ジオターゲティング
1 | 2 | 3 |最初 次ページ >> ▼ /
2005年05月31日(火) 20時54分43秒

教区総会

テーマ:ブログ
昨日もブログをサボってしまいました(^^;)

今日から明日にかけて教区総会が行われます関係でさいたま市に来ています。

教区には教会・伝道所が143あります。そこから牧師と信徒が議員として参加しますから300人以上が集まることになります。儀式、選挙、会計などの承認、議案の質疑…とにかく目白押しです。

二日間でこのすべてをするわけで各担当の方々は大変です。私自身も「今夜は何時寝?」という感じです(^^;)。

さてはて、どうなることやら…
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2005年05月29日(日) 22時34分06秒

教会のお祝い事

テーマ:ブログ
昨日は、ブログの更新をさぼってしまいました。実は、昨日は婚約式、今日は牧師館のお披露目を行っていて、それどころではなかったんです。

婚約式は、昨日の2時からでした。婚約されるご家族に、私たちの教会も便乗して、最後には持ち寄りパーティーで祝福しました。前任地の教会は、大きな教会で、多いときには毎週のように結婚式がありました。式の準備をしているときに花嫁が到着すると、ご近所さんまで見に来て、時々は通りがかりの人が、「見学してもいいですか?」なんて事になることがよくありました。

式後、新郎新婦が外に出てくるのをフラワーシャワーなどをするために待ち受けていると、通りがかりの人が足を止めます。それを捕まえては、「どうぞ、祝福してください」と花弁を渡すと、喜んで加わって下さいました。昨日はそんなことを思い出しました。

私たちの教会では、去年、牧師館(牧師が任期の間居住する住宅)の新築事業を行いました。そして、今日はそのお披露目を行ったわけです。地区内の教会を始め多くの人達に来て頂き、完成した牧師館をお披露目します。皆さんも新しい牧師館に興味津々、牧師館を公開して、共に喜んで頂きました。

みんなで、会場を設営し、ケーキを作り、お茶を出し、準備をしました。遠くは、東京からも来てくださいました。おっと、そういえば、両親も仙台から駆け付けてくれました。この二日、しんどかったですけど、大きな慶び事が二つ重なり、いい週末でした。

皆さんも、通りがかりに教会で、結婚式なんかをやっていたら、覗いてみてください。声を掛けてみてください。声を掛けられた人達は、きっと喜ぶでしょう。

ランキングに参加しています。お気に召しましたら、
クリックしてください。

AD
いいね!した人  |  コメント(3)  |  リブログ(0)
2005年05月27日(金) 23時59分00秒

勝った時が負ける時

テーマ:ブログ
「勝った時が負ける時」…トヨタがアメリカのビック3を抜いた時に、トヨタの奥田会長がこのような言葉を使ったのを耳にしました。けだし名言と思いました。

人間は目標(夢)を持って生きています。追いつきたい、負けたくない、勝ちたい、そんな思いが私達を前に進ませてくれるのです。身近な例で、例えば結婚なんて言うものを考えてみましょう。

結婚したい相手が居る場合、私達はそれに向かって最大限の努力を払うでしょう。それは時として強引であったり、多少狡い手であったり、はたまた神頼みであったり、全てを駆使して結婚に漕ぎ着けようとします。

しかし、実際結婚してしまった時に、戸惑う人が多くなっています。「成田離婚」なんて言葉もはやりましたが、ひどい時には結婚式の当日に新郎もしくは新婦が来なかったなんて話まであるほどです。先日も、結婚を前日に控えた花嫁が自作自演の誘拐劇を仕立て、失踪してしまったという事件がアメリカから伝わってきました。結婚前後だけではありません。子育てを終えた時や、退職をした時等、目標を達成したと思った時に、離婚を考える夫婦はどの世代にあっても増えています。

