ジオターゲティング
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2005年03月30日(水) 12時30分55秒

キャンプ三日目

テーマ:ブログ
今回のキャンプは、敢えて、消灯時間を自由にしているキャンプです。寝ている人のことは邪魔しなければ、徹夜してもいいよという事です。

ですから、このキャンプの参加者達にとっては、夜の時間は天国です。一晩中気のあった友達と話している人もいれば、友達とトランプやオセロなどのゲームをやっている人もいます。スタッフに人生相談をする人もいます。

さて、そう言う夜の過ごし方をさせるということは、スタッフの側は体力勝負ということになります。参加者の方は、夜寝なければ、昼間のプログラム中にウトウトしていればいいのですが、スタッフはそんなわけには行きませんから…。

ちなみに私の今回の全日程の合計睡眠時間は、5時間強…。そして最後には、車で3時間ほどかけて帰らなければいけません。どこかで、どうにか誤魔化さないと、帰る途中に事故であの世に…なんて事になりますから、ちょいちょいと誤魔化す必要が出てきます。

今回は、結局交代制をとりました。幸い、早起きのスタッフがいましたので、4時までは私、4時以降は、そのスタッフにお任せして寝ることが出来ました。…でも、6時半起きでしたが…。

今日は、自由時間に参加者数名とサッカーをやりましたわずか15分ですが、さすがに寝不足のみでは、息が切れます…そうでなくても、35歳…中年に差し掛かってますので、体力的にはそろそろきついですね(^^;

でも、高校生相手に3点中2得点の大活躍!!まだまだやるときはやります!!


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2005年03月29日(火) 12時29分57秒

キャンプ二日目

テーマ:ブログ
今回のキャンプは、教区内の教会の中学生、高校生が参加するキャンプ。
二泊三日で行っています。ある教会に泊まり込み、講師をお迎えして、その講演を元にグループに分かれて話し合うというスタイルのキャンプでした。

二日目の夜には、その学びあったことを形にして発表する発表会をします。3グループそれぞれ、知恵を出し合い形にしていきます。讃美歌を4声に別れて歌うグループ、劇をするグループ、新作のゲームを作るグループと、今回は、三者三様の発表でした。

でも、この過程で知らされたことは「参加者も一人一人、色んな事を考えているんだなあ」ってことと、「へえ、この人はこんな一面があるんだ」ということでした。

色んな発見が色んな出会いを導き、そしてそれがまた新たなお互いの発見…ひいては、自分自身への再発見につながっていくその過程は、いつ見ても楽しい感動的な出来事ですね。

さて、明日はいよいよ最終日…。どんなことになるのやら。


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2005年03月28日(月) 00時14分17秒

キャンプ♪

テーマ:ブログ
教会ではキャンプと言うものを時々行います。先日は教会単独でしたが今回は教区です。…で今、そのキャンプにスタッフとして参加しています。

今日のプログラムは全部終了して今はみんな自由時間てす。スタッフは体力に応じて付き合ってますが、この調子で今日から2泊3日…

果たしてスタッフの体力が尽きるか、参加者が力尽きるか…

勝負ですね(^^;)
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2005年03月27日(日) 21時55分13秒

イースターおめでとうございます。

テーマ:ブログ
この写真、何だと思います?

今日は、教会は、キリストの復活を祝うイースターです。教会では、たまごを配る場合が多いです。卵は新しい命…復活の象徴として、扱われてます。

豪華な装飾を施した、ロマノフ王朝のイースターエッグは有名ですが、教会では、食紅で色を付けたり、シールを貼ったりするのが一般的です。また、キリスト教書などの専門店では、卵に巻き付けてお湯に浸けるとピッタリと卵にくっつく、エッグアートなるものもあります。

さて、私たちの教会でも日曜日に配る卵を土曜日に茹でていました。

土曜日の教会は来客が多いので、そのうち茹でていることを忘れてしまったようです。そのうち、教会の建物が、異常に卵臭いことに気が付きました。その時までには、こってり小一時間茹でてしまっていました。

