行政書士お~ちゃんの心学日記

心を磨けば、食うに困らず


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若かりし頃のフラれた日。

 

どういうわけか、いつも一緒にいる家族に有難味を感じた。

 

普段など、これっぽっちも有難味など感じたことのない自分がだ。

 

不思議な気分だった。

 

社会人の頃、仕事で失敗し、上司に怒鳴られ、凹んだ日。

 

何事もなく普段通りに接してくれている同僚や友人と過ごす時間にほっとした。

 

普段は、ごく普通に感じられていた時間が、心を穏やかにしてくれているようだった。

 

普段は思いもしないありがとうという気持ちが密かに湧いてきていた。

 

生きていれば様々なことが起きる。

 

傷つくこともあれば、落ち込むこともある。

 

嘆きたくなることも、悲しくてどうにもならない時もある。

 

僕はそんなとき、どういうわけか日常の中にある当たり前が、とても有難く感じられるのだ。

 

失恋や失敗といった負の経験が、目の前の人とのつながりを改めて認識させてくれるのかもしれない。

 

人と人とは、深いところでつながっていると言われる。

 

その深いところとは、悲しくもつらい経験がなければ、辿り着けない場所に思える。

 

失敗した苦み、失恋した孤独感、大切な人を失った喪失感、様々な後悔、罪悪感。

 

どれもこれも、自分だけが経験しているわけではない。

 

何を言うこともなく、誰もがそんな悲哀を胸に生きていく。

 

自分は独りではない。

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遺言や相続といった業務も行っているため、依頼人が亡くなられたという情報を耳にすることがある。

 

実は、つい最近も大変お世話になったご依頼人が、亡くなられた。

 

その依頼者とは、行政書士と依頼人という関係を超えてお付き合いをしていたつもりだった。

 

いつか、嫁と息子を連れて顔を出してみようとも考えていた。

 

しかし、いつかは、今やらなければ永久に来ないものなのだと思い知らされた。

 

もっとも、人間には、寿命があるのだから仕方がない。

 

しかし、もっともっと長生きしてもらいたかったのが本音だ。

 

出会いのきっかけは、業務の依頼であり、合理的でかつ自分にとって大切な経済活動の一環だった。

 

しかし、出会いとは、人を情で結びつけていくものだ。

 

合理的で、打算的に見える経済活動が、根底のところで人と人とのつながりを強くしていく面もある。

 

むしろ、人にとって最も大切なことを感じさせるものでなければ、本来の商行為、本来の経済活動ではないのかもしれない。

 

ファンをつくるとか、マーケティングがどうとか、ややもすると自己本位あるいは無味乾燥な言葉が、大切に思えてしまう風潮がある。

 

しかし、そうした考え方は、時として最も大切な何かが欠落した思考を生んでしまいかねない。

 

ファンづくりだの売るための戦術だのとそんなさもしい考えをもっていたら、この方の死をこれほど残念に思えなかったはずだ。

 

そもそも、依頼などされていないだろう。

 

僕は行政書士である前に一人の人間だ。

 

一人の人間としての感性を発露させることが、本来の仕事であるべきなのだ。

 

だからこそ、僕はもっと悲しみを背負っていきたいし、苦を深く感じられる人間になりたいと思っている。

 

人はどこかでつながっている。

 

そう感じさせる仕事をやり続けていきたい。

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嫁の実家が富山なので、今年のお正月は富山で過ごしました。

 

そして、毎回、ご両親にお会いするたびに内心(すげぇ~~~~!!)と思うことが多々あります。

 

しかも、それが年々深くなっていくという・・・。

 

それは、嫁のご両親が本当に富の山の人だと実感させられることなのです。

 

嫁は3人姉妹の真ん中です。

 

3人とも立派に大学を卒業し、今はそれぞれに嫁いでおります。

 

それまでご両親は共働きでお金を一生懸命ためていたのでしょう。

 

3人娘を大学まで卒業させ、結婚式もしっかり行い、嫁がせるまで、経済的な面からしてもどれほど大変だったか・・・。

 