私達は、その目標(夢)を達成した時に、時として虚無感に教われる事があります。「燃え尽き症候群」なんて言葉が以前流行りましたが、今まで追い求めて来た目標(夢)が失われたその時に、全く目標(夢)を見いだす事ができなくなるのです。目標(夢)のない人生は、砂漠をあてどなく彷徨うようなものです。

「勝った時が負ける時」という奥田会長の言葉は、そういう悲しい私達の現実を指し示している言葉に聞こえました。

一般の理解として信仰とは、目標を達成したり、獲得するための手段の一つであると考える向きがありますが、それは間違いです。この事は「目標の達成」を謳い文句にしたカルト教団の末路を見れば明確です。カルトの場合、多くの信徒は、目標の達成を味わった後、人生の砂漠に放り出され、結果的に教祖に盲従する道を選び取らざるを得なくなってしまうのです。

もし、何の目当てもない砂漠に放り出されたとしても、地図と方位磁針を与えられ、現在地を知らされていればしっかりと方向を決めて歩む事ができるでしょうし、砂漠から脱出する事ができるでしょう。本物の信仰とは私達の人生の地図であり方位磁針であり、私達を人間たらしめるものなのです。

そう言う意味で、私達それぞれが持ち合わせる良識、良心、思い遣り、愛などは、信仰のもっとも基本的な形態であり、重要なパーツなのです。

ランキングに参加しています。お気に召しましたら、
クリックしてください。

AD
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
2005年05月26日(木) 23時57分25秒

科学と宗教

テーマ:ブログ
「神はいるのか」…宗教はこの問いから生まれたもので、「居る」ことを前提として形成されて今日まで来ました。よく考えてみれば、私達の人生には様々な不思議があり、その不思議に神の働きを見る思いから、神の存在が人間の生活の大前提になっていたのです。

しかし、そのような動きを否定する動きもあります。それが科学です。科学は実証を積み重ねて行く事をその本意としました。実験と理論に基づく証明によってこの不思議な世界を読み解いて行こうとする試みです。

よく考えてみますと、この両者の歩みは一見すると別々に思えるのですが、しかし、よく考えてみると、手法が違えども、この世に満ちる不思議を解明しようとする事においては同じという事もできます。

私の父は、高校の物理の教諭を長く務めておりました。私が牧師になる時に父は、「アインシュタインだって神様を見てたよ」と賛成してくれました。父に言わせれば、化学を究めて行っても壁があり、その先には神が居るとしか思えないことがあるのだと。

「神の存在を否定して世の摂理を読み解く」のが科学者の基本的な姿勢であろうと思います。しかし、それを極めて行けば、結局はどうやっても越えられない壁に気がつき、そこに神の存在を認めざるを得ないのであろうとそのように受け止めました。

翻って、牧師という自分の仕事を考えてみます。「神はいつの時にも私達共に居られ、私達を守り、導き、支え、生かして下さる」というのが牧師としての仕事の前提になければなりません。

しかし、この仕事を通してたびたび感じる事は「本当に神様は居られるのだろうか?」という疑念です。世の中に溢れる悲惨なニュースを聞く時に、教会に来るホームレスの方々の話を聞いたり、悩み事を相談に来られたりするのを聞かされたりするときにそれを強く思わされるのです。「この世に神は居ないのか」と…。

互いに神という存在を挟んで、自分が否定したいと思う現実を見せられる…。宗教と科学…因果な関係なのだなあと思います。それは、お互いの手法に原因があるのです。宗教は全体像からここの事象に説明を与えてるのに対し、科学は個々に散らばる現実を組み上げで全体像を描き出そうとするのです。

しかしその一方で、このどちらが欠けてもいけないのだとも思わされます。今、科学の分野では「神の領域」とされていた部分を平気で犯してしまっているのを危惧する声をよく耳にします。その一方で、科学を一蹴し、神の名を騙って行われる様々な犯罪が後を絶たないことも周知の事実です。科学と宗教…この関係を例えれば車の両輪でありましょう。どちらがかけても人間の世界がうまく進む事はあり得ないのです。