お湯があったのは、幸い。でも、殻に亀裂が入っていた卵はとんでもないことになりました。それが、この写真です。

なんとも、微妙な形です。なんか、聖母子像みたいにも見えます。

といっても、今はもうありません。私の胃袋の中です。残念でした。

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2005年03月26日(土) 13時04分23秒

卒業式とえば

テーマ:トラックバックステーション
代表「さわやかな、春の日差しに誘われて、道ばたに顔を出した小さ   な蕗の薹は新しい門出の道しるべ。今日は、僕たち、私たちの   卒業式」

一同「卒業式」

なあんてのが小学校の卒業式でした。
代表が一人ずつ色んな思い出を言って、節々に全員で声を揃えるパターン、皆様方もご記憶にあるかも知れません。

今思い出すと笑える思い出ですが、ハタと気が付きました。私たちの礼拝では、交読文というものがありますが、これはほとんどこんな感じ(^^;

中学校ではどうだったのかといえば、私は公立中学校に在校していたのですが、私の母校では、在校生が全員合唱で卒業生を送ることになっていました。


その曲はなんとヘンデルの「ハレルヤ・コーラス」でした。


練習は、1月から音楽の授業で行われました。楽譜を読めない人もいますし、大体にしてやる気もないやつまでいるわけで、在校生およそ350人にハレルヤを歌わせるなんて至難の業です。

そんなことをたった2ヶ月弱でやってのける事が出来るのですから、学校教育恐るべしです。

同級生には、寺の住職の息子までいましたが…。なんか、結構、平和に…彼はバスパートを歌ってたかなぁ。

ハレルヤコーラスは、大作曲家ヘンデルが書いたオラトリオの傑作メサイアの最後の方の曲。イエスの復活に出会い、改心した人々が神の国の到来を賛美するのがハレルヤコーラスです。

多分、古くはミッション校などで、卒業式と同時期にあるイースターを意識してハレルヤコーラスを卒業式に取り入れたのではないかと思います。そしてまた、その様な学校を卒業して公立学校の先生となった人たちが、何の疑いもなく自分の経験からハレルヤコーラスを卒業式に取り入れていったのでしょう。

案の定、次の年からは、「信教の自由に鑑みて好ましくない」というクレームがどこからか寄せられたようで、ハレルヤは取り止めと相成りました。で、2年生の時から使われ始めた曲がグローリア…。

誰が作った曲なのか思い出せませんが、「♪神の宮に額ずき、祈りをささぐ、さかえあれ、よろずよまで」なんて、歌詞こそが日本語にはなりましたが、根本的には変わってませんよね。どっちもキリスト教の背景バッチリです(^^;次の年には卒業してしまいましたから、その後はどうなったのかわかりませんが…。

でも、これは、あくまでも私の感想ですが、あの時に曲がりなりにもハレルヤコーラスという大きな合唱を体験できたことは、素晴らしかったと思います。350名余りでの大合唱なんて、大人になった今、やりたいったってなかなか出来ないじゃないですか。

未だにハレルヤは耳にすると歌うことが出来ます。合唱団のコンサートなどでハレルヤコーラスを聞くとき、ちょっと周りを見回すと、観客席でも句千都さんでいる人たちが結構います。この人達も、そう言う卒業式を味わった人なのかなと思ったりもします。

芸術って、宗教性を帯びているものだと思います。名画にしろ、音楽にしろ中世までの西洋芸術にはキリスト教的な影響が色濃くあります。芸術を鑑賞するとき、その様な背景を排斥してしまったら、何のおもしろさがあるのだろうって思ってしまいます。

数年前、アフガニスタンでタリバンという組織がシルクロード時代の仏教遺跡を破壊して、世界中から非難を浴びたことがありました。

そう言うものを見ることに、歌うことに、演奏することに、聞くことに信仰的な苦痛を感じるのであれば、仕方がないかも知れません。それを拒否することは信仰の自由において保証されなければいけません。でも、そうだからといって、そのもの自体を消し去ってしまうことは、間違った自由だと思います。