そんなことを心のどこかでいつも自分は感じてしまうのです。

 

先日、僕ら夫婦が家を購入したとき、多額の新築祝いを有難く頂戴しました。

 

それも、僕ら夫婦にだけではなく、姉夫婦、妹夫婦にも同じようにしてくれているそうです。

 

そういえば、昨年、一緒に旅行に行った時もほとんど負担していただいたように記憶しています。

 

そんな姿を目の当たりにすると、自分も子どもや孫のために精一杯のことをしていかなければ罰が当たるなと思いますね(笑)

 

いやいや、むしろ、自分たちがそうしてくれたように精一杯やってあげたいと思うのです。

 

勤勉と倹約、そして出すべき時に惜しみなく出費していくという富の山の人々の精神。

 

ご両親だけではなく、先祖代々の精神文化なのでしょうね。

 

その凄さを肌で感じつつ、お正月を過ごさせてもらいました。

 

最近、特に思うことがあります。

 

それは、自分の親も含めてですけど、親は本当にスゴイし、本当に有難い存在なのだと深く感じられるようになったことです。

 

たまたまの縁があって自分も親という立場になっていますが、日々様々な問題や出来事に直面します。

 

そんな中、ふと自分の両親やあちらのご両親が辿って来た軌跡にも思いを馳せることがあります。

 

自分たち夫婦も幼い頃は何かあれば心配してもらい、また、どんなにキツイ状況に遭っても子どもたちのために精一杯頑張ってこられたのでしょう。

 

与えて、与えて、与え尽くすだけで何もいらないという姿を見ると、やはり、こみ上げてくるものがあります。

 

与えられていることの大きさを感じるほど、自分も同じように子どもたちにしてあげたいと思います。

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新年あけましておめでとうございます。

 

本年もよろしくお願いします。

 

新年を迎え、決意新たにという方も多いと思います。

 

そして、この時期、いつも思うことがあります。

 

それは、新年に固めた決意を今年の12月31日でさらに磨けているのかどうか?です。

 

というのも、初心忘れるべからずと言われますが、本来はそうではないと考えているからです。

 

初心をさらに超えるような生き方をしていく思いを大切に、365分の1を積み重ねていきたいものです。

 

さてさて、では本題はこれから。

 

朝起きて、水道の蛇口をひねります。

 

当たり前のように水道から水が出てきます。

 

ここで本当にありがたい気持ちになれればいいのですが、自分はむしろその逆です。

 

水道から水が出ない、あるいは、水道管が毎日のように破裂するような事態になれば、ソッコーで不満タラタラになってしまうことでしょう。

 

そこでふと思うのです。

 

世の中の大多数の仕事って、そういうものではないのかな?と。

 

感謝され、喜ばれれば、人としてうれしい気持ちになります。

 

ところが、感謝されもせず、喜ばれもせず、それがただ当たり前のこととして流される。

 

当たり前と思われることほど悲しいことはないと、以前、どなたかがおっしゃっていましたね。

 

しかし、世の中のほとんどの仕事は、当たり前に思える平穏な日常をつくりだすことに尽くされていきます。

 

むしろ感謝、感激、感動などといった非日常的なことは、異例なのではないでしょうか?

 

ところが、そんな非日常的なことが、どうやら「憧れ」とされているような事象が多くなっているような気がするのです。

 

今は誰もが情報を簡単に発信できます。

 

まるで芸能人であるかのように非日常的なことに自分を浸そうとすることができます。

 

であればこそ、自分らしくとか、自分が主役とか、自分の幸せなどということがよく言われます。

 

しかし、本当に大切なのは「自分」ではないように思えるのです。

 

「自分を主役に置いた途端、世の中がおかしなことになる。」

 

これは、一家の主として、あるいは事業者を側面から支えていく一個人事業主として、痛切に自分自身が思うことです。

 

また、公職の長などに就き、自分が主役などと考えてしまえば、組織は崩壊していきます。

 

そして、一見、幸福に思えることを追いかけることほど馬鹿に見えることはないのです。

 

薄っぺらい憧れは毒にしかなりません。

 

自分らしくとか輝きたいとか、自分が主役とか、そうしたややもすると耳触りの良い言葉に大きな魅力を感じてしまうこともあるのでしょう。

 

しかし、先ほども書いたように、世の中のほとんどの仕事は自分が脇役に徹することで世の中がうまく回り出していくものではないでしょうか?