私達は何かを作るとき、設計図を見ながらそれぞれの部品を組み上げて行きます。宗教は、神と言う全体観としての設計図を与えられています。そして、科学は理論と証明という道具を与えられています。もし、設計図を与えられただけで、何も部品がないのであれば、何もできないでしょう。もし、無造作に散らばる部品だけを与えられ、完成図さえもないままで、何かを作り上げるように言われたとしてもそれが美しい完成系になるわけはないでしょう。

科学にしろ、宗教にしろ、人を幸せにするという目的論では同じものであるはずです。しかし、現代の日本では、どちらを取り、どちらを否定するかという二局対立の構図の中で物事を進めて行こうとしているのではないでしょうか。

でも、本当は、教育でも、文化でも、国でも、人間関係でも、教会でも、その他どんな事柄であったとしても、私達が何かを作り上げようとする時には、それに関わる私達の心の中に設計図が必要なのです。そして、その設計図こそが、私達の信仰とよばれるべきものなのだと思っています。

ランキングに参加しています。お気に召しましたら、
クリックしてください。

いいね!した人  |  コメント(1)  |  リブログ(0)
2005年05月25日(水) 23時59分45秒

罪人の頭…

テーマ:ブログ
学生の頃、マーチングバンドにいた事があります。楽器を吹きながらフォーメーションを組んで行くので、練習の厳しい事と言ったらありませんでした。マークタイムと呼ばれる足踏みが基本で、みっちりと仕込まれました。

ところで、その練習の指揮をとるドラムメジャーという人の指導による訳ですが、その人がある時酒を飲みながら話してくれたのが印象に残っています。それは、

「俺はマークタイムが下手だったからドラムメジャーになったんだよ」

確かにドラムメジャーは観衆の前に立つのは、演奏の最初と最後だけ。後は、バンドに任せて、陰からこっそりと指揮を振っているだけの存在ですから、マークタイムが下手だって何の問題もありません。演奏中、観客の目に入るのは、それまでに仕込まれたバンドのメンバーだけです。

「その方が実益にかなっているだろ?」

その先輩の言葉は、確かに謙遜の部分も含まれています。夜寝る時間を削ってコンテを書き上げ、練習のプランを切り盛りして行くのを私はよく手伝わされましたので、その事は良く知っているつもりです。

翻って私の場合はどうだろうかと最近考えます。やっぱり、信徒さんって凄いと思ってしまいます。そして、その凄さに支えられて、私という存在が教会では支えられている事に気がつかされます。

ただ、その先輩のような謙遜で終わるのかと言えば、そうではないのが私の情けない所でしょう。教会員に迷惑をかけ、そして傷つけている場合がたくさんあるように思います。それでも、教会員たちが支え続けて下さっている事に、しばし呆然とする他がない時が最近増えて参りました。

他所の教会がうらやましく見えます。「あの教会にはあんなに素敵な牧師がいる。うちの教会にも良い牧師が来たら良いのに、何で私が牧師なんだろう」と…。牧師は、一時期教会に赴任しますがいつか別れの時がやってきます。自分がやめる時の事が絶えず頭に過ります。

「今、私はこの教会の牧師で良いのだろうか?」
「もっとふさわしい牧師は他にいるのではないか?」

これって逃げなのかも知れません。与えられた教会の牧師としてのふさわしい言行をなす努力を怠り、逃げようとしているだけなのかも知れません。

「教会にすべてを投げ出す覚悟はあるか?」と聞かれれば「あります」と答える事ができるつもりです。しかし、それでもなお、自分自身の罪深さ、そして情けなさは変えられないでいます。多分、一生そんなしょうもない人生なのかも知れません。

それは「神様に牧師になれ」と言われたと信じたから。そして、なぜか牧師になってしまいました。それでも、それを抱えつつ私は牧師としての歩みを続けています。「神様がもういいよ。」と仰って下さるその時まで…。