理解し合い、認め合い、尊敬し合って、相手を受け入れていくこと…。これは、私たち庶民一人一人にあって、本当にどんなときにも大切なことではないかと思います。

そして、これこそ、新しい道に進み始める卒業生の皆さんに送りたい言葉でもあります。

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2005年03月25日(金) 17時20分00秒

知的財産権

テーマ:ブログ
知的財産…今、すごい勢いで主張されているものの一つです。他の方のブログなどを見ていると、キャラクターなどの写真を使用してたりして…これって大丈夫かな?と思うものも多々あります。

さて、この知的財産権…著作権などもその一つですが、作者の権利を守るものであることは確かですが、実は、厳密に運用しようとするととてつもなくやっかいなものです。私たちは見逃している場合が多いのですが、結構深刻な場合もあります。

教会で働いているものですから、教会のことについてはだいぶ考えさせられます。毎日曜日の礼拝の説教などは、テープに録って保存されていますが、厳密に考えれば、この著作権は誰のものになるのかといった問題が出てきます。

大した説教ではないので、気にすることもないのかも知れませんが、教会が給与を払っている以上著作権は教会のものになるのか、それとも、私個人に帰属するのか…。ちょっと考え始めると、大問題です。

もし、何かの間違いで私の説教がとんでもない売れ行きになったとしたら、その利権を教会と私の家族が争うなんてことも考えられなくもありません。まあ、そんなことあり得ないわけですが…。

ところで、プロテスタント教会では、聖書と讃美歌というものが礼拝には不可欠になります。ところが、この二つには著作権が絡んでいます。聖書には、翻訳者の著作権が、そして讃美歌には、作曲と作詞(または歌詞の翻訳)に著作権が認められなければなりません。

数年前、教団で出版している讃美歌の改訂が行われました。それに伴い、著作権の再確認されたのですが、そこでは教会で使うためであってもコピーを配布する場合には許可を求めなければいけないというようなことが言われました。

一つ思考実験をしましょう。私が説教をします。この説教に私が著作権を主張することは、あまり異論が出ないものと思います。更に考えを進めます。私が説教前、説教後にする「お祈り」はどうでしょうか?そこには著作権を主張することが出来るでしょうか?なかなか難しいことになってきました。

また、ロゴマークとして使うものは、どうでしょう。?例えば「赤十字」は、病院を表すマークのような気がしますが実際には、その使用は国際法によっても国内法によっても厳しく制限されています。しかし、この「赤十字」の場合、知的財産と言うよりは 「戦場において差別なく負傷者に救護を与えたいという願いから生まれ、あらゆる状況下において人間の苦痛を予防し軽減すること」 を行おうとする赤十字の活動と権利を保証するためのものだという思想に基づいています。

十字といえば、教会の十字架はどうでしょうか?アクセサリーなどでは十字架はとても人気のあるデザインの一つです。でも、これがイスラム世界に行きますと、憎しみの対象になる場合もあります。ですからイスラム世界では赤十字社に変わる組織として「赤い三日月」をマークを用いた赤新月社が活動しているほどです。マークは白地に赤色の三日月を用いていて、このマークも赤十字と全く同様に取り扱われています。

カトリックの方々にとっては、ロザリオはとても大切なものです。そしてまた、十字架は教会を示すシンボルとして、各教会現在ではどこでも認知されているものですが、でも、その一方で何の保護もされていません。まあ、そんなことをすれば、混乱も必至ですから、教会にもそのつもりがないといえば無いのですが…。でも、それは、キリスト教会の善意の上に成り立っていることは、ご理解いただけたらと思います。

十字架の意味が、そして十字架に対する信徒達の痛みが失われないように、何とか皆様方の善意で保護していただけたら幸いかなあ、なんて思います。

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2005年03月24日(木) 23時07分29秒

今日は何の日?