 

独立し、起業すればかっこいいとか、素晴らしいとか、そう思われてしまう誤解もなきにしもあらず・・・。

 

ところが、僕のような個人事業主だろうが、会社の社長をやっていようが、主役は自分ではないのです。

 

いい仕事をしていくとは、陰に徹していくことそのものだと自分は考えているからです。

 

当たり前の日常を生み出すことに誇りを持てるのかどうか?

 

感謝されなくとも、仕事そのものの中に生きがいを感じられるのかどうか?

 

そうした感覚がとても大切に思えてなりません。

 

例えて言えば、テレビで騒がれるアイドルはほんの一握り。

 

その一握りのために膨大な数の人間がそこに関わっているわけで、そのうちの一人になることに心底納得し、満足することが、本当の豊かさだと僕は思います。

 

その豊かさに気づけたとき、水道の蛇口をひねったときに有難さが感じられてくるような気がしてなりません。

 

誰によってつくられたかわからない建物があり、誰が関わったか知られていないプロジェクトもあることでしょう。

 

でも誰によってということよりも、そこに関わった誇りに密かに喜びを感じられれば、人生は成功だと言えるのではないでしょうか?

 

脚光を浴びることに価値が見出されがちな風潮なのでしょうが、そこには本当の幸福はないように思えます。

 

むしろ、己の幸福を求めるほど、人間は不幸になってしまうものなのでしょう。

 

そこに気づけないようであれば、起業なんてしてもしょうがないし、商売もうまくいくこともありません。

 

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。」

 

日本人としての精神性が失われつつある今の世であればこそ、これをやる価値があるというものでしょう。

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開業したての頃、先輩からよく言われたことがある。

 

「いろいろなところに顔を出して、人脈を広げたほうがいい。」

 

たしかにそうなのだが、では、人脈とは何だろうか?

 

僕にとっての人脈とは、意図的につくれるものではないという解釈だ。

 

仕事目的のため地域の活動に参加する、会合に顔を出す。

 

それはそれで大切なことだし、必要なことだ。

 

しかし、そこで気づかなければいけないことがあると思う。

 

それは、仕事になっても、ならなくても、そこでつくられた縁は、とても貴重だという認識なのだ。

 

逆に言えば、その縁を大切なものだと肚に落とせた時、仕事につながっていくものだと思う。

 

仕事をくれくれの人間からは、そうした貴重な縁は逃げていくものだ。

 

テクニックや大義なき戦術なんてものも大切な縁を遠ざけていくものでもある。

 

昨日、家の近所のゴミ捨て場に普段はみかけないゴミ捨て用の分別カゴが置いてあった。

 

町内の役割分担で誰かがそこに置いてくれたものだ。

 

きっとその人は、自分の利益を考えることもなくそれをしてくれたはずだ。

 

仕事につなげたいとか人脈を広げて自分に有利になんて考えているはずもない。

 

それは義務感や責任感からきた行為なのかもしれないが、僕はそんなところに何か貴いものを感じた。

 

本人にとってみれば当たり前で些細なことかもしれないが、これこそが地域貢献なのだろう。

 

逆に言えば、地域貢献とは決して大きなことで、大袈裟なことではなく、誰にでもできる小さなことの積み重ねに他ならない。

 

それは、名もなき人たちによる尊い行為の蓄積なのだろう。

 

このような当たり前で些細なことは、自分の利益に直接つながらないことかもしれない。

 

だからこそ、そんな人に周りの人は大きな信頼を寄せるようになるのではないか?と思う。

 

人脈とは、こうした行為の結果として自(おの)ずから深まり、広がっていくものだ。

 

人脈は商売の道具ではなく、己の生き様の鏡に他ならない。

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商売をはじめたら、何が何でも続けなければいけない。

 

最近、自分は特にそう思う。

 

なぜか?