神様。私の罪深さ、弱さをお赦し下さい。そして叶うならば私の愚かさ、罪深さ、弱さを取り去って下さい。そして厚い信仰と、祈りを持ってこのような力ない者を支えて下さるお一人お一人に神様の祝福が、癒しが豊かに与えられますよう。アーメン

ランキングに参加しています。お気に召しましたら、
クリックしてください。

いいね!した人  |  コメント(3)  |  リブログ(0)
2005年05月24日(火) 23時36分45秒

妻が帰った一週間

テーマ:ブログ
昨日は、ブログをさぼってしまいました。今日まで、仙台に帰っていました。実は、先週火曜日まで一週間、妻は実家に帰っていまして、実家に帰っていた妻を迎えに行ったのです。

日曜日の夕方7時に出発し、仙台に着いたのは午前様。お陰で、高速道路料金が30%値引きされました。そして、今日帰ってきました。向こうを出たのは、やっぱり夕方7時頃で、帰って来たのは午前様。やっぱり高速道路料金が30%Off。それから、今、こうしてブログを書いています。

一週間も妻がいないと、また再び独身時代に戻った気分です。独身の時代には、結婚したいと強く思った時期もありますが、夫婦になってみると、そこはそれ、たいした気が楽な様な気が致します。

なんと言っても、妻と二人の時には食べる事ができないモノをまとめ食いできる絶好の機会です。二日続けてラーメンを食べたり、やりたい放題です(^^)。でも、そうやって過ごす楽しい期間等あっという間に過ぎてしまいます。

日程も半ばを過ぎてくると、妻が帰って来た時にどんな顔をされるのかが不安になり、だんだんと大人しくなってきます。部屋に入った時に妻がどんな顔をするのか、どんな行動をするのかだいたい想像がつきますので、そうならないように準備を始める訳です。部屋を掃除したり、皿を洗ったりしながら、なんか悲しい自分に気がつかされます。そうなってくると、食べ物もまた、自主的に節制が始まります。大分飼いならされた感がありますね。

さて、車に乗せて今日帰って来た結果はどうだったか…。おそるおそる顔色をうかがっている自分が…_| ̄|○

どうも、これは私の被害妄想のようです。怒られる訳でもないのに、でも、それでも、ビクビクしている自分って何だろうと思います。

結局、妻が喜ぶ顔を見たいのだろうと思います。せっかく一緒に住んでるのだし…。でも、一緒に住んでいる以上、自分が迷惑をかけている方がより多く見えてしまうのでしょう。

お互いの優しさや、思い遣りだけが先行する時、それぞれが勝手に思い込み勝手に傷ついてしまう事があります。「争うのは嫌」等と言っていると、結局相手を悪者にしてしまい、自分勝手に傷つく事になってしまうのではないかと…。多少ケンカをして、お互いにぶつかり合う事って本当に大事かもしれないと思っちゃいました。

ランキングに参加しています。お気に召しましたら、
クリックしてください。

いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)
2005年05月22日(日) 23時55分43秒

教会の珍事件

テーマ:教会あれこれ
教会で毎週のように礼拝に出席していると、時々、珍事件が起こります。特に学生の時は、教会に入り浸っていましたから、そういう事件によく出会いましたし、また、それが楽しみでまた教会に入り浸るという様な状況だったように記憶しています。

私の大学時代の友人が献金当番をしたときの話です。献金当番というのは、礼拝の最後の方で、出席者の献金を篭に集めてまわり、最後には、「献金感謝祈祷」なるものをする係りです。

この「献金感謝祈祷」ですが、献金をしてもらった感謝ではありません。「献金することができたこと自体を感謝する」のと、「教会で魂の養いを受けたことを感謝する」という二つの目的があります。

