ジオターゲティング

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2017年03月03日(金) 11時56分32秒

ガバナンスとコンプライアンスと

テーマ:ブログ

組織は、定期的にトップを入れ替えなければ、窒息します。だから、アメリカの大統領だって2期8年の任期を終えれば何歳であっても年金生活者にならざるを得ないのです。

 

「あの人以外の誰にトップを任せられる?」

 

そういう言葉をよく耳にするけど、本当は誰でもできるようにしなければならないのが組織のガバナンスとコンプライアンスを構築ということです。

 

「あの人」以外にできる人がいないのであれば、その組織は、その組織の構成員が無責任に「任せる」という状態に陥り、他律主義の自動思考に陥っているということを意味します。

 

その中で「(任された)あの人」は組織を維持するために、その責任に応えるために冷徹に振る舞い続けなければなり、一方で、自分を無条件に受け入れてくれる人を渇望するようになります。

 

結果は4年ほどで誰でも独裁者になってしまうでしょう。

 

でも、それで痛い目に遭ってしまったとしても、一度他律主義の自動思考に陥ってしまった人たちは、自分の立ち位置と価値を認識することはとても難しいのです。結果的に、新たに独裁者を求め、育成してしまいます。

 

今、その必要を認知され、構築を求められるガバナンスもコンプライアンスも、それぞれが自身の立ち位置を熟知し、その立ち位置でそれぞれが最高のパフォーマンスを提供するために必要な仕組みなのです。

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2017年02月07日(火) 18時33分29秒

時代だなあ。

テーマ:ブログ
先日、ままごとコーナーの園児の仕草が目に付きました。

赤ちゃん役の年少子を年長児が、寝かしつける素振りで添い寝をしていました。右手でトントンしながら、左手には、紙で作ったスマートフォン。

時代だなあ。

「だから保育所は頑張らなきゃ」と思う出来事。
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2017年02月04日(土) 15時39分19秒

自らをひっぱたきたい…学び続ける理由

テーマ:ブログ

「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」という文章を読みました。衝撃的な文章でした。


この文章を書いたフリーライターの赤木智弘さんは、「平和な現代」が「流動性」を欠いたものであって、「社会の格差」を「大きく、かつ揺るぎないもの」にしている時代であるととらえています。そして、その解決策として彼は、「極めて単純な話、日本が軍国化し、戦争が起き、たくさんの人が死ねば、日本は流動化する」と論を進めていきます。

 

そして、

 

「国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。

 持つ者は戦争によってそれを失うことにおびえを抱くが、持たざる者は戦争によって何かを得ることを望む。持つ者と持たざる者がハッキリと分かれ、そこに流動性が存在しない格差社会においては、もはや戦争はタブーではない。それどころか、反戦平和というスローガンこそが、我々を一生貧困の中に押しとどめる『持つ者』の傲慢であると受け止められるのである。」

 

と語ります。

 

タイトルは軍国主義の日本を批判した社会学者であり東京大学卒の丸山眞男が、二等兵という軍隊では最も低い階級で徴兵され、当時の中学校も出ていない上級兵にいじめられたという戦中の話に由来したもので、赤木さんは「一方的にイジメ抜かれる私たちにとっての戦争とは、現状をひっくり返して、『丸山眞男』の横っ面をひっぱたける立場にたてるかもしれないという、まさに希望の光」と彼は言います。それは、復讐とも呼べるものなのでしょう。

 

私たちは、この文章に対してどう答えるべきなのでしょうか。「言っていることは分かる気がするけど、何かが違う」と思うのは私だけでしょうか。

 

彼はこの文章の中で「窮状から脱し、社会的な地位を得て、家族を養い、一人前の人間としての尊厳を得られる可能性のある社会を求めているのだ。それはとても現実的な、そして人間として当然の欲求だろう」と語ります。それはその通りでしょう。

 

しかし、私には、それを得るための手法論が間違えていると思えてなりません。つまり、その根底にある思想には「愛」という概念が決定的に欠けていることに注目したいと思うのです。「窮状を脱する」ためには、誰かからの愛される必要があるでしょうし、「社会的な地位を得る」にも、「家族を養う」にも周囲の人を愛する必要がありますが、彼の文章には、全く愛の存在が感じ取れません。「迷惑をかけも、かけられたくもない」というのが彼の意味する「尊厳」なのではないかと思えてなりませんが、それは孤立でしかありません。