テーマ:ブログ
教会では、「最後の晩餐」を記念する日です。

教会では、大きく扱われる三つの聖日があります。有名なクリスマス(生誕祭)。そしてイースター、ペンテコステの三つがそれです。クリスマスが12月25日であることは皆さんご存じの通りです。しかし、イースター(復活祭)、ペンテコステ(五旬祭)については、決まった日がありません。実は、この二つの聖日は、移動聖日とも呼ばれるものです。

イースターは「春分の日の次の最初の満月の次の日曜日」と決められています。そしてペンテコステは、そこから50日目の日曜日と決められています。どうしてこんな事になったのかというと、これは、ユダヤの暦が太陰暦を用いていたことに起因します。過越祭(ユダヤ暦で言うところの「ニサンの月の14日が土曜日)というお祭りがユダヤにはありますが、これと密接に関連しているために、太陰暦を太陽暦に換算してイースターの日付を設定することになったのです。

欧米では「13日の金曜日」が不吉な日であるとされたり、13という数自体が不吉な数字であるとされますが、これは、イエスが死んだ日が、ユダヤ暦で言うところの「ニサンの月の13日、金曜日」であることから派生したものです。

さて、イエスの十字架までの道のりは、パッションという映画で克明に再現されましたのでご存じの方も多いと思いますが、逮捕される直前、弟子達と共に夕食を食べ、弟子達の足を洗ったと聖書には記されています。これが「最後の晩餐」です。その後逮捕され、翌金曜日、死刑の判決を受け即日処刑されるのです。その日を一日目として三日目の日曜日がイエスの復活が明らかになった日です。

実は今年のイースターは3月27日なのです。ということは、逆算すると今日は「最後の晩餐」をした記念日ということになります。教会では、イエスが食事後に弟子達の足を洗った事を記念して「洗足木曜日」と呼びます。

師匠としたっていたイエスに足を洗われた弟子達はどんな心持ちだったのか、また、十字架の死を目前にした「神の一人子イエス」はどのような思いで、弟子達の足を洗ったのか…。そんなことに思いを巡らす日なのです。

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2005年03月23日(水) 21時54分20秒

教育実習で その4

テーマ:学校の先生として
さてはて、聖書の構造を少し勉強して、「これでいける!」などと有頂天になりましたが、実際には問題が生じてきました。

現在、書店などで簡単に手に入る聖書のほとんどは、七十人訳聖書 と呼ばれるものが原型になります。無論、キリスト教で使っている聖書もこれを原型にしています。そうすると、収録されている本の順番が問題になってきます。「トーラー・ナイビーム・ケトゥビーム」という順番になんかなっていなかったわけです。

TG様にもご指摘ただ来ましたが、もともと旧約聖書は、長い歴史の中で書きつづられた書物を少しずつ加えながら、聖典となっていったので、ある日ある時39冊が突然書かれて、それが一括で聖典になったわけでもありません。更に、順番にしても、色んな思想や必要性から順番も現在日本で私たちが読んでいる聖書とは違うものもあります。さて、弱りました。…ということで、もう一度聖書の構成の分析からやり直しになってしまいました。

もう一度、旧約聖書に収録されている順番を調べてみることにすると、ある程度、歴史的を追いかけていることに気が付きました。なるほど、そっか、信仰の歴史と捉えて授業を進めてみればどうだろう?と考え始めました。

イスラエル民族の成立に関わる過去の部分…これが、律法にも関わってきます。世界最初の人間として登場するアダムとエバの話、カインとアベルの話、ノアの方舟の話、イスラエル民族の祖アブラハムの話などが収録されている創世記などもこの中に入ります。

余談になりますが「イスラエル民族」と言う言葉は、人種を指す言葉ではありません。イスラエル民族の祖と言われるアブラハムはメソポタミア地方で生まれ、現在のパレスティナ地方まで神の導きによって流れ着いた人で、その時に神と契約を結んだことから、一つの宗教をもつ民族として自立したものです。ですから、ユダヤ人とか、イスラエル人と言う言葉は、人種を指すわけではありません。

