が伴います。ただ、この法律には、不完全な部分が存在します。それは、この法律によって個人情報の流出が止まらない場合一体どうなるかという問題です。前述の通り、一回出回った情報は価値がなくなっても残り続けるのがデジタル技術の怖い所なのです。

ところで、個人情報というのはなぜ個人情報なのかと言えば、名前、年齢、生年月日、住所、経歴など、その情報によって個人が特定できるからに他なりません。個人情報が流出した場合、本当にその被害からの回復を望むには、その情報と縁を切らなくてはいけないということであるわけですが、それは「自分を変える」ということに他ならないのです。つまり、一回情報が流失してしまった人には、何の救済もない法律ということになります。

その割には、悪徳業者のリストなどの情報は立件されるまでは個人情報として保護されていました。実は、膨大な情報が溢れているネットワークの中で個人情報の保護というのは不可能に近い事柄で、海の魚の一尾一尾を管理しましょうということに等しいのです。

結局、どうすればいいのかということになれば、情報の価値をないものにしてしまえばいいということになります。情報には旬があります。その旬さえ失ってしまえばその情報には価値がないのです。少なくてもその情報の旬の期間だけを乗り切る手法が必要なのです。方や公開され、方や保護されるという情報の価値のアンバランスさが、個人情報の価値を高めているのです。情報化社会というのは、情報の公開化という代償を求めて初めてその実力を発揮します。情報公開には情報公開で立ち向かうしか方法はない訳で、それを保証しないこの「個人情報保護法」は私達庶民に対しては「百害あって一利無し」というものでしかないと思えてなりません。

それにしても嫌な時代になりました。インターネットだって以前は『ネチケット』などと呼ばれたモラルを持った人達が紳士的に情報を交換していたものでした。インターネットを「金鉱脈だ」と堀江容疑者は表現しました。そして「僕だけが気付いたこの金脈によって稼ごう」と思ったのが彼でした。人の集まる所を「金脈」としてしか見ることが出来ないなんて…。モラルを持って営まれている人達の群れに、モラルのない人達が入りこんではその群れを破壊し尽くし、利益をむさぼり尽くす…。これが「勝ち組」と言われる人の生き方であるならば、この日本のモラルが地に落ちるのも当然ではないでしょうか?

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2006年01月29日(日) 23時32分38秒

大切なこと

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知るということは大事なことです。そして、その中で問われるのは、何を知っているかということです。現代、私達の知識のほとんどは、学校で教えられていると思います。それは、私達の生活を豊かにするばかりか、私達の仕事など生きていく上で大切な知識ばかりです。

しかし、その一方で、その知識が役に立たない事態に私達は放り込まれることがあります。例えば、ゲガの対処の方法、災害からの生き残り方などがその典型でしょう。今では学校が忙しすぎて、この辺りの知識を知らない人が増えています。例えば目の前で友人が心臓発作などで倒れたとしたらどうしましょう。救急車を呼んでそれだけ、では、その人が助かる確率はぐっと降下してしまいます。蘇生率は、時間に反比例して下がっていくのです。

50%を切るまでに5分。3分で75%です。もし、倒れた人を見つけて確認し、救急車を呼び、その後心臓マッサージに入るまでに何分でできるでしょう?救急車が来るまでに何分かかるでしょう。東京のような整備された町でも平均時間で5分18秒ですから、倒れてから救急車が到着するまでには、最短でも10分以上かかると見て間違いない訳です。つまり、日頃のイメージトレーニングや訓練、知識が欠かせないのです。そして日赤や消防署などではそのための講習会も実施しています。しかし、私達はそう言う知識、技術に対しては無関心です。

その結果として、自分はどうしていいか判らないから、他人に任せた方がよいから、と他者に対しても無関心になってしまいます。でも、そのとばっちりはある日ある時、自分に降り掛かるかも知れません。自分自身が知らない、できない様に周りの人もできないのですから、自分が倒れた時に助けてくれることなんか望むべくもない訳です。

子供の時代の私をかわいがってくれた人がいましたが、その人は交通事故を起こし、炎上する車に閉じ込められてなくなりました。誰も車のガラスを割ることができず、見殺しにせざるを得なかったのです。だから、私の車にはフロントガラスを割るためのレスキューハンマーが積まれています。自分が助かるために使うことは無理だとしても、もし、そのような事故の現場に遭遇した時にはそのハンマーが役に立つだろうと思っているからです。