 

尊厳とは自らが尊いと思うものを、自身の全存在をかけて護り、育て続けることであり、愛そのものだからです。家族然り、仕事然り、地位然りです。故に私たちはいかに「平和な時代」なのだと言われても愛し、愛される者として学び続けざるを得ないですし、その結果「社会の流動性」は担保され続け、私たちはその中で愛し、愛される者としての尊厳を担保されるのです。だから私たちは、経済ではなく、自分自身を成長させ続ける必要に目を逸らせないのです。

 

愛の中に身を置き、多くの人々と交わることは、私たちの生涯を通じて絶えず問いかけられ続ける課題なのですから。

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2017年01月01日(日) 00時00分00秒

人生の転機に向かって

テーマ:説教

調べてみると、1月1日が日曜日になるのは直近では、1989年、1995年、2006年、2012年だそうです。1989年は、私が高校を卒業した年、1995年は最初の教会に伝道師として赴任した年。2006年は息子が生まれ、2012年は保育支援事業を始めた年でした。今年2017年は社会福祉制度改革が行われる年であり、福祉のあり方が大幅に変わるであろうことが言われています。こんなふうに考えてみるとなんか特別な人生のように思えてきますが、でも、人生というのは、転機の連続です。望んだもの、望まなかったものをひっくるめて私という人間を導いていきます。無論、忘れてしまいたい経験も含めて、私という人間を形作ったものは、もはや忘却の彼方にその大半が押しやられているでしょう。

 

「あけましておめでとうございます」という挨拶の後には「今年もよろしくお願いします」という挨拶がつけられるのが、定番になっています。何をよろしくとするのかと考えてみれば、それは、逆にこれから起こるであろう転機に対して、お世話になるであろうことを予測しての話だろうと思うのです。正月を無事に迎えても、その一年が自分の最後の年になるかもしれない…私たちの人生は、そういう風に儚いものでしかありません。

 

何をするにしても誰かは喜び、誰かは傷つくのが人生ということができるでしょう。これからも私たちは、できれば可能な限り最小の迷惑と、可能な限り最大のお役立ちを目指して歩んでいくものであり続けるしかないのでしょう。

 

新しい一年という括りをみるときに、私たちは、その年に希望を抱きます。しかし、その希望を抱けない人々が大勢いることを忘れることは許されません。ある人は、死に至る病の宣告を受けるでしょう。生きる望みを奪われている人もいるでしょう。毎日が不安の中にいる人もいるのです。年齢を重ねる毎に忍び寄る死に向かって、私たちは生き続けるのです。

 

「もういくつ寝るとお正月」と正月を楽しみにする子供達を見ると、大人が生きるということは、彼らに希望を示し続けることなのだろうと思うのです。子供の姿は昔から変わりません。遊ぶ道具が電子化されようとも、家族が縮小しようとも、面倒を見る人が変わろうとも、子供は子供の夢を見ます。しかし、その一方で、大人は本当に子供達の夢や希望に向き合っているかととわれればお恥ずかしい現実であったと思わされます。「子供は黙っていなさい」、「言われたことをしていれば良い」とそのように振舞っていたのではないでしょうか。

 

大人はいつの間にか、子供の希望や転機を奪って消費していく世の中になってきたように思います。

 

「お金がないなら子供を産むな」とか「面倒を見られないなら子供を産むな」とか言われる昨今、子供達は保育所や学童クラブなどに押し込められ、しかし、自分たちの転機を探し、待っています。そんな彼らに私たちができることは、精一杯彼らを尊重することです。共に生きる相手として、祝福し続けることでしょう。そして、それは私たちに帰ってくるのです。

 

子供達に「あけましておめでとう。今年もよろしくね」と私たちはどのような想いを込めて言うのか考えてみればわかるでしょう。彼らは私たちをいつも見ているます。そして私たちを求め続けるのです。彼らに恥じない歩みを進めていきましょう。

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2016年12月04日(日) 09時02分13秒

当たり前にはありがとう

テーマ:説教

 当たり前が当たり前じゃなくなると、私たちはとても大きな混乱に陥ることは衆知の通りですが、当たり前って当たり前じゃ無いんだということを最近、しみじみと感じております。当たり前は、長い間をかけて形作られるものです。そして、その長い間には、多くの人たちの途方もない努力が存在しています。無論、その当たり前を維持するためにも多くの人たちが人知れず努力を重ねています。そんな人たちの事を私たちは知る由もありません。少しだけ垣間見ることができるとすれば、それはお金の動きということになるかも知れません。

