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2005年10月26日(水) 23時54分20秒

教会が隣にあるって

テーマ:ブログ

さて、土曜日に行われる教会バザーに教会全体が包まれています。教会内部は礼拝堂まで倉庫みたいになって土曜日のバザーに備えています。先日、婦人会の面々のことをご紹介しましたが、みんな一生懸命です。値段をつけてすべてを仕分けても、その翌日にはまた献品の山が届きますから、大変です。


このバザーの収益は、去年建て替えた教会建物の資金に充てられます。もう、数十万円ですべてが完済できますので、頑張ろうということでもあるのでしょうが、最近は特にご近所様からの献品も相次いでいます。バザーに来る人も、また献品を持ってきてくださるのも、本当に感謝なことです。私たちの教会は、正に多くの皆様方に支えられていることが実感されます。


日本全国のクリスチャン人口は、総人口の1パーセントだといわれます。しかし、コレはすべての教団をひっくるめての数です。意外かもしれませんが、市町村それぞれに一つでも教会があるわけではなくキリスト教会が存在しない町村はたくさんあるのです。


そんなことを考えてみると、地域の方々に愛される教会っていう前に、教会が地域にどう必要とされるのかということを考えなければいけないでしょう。教会があることがご近所様のメリットになることは実は大切なのではないかと思います。いろいろな集会のときに教会の建物を使っていただいたり、夫婦喧嘩や虐待された子供の駆け込める場所であったり、行き場のない子供たちの憩いの場であることは本当に大切なことですが、なかなかそういう利用はありません。


「ここに教会があって良かったね。」と言われたいと思いながら、まだそこまで至れないのは、教会の悲しさです。地域の方々にとっても、教会を使うことを考えていただければ楽しいかな?そう思います。

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2005年10月25日(火) 23時59分20秒

自分たちの代表として

テーマ:ブログ
千葉ロッテの勢いが止まりません。3試合どれも10点の得点を上げ、阪神の必死の策も何も通用がしない状況です。この大差は一体どこから来るのかと思うのですが、解説者などが口を揃えて言うのは、「実戦経験から暫く遠ざかっていた阪神とプレーオフで緊張感を切らさなかったロッテの勢いの差」と言うことでした。

私が高校生の時には、両リーグそれぞれに「人気のセ・リーグ」「実力のパ・リーグ」という代名詞をつける人が多かったのですが、それはどちらかというとなかなか人気が出ないパ・リーグの慰めめいたものがあったように感じていました。

そういう中で、パリーグの人気回復の起爆剤として投入されたのがこのプレーオフでした。当初から、リーグ首位と、2位、3位を最終的に争わせてリーグ優勝を決めようと言うこのプレーオフ制度には私も「?」が付きましたが、実際やってみるととてもエキサイティングで、プレ日本シリーズとも言うべき雰囲気で楽しめました。去年は、リーグ戦2位の西武がこの勢いで快進撃、ダイエーを下しリーグ優勝、そして日本シリーズでも中日を下し日本一に輝きました。

そして出た結論が先ほど出た「プレーオフ制度による緊張感の持続」と言うことになります。ところで、今年のようにセリーグで圧倒的な強さを誇った阪神が押しまくられている姿を見ると、どう割り引いたところで、セリーグの方が相対的にパリーグよりも弱そうな気がします。特に、プレーオフで勝ち上がってきたチームを相手にすると言うことで言えば、プレーオフでそれぞれ良い戦いをしてきた3位の西武や、年間首位のソフトバンクにだって、セリーグの覇者が勝てないかも知れないと言うことにもなりかねません。

昔流行った野球漫画で「ドカベン」(水谷新司著)というものがありました。その中では、甲子園出場を決めた主人公にライバル達が練習をさせるシーンがあります。主人公の仮想敵になって練習に付き合うのです。

さて、こうも辺りを連発するプレーオフ制度。まかり間違い無く、パ・リーグの満塁ホームランとも言うべき改革だったことは間違いありません。セ・リーグは、「自らのリーグから日本一を出さなければならない」という最大の目標を忘れていたのかも知れません。どうでしょうか?来年から、優勝チームの練習相手として、協力し合うって言うのは?

