行政書士お~ちゃんの心学日記

心を磨けば、食うに困らず


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学歴と年収との関係が、もっともらしく語られる文章を見たり、聞いたりする。

 

学歴格差、収入格差。

 

そうした言葉を象徴するかの如く、勝ち組やら負け組やらといった言葉も使われる。

 

ところが、自分のような自営業という立場からするとどうだろう?

 

まるで関係がない。

 

自分は大学まで出させてもらっているが、自分よりも低い学歴で高い年収の会社経営者や個人事業主はいくらでもいる。

 

また、難易度の低い資格業者のほうが、難易度の高い資格業者よりも売上が高いなんてこともよくある。

 

じゃあ、勉強なんてしなくてもいいのか?といえば、決してそうではない。

 

おかしいのは、収入と学歴を結びつけて考えようとする卑しさにある。

 

学力が高まったら、ご褒美をくださいという感覚が病的なのだ。

 

そもそも勉強とは何のためにするのか?

 

収入を上げるため、安定した暮らしをするためなんてアホな考えに囚われる大人が増えれば、この国はますますバカになる。

 

働くようになってからの勉強のほうが、はるかに重要だと自分は考えている。

 

なぜか?

 

世の中は、高学歴な人よりも純粋にいい仕事をしようとする人間を求めている。

 

収入や学歴の格差よりも、心の格差のほうが恐ろしい。

 

やはり、働くようになってからの勉強のほうが、はるかに重要だ。

 

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このブログを読んでくれている人が、実際に自分に会った時、言う言葉がある。

 

「もっとお堅い人かと思ったけど、全然ちがいますね!」

 

本当にその通り、別人に思われるでしょう(笑)

 

こうしたことを言われて、ふと気づいたことがあります。

 

もちろん、ブログを書いて賛同してくれたり、共感してくれたりするのはうれしいですよ。

 

でも、自分は本当はこうした正論を書くことで、正論を捨てようとしている気がしています。

 

吐き出すことで捨てる。

 

イイコトを書こうとしている自分が、バカバカしいと思えることも多々あるので。

 

人間に素晴らしさなんて本来、不要じゃないのか?と。

 

立派より面白いほうがいい。

 

でも、こうして言葉にすると、間違いにも思えてくるから不思議なものだ。

 

ぷっ!

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仕事に追われてくると休んでいる場合ではなくなる。

 

業務に忙殺されているのだから、時間との勝負になる。

 

だから、休まず働く。

 

ゆっくり休んでいる暇なんてない。

 

だから、働いて、働いて、働きぬく。

 

そして、お客さんの信用も売り上げもなんとか確保する。

 

自分で事業をしていれば、当たり前の姿なのだと僕は思う。

 

が、休日返上で働いて、働いて、働き抜いた結果、何が起こるのだろうか?

 

僕は、最近、仕事上のトラブルを抱えた。

 

そのトラブルを家内に打ち明け、話し合った。

 

ここ数ヶ月、休日もあまり休むことなく、働いていた・・・。

 

が、このトラブルがきっかけとなり、ある重大なことを忘れていたと思い知らされた。

 

働いていた・・・のではなく、実は働かせてもらっていたことに改めて気づかされたのだ。

 

どんな状況になっても最後の最後まで味方になってくれるのは家族の存在。

 

仕事へのエネルギーをつくってくれる中心にいたのは、家族の存在だった。

 

そんな基本的なことを今回のトラブルは気づかせてくれた。

 

そして、そんな基本的で最も大切なことを忘れていた己の愚かさも教えてくれた。

 

仕事が忙しいばかりに家族の存在を多少疎ましく思っていた自分を恥じた。

 

せめて、日曜の休日くらいは、大切な家族と一緒に時間を過ごしたいと思った。

 

緊急事態でもない限り、どんなに仕事が忙しくても、休日を愉しんでいこうと思った。

 

人間が生きていくにあたり最も大切なことは何だろう?

 

そんなことを今回のトラブルは、考えさせてくれた。

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ちょっととっつきにくい本。

 

あるいは、過去の偉業を成し遂げた政治家や経営者の本を読む。

 

それはそれでとてもいい刺激を受けるのだ・・・。

 

が、こんな疑問も同時に湧いてくる。

 

今の自分に本当に必要なことなのだろうか?

 

こうした本を読んで感動する、刺激を受けるのはとてもいいことなのだ。

 

しかし、たとえば・・・。

 

こうした本を読んでいる隣で2歳の息子が、僕と遊んで~と言ってくるとする。

 

あるいは、妻が疲れて家事をせずに寝てしまったとする。

 

そこで自分は何を求められているのか?と考えれば、志や改革や使命感でもなんでもない(笑)

 

普段、仕事で家にいない分、子どもと遊ぶことであり、疲れた妻の代わりに家事を手伝うことなのだ。

 

僕は前々から思っていることなのだが、読書と日常とにあまりに大きな乖離があってしまってはどうなのか?という感覚を持つ。

 

いいことを聞いたり、読んだり、高尚なことを聞いたり、読んだりして、己の思考を深めることはもちろんいいことだ。

 

そう思う一方で、目の前の人に自分はどうなのか?と考えれば、そうしたことはむしろ求められていないような気がする。

 

高尚なことを言って妻や子どもは喜ぶのか?

 

深い言葉を言うだけでお客さんは満足するのか?

 

少なくとも今の自分にとっては、そうではない。

 

国家を考える前に、オムツを交換することが求められているし、財政を考える前に家計を慮ることが求められている(笑)

 

子どもがオギャアと泣けば、読書なんてしている暇もなく抱っこをしてあやしてあげることが、何より大事。

 

いいことをお客さんに言うよりも、請け負った仕事をしっかり仕上げるほうが、はるかに大事。

 

改革や革命なんて叫ぶことより先に、家にきっちりお金を入れることのほうがはるかに大事。

 

壮大なことでもなんでもないことが、今の自分に求められているだけなのだ。

 

普通に生きていくことが、今の自分に課せられている。

 

そうしたことを誠意をもって淡々とこなしていくことが、もっとも大切なことなのだと自分は認識している。

 

天下国家を語り、社会を批評するよりも、地域の草むしり、ゴミ拾いを淡々とできる自分でありたい。

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最近、自分は座学というものに対してかなり懐疑的になっている。

 

環境の変化もあり、ここ数年、勉強会に積極的に参加していないことも影響している。

 

そのかわり、仕事や家庭での役割といった現場にいることがかなり増えた。

 

そこで感じとったことを敢えて言えば、座学はもちろん必要だが、必要最小限でいいと思っている。

 

仕事の合間の読書、家事の合間の読書で十分だと心底感じているためだ。

 

僕の業界では、勉強熱心だが、営業不熱心な方々もいる。

 

座学に熱心なだけ、現場に出ず、実力がつかない、お客さんもつかないという悪循環に陥ってしまう。

 

仕事を取ってくる力がなければ、どんな知識も、どんな技術も生かせるものではない。

 

一回の実務で数冊、いや数十冊の専門書を読み込むことよりもずっと深いことを学べる。

 

その経験から蓄積してきた知識や技術が、市場における価値になるのだとつくづく感じている。

 

専門書を100冊読むよりも、10社に訪問営業をかけるほうがずっと価値がある。

 

あるいは、1000冊の専門書よりも10,000部のチラシをポスティングしたほうがずっと価値がある。

 

いいことを言ったり、書いたりするよりも、お客さんへのフォローの電話や足を運ぶほうがずっと価値がある。

 

こうしたことをやりつづけなければ、専門書から得られた知識も哲学や思想も生きてくるものではない。

 

数年前から心学商売繁盛塾なるものをやっている。

 

ここでいうところの座学だ。

 

自身の経験をもとに言えば、単に人に喜ばれることをしていれば、売上は絶対に上がる。

 

もちろん、こうした勉強会で学んだこともベースにあるのかもしれないが、最終的に自分が動いていなければ結果はついてこない。

 

動いて、しっかり仕事をして成果を出し、はじめて座学の意義が出てくるのだろうし、そこで初めて説得力のある言葉が言えるのだと思う。

 

座学のための座学なんてやる意味がない。

 

そして、勉強しているけど、成果が出ませんなんてことは本来はありえない。

 

行動や日頃の態度に結びついていなければ、勉強したことにはならないと自分は常々考えているからだ。

 

ま、こんなこと言っていたら、誰も来ないのかもしれないけどね(笑)

 

2月12日(月祝)逆もの×心学のコラボ講演

 

実践がなければ証明されず。

 

証明なければ信用されず。

 

信用なければ尊敬されない。

 

どこかの偉い人の言葉なのだが、商売の世界そのものだと僕は捉えている。

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ちょっと難解な本や歴史上の偉人のことが書かれている本などを読んだりしている。

 

そこで、最近すごく感じることがある。

 

志や、哲学的に根源的に物事を考えていくことは大切なことなのだろう。

 

しかし、今の自分には、目の前の日常にどうあるか?が根本になければ意味がないように思えてならない。

 

子育ての真っ最中だからこそ、そして働き盛りだからこそ、感じられることなのかもしれない。

 

僕が日常の中で求められていることは何か?とすれば、それは仕事をしてきっちりとお金を入れることであり、子どものおむつを替えることであり、家事を手伝うことでもある。

 

ごく平凡で当たり前のことばかり。

 

同時にそんな足元にこそ今やるべき大切なことがあると感じている。

 

そこをやって少し余った時間や隙間時間に読書をしているため、積読が非常に多くなっている(笑)

 

でも、そうでなければ、自分の中では読書が生きてこない。

 

本を読むのに忙しくて、家事も育児にも関わらない、仕事の時間も削るとしたら、本末転倒になってしまう。

 

これは僕が勝手にとらえているのだが、学びや気づきは、難解な事柄の中というよりも日常の中にある。

 

日常を大切にするとは、現実の中で自分に求められていることを粛々とやっていくことだ。

 

粛々と、淡々と生活していくがための読書。

 

特別なことでもなければ、非凡さが求められるわけでもない。

 

逆に言えば、非凡さとは、平凡に徹し切れるかどうか?なのかもしれない。

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仕事でもなんでもそうだけれども、順風満帆なときはいい。

 

しかし、事態が思わしくなくなるとどうなるか?

 

途端に「おまえの責任だ!」という非難の的になる。

 

自分などは、それが怖い。怖くてたまらないのだ。

 

だから、重大なミスが発覚したとき、隠したくなる。

 

隠そうとしたり、誰かのせいにしたりする人の気持もよくわかる。

 

でも、肝心なのは、こんな自分が言うのもなんだけど、逃げないことだ。

 

日常では、逃げてしまいがちな自分にも嫌でも気づかされている。

 

逃げない自分をつくろうとしたり、逆に逃げようとする自分に気づかされたり。

 

そんな試行錯誤を日常の中で自分は繰り返している。

 

なぜか?

 

おそらく、人間が奥底にもつ本心があるからなのだと感じている。

 

人としてどうなのだろうか?

 

そこを常に厳しく感じさせる存在が、本心なのだと自分は考える。

 

重大なミスが発覚したとき、僕を非難することなくバカだなぁと笑ってくれた先輩がいる。

 

僕は苦中にあればこそ恩を感じた。

 

先輩の大きさを感じると共に、人間こうでなくちゃいかんよなとしみじみと感じたことを記憶している。

 

本心とは、そういうものなのだと思う。

 

僕は行政書士という分野で商売をさせてもらっている。

 

そして、この本心を軸にしなければ、商売は続かないと確信している。

 

この本心を軸にして地味にコツコツ、泥臭く。

 

商売の正道を歩んでいきたい。

 

 

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最近、世間とは何か?という疑問が湧いてくる。

 

世間の風潮がどうとかこうとか、いろいろと好き勝手な意見を自身は持っている。

 

しょーもない大人が増えたものだとか、最近の社会は・・・などとエラソーに言ってみたりもする。

 

一方で、世間とは僕が勝手に仕立て上げた虚像に思えなくもない。

 

僕が批判的に見ている世間と、僕の周りにいる心ある人たちとのギャップに気づかされるからだ。

 

最近の世の中は・・・などとエラソーに主張している自分が恥ずかしくていたたまれなくなる。

 

そんな振る舞いをしている心ある人たち。

 

平凡でありながらも、凄いなと思わせる人たちが、少なからずいる。

 

学べば学ぶほど

 

家族も仕事も大切にできるように

 

小さなことも疎かにしないように

 

所属する地域や団体によりよく貢献できるようにと。

 

そんな平凡で当たり前に思えることの中にある価値とスゴさを深く知ることが、学びなのだと思う。

 

世間への批判に向けるのではなく、己のあり方を見つめられるようになることが、本来の学びなのだと思う。

 

批判的に見る自分を疑わずして心の深化はないのかもしれない。

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前提となるものが、とても大切に思える。

 

仕事の前提。

 

家庭の前提。

 

人生の前提。

 

そのどれもに快を求めがちだが、根本はどうだろう?

 

今朝、息子を着替えさせようとした。

 

ところが、つむじを曲げて、着替えたくないという。

 

どうにかこうにか妻と一緒に着替えさせたのだが、そんなものだと思った。

 

そんなものとは、どういうことかと言えば、自分の思い通りになどいかないということだ。

 

就職活動をしていた頃、面接官が次のように言っていたことを思いだす。

 

「夜の10時、11時くらいまで営業担当者が帰宅することはない。」

 

営業という仕事がどれほど大変かを伝えようとしていたのだろうが、今で言えば〇〇ハラスメントになりかねないのだろう(笑)

 

しかし、自分にとってはストレート過ぎる表現であるが故に印象に残った。

 

そして、かつての上司がこんなことを言っていたことも思い出す。

 

「君たち職場はね。時代遅れな言い方なのかもしれないが、戦場なのだよ。」

 

そんな大げさなと思えるのかもしれないが、仕事の場は真剣勝負の場でもある。

 

ちょっとしたミスでトラブルにもなりかねないし、大きな責任を負うものだ。

 

そこで思う。

 

今の時代、どこか前提が崩れていないだろうか?

 

負を認めようとしないとか、都合が悪い部分を見せようとしないとか。

 

僕はどうもそこが腑に落ちない。

 

仕事はそもそも大変なものであり、子育ても簡単なものではない。

 

生きていくことそのものも思い通りにならないことだらけ。

 

その前提に立たない限り、心は進化しないのではないか?

 

そういうものなんだと子どもを認めてあげれば、心にゆとりを持てるようになっていく。

 

そういうものなんだと仕事への覚悟を決めてしまえば、逆に仕事に生きがいを持てるようになっていく。

 

そういうものなんだと肚をくくって生きようとすれば、本当の希望が見えてくる。

 

前提がしっかりしない限り、力強く生きられないのではないだろうか?

 

 

 

 

 

 

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不幸も幸福も勝手に人間様がそう言葉で判断しているものであって、本来は分けられるものではない。

 

な~んてことをあるテレビ番組を見ながら思いました。

 

ご覧になられた方もいらっしゃるかもしれませんが、とある元アイドルが義理の父母の介護にたずさわっていたシーンです。

 

脚光を浴びるアイドルから、ごく普通の主婦となり、強烈なストレスのかかる介護の日常へ。

 

しかも、子どもも小さいので子育てまで!

 

普通の感覚であれば、芸能界でチヤホヤされていたほうが幸福で、日々の介護という地味で厳しい現実は不幸だと捉えがちでしょう。

 

ところが、予想に反してつらそうでありながらも、本人は生き生きしていました。

 

聞くところによると、本人の実のご両親への介護に大きな後悔を感じているとのこと。

 

もう、ご両親はお亡くなりになっています。

 

そんな後悔を二度と繰り返さないためにも、義理の父の介護に献身的に取り組んでいるのだそうです。

 

もう、すげぇ~~~~の一言でしか言い表せません。

 

ふと、こんなことが頭をよぎりました。

 

脚光を浴びる幸福そうに見えるアイドルなどの芸能人は、その分、大きな不幸も同時に抱えていると思いました。

 

何かあれば叩かれ、プライベートも自由もなく、普通の暮らしができない・・・なんて面もあります。

 

普段、我々が当たり前のように享受できていることの恩恵が受けられないようになっています。

 

逆に厳しく、つらい現実の中で生きている元アイドルは、同時にとても大きな徳を積んでいるんだなぁと感じました。

 

認知症になった義理の父が「〇〇(元アイドルの名前ね)なしでは、オレは生きていけない・・・」

 

なんてことをボソッとつぶやいていました。

 

厳しい現実になるほど、積んでいける徳も大きくなっていくものなのだろうなと・・・。

 

生き生きした表情からそれが感じられました。

 

不幸と幸福とは、言葉で分けているだけであって、根っこでは共存していますよね。

 

逆に思える観念は、同じなのでしょう。

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