 

 「当たり前」の語源を調べると「当然の当て字で当前となった」という説と「一人当たりの分け前のこと」という説があるそうで、どちらにしても「当然=まさにそうするべし(本当にそうあるべき)」という単語と重なったのであろうと思います。微妙なニュアンスで考えれば「当然」は与える方で「当り前」は受ける方という感じで広まったようですね。そう考えれば、今私たちが言う「当り前」は、受ける方としての自覚が強く働いていると言うことが言えます。しかし、その一方で私たちはお互いに授受を繰り返す社会の一員であるわけですから、与える方にも目を向けなければいけません。平和は当り前が狂う中で崩れていきます。お金の動きは、それを如実に示しています。

 

 デフレと言われ久しい昨今ですが、デフレとは「デフレーション」の略で、経済の解説では「簡単に言えば物やサービスの値段が下がっていくこと」です。でも、心理的には逆で「お金の価値が上がっていくこと」であろうと思います。何としてもお金を掻き集めようとして、安売り合戦が始まりますし、その結果、将来の需要までも食いつぶしてしまいます。その一方で、多くの人々は将来への不安や備えからお金を溜め込み始めます。

 

 たとえ一千万円の貯金があったとしても来年クビになるかも知れないと思えばお金を使うことなんてできないわけですから、なるべく倹約して少しでもお金を蓄えようと必死になるでしょう。つまり「世の中は金が全て」と多くの人が思い始めるとデフレは起こります。当たり前は崩れ去り、その崩れたところに人々は殺到します。

 

 こうなってくると当たり前は当たり前として機能しなくなります。当たり前が当たり前ではなくなりますので、分かりやすい金銭の授受に人々の関心はさらに集中していきます。当たり前は当たり前では無いので、色々なことにお金が必要になってきます。そして「お金が無ければいきていけない」ということが当たり前だということになると更にデフレは進行していきます。

 

 当り前とは、私たちが黙々と重ねる努力ということができます。私たちそれぞれが当り前のことを常に意識しつつ、互いに感謝を持って生きていくことによって日本が日本であり続けられるのです。

 

 「ありがとうございます」と笑顔で言うと、相手は笑いながら「いえいえ、当然のことをしたまでですよ」と答える、こんなやりとりが実は世界を支えていたのです。ヨセフとマリアを馬小屋に泊めた宿屋だってこう言ったでしょう。「ありがとう」と言う感謝の言葉はその「当たり前」と言う行為が、多くの人々の努力によって成り立っていることを忘れないための呪文のようにも思えてきます。皆様のお働きに主の祝福がありますように祈っています。

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2016年11月13日(日) 09時22分30秒

「生き残る」ではなく「生きる」

テーマ:説教

最近、様々な現場で「どう生き残るべきか」なんて言葉を耳にします。自然に考えれば「生き残」れなければ、死ぬしかないという事になりますが、なぜ、そんなに生きることが難しいのだろうと不思議に思ってしまいます。もはや世の中はそんな生存競争をしなければならないほど一人一人が追い詰められているのでしょうか?

 

確かに、私たちは世界の激しい変革に晒されていると感じる場面は多くなりました。求められる事が増大し、それに追いつくのに必死である事は否定できません。でも、その変革そのものは、私たちが望んでいる事であったはずです。

 

私たちには、得手不得手があります。そしてそれが私たちの個性であると考えて今まで歩んできました。しかし、その一方で、その得手が通用しない時代の入り口に立っている様な不安を抱いているのが現実だという事が出来るのでしょう。

 

結果として、自分の取り分を守りたいという過剰な反応が出てきます。「ウチよりあっちがひどい」と互いに互いを貶め合う事しかできなくなります。更に言えば、「何もしない事が何よりも大切」だと思い込んでしまう場合だって出てくるわけです。そうなってしまえば、自分の全てが秘密の対象になってしまいます。出来ること、出来ないことを混ぜこぜにして全てに沈黙をしてしまわざるを得ないでしょう。目立たない、やらない方が意味のある時代に向かっています。制度が複雑化すれば、理念や希望といったものは忘れ去られてしまうでしょうし、これまで蓄積した常識などが通用しなくなるのですから「やらない方」を選びたくなるのは人情です。しかし、だからこそ、そこからの選択が大切なのです。複雑化したり陳腐化した制度を前に、「どうやって生き残るか」と問う人の多くは、そもそも、現状にさえ、他者の存在に対してさえ、満足していない事が多い様に思います。