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2005年10月24日(月) 23時59分29秒

教会と婦人会

テーマ:埋もれた歴史
今週の週末に、私達の教会では、バザーが行われます。このバザーの収益を牧師館建築の足しにしようと思っているわけですから、教会員も相当に力が入るわけで、この一ヶ月ばかり、婦人会のメンバーを中心に、一生懸命準備しています。

この婦人会という名前ですが、当世の事情で、あちこちから姿を消しています。「婦人」という言葉が嫌われるようになって、他の教会でも「婦人」に変わる名前を付けるようになってきました。「女性会」というものであったり、また「マリア会」なんて名前になったりしています。

この「婦人」という言葉が嫌われる理由は、「婦」の文字にあります。「帚」(ほうき)という文字に、女をつけ「婦」となるということから、この字は「女性を家事労働に限定する文字」ということで、男女同権論と衝突しそうな内容になってしまっていることが原因なのです。

ただ、この考え方を押し進めていくと男という漢字はどうしようもなくなります。小学生の時に習ったのは「田」で「力」を出して働くから「男」なんだと言うことでした。となるとこの男というも、「男性を農業労働に限定する文字である」ということができることになってしまいます。

教会では、婦人会の働きが欠かせません。どこの、どんな教会でも婦人会があり、彼女たちの働きは、教会の大切な力となっています。その大半が、「スペシャリストとしての主婦」たちの働きです。

教会というのは、いわば一戸の大きな家庭です。食事も、子育ても、介護も、教育も互いに担い合いながら歩むサークルのような性格を持っているのです。その中にあって、主婦達の経験、存在、技術というのは未だに捨てきれないところが教会にはあるのです。第一主婦でなければ、週一度の礼拝に来るのだって大変でしょうし、教会での奉仕なんて現実的に不可能でしょう。

「婦」という漢字は確かに「帚」のスペシャリストを意味する漢字なのでしょう。明治の初期、教会の草創期、そのスペシャリスト達は教会に来た時に「説教なんて出来ないし、多額の献金なんて出来るわけもない。でも、働くことは出来る」と考えたのでしょう。「女性の集まり」ではなく、「主婦の集まり」として「婦人会」というものはできあがったのでしょう。

実際、彼女たちの実績は凄いものがありました。一人暮らしのお年寄りや若者がいると聞けば、料理を作って持っていったり、病気で入院した人を、洗濯や掃除などをしに行って支えたりしてくれました。働く私達が募金をいくら出すかと考えることしかできないその時に、ある教会の婦人たちは被災地に、大鍋一杯の豚汁を作って炊き出しに駆け付けました。それは言ってみれば「帚と割烹着の伝道奉仕隊」であり続けました。

これから先、女性の生きる道は広がっていくでしょう。男女同権の流れの中では主婦という言葉、そして実際の働きも廃止されるのかも知れません。それに異を唱えるつもりはありません。しかし、だからこそ、これまでの「婦人」達の活躍に敬意を表したいと思います。彼女たちの働きがなければ今までの教会は成り立ちませんでした。

「大名は城を造った。でも、実際に作ったのは大工達だ」とよく言われます。

「主婦」とは、「家庭を、この世界を作る大工だ」と私は思います。この名も無き「世の大工達」に目を留めること、そしてその働きを証言すること、そして感謝をすることはこの現代だからこそ大切なのだと思います。汚れ役を進んで引き受けて「いえ、大したこと無いですよ」と笑って何事もさらりとやってくださる彼女たちへ、今、心の底から、「ありがとう」と言いたいです。

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2005年10月23日(日) 22時58分33秒

大切な言葉が聞こえるか?