「備えあれば憂い無し」と言いますが、それが幼児英語教育などでしかないのであれば、お寒い限りではないでしょう。それは、出世やお金を約束するものではないかも知れません。人生、もっと大切なものが沢山あります。「命あっての物種」と言います。出世も、お金も生きているからこそ、人を生かすことが出来るからこそ大切なものなのです。

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2006年01月28日(土) 23時14分24秒

知るも知らぬも…

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昨日、「知らない人は…」という題で書きました。「『知っている人だけが得をする』は裏を返せば『知らない人は良いカモだ』」と書きました。で、その後いろいろと考えてみたのですが、よく考えれば、その割に「知らない」と言い張ることの多いことに気がつきました。

「会ったこともない」「知らなかった」「認識がない」「間違いです」「判る様に書いておいて下さい」などなど…。「知らなかったのだから被害者だ」と言わんばかりのコメントをよく耳にします。どんな事件で聞こえてくるかは皆さんもよくご存知だと思います。「知らなかった」と言っても認められない世の中になりながら、言い訳には「知らなかった」がよく使われる変な世の中になりました。「聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥」などと言われていたことを思い出します。それが今では「『知る』も『知らぬ』も使い様」とでもなったのでしょう。あまりに悲しい世の中だと思います。

都合の悪いことも、都合の良いことも私達の耳には入ってくるのです。それが社会というものです。しかし、それを選り好みしようとする動きが最近では盛んです。耳障りのいいものだけを受け止めて、聞きたくない、見たくない、知りたくない、触れたくないものを拒絶して生きていこうとするのです。

でも、そんなことはあり得ません。知らなかったそのことが恥ではありますが、知ろうとしないことは人間性の放棄に他ならないのです。その結果起きるのが責任のなすり合いです。人間性を放棄してまでも自分のメリットだけを享受しようという生き方は、周囲から見て見苦しいを通り越し、滑稽な感さえあります。

社会の中では「『知る』は自分のため『知らぬ』は人のため」というのが常識的な姿勢なのだと思えるのですがいかがでしょう?

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2006年01月27日(金) 23時59分36秒

知らない人は…

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携帯電話に対する経費が高いと妻がぼやくもので、何とかうまく行かないものかと対策を考えることにしました。私はボーダフォンの古くからのユーザーで、もう11年程になります。ですから電話番号を今更変える訳にもいかず、契約も関西のままになっています。で、結婚したときに妻の携帯電話を副回線にした家族割引を適用しました。

ボーダフォンの家族割りの場合は、主回線が実費、副回線が半額というふうになります。私の料金はバリューパックプラチナという料金体系で一万円分の通話料がついて基本料が14500円です。妻はほとんど携帯電話は使わないということで、3900円のバリューパックとなっています。これが半額になりますから1950円となり、合計では基本料だけで16350円ということになります。そりゃあ、当然家計を預かる妻としては苦になる数字だと思いました。

そこで、これを主副逆転させてみたらお得になるのだと言うことに気がつきました。3900円のコースで使っている妻の電話を主回線に、そして私の電話を副回線に割り当てます。すると結果は

3900+7250=10150円ということになります。

これまでの基本料金が16350円ですから

16350ー10150=6200

6200円のコストカットをできることが判明しました。そしてこのことに対して気付いたのは、もしこれが実現されてくれば結婚してから今までの携帯電話料金は少なくても10万円ほどは節約できたということができます。妻の携帯電話を家族回線に迎え入れる時には相談したのですが、まさか、こんな結果になろうとは思っても見ませんでした。携帯電話の料金は判らないという声をよく聞きますが、それでも知らないでいると払わなくてもいいお金がどうどうと請求されるという実例だろうと思います。それどころか、場合によっては、もう一回線設けて一番安いコースを主回線にしたほうが安く済む時もありそうです。こんな方法があるなんて思っても見ませんでした。正に、マネーゲームって感じじゃないですか。

もう大分昔のこと、マクドナルドに食事に行ったとき、私の適当な注文に対してレジ係のお姉さんは「この組み合わせにするとお安くなりますよ」などとアドバイスをしてくれたことを思い出しながら「お客様センター」へ電話しました。

ひょっとしたら主副逆転できないのかなとドキドキしながら問い合わせると可能だということでしたのでひっくり返してもらいました。でも、その後で「あの、この変更に応じると割引の一つが今月は効かなくなりますがよろしいでしょうか?」と電話が入ってきました。「結構です。トータルではその方が安いですから」と答えると、「そうですか。失礼します」