つまり、どのように神と契約を結び歩んできたのかを示すのが、聖書の初めの部分になります。そこには、神に従う民族としての義務や取り決めなど(これを律法と呼びます)が詳細に示されています。

その次に来るのが、国を造るまでと国を持ってから、その国が分裂したり、滅びたりという歴史を書いた部分が来ます。その歴史にどのように神はイスラエル民族に関わったのかという視点で書かれています。二代目王ダビデ、三代目ソロモン王の名前は有名です。

その次に来るのが、知恵書と呼ばれるもの。これはジャンルがごちゃ混ぜです。神への讃美の詩である詩編、教訓書として扱われる箴言、教えると、男子生徒がニヤニヤする雅歌、信仰問題の思考実験的な文書ヨブ記 や、コヘレトの言葉 などがあります。

三つ目のグループが預言の書。王国が造られる前後から滅ぼされるというイスラエルの歴史の中で、神は預言者を通じて何を訴えたのかということが、書かれているものです。さらに、イスラエル人に対して与えられる未来の希望などがなどが書かれています。

さて、こういう順番を追っかけてみると次のようなことが言えるのではないかと思う世になりました。

1)イスラエル成立…神の約束が与えられる

2)歴史…その約束に従い得たとき、従い得なかったときの記録

3)現在信仰している問題…神への讃美や、信仰の世界観、約束の通りに生きていても報われなかったりすることに対する考察。

4)そんなイスラエルに与えられる預言…預言者を通して語られる神からの叱責や希望。

そしてオプションとして、キリスト教では、その希望を引き継ぐものとして新約聖書に結びついていくという風な流れです。

さて、やっとここまで辿り着きました。これを、どのように生徒の現実と結びつけていけばいいのか。まだまだ、問題は山ほどありました。

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2005年03月22日(火) 21時41分45秒

地震

テーマ:ブログ
九州沖地震に被災された方々には、お見舞い申し上げます。

「福岡沖で地震が発生しました」この一方を受けたのは、20日1時30分頃でした。礼拝が終わり、会議の会場まで行って携帯を見たらそのニュースが入っていました。

ここ数年、大地震が日本各地で頻発しています。奇妙な事件も続いています。訳のわからない人殺し、育児放棄、昔は悪いことの代名詞だった不倫でさえ明るいイメージの中です。どうしてなんだろう、なんでなんだろうと不安になるときがあります。この世の終わりが近づいているんじゃないいかと…。

新約聖書の中には、世の終わりを連想させる記事があちこちにあります。中でも有名なものに「ハルマゲドン」という言葉があります。オウム真理教では最終戦争という、有名な言葉となりました。先日読んだ漫画ではこれに「聖書級大崩壊」とルビを当てているものがありましたが、これは、完全に間違いです。ハルマゲドンは実在の古戦場を示す地名です。「 汚れた霊どもは、ヘブライ語で「ハルマゲドン」と呼ばれる所に、王たちを集めた。」(新約聖書:ヨハネの黙示録16章16節)とある通りです。どうも、ここから「ハルマゲドン」→「最終戦争」→「世界の最後」というように派生して、この様な理解になったのではないかと思います。

現在、比較的近い状況にあると思われる聖書の記述は以下のようなものでしょうか。

イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。
しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」(マタイによる福音書24章2~14節)

しかし、安直に読むべきではありません。ここで、大切なことは「最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」という言葉です。いろいろな私たちにとっては受け入れられない物事を私たちが体験するとき、私たちは、それから逃れる事で、手が一杯になります。堪え忍ぶなんてとんでもないと思い、そこから逃れ出るためのあらゆる方策を講じようとします。

そして、カルトと呼ばれるものが、流行る状況はこの様な中から生まれるのです。「お金を出せばこの様な状況から逃れられる」とか「○○をすればこの様な状況から救われる」という言葉を聞くとその様にしなければいけないような思いになるかも知れません。でも、こんな言葉が収録されている聖書と2000年弱付き合ってきたキリスト教では、そんなことを勧めてはいません。