テーマ:埋もれた歴史
私の母校の小学校の校歌に、以下のような歌詞が入っていました。

♪胸に図南の鵬翼ひめて♪

昭和一桁創立の小学校で、校歌の歌詞も難しく、当然この歌詞もちんぷんかんぷんでした。校歌を教えてくれた先生は、この部分を、「大きな夢を持って」という風に解説してくれたように記憶しています。

ところで、この校歌、実は3番があったと中学生の頃に聞いたことがあります。この話は確認が取れないのですが、聴いた歌詞には、「皇国の道踏みしめて」とありました。ピンと来たのが、この♪胸に図南の鵬翼ひめて♪の部分です。

改めて、広辞苑を引いてみましたら、図南(となん) (鵬が、南方に向かって翼を広げようとする意)遠征を試みること。転じて大事業を企てること。図南鵬翼。と書いてありました。どうも「南進論」と結びつきそうな気がします。時期的に考えても、幻の3番の話を聞いてもそんな感想を更に強くします。

ところで、昨日も紹介した海軍大将高須四郎のもう一つの逸話が「軍艦長門の生涯」(阿川弘之著)の下巻267ページに紹介されています。彼は、昭和15年2月にある作戦室兼会合所が落成した折り、その建物の名前を考えてくれと頼まれ、「呼南閣」と名付けたそうです。

「長官、呼南閣とはどういう意味ですか?」と部下に問われると「それはね、南進論、南進論と、このごろ内地でやかましく言っているが、南方の資源が欲しくて、ただやみくもに南へ出ていくというのでは駄目だと私は思うのだ」「南方の人たちが、日本の徳望をしたって、向こうから自然に近づいて来る、日本人がもっと豊かな心を持って、南の人たちをこちらへ呼び寄せる、そうありたい。行くぞ行くぞと独りよがりの気勢をあげるより、おいでおいでの方がいいじゃないか。まあ、そんな気持ちでつけた名前だよ。甘い考えと笑われるかも知れないが、武威を以て南方を制圧しようとすれば、日本は必ずつまづくのではないだろうかね」

今、「侵略なんて無かった」と言っている人がたくさん居ます。しかし、当時の高須四郎のような人がこんな事を言っていたことを考えると、少なくても日本は、南進論という熱病に浮かされていたでしょうし、大東亜共栄の美辞麗句の裏で、資源を狙い、植民地を増やそうとしていたことだけは間違いがないようです。

戦国時代の名将武田信玄の言葉に「人は城、人は石垣」というものがあります。武田信玄は他の武将と違い、立派な城を作ろうとはしませんでした。それは、そういうものを作る(作らせる)事によって、民の心が荒んだり離れたりすることを思い遣ってのことだったと聞きます。

私達の目で見れば、狂気の時代であった戦前、戦中にあっても、高須四郎のような人物はいるし、そういう人物はそういう時代にあっても大切な言葉を発するのです。ただ、大事なことは、時代を同じくする人たちがその言葉を聞くことができるかどうかなのでしょう。

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2005年10月22日(土) 23時38分03秒

歴史に埋もれた一コマ

テーマ:埋もれた歴史
「軍艦長門の生涯」と言う本が私の手元にはずっとあり、愛読書です。牧師の私が持っているというと、露骨に嫌な顔をする人もいるのですが、小学生の時、私の母校となる高校の文化祭で古本として買ったのがこの本との出会いでした。確か一冊20円で、上下巻セットを40円で買ってきました。

結構膨大な資料に基づいた緻密なドキュメントとも言うべき作品で、買っては見たものの当時は手に負えず、それでも暫く本棚に入っていました。高校生となってから、やっと読了しましたが、その内容は「長門」という戦艦が建造されてからビキニ環礁での原爆実験により沈むまでの間の出来事を、長門に乗り組んだ人たちの本や証言から追う内容でした。

高校の頃に読んだ時には、軍隊生活に興味を抱いただけだったのですが、大学に入り、日本の戦前のキリスト教の歴史を研究しようとした時に、この本が大いに役に立つことになりました。

この本の中で、高須四郎という人物が登場します。この人は5.15事件の時には、海軍軍事法廷の判士長としてこの事件の海軍側の首謀者を裁いた人で、海軍大将にまでなった人ですが、この本では、彼のことが幾度かに分けて紹介されています。