こんなところにも自己責任論って出るのかも知れません。本当に安くなるのかは、翌月度の請求書がくるまで判らないのです。「知っている人だけが得をする」ということは裏を返せば「知らない人は良いカモだ」という事だとすれば、それは客としての私達の立場を踏みにじるものだろうと思います。

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2006年01月26日(木) 23時32分29秒

針小棒大

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最近「潜入」「号泣」「密着」などの言葉が目白押しで出てくる民放のニュース。本当にその意味を知って使っているのかと疑問になります。

「潜入取材」と言う割に堂々とカメラが入っていたり、涙ながらに騙った程度で「号泣」。元々できる限り密着するのが基本の取材でわざわざ「密着取材」と断るのでは、普通の取材とはどう違うのでしょうか?どうにも自画自賛としか言いようのないタイトルをつけては喜んでいるような向きが見受けられます。

今から数年前には、女の人が殺されたりすると「美人○○殺人事件」なんてついていました。このブログなんかをその調子で紹介したら「美人牧師夫人と牧師の生活を赤裸々に吐露しているブログ」なんてことになってしまうかも知れません。こんな風に書いたら、ブログランキングも鰻登り上りかしら?

「看板に偽りあり」っていうタイトルが横行する中では、物事の本質や価値は暴落していきます。そしてそれは私達の感覚を麻痺させていきます。ちょっとやそっとのことでは驚かず、むしろそれを面白がるような風潮が増えていきます。そしてまた、その中で、過激さを求める人達も増えてくるわけで…。

「大切なことは当たり前の中に存在する」という言葉を聞いたことがあります。言葉で飾らなくても「当たり前」の素晴らしさを当たり前に受け止めることはとても大事なのです。わざわざ断らないと見向きもされないほどに、私達の心は麻痺していることも、また事実です。

コマーシャルと番組内容の食い違いも然りです。悲惨な災害などの緊急特番を見て心を痛めている時に「それではコマーシャルです」の一言で「ご利用は計画的に♪」なんてやられた日には画面にモノを投げつけたくなる時があります。

「無神経さ」は心の麻痺から始まります。犯罪に対して、マネーゲームに対して私達の心は大分麻痺しているような気がしますし、私達の感情そのものも、ある感情に対しては大分麻痺して来た様に思います。失ったものが当たり前であるほど、私達は無関心になっていくのです。当たり前を見つめ、当たり前に敬意を払い生きていきたいと思います。

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2006年01月25日(水) 23時52分38秒

支えると言うこと

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この3ヶ月間、いろいろとありましたが、一定の解決を見ましたので、そろそろ出来るだけ元の一日一本のペースで更新をしようかと思います。

この3ヶ月の混乱の元になったものの一つに、実は、妻の妊娠がありました。世間一般に比べると妻の悪阻(つわり)は軽いようですが、付き合っているとこっちの方まで悪阻になったような気がしてしまいます。私の場合、ほとんど24時間、妻と一緒ですので大変です。通いの仕事でしたら、仕事の間は当然一緒にいるわけにはいきませんが、職場に住んでいますとそうは問屋が卸しません。まあ、通いの仕事の方もそれはそれで大変なのでしょうから、お互い様と言うことになるとは思いますが…。

朝昼晩の食事も妻の体調次第です。独身生活が長かったこともあり、料理には多少の自信もありますが、作るのも遠慮しながらですので、結局、冷凍食品やら外食がほとんどになってしまっています。

ところで、妻の妊娠が判明して、正直言うと私はあまり実感が沸かないどころか、むしろ「なんでこんな時に…」という思いの方が強かったと思います。いろいろ抱えていたころだったのでそんな思いになったのでしょう。

周囲の人は私に「おめでとうございます」「良かったですね。嬉しいでしょう」「楽しみですね」なんて声を掛けてくれました。私の両親、特に母親はとても盛り上った様です。病院で撮ってくれたエコーの写真をFaxで送ると、一時間後ぐらいに電話がありました。「ずーっとこの写真を見てたんだけどさ、うちの孫はハンサムだね~」まだ、心臓もできあがっていない直径一センチぐらいの小さな黒い丸しか映っていないエコー写真です。「ハンサムって男なのかい?(^^;」そうすると、母は真面目に「いや、美人かもしんない」と答えました。

