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「日本史のいわゆる「非常時」における「抵抗の精神」とは真理追求の精神、科学的精神に他ならない」野々村一雄(満鉄調査部員)


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日本の原爆製造は未完成に終わった…と大方の一般書籍等には書いてあったのでそう書いた。


参考;日米の原爆製造計画の概要
福井 崇時
名古屋大学大学院理学研究科
2007.2.21.  2007.3.7.追加修正
http://viva-ars.com/bunko/fukui/fukui-6a.pdf


上記の論文には保坂正康氏の記述は不正確であると書いてあるが、どこが不正確なのかは書いていない。


が、実は、技術的には引けを取らなかったようで、むしろ、進んでいたかもしれないような印象を抱かせたのが五島勉著「日本・原爆開発の真実」であった。


原爆製造というと仁科芳雄博士。

日本人の科学者は口を閉ざし、あまり自分の気持ちを表に出さない記述が多かったので、仁科博士はどんな人だろうと、想像するだけだったが、そんな博士の気持ちを垣間見る文章があった。


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仁科芳雄博士(1890~1951)


大河内正敏理研所長に依頼していた陸軍の問い合わせに、仁科芳雄は次のような返事をよこした。 十八年五月のことである。 鈴木辰三郎の話では、この返事は資料が残っていないので細部は不明だが、輪郭はいまでもあざやかに記憶しているという。


(一)ウラニウム235を一キログラム分離することで、火薬一万八千トンの爆発力をもつ爆弾はつくることができる。

(二)ウラニウム235の分離には、熱拡散方式がいい。

(三)技術的には原爆製造は可能である。


(「十九人の自称天皇‐昭和秘史の発掘」保阪正康著、悠思社、1992、340頁)



五島勉は、これを受けて自著「日本・原爆開発の真実」に「熱拡散方式」についての説明をした。


ウラン全体をガス化して筒に入れ、上に昇ってくる軽いガスだけ集める。これが235である。(同書、106~107頁)


この返事の意味するところは、


それは要するに、“アメリカとまるで違う日本独自の原爆”ということに尽きる。 つまりアメリカのように何万トンものウラン鉱を集め、何十億ドルもかけて大工場で大規模製錬しなくても、少しの原料と小さな製造所があれば作れる原爆。

何も六〇キロものウラン235を、重さ四トン半もの大爆弾に詰めて、B29でやっとこさ運んで落とさなくても、せいぜい何キロかの小爆弾に235を一キロだけ詰めて、ゼロ戦ででも運んで落とせる爆弾。

つまり、ものすごく高性能なのに、サイズも重さも超ミニの原爆。 その製造を仁科博士が目ざしていたことが、先の回答をよく読むとわかる。(同書、110頁)


いずれにせよ、その程度の小さな原爆なら、当時の日本の技術で十分作れる。しかもそれはミニとはいえ原爆だから、一発射ちこめば米軍の巨大基地を完全に破壊できる。 ただしウラン量から見て破壊はそこまで。 それ以上に破壊を拡大する意図は日本の科学者にはない。……(同書、114頁)


しかしその時アメリカは、すでに軍隊に対してでなく、日本本土の都市に対して大型爆弾を落とすことを決めていた。(同書、116頁)


という、五島勉の見方が書いてある。

これを読んで涙が出てきた。

これを読む限り、やみくもに原爆の研究をしてきたわけではなかった、と思ったからだ。

それとも五島勉のリップサービスだろうか?


他の本では、このような書き方はない。

しかし、五島勉の想像と仁科博士の意図とあわせれば、原発製造を遅らせてきたことの別の意味が見えてくる。

「できなかった」からではなく「したくなかった」のではなかろうか。


日本人物理学者の心情が保阪正康氏の著作にもわずかに掲載されている。


マンハッタン計画に携わった科学者たちも、昭和二十年秋には、日本にやって来た。 彼らは日本の原爆製造計画を探ろうと理研を訪ね、東大を訪ね、京大、阪大にもやって来た。


その中の若い科学者は、日本の物理学者をつかまえて、論戦を挑んできた。またある科学者は、ウラン235を分離するために、電磁分離法、遠心分離法などすべて試してみたと誇らしげにいった。が、ある大学で日本人物理学者と討論したアメリカ人物理学者は、日本の物理学の理論水準が高いことに気づき、


「それだけ知っていて、おまえの国ではどうしてアトミック・ボンプをつくれなかったのか」


と首をひねった。 「いやつくらないほうがよかったんだ」と、日本の物理学者のひとりは日本語でつぶやいていた。 原子爆弾の恐ろしさに気づいたとき、その製作者になることは人類の歴史に汚点として残るのではないかと考えるに至ったのである。

(「十九人の自称天皇‐昭和秘史の発掘」、387~388頁)


彦坂忠泰博士にしろ、仁科芳雄博士にしろ、日本人の知恵を最大限に振り絞って、与えられた時代に制約された中で原子力の可能性と自分なりの回答を出したのではないだろうか。


このことは、大量破壊兵器のみの製造を推し進めた外国科学者たちに対し、声を大にして言いたい。


ところが、そんなナイーブな日本人ばかりではない。


戦時中、日本で一日も早くその完成が待たれていた、マッチ箱一つの大きさで戦艦一つを沈めうるといわれていた新兵器は、今日でいう原子爆弾のことであった。 そして仁科芳雄博士の研究では、実験段階では既に完成していた。


しかし、その基礎理論が完結をみないでおり、理研内では研究員たちが手分けして研究にあたっていた。 それが一応のまとまりをみたとき、これを一つの学説として発表してはどうかという案も出たが、軍の機密に属することでもあり、早計に外部に洩らしてはならぬという仁科博士の意見で発表は厳禁されていた。 ところがそれを、当時理研にいた研究補助員の湯川秀樹が米国に売り渡したのである。 米国は終戦後、湯川の功績の論功行賞としてノーベル賞を授与させている。 日本の利益にはならず、米国のためになったことで褒美がもらえたのだ。 まさに国賊である。

(『ユダヤは日本に何をしたか』渡部悌治著、成甲書房、2003年、35~36頁)


いつの時代にも戦争を仕掛けてきたのはユダヤ・(シオニスト)・イルミナティ・フリーメイソンであると、もと国際政経学会の渡部悌治氏はこの本で訴えている。


武士は死して名を遺(のこ)し、虎は死して皮を残すというが、ひとり純正愛国陣営の徒のみは、名さえ残さぬのみか、汚名さえ着せられて逝く覚悟に徹さねばならぬ。 暗雲が漂うとも、決してクーデターを起こしたり、加わったりしてはならぬ。 それはわが国に内乱を起こさせて金融支配を狙うユダヤの計画によるものだからである。 日本人として、この生命をもって何に捧げようかを己に問え。

(『ユダヤは日本に何をしたか』、序として、12頁)


これは肝に銘じなければならない。■



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左から;

アルバート・アインシュタイン
湯川秀樹(京都大学)
ジョン・ホイーラ(米国の物理学者)
1954年プリンストンにて
http://manjitkumar.wordpress.com/2011/05/31/einstein-bohr-and-john-wheeler/

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