この高須四郎が晩年、「ロンドン駐在当時、読んだ本だが、私はずいぶん教えられるところがあった」と病床で看病している息子に「デンマルク國の話」という内村鑑三が書いたの本を紹介したそうです。祖母が持っていた内村鑑三全集を見てみると、明治44年に書かれたものであることがわかりました。

デンマークは19世紀後半、プロシヤ、オーストリアと戦いに破れたこの国は、南部の豊かな二つの州を割譲させられ、国民生活は窮乏の極みに陥ります。その中で、祖国の再建を夢見たダルガスという元工兵士官が「剣で失ったものを鍬で取り返せ」との信念で熱心に植林を呼びかけた事がデンマークに幸をもたらした。敗戦から40年後、デンマークは国民一人当たりの富が栄米独のそれをしのぐ、世界一豊かな国として立ち直った。…と「軍艦長門」の生涯にはこんな風に紹介されていました。

「デンマルク國の話」の最後の部分を引用しています。
「ここにお話ししましたデンマルクの話は、私共に何を教へます乎。
 第一に、戦敗必ずしも不幸にあらざる事を教へます。国は戦争に負けても亡びません。実に戦争に勝って亡びたくには歴史上決して尠(すくな)くないのであります。国の興亡戦争の勝敗に因りません、其の民の平素の修養に因ります。」

日露戦争を経て、飛ぶ鳥を落とす勢いであった明治44年の日本に於いて内村鑑三がこの様な文章を記したことも不思議ですが、それを戦前、海軍の士官が読んでいたというのは、何か因縁めいたものを感じます。そして日本も国の存亡をかけた戦争に敗れ、その後飛躍的な復興を果たしました。歴史の荒波の中にかき消されそうな出来事です。でも、発掘した以上、皆様方に是非知って貰いたいお話しです。

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2005年10月21日(金) 23時53分18秒

天然の嫁

テーマ:結婚
今日はちょっとのろけ話かな?先日、仙台に妻を連れて行った時の話です。

福島に差し掛かりましたので、実家の弟に到着時間の連絡をすることにしました。運転中でしたので、妻に携帯電話を渡し、弟に電話をするように頼みました。

弟が出た途端、「嫁です♪」と名乗った妻。思わず私も電話の向こうで大笑いです。

「なぜ、名前じゃないの?」「失敗失敗8^^;」と嫁さん。

到着後両親にこのことを話すと、腹を抱えて大笑い。「俺もビックリしたっちゃ。最初何が起こってかわかんねくってさ8^^;」と弟。彼は独身、さぞかしビックリしたでしょう。「でもさ、自分から『嫁だ』って名乗るってことはさ、そういう風に自覚してるって事でしょ。今時、何処を探したってそういう嫁さんはいないよ。お前はいい嫁さんつかまえたね」とは母。

まあ、兎にも角にも幸せな私達夫婦の生活の土台には、妻の「天然ボケ」の部分が欠かせません。彼女を囲んで幸せな気分になった我が実家でございました。

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2005年10月20日(木) 23時38分58秒

歴史というもの

テーマ:ブログ
先日、母が大切に想い、慕っていた母の叔母が亡くなりました。母はとても落ち込んだ様子は見るにもしのびないものがあるほどでした。私自身にとってもとても大切な人で、小さい頃、このおばさんの家に預けられたことがあります。仙台に行く用事があったので、その時に母と弟と三人でご挨拶に伺いました。

帰り道、墓参りもしていこうと言うことでお寺に寄ったのですが、直接彼女の墓には向かわず、母は私達息子を従えてあっちの墓こっちの墓と足を向けます。そして「ここはうちの本家筋の墓」「ここはおばあちゃんの家系の関係」という具合に一つ一つを私達に紹介し始めました。