なんとも笑い話みたいな話ですが、母がどの様な顔をしてその写真を眺めていたのか想像が出来ました。すると、初めて何となく、「ああ、子供が出来て良かったな」と思うようになりました。

聖書の中に「後の者が先になり、先の者が後になる」という言葉があります。この言葉は本当に真実だなあと思いました。当事者であり一番はじめに知った私は、実は一番最後に喜びを知った気がします。でも、多分、本当に喜べるのは生まれたその時なのだろうなあと感覚的に予測しています。

イエスは処女マリアから生まれたと聖書は伝えます。結婚もしないうちに妊娠してしまった…現代の教会では、「処女降誕は神の奇跡である」と解釈しますが、これをリアルタイムで目撃した周囲の人々は「あの娘はふしだらな娘だ」と思ったに違いありません。そんな中マリアの許婚のヨセフが彼女を妻として迎え、支えます。ヨセフが居なかったら、マリアはイエスを産むことが出来たでしょうか?

身に覚えがないのに(もちろん、天使からお告げはあったと聖書にはありますが)悪阻が始まり、お腹が大きくなってくる…。彼女にとっては、自分の腹の中で何が起こっているのか、自分はこの先どうなるのか判らずに過ごしたのではないでしょうか…。そんな中で彼女にとって、ヨセフはどんなにか救いになったのかと思います。「一緒に頑張ろう」彼の一言がマリアにとってどんなに慰めになったたのだろうかとそう思う時、私も及ばずながら、妻を助けられる夫になれたらいいなと思うようになりました。

そのような状況の中で産まれたイエスに会うために羊飼いが訪ねてきた(ルカ福音書)とも、東方から占星術の博士達がささげものを携えてやって来た(マタイ福音書)とも聖書は伝えています。

人間、素直に喜べない事ってたくさんあるように思います。子供が出来ることなんかもそうなのかも知れません。多分、妻だって私と似たり寄ったりだったと思います。そういえば私の従姉妹が去年出産したのですが、「妊娠がわかった時にはゲっ!て思った」と言っておりました。

だからこそ、なおさら、そういう時には周りが率先して喜び、祝福する必要があるのだなあと思いました。喜ぶ人が居て、祝福する人が居てはじめて当事者は強められ自信を持ってその先に進むことが出来るのでしょう。今、婚前に子供が出来て堕ろすかどうか悩む若者達がたくさん居ると聞きます。「周りの人は喜んでくれないに違いない、誰も祝福してくれない」と彼らがそう思った時、せっかく宿った新しい命が失われていくのです。

祝福と喜びによって互いを支え合える世の中になったらいいのになって、今その様に思っています。

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2006年01月24日(火) 23時55分44秒

時代の寵児

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ライブドア・ショックという言葉が飛び出してきて、もはや一週間を過ぎました。昨晩はとうとう堀江社長以下4名が逮捕と言う事態にまでなりました。各テレビ局は、一斉に特番を組みました。日本中にこれだけの激震が走ったのは、久しぶりではないかと思います。

堀江社長を「時代の寵児」という風に呼んで持て囃したこの数年間の日本はやはり熱病にでも浮かされていたのかも知れません。「設けるが勝ち」「人の心はお金で買える」などの言葉も現在では空しく響いています。

ただ、私はその事についてはどうこう言う筋合いはないと思います。「法律の目をかいくぐって急成長を遂げた」などの批判されますが、その批判は当たらないでしょう。かいくぐることが出来るのであったら、誰だってやるのが普通なのです。例えば「スピード違反」などはその最たる例です。捕まれば捕まったで「運が悪かった」と済ましてしまうようなことは私達の世界には、たくさんあるのです。

要は、その小さな犯罪の積み重ねが特定の人に対して、大きな損失を与えてしまったらどうなるのか、又は犯罪を積み重ねていた人に対して大きな利益を与えたしまったらどうなるのかと言うことです。そしてそうならないように馴れ合いながら、支え合いながらやっていくのが社会とか、モラルとか、道徳と言うことなのです。

「時代の寵児」とは文字通り「時代の寵愛を受けた人」の事ですが、さて、この「時代」とは一体何なのだろうかと思います。政治家や国民がこぞって「彼は素晴らしい、彼ほどの青年はいない」とか「尊敬しています」などとやるあたりになると段々怪しくなってきます。