 

家族も自分も食えなくなるからだ。

 

ぷっ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ま、そういう問題ではない。

 

商売をしていく中で信頼関係が出来上がってくる。

 

その信頼関係がより密度の濃いものとなり、そして広がっていく。

 

それが商売なのだ。

 

そして、その関係は次の代へと引き継がれていく。

 

自分はちょうどそんな法人さんらとお付き合いをしている。

 

親父さんのお世話になっていたところから、今度は息子さんへと変わっていく法人さんを見ているため、では自分は?という考えが頭をかすめる。

 

同時に今の仕事をやめるわけにはいかないという思いも強くなる。

 

今はたった一人でやっているが、次につなげていく体制をつくっていきたい気持に駆られる。

 

息子さんへと代替わりした法人さんも年月が経てば、また次の世代が引き継いでいく可能性がある。

 

いや、むしろ自分が関わっているお客さんには、ずっとずっと存続していてもらいたい。

 

引き続き自分も次の人たちにそのお客さんを支えていってもらいたい思いが、最近強くなってきている。

 

商売とは相互扶助でもある。

 

そして、それを世代を超えたものにしていきたいという希望が自分にはある。

 

積徳は、世代を超えて引き継がれていくものだ。

 

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数字に弱い。

 

数字に苦手意識をもっている方が割と多いためか、このような言葉を比較的自分は耳にする。

 

もちろん、数字に強いことも素晴らしい能力に違いないが、数字にとらわれてしまうのもどうなのだろう?と思うことがある。

 

経営と聞けば、難しく思える。

 

財務諸表やら何やらと言われても苦手意識から避けたい気になる人もいるかと思う。

 

もちろん、こうした計算書類は重要なものだし、深く読めれば読めるほどいいのだろう。

 

が、そもそもこうした数字がどのようにして創られていくのか?を考えていくほうがより重要に思えるのだ。

 

極端な話し、数字に強い、弱いはそれほど重要ではない。

 

しかし、それほど重要ではないようなことが、重要とされ、本来重要なことがないがしろにされているような気がしている。

 

だからこそ、数字に弱い、強い、計算書類が読める、読めないといった枝葉の部分ばかりの情報に溢れているように思える。

 

売上は、どのようにして成り立っているのか?

 

経費は、どのような考えや思いで使われているのか?

 

要は数字になる前の思いや要因は、何か?がすごく重要に思えてならないのだ。

 

数字をいかに読みこなすか?よりも、その数字がどのようにして成り立っているのか?

 

その目に見えない根本要因を探ることが、事業をしていく上で深く求められてくるものではないのだろうか?

 

きっとそこに商売繁盛の普遍性が潜んでいるような気がしてならないのだ。

 

目に見える枝葉に囚われてしまえば、とんちんかんな結論にいたってしまう恐れがある。

 

土壌や根、空気といった要素も含めて考えれば、視野の広い結論が導き出されてくるに違いない。

 

売上を上げるよりも、その売り上げは何のお蔭で成り立っているのか?

 

経費増減を云々するよりも、その使い方にどのような思いがあるのか?

 

すべては目に見えない心から目に見える数字に変換されていくように思えてならない。

 

全体のあり方という戦略があって、やり方という戦術が生まれてくる。

 

打つ手は無限といった言葉を以前、聞いたことがある。

 

これは、己の心から湧いてくるあり方を追求していく上でのことだと自分は考えている。

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世の中でうまくいくようにと考えるか?

 

世の中がうまくいくようにと考えるか?

 

主役、主人公は自分という発想を疑ってみる。

 

何ものかのために命を使い、削っていくのが、本来の人間の役割なのではないか?