そのうち、今度は「世話になった人」の墓巡りも始まりました。こうなってくるともはやお手上げです。でも、母は私達に言いたかったのだと思いました。「ウチはこういう親戚を持ち、こういう人たちに支えられて、今まで歩んできたのだ」と言うことを私達に教えたかったのだろうと思います。

「私達一家の恩人だよ」「私達の一族だよ」という言葉はそのまま、私達息子にとっても、とても大切な人だと言うこと示したいのだろうと私達は受け止めました。母の実家筋があるこの地方では未だに結構な裾野を持つ家系の繋がりがまだ生きています。10年ほど前には「祖母の従姉妹の孫」が親戚として紹介され、腰を抜かしたことがあります。

しかし、歴史というのはこういう事柄が基本ではないかと思いました。私達のルーツを辿ることで、それぞれの時代を生きた私達の祖先のことと、その祖先達が得てきた知識、技術を発掘することが歴史を研究すると言うことなのです。

教科書に載っていることを暗記するのが歴史を学ぶと言うことではありません。大きな流れ、小さな流れ…様々な流れを見つけ、汲み取り、知らせていく作業としての歴史は現代日本では、壊滅していると言っても過言ではありません。

家族の歴史を探し、紐解いていくことは私達それぞれに負わされている課題でもあり、義務でもあるのです。もし、歴史を語れなくなったその時に、過去を忘れたいその時にこそ大切な作業だと思いました。

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2005年10月19日(水) 09時17分47秒

心が滅ぶ

テーマ:ブログ
最近、ちょっと更新が不規則ですが、私は元気ですので、ご心配はいりません。ちょっと、更新する時間を作るのが難しいだけです。

ところでこの「忙しい」という言葉もいろいろな意味合いを持ちます。最近よくあるのは逃げ口上としての「忙しい」という言葉です。私も一頃よく使いましたが、とにかく「忙しい」を連発すれば、いろいろな事柄…とくに家族や友人などの繋がりを保留しておくことが出来る効能があります。つまり、仕事などを盾にとって使う言葉という感じが今ではしています。

以前、「『忙』という漢字って心が亡くなるって意味ですよね」とある青年が私に言ってきたことがありました。確かに漢字を偏と旁に分解してみればそうなります。そう考えるとぞ~っとしました。

忙しいときって得てして周りの者をいたわり、思いやる『心』って言うのは確かに亡くなっている場合が多いと思い返しました。むしろ、「忙しいんだから!」と怒鳴り散らし、当たり散らしてたことに思い当たるわけで、「なるほどなあ~。誰だ?この漢字を考えたのは…」と深く感心してしまいました。そうなると、「多忙を極める」なんて言葉を聞けば、その人(たち)の周りではどれだけいろいろなことが等閑にされ、荒んでいるのだろうかとその様に思ったりもするわけです。

忙しい人は孤独です。忙しい状態が終わったとしても、そのストレスで家族との憩いの時すら持つことが出来ずに自室や、自分の世界にに閉じこもる人も少なくないと聞きます。

で、なるたけ「忙しい」状態にはならないようにしようと思うに至りました。忙しいかもしれないけれども、「忙しい」という言葉はなるたけ使わないように…と。「忙しい」と言わないために私達は平素、友人とバカなことをしたり家族と遊んだり、安らぎの時を持つことが大事だと思いました。

それには何故忙しいのかを逡巡する必要があります。そして、その結果、当たり散らしていた相手こそが本当は真の「助け手」であることをその時毎に再確認する必要があると思うに至りました。「こんな事は周囲には言えない」「助けを求めるなんて恥ずかしい」なんて思うその中では、大切な友人、家族なんて見えなくなってしまうのです。

大切なものを大切だと感じる心を維持するのは、実はとんでもない労力が必要です。それほどにこの日本は「忙しさ(=自分の全てを生け贄とする)」を美徳とする傾向が強くなっているのかも知れません。

昔見たテレビアニメ「ミクロイドエース」のオープニングテーマソングを思い出しました。♪心を忘れた科学には 幸せ求める夢がない♪

忙しいと連発する時、私達は夢も希望もなくただ現実に追われる現代の悲惨な歯車の一つとして生きているのではないでしょうか?そういう人が一人でも、心を取り戻せるように祈らざるを得ません。