誤解を恐れずに言えば、かのヒトラーだって当時は「時代の寵児」であったわけで、ドイツ国民の多くは、ヒトラーによって夢を見、また、ヒトラーに希望を置いていたわけで、その結果、彼はドイツ第三帝国の総統にまで登り詰めることが出来たわけです。

さてはて、「時代の寵児」のその後は、大抵酷いものです。ある成果を導き出したり、また、失敗したりすると突然に支持していた人達からも見捨てられてしまうのが世の常のようです。「権力」も「金」も似たり寄ったりです。どちらも、それを保持できなくなった時、良くてもひとりぼっちで世の中に放り出され、悪くすれば殺されるだけの話です。

「時代の寵児」とは世の中の気侭を映し出す鏡と言うことが出来ると思います。私達の世の中がこれからも「時代の寵児」を必要とする世の中であってはいけないのです。富でも権力でも大きすぎると破滅するのは古今東西の道理です。ちょっとした切っ掛けで、大きすぎる富や強すぎる権力を与え、「時代の寵児」を生み出してしまう世の中は、やっぱりあまりいいものではないのだと思わざるを得ません。

とにかく、今回の騒動で破産などに追い込まれる人々がたくさん居ることは想像に難くないわけですし、そしてそれを自己責任だと言ってのけてしまうこの日本の未来に対して暗澹たる思いを私は抱いています。
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2006年01月19日(木) 22時54分40秒

代償

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最近、ニュースに株の話題がよく上ります。先だっては「ライブドア・ショック」なんてものまで起って大混乱です。株の誤発注事件が起こった時に、個人で20億円儲けたという人がテレビに出てこんなことを行っていました。「誤発注は個人でだってあり得ますし、その時にはそんな言い訳は通りません」確かにそうだと思いました。投機というものはそう言うものです。

しかし、この時には与謝野馨経済財政・金融担当相が「(人の間違いに乗じて儲けるなど)美しくない」と発言し、また、今回のライブドア・ショックでも「(証券会社の判断が)相場急落につながった」というような発言をしています。この背後には、個人による投資を奨励して来た国の弱みがあると思います。「銀行預金より投資」というかけ声のもと、多くの個人投資家が誕生し、今回、何名の方がこのライブドア・ショックで経済的に苦境に立たされているのだろうかと思います。そう言う人達の思いを国として代弁しなければ、乗り切れないと判断したのだと思います。しかし、いうことはいくらごもっともでも、与謝野馨経済財政・金融担当相が言っている価値観は、投機の世界では通用しません。

耐震偽装問題にしても然りです。欠陥住宅、悪質リホーム詐欺などの被害者はほぼ泣き寝入りなのに対し、一挙に数千人の人達が路頭に迷いかねないこの問題では、公的資金の注入まで囁かれています。民主主義というのは、ともすると大きな矛盾を生み出す構造を持っています。多いか、少ないかで決まってしまうのが民主主義の根底に流れているのです。被害者が多ければ国も動かざるを得ませんが、少なければほとんど動かないのです。更にそこに、最近では経済原理が入り込みます。

先日来、野菜の価格の乱高下も問題になっています。値が落ちたからと廃棄を迫られていたかと思えば、今度は値が上がっているにもかかわらず大雪や寒波の影響で出荷できない農家の方々がたくさんいることが報じられていました。

「お金を稼ぐ」=「働いている」と考えている人がたくさんいますが、実はそれは違うのです。このことに気がつかなければいけない時代になって来ています。働いていてもお金につながらないことは沢山あります。そしてそれは得てして人間の世界ではもっとも大切なことである場合がほとんどなのです。

お金は不思議なものです。お金はお金を生み出します。そして、多くの人がその魅力に取り付かれます。しかし、その魅力はピンと張りつめた緊張の上に成り立っているのです。その緊張が切れたときに、お金は命を、心を食い尽くす悪魔として私達の上に君臨するのです。儲けたという時は人の財産を食い物にするということですし、損害を受けたその時には悪くすれば、無一文どころか多額の借金を背負ってしまうのが投機というものの本質なのです。

何も投機が悪いと言っている訳ではありません。しかし、投機によってお金を稼ごうとする人達には自分の投機が、真面目にコツコツと働いている人のすべてを奪うことになるかもしれないと言う危機感と責任感を持ってほしいと思います。「思い上がらない様に、緊張感を持って」当たってほしいと思います。