 

「もっと良い世界に!」と他者に望む一方で、自分には変わる余地がないと堅く信じている人たちを多く見受けます。「生き残り」を求める人たちの多くが、実は自分の現状を変えたくないと思っていたりするのです。ですから「生き残らなきゃ!」と考え始めると、他人のことは構ってられなくなります。強がり、突き放し、迷惑をかけること、かけられることが苦痛になります。生きることは迷惑をかけたりかけられたりすることそのものなのにです。

 

迷惑をかけない、かけられたくないという思いは、私たちに、他に出し抜かれる事を恐れを抱かせ、その結果私たちは他を出し抜く事しか考えられなくなってしまうのです。他人の善意さえ悪意と捉えざるを得なくなります。

 

でも本当は、猜疑心が諸悪の根源である事は歴史によって証明されています。その事は人間社会が始まって以来繰り返され続けた大きな過ちなのに、猜疑心に支配された結果、多くの人を巻き込んだ自滅に行き着いてもなお、自分は被害者であると思い込ませられ続けます。

 

こんな現在に立つ私たちがやならければいけない事は、理念や希望、夢を語り合う事です。「これから失うだろうもの」に目を向けるのではなく、「これまでに失ってきたもの」に目を向けるべきなのです。失ってきたもの…それは、「生きることの喜び」です。「生きることの喜びと」は、他者と交わり支え、支えられて歩むことだったはずなのですから。

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2016年10月21日(金) 10時20分59秒

リーダーというもの

テーマ:ブログ

資本主義的な経営を考えていくと、結局、どこかで、最終的には世代交代を考える必要が出てきます。

 

資本主義社会では、リーダーの入れ替えが行われないと組織は窒息してしまいます。プロスポーツなどの監督がその良い例ですね。その組織とのマッチングが完璧であれば、急に勝ちが続き始めます。それは、その組織が足りない何かをキチンと埋めることができたからです。しかし、対抗するチームも同様な状況で、突然化けるでしょう。

 

だから、連勝を続けていたと思っても、ある日ある時から全く勝てなくなってしまいます。直近では、なでしこジャパンが「世界トップからの転落」を経験しました。求められる組織のスキルアップに対し、リーダーの実力は無制限にアップし続けることができません。また、その手法のメリットは時を経るとともに希釈されていきます。

 

ボロ負けを体験してからリーダーを入れ替えるか、それとも頃合いを見計らってリーダーを入れ替えるのか。後者の方が良いのはわかっていても、それを実施するのは相当の勇気を誰かが振り絞らなければ、それは実現しません。

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2016年09月25日(日) 07時12分19秒

遊びの本質

テーマ:子供

できないことが多いと、走り回っているだけになってしまいます。勢いよく遊び回っているように見えて、それは遊びではなく、ストレス発散でしかなかったりします。じっくりと遊び込むことが苦手なだけなのです。

 

その子ができることがぴったりと当てはまった時、こんなに集中力が続くのかというくらい黙々と遊び込みます。それは、積み木であったり、ママゴトであったり、鬼ごっこであったり様々です。そして、満足して終わった時「ああ、面白かった」、「またやりたい」と言います。

 

一方で、ゲームは大人も子供も熱中できるように作られたものです。

 

しかし、一方で、終わりはいつも満足できません。「もう終わり?」とか「嫌だ、もっとやりたい」という不満しか出ません。結局「作られた楽しみ」は麻薬みたいなものでしかないのです。

 