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2005年10月16日(日) 23時24分33秒

交換講壇

テーマ:ブログ
群馬地区では、毎年一回地区内の教会が一斉に牧師を交換して、交換講壇というものを行います。今年は、うちの教会は高崎教会と交換と言うことになり、私が高崎教会へ、高崎教会の牧師がうちの教会へとそれぞれ出向いての説教となりました。

私達の教会は、平均出席人数が23名ぐらいですが、この高崎教会は平均出席が100名前後だとお伺いしました。いきなり大教会の説教で、私も大分緊張しましたが、何とかこなすことが出来ました。

帰ってきてみれば、教会員が「今日はみんな優等生でしたよ。前の方から座って…。まるで授業参観みたいだった」と教えてくれました。

いつもは、前から座ってくれと言っても言うことを聞かない信徒さんばっかりですから、私もちょっとびっくりです。教会員にとってもこの交換講壇はとても良い行事だと思います。時には、違う牧師の口から、新鮮な説教を聞けることも、そしてその後その先生と牧師の目を気にせず楽しく交わったり話したり出来るっていいことだと思いました。

その代わり、来週はキツイかも知れませんね(^^;なんせ、実力も経験もお持ちの先生の説教の後ですから…。まあ、気負わずやることにしましょう。

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2005年10月15日(土) 12時55分40秒

便利さの陰に…

テーマ:ブログ
ご心配をおかけしました。今日から復帰いたしたいと思います。何だかんだと団子のように問題が降りかかってきまして、ついに水曜日に発熱…ノックダウンと相成りましたが、結局の話は「鬼の霍乱」?「知恵熱」?そんな感じでしたので、熱が下がれば本人はケロッとしておりました。(^^;

さて、先日、第42回文芸賞が発表されました。受賞したのは、中学3年生の新人でした。本日の読売新聞の「顔」の欄に写真とともにインタビューに基づいたと思われる紹介が掲載されていましたが、その中で面白いなあと思ったことは、彼女が「父親のパソコンを借りて3週間で書き上げた」と答えている部分です。そこで、ピンと来ました。「だから若い世代の受賞者が増えているのだ」と。

ワードプロセッサーの利便性は以前から言われていました。原稿用紙に向かい、一字一字を刻みつけるようにして書き上げていた頃は、レポートなどを書くのは苦しいものでした。私の学生時代はまだ、レポートはほとんど手書きで仕上げていました。まず下書を書きそれを校正して、また清書をしていたわけです。「論文を書く」というのは正に大学生の特権であり、大学生の実力の証拠と思われてた用に思います。

ところが、ワードプロセッサーが出現してから、この作業に革新が訪れました。とにかく思いつくことを書き連ね、それを「カット&ペースト」で移動して…という風に、書くことについてのストレスが少なくなったと言うことは言うことができるでしょう。ブログの爆発的な増加にもそういう背景があるわけです。

今までの文学界では構想力、構成力、表現力などが問われて、投稿すら出来ない人たちが投稿できるようになったと言うことで、これまでにはなかった世代の感覚が文学界に新風を吹き込むことになっているのでしょう。

しかし、その一方で、今までの文学界が育ててきたモノに対して私達は、目を向け直さねばならないでしょう。ブログが増えたとはいえ、その質は問題に満ちあふれているようにです。「新鮮さ」、「奇抜さ」を売りにするブログが多くなっている中で、アクセス件数を稼ぐためにギリギリのラインを攻めているページも沢山あるように見受けます。

これが、無責任さなのか、今までの壁を打破することなのかは、評価が別れるとは思いますが、モノを書き、表現すると言うことは、それ相応の責任を担わせられると言うことであり続けるのでしょう。それがたとえ、匿名で、お金を貰えないものであってもです。 それを忘れたとき、とんでもないとばっちりが帰ってくる事を私達は忘れてはいけないのです。

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