 

そんな発想を抱いてしまう。

 

何の疑いもなく綺麗な言葉を受け取るだけでは、理会には至らないのかもしれない。

 

 

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小学1年生くらいの頃だったのだろうか?

 

家の近所が家事になり、自分の家が焼けてしまいそうになった。

 

焼けそうな家を見ながら、涙が出てきて止まらなかったのを今でも覚えている。

 

先日、引っ越しを終えた。

 

結婚して二人で暮らし始め、じきに一人目の子どもを授かり、一緒に過ごしてきたアパートを離れることになった。

 

引っ越し業者さんが作業を終え、ガランとした室内に子どもを連れてきた時、突然泣き出した。

 

家具などなくなり、広くなったため喜々として遊びだすだろうと予想していたので、正直驚いた。

 

子ども心にもとても寂しかったのかもしれない。

 

住み慣れた家と目に見えないつながりという縁を感じていたからだったのだろう。

 

縁は、人との間だけにできるものではない。

 

家にも土地にも物にもそれは生じてくる。

 

使ってもらいたい人のところに不動産も物も来るものなのかもしれない。

 

今まで暮らしていたアパートは、建物が古く、耐震構造上問題があるとのことで突然、立ち退きを要求された。

 

が、僕らが引っ越したのはそれが理由ではなかったように思える。

 

実は、その前に妻のお腹に第2子がいることが判明していたのだ。

 

今のアパートが狭くなるから引っ越そうと言っていた矢先に立ち退きの話が出てきたからだ。

 

人のみならず、物にも不動産にも縁というものが存在すると思った。

 

2番目の子どもが、自分の居場所を確保するが如く自分たちに引っ越しをさせた・・・と言えなくもない(笑)

 

すべてはつながっているとはよく言われるが・・・。

 

こういうことをいうのかもしれないなと思った。

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公的な機関を相手に仕事をしているとよく感じることがある。

 

それは、人が制度を利用するのではなく、制度に人が隷属しているという感覚だ。

 

役所でも会社でも学校でもありあらゆる組織は大きくなるほど制度によってまとめられていく。

 

役職があり、規則があり、慣例が成り立っていく結果、個々人は己の判断よりも制度を優先するようになる。

 

前例にない、定型的な立証資料に乏しい、マニュアルにない等々の理由で一個人としてではなく、一組織として突っぱねるケースが結構あるように感じている。

 

組織が巨大化するほどそうした事例によく出くわす。

 

規則にのっとって組織は運営されていくわけだから、そんなの当たり前じゃないかと言われそうだが、ではその規則は誰のためにあるのだろう?

 

その誰かに余計な負担をかけるために規則や制度が本来あるわけではないのだ。

 

組織優先の考えが、己の魂も殺してしまいかねない。

 

ところで、前々からよくかかってくる営業電話なるものがある。

 

これなども独自の判断ではなく、システムに乗っかり、名簿に従ってバンバン電話をかけているに過ぎない。

 

これは迷惑以外の何物でもないのだが、当事者は仕事だと思ってやっているのだから厄介だ。

 

営業電話をかけて買い手を見つけ、会社に利益をもたらすことが仕事だと誤解しているわけだ。

 

これなども制度に隷属している一例だろう。何が仕事なのか?がわかっていない。

 

また、制度に隷属すれば己さえ良ければといった保身につながりやすくなるのではないだろうか?

 

誰かが犠牲になっても、見て見ぬふりをすることで己の安定を優先する。

 

しかし、一人間としてこの問題を考えた場合、本当にそれでいいのか?という疑問が湧いてくる。

 

最も大切な魂の声を押し殺してまで己の保身をはかることが、本当に幸福なことなのだろうか?

 

制度から一歩はみ出した時、人は人としての感性を取り戻していくように思える。

 

その感性を十分に発揮することが、本来の仕事なのだと自分は考えている。

 

国家をはじめとする組織に隷属することなく、自分の感覚を信じることが大切なことなのだ。

 

これこそが、コンヴィヴィアリティの復活につながっていくはずだ。

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