できることが増えていく楽しみは、未来に希望をつなげていくのです。

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2016年09月11日(日) 21時35分42秒

ベールの内側…血抜きの儀式に迫る

テーマ:千葉家新報
お父さんが、久しぶりに血抜きの儀式に参加した、と発表した。
 
お父さんはこの儀式にもう、28年参加していると言う。
 
今回、本紙はお父さんに内部の潜入レポートを依頼した。この儀式に参加する人が増えてくれればとの返事と共に快諾を得た。
 
長年秘密のベールに覆い隠された儀式の全貌が伝えられるのは今回が初めてであると思われる。
 
======
私が年に1度は参加をしている密儀について今回90回目の参加を記念してレポートをいたします。
 
まず、この儀式を受けるためには神官のカウンセリングを受けなければいけません。カウンセリングでは神官に質問を受ける形で行われますが、私が最初の儀式の地が京都であるこ、また、直近ではアキバで行ったことまで言い当てられ、なんでもお見通しで驚きました。
 
更には、90回もこの儀式に参加していることも判明し、お褒めの言葉と、これからも頑張るように励ましのお言葉を頂き、感激しました。
 
いよいよ儀式に臨めば、白衣の巫女さんにいい血管してるから5分くらいで済みますね〜と褒められました。
 
儀式も無事終了し、お振る舞いにラップとティッシュ、ボールペン、お神酒の代わりに清涼飲料を頂きました。
 
抜かれた血が、お役に立ちます様にお祈りをして、神殿を後にしました。
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この問題に詳しいお母さんは、「この団体は、赤い十字架を掲げて儀式を行っており、世界中にその支部を置いて活動しています。穏健な団体ではありますが、最近ではこの様なイニシエーションにお父さんの様にのめり込む人も少なくありません。回数に裏付けられた懸賞システムなどによって、信者は知らないうちに競争意識が植え付けられてしまいます。まあ、人命を救うためにはやむをえないのかもしれませんがね。」と語った。
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2016年09月04日(日) 08時26分31秒

汝の隣人、汝の敵

テーマ:説教

 先日、藤崎で中学生が電車に飛び込み自殺したというニュースに触れました。ついに青森でもそういうニュースが出たことに大きな衝撃を覚えました。

 

 私は牧師であると同時に、児童福祉施設である保育所の所長です。こういう事件に出会うたびに、自分には一体何ができるのだろうかと考えている自分がいます。

 

 先日、ある若い女性が礼拝堂から出てくるところに鉢合わせました。手には以前卒園記念で送られていた聖書が握られていました。これは悩み事でもあるのかと思って声をかけますと、「実は園長先生を探しているのです」との答え。聞いてみれば、3代前の小池園長を訪ねてきたということでしたので、「先生は異動されました。今は私が牧師であり園長です」とお伝えしましたら、質問を受けたのが「汝の敵を愛せ」と書いてありますが、その意味がわかりませんということでした。この「汝の敵を愛せ」という言葉はキリスト教の教義を示す時によく使われる者でもありますが、一方で、私も、牧師としていろいろな出来事に遭遇する傍らで、「汝の敵を愛せ」とは一体どういうことなんだろうかと時々思いを巡らせます。

 

 マタイ5章43-45節では、「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」とあります。これを見る限り「愛する」というのは「心を向ける」とか、「思いを尽くす」という意味合いで使われていると思われます。もっと言えば「殺すな、生きさせよ」というメッセージだと思うのです。

 

 先ほど紹介した卒園生の女性の来訪は、私が「キリスト教保育とはなんだろう?」ということグルグルと考えていた矢先のことでした。

 

 彼女のことを覚えていたり担当したことのある保育士がほとんどだったので、保育所を案内しましたら「懐かしい!私のことを覚えてくれてた」とだんだん彼女の顔が明るくなってきました。その姿を見て、私が木造保育所というキリスト教保育実践の施設の所長として求められていることの意味は、「敵の子供でも受け入れよ」ということなのだと今更ながら思い知らされました。そして愛とは「最後の最後まで共にいること」というなのだなあと思いました。

 

「だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(マタイ5:47)

 

 完全とは、最初から最後までという時間的な概念も含まれるものでなければなりません。ある時は「受け入れてくれた」、ある時には「受け入れてくれなかった」と一期一憂するのではない、過去から未来を突き通す一本の芯が「敵を愛する愛」ということになるのだと思うのです。

 

 子供達は成長と共に、大人を挑発もします、裏切ります。そして、彼らは敵・味方で判断するようになっていきます。それでもなお「自分の子供の時を覚えてくれていて『お前が小ちゃい時には…』と言われると敵わない、そういう人」を彼らは成長と共に欲するようになっていきます。私たちだってそうじゃないですか。

 

懐かしい人を思い出してみましょう、会ってみましょう。

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