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2006年01月17日(火) 23時34分34秒

寄らば大樹の陰

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「寄らば大樹の陰」と言う言葉があります。

 大きな木の方が、頼りがいがありますし、万が一の時にも頼もしい存在になってくれるでしょう。経済界では、正にこの言葉が現実化しています。銀行などもどんどん統合を繰り返しているのはその証左です。大きなものはちょっとした事でも揺らがないという信頼感があるものです。

 先日、新潟に雪かきボランティアにかり出されて行ってきました。行ってみて思ったのは「雪かきではなくて雪堀だな」ということでした。自分を取り囲む3メートルばかりの雪の壁を相手にスコップを振るうのですから大変です。いくら掘ってもきりがないので、必要なところや使うところだけを掘り抜きます。5人で行ってみんなで5時間ほどの「雪堀」をしましたが、除雪できたのは1.5メートル幅の道を30メートルほどと、駐車場4台分の広さだけでした。しかしそれも終わった頃に降り始めた雪によってまた、数十センチは降り積もったでしょう。掘った雪は「消雪溝」と呼ばれる側溝に放り込んでいきます。その「消雪溝」に流す水が足りなくなってきたとも聞きました。この数日は気温も上昇し雨も降る様子で、洪水などが心配されています。「寄らば大樹の陰」とは言いますが、自然より大きいものなどあるわけもありません。それが敵対することになってしまう時に途方に暮れてしまうのです。

 この大雪に、新潟の多くの部分で停電を来したニュースは耳に新しいところです。このニュースを聞いて真っ先に思ったことは「オール電化」の家に住む人たちのことです。ガス管まで取りのけて暖房、給湯まで全てを電気にしましょうと東京電力で呼びかけていたアレです。結局電気が止まった中ではストーブも動かず、ただ厚着をして乗り切るしかなかったのではないかと思われます。

 しかし、私達もそれに近い生活をしています。石油ストーブにせよ電気が来なければ無用の長物です。それは、災害の時に必ず問題となることです。

「寄らば大樹の陰」とはどういう事なのだろうかと最近よく考えます。この大樹とは一番大きい木でなければならないことは道理です。しかし、それが限られた領域での大樹であれば、結局はその中でしか役に立たなくなってしまうと言うことでしょう。

 言うまでもなく、私達にとっての大樹は「神」であるべきです。しかし、わたしたちは人間や組織を大樹とすることが少なくありません。そしてあるとき、大きな代償を払って初めてハッとさせられます。

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2006年01月01日(日) 13時24分18秒

あけましておめでとうございます。

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あけましておめでとうございます。本年もこの部ログをよろしくお願いします。



教会では昨日は日曜日でしたので、いつもどおりの礼拝を執り行いました。やってきた信徒さん一人ひとりと「あけましておめでとう」とご挨拶をして、礼拝をしました。私は仙台出身なので、礼拝が終わったら妻を車に乗せて帰省です。お目当ては、仙台の初売り。豪華な引き出物が特徴で、ジーンズなどは、今回買うためにしばらく我慢しておりました。



ところで、この時期、「○○初め」なんてものが目白押しです。とにかく、一区切りつけて、もう一度新しく始めることによって、心機一転を図ろうということなのだと思います。何か新しいことを始めようっていうことになるとそれだけで、希望に沸いてくるような気がします。その一方で、どん底状態のときには、「希望の光も見出せない状態」が続くものです。「世の中にゃ、夢も希望もあるもんか」と言うような言葉が口をつき、立ち直るきっかけさえ見当たらないことが少なくありません。



[初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。](創世記第1章1-5節)

新年の喜びは、天地創造の喜びにあります。今年はどんな年であってほしいとか、こんな年にしたいとか、願う行事があちこちで沢山行われるのもそのためでしょう。渾沌の中に「光あれ」と言われた神様の思いとはどのような思いだったのだろうかと思い巡らします。混沌の中からの第一歩は神様の喜びであったでしょう。

 今、私達の世の中は、渾沌と呼ぶに相応しい混迷の中にあります。そんな時、私達は「希望を持てない」と呟きますが、希望とは混沌の中の光であり、奇跡の源なのです。私達が希望を持つ事こそ、奇跡のはじまりなのだと思います。「今年は○○をしよう」、「今年こそは○○になろう」と志すことは、たとえ三日坊主になろうとも、大切なことなのだと想います。

兎にも角にも、新しい年が、皆さんにとって平和で、また、豊かな年でありますようにお祈りしております。

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