この2000年の間にも天災が相次ぎ、戦争は耐えることはありませんでした。環境は破壊され、人の心まで荒んだ時代もありました。その時代時代にあって、「世界が滅びる」と大騒ぎになりながらの歴史が、私たちの歴史です。それを誰かの力で何とかしようと出来るわけはないですし、誰かに何とかしてもらおうと言うこと自体が虫の良い話ではないです。

本当は、「最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」なのです。様々な災害、様々な困難に「最後まで耐え忍ぶ」ことは不可能にも近い事柄かも知れません。だからこそ、支え合い、助け合うことが必要なのです。一人では到底たどり着けないかも知れませんが、全ての人が手を取り合うこと…これはいつの世にあっても、どんな世界であっても、大切なことなのではないでしょうか。そして、このような姿こそが、私たちの教会にあっては、神の望んでいる姿であると考えています。

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2005年03月21日(月) 18時21分53秒

帰って参りました。

テーマ:ブログ
昨日、今日と卒業旅行に行って参りました。
いやはや、子供達の元気なこと…。

今年は、受け入れて下さった教会の子供達も入れ替わり立ち替わり参加してくれたので、うちの子供達も楽しかった様…。近所の織物参考館を案内して下さったり、トーンチャイム(ハンドベルみたいな楽器)をみんなで演奏させて頂いたりもしたそうです。お陰ですっかり仲良しです。

昨日は、私は午後から会議で、子供達と合流したのは夜10時を回っていました。私が言ったときには、「肝試しをするんだ」とか大騒ぎでした。(^^;特に消灯などは設けずに寝ている人の迷惑にならなければ起きていても良いという事にしておりますが、1時過ぎには静かになったようです。

朝は、以外にも起床時間の7時には、ぱっと目覚めておりました。朝ご飯を作り、礼拝をして、それから遠足です。カトリック修道院に行って、それから遊園地に行くというスケジュール…。

私たちが行ったカトリック修道院には、「十字架の道行(みちゆき)」という見学コースがあります。以前、パッションという映画が話題になりました。イエスが捉えられ、十字架上で処刑されるまでを再現した映画だそうですが、この修道院には、その過程を15の場面に分け、石像にして再現してあります。広い庭のあちこちにその石像が置いてあり、コースを巡ることによって順番にどういう事が起こったかがわかるようになっているわけです。

その後、聖堂を見せて頂くことになりまして、見学させて頂きました。プロテスタント教会の礼拝堂とカトリック教会の聖堂とは違うところもたくさんあります。まず、正面の十字架…。プロテスタント教会では、ただの十字架なのに対し、カトリック教会の十字架には、イエス像が掛かっています。また、聖堂の壁には、先ほど「十字架の道行」で見学したシーンの絵が掛けられています。

そんなことを説明していたら、神父が通りかかりました。突然の訪問客に少し驚かれた様子でしたが、事情をお話し致しますと喜んで下さいました。「同じ神を信じているんですから、お互い、支え合いましょう」と子供達にメッセージを下さいました。いつもはにぎやかな子供達ですが、この時ばかりは緊張したようでした。

さて、見学を終え、午後はお待ちかねの遊園地です。幸い天候も良かったので、子供達は大喜び。田舎の市営の小さな遊園地ですから、乗り物も15種類…そのうち小学生の上級生がのって喜ぶものは、数種類しかありません。一回100円のという料金も良心的(^^)。

全部の乗り物を制覇すると意気込む子もいれば、一番過激な「バイキング」を5回も乗る子までいました。となりには動物園もあり、延々3時間遊びました。帰る頃にはさすがの子供達もぐったりです。アイスクリームを食べさせた途端に、また元気いっぱいになりましたが(^^;

子供達を送り、スタッフが解散したのは、4時前でした。皆さん、自費参加でこの卒業旅行を支えて下さいました。本当に色んな方々に支えられ行われたこの卒業旅行…。小さい出会い、小さい発見、小さい喜びだったかも知れません。でも、その一つ一つが子供達のこれからの歩みに役立てられれば、これ以上の喜びはありません。

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