献金の場面になると、この当番は前まででていき、説教壇近辺に置いてある献金篭を手に持ち、出席者の席をめぐり、集めた献金を説教壇まで運んでいくのが仕事です。ところが私の友達は、この時に足が絡まったか、蹴躓いて、献金篭を放り出すと言う失態を犯してしまいました。当然、献金篭の中にあるお金は全部ぶちまけられ…。すると、一番前に座っていた役員さんが、何も言わずに席を立ち、飛び散ったお金を文句も言わずに拾い集めてくださったそうです。

原因を作った張本人は、そんなことの直後でしたから、もう頭の中は真っ白。当然お祈りなんか吹っ飛んでしまったようです。

しばらく友達内ではその話で持ちきりでした。

「あいつな、献金をぶちまいたらしいぞ」

「キラキラキラって小銭が舞飛んだんだと…」

「そっか、じゃ、そこの献金、小銭ばっかりだったって事? 札はなかったのかね。」

だんだん話に尾ひれが付いてきます。

「人の失敗を笑いモノにするなど、もってのほか!!」なんて息巻いてみたところで、でも、私も含めて、教会で何か珍事件が起こらないかと期待していたことを思い出します。

教会に於いても「人の不幸は蜜の味。人の失敗は最高の肴」は通用するのかも知れません。でも、お互いにそれを笑って受け入れられるからこそ、教会って楽しかったのだなあと、学生の時代を振り返り、思っております。


ランキング に参加しています。お気に召しましたら、
クリックしてください。

いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
2005年05月21日(土) 23時59分56秒

訃報

テーマ:ブログ
今日夜7時頃、電話が鳴りました。

電話の内容に一瞬凍り付きました。

その電話は訃報でした。友人の牧師が突然心疾患で亡くなったという電話…。同い年でした。

若すぎます。残されたご家族の心中を察するには余りあります。

私とは正反対の非常に優秀な牧師でした。彼が、今日夕方、亡くなりました。

「いいヤツははやく死ぬ」…誰が言ったか判りませんが、そんなのを地で行くことないのに…。

「主は与え、主は奪う。
 主の御名はほめたたえられよ。」(ヨブ記1章21節後半)

彼の魂の上に、彼の家族の上に、彼の教会の上に、主の慰めが与えられますように…。アーメン
いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)
2005年05月20日(金) 23時13分02秒

牧師らしさ

テーマ:ブログ
パソコンなどのユーザー登録をするときに、「ご職業」という項目があります。「自営業」「サラリーマン」「主婦」「教員」「医療関係者」などはあるのですが、いつもここで悩んでしまいます。なんせどれにもあてはまらない…。何となく、「給料をもらう身ですからサラリーマンか?」とか「先生と呼ばれているのだから教員?」などと時々考えることがありますが、結局「その他」という風に書いてしまいます。こう言うところにも「宗教」と言うものの日本での扱いが反映されているように思います。

私の先輩牧師が、牧師になりたいと言ったとき、彼の父親である牧師は「年寄りから年金を騙し取るような仕事に就くのか?」と言われたそうです。これって、誰も口にはしませんが、「下手をするとそういう風に思われかねないのだからな」という警告のような気がします。

私もその辺ではよく考えさせられます。教会という組織は、少し不思議な組織です。殆どの教会では、「牧師」ひとりが従業員です。しかし、その一方で教会員を束ね、導く「社長」の様な仕事を求められます。しかし、その教会員こそが、牧師にとってはお客様であり、有力なスポンサーなのです。

「牧師なのに」とか「牧師らしく」などと言う言葉は、この様な理解のねじれの中で複雑な様相を呈します。

兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠けている者たちを戒めなさい。気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。すべての人に対して忍耐強く接しなさい。だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
(テサロニケの信徒への手紙1:5章14節~18節)

これって礼拝の最後に「派遣の言葉」として朗読するものです。良い言葉だと思いますが、朗読する身としては時々辛いですね。どうあっても怠け者だし、小心者、忍耐強くなんて無いし、全ての人に対していつも善を行うようになんかできっこないよ!!と…。

口にすれば1分もかからない言葉ですが、これを朗読するとき、もの凄い葛藤がある時って多いです。自分に対して、「お前はこんな言葉を言える身分か?」と自問自答しながら…「ゴメン、今日は読むこと出来ません」と言えたらどんなに気が楽か…。

「神様が、あなたの口を使ってみんなに呼びかけるのが説教であり、祈りであり、祝福なのだ」と教えられたことがありますが、でもそれって普通じゃあ考えられないことだと思います。これってすごい確信を持っていないとやっていけないものです。

「お前は何者か?」

なかなか胸を張って牧師だとは言えない自分です。なおさら「人の手本」になるような人間ではありません。だから、せめて「神様に成り代わる」という罪深い仕事をこなしていくプレッシャーとぐらい闘い続けていく者でありたいと思います。

ランキングに参加しています。お気に召しましたら、
クリックしてください。

いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)
2005年05月19日(木) 23時35分59秒

本を作ってみました。

テーマ:ブログ

本



先日、信徒さんと話していて「一体何文字ぐらい書いたかな?」という疑問が芽生え、ワープロにコピーしてワードカウントしてみました。びっくりしました。なんと、12万字弱…。なんか、妙に感動してしまいました。よく考えれば、毎週の説教もマメに原稿に起こしていけば、本なんて簡単に出来るよなと思いました。

…で、気がつきました。「本…?よし。このブログ、本にしてみよう。」…早速実行してみました。

別に売るわけでもないので、プリンターを使っての完全自力の自費出版です。今までに5部発行しました。(^^;当然本屋さんには並んでいません。

本の作り方
1)まず、プリンターで両面コピーをします。
2)閉じる側にべったり糊をつけます。糊は液体糊をつけます。
3)洗濯バサミなどで糊がある程度乾くまで20分ほど待ちます。
4)印刷した紙の厚さに2センチ増の紙帯を用意し、背表紙にします。
5)糊を塗って紙帯の中心に背表紙を乗せ、余分を表紙、背表紙に貼り付けます。
6)背表紙の上から透明のビニールテープで背表紙を補強します。
7)新聞紙などに挟んで、重しをかけて一晩すれば完成。

でも、作ってみると意外に感動です。わたしが学生の時には、まだパソコンではそこまでは出来ませんでした。なんせ、インターネットもまだ無くて、パソコン通信などと言う時代でしたから…。こんなものが自分の力で出来るわけですから、良い時代になったものだなあと思いました。

教会の事務もOA器機の発達で、格段に進歩しました。毎週の礼拝では週報というものを配りますし、月刊の機関誌なども発行しますし、名簿、議事録などなど。これを昔は謄写版で印刷していました。鉄筆を使ってガリ切り、ローラーを使って一枚一枚手刷りで作っていたわけですから…。

それにしても、OA器機の発達で楽になったにしては、事務量が増えているような気がします。以前は、もっとゆったり時を流さなければ、生きていくことが出来ませんでした。どんなことをしようとも日数がかかった訳です。ですから周囲も予め余裕を持ってやっていました。

時間のかかること、遅れることが当たり前の世の中では、余裕を持つことが当然の事だったんですね。翻って、今では、1分、1秒を争うような状況というのが多すぎますね。そして、その様な世の中にしているのは、間違いなくOA器機の進歩にべったりと甘えてしまった私たちなんだ。

便利さというのは、諸刃の剣です。人を楽にしたり、忙しくしたり、楽しくしたり、とげとげしくしたり、豊かにしたり、貧しくしたり出来るものだろうとその様に思います。しっかりとした意志を持って、便利さにつぶされない人生を歩む必要があると思いました。



ランキングに参加しています。お気に召しましたら、
クリックしてください。
↓↓↓↓↓↓

いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)
1 | 2 | 3 |最初 次ページ >> ▼ /

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。