行政書士お~ちゃんの心学日記

心を磨けば、食うに困らず

NEW !
テーマ:

「黒帯取りたかったな・・・。」

 

そんな一言を彼の口から聞いたとき、僕は驚いた。

 

彼とは、小学2~3年生頃から空手を教えている子だ。

 

中学生になれば、部活がはじまる。

 

部活がはじまれば、空手の稽古に来られなくなってしまうだろう。

 

そんなことを予想して僕は稽古をしてあげればよかったと後悔すると同時に申し訳なく思ったことを思い出す。

 

昔の彼は、黒帯なんて取りたくないと公言してはばからなかった。

 

組手も怖いし痛いし、形も覚えるのも面倒だったからなのだろう。

 

しかし、同時に彼の中でくすぶっている何かを自分で感じ取っていたはずだ。

 

だからこそ、本当は黒帯に挑戦したかったという本音が最後に出てきた。

 

僕はうれしかった。

 

できれば、中学生になっても空手を続けて黒帯まで取ってもらいたかった。

 

そんな思いが通じたのか、彼は中学生になっても通い続けてきてくれた。

 

そして、今年、めでたく黒帯の昇段審査を通過した。

 

昔は、子ども子どもしていた彼の容貌、態度や発言の数々。

 

今ではすっかりお兄さんとなり、発言も大人びてきていた。

 

口には出さなかったが、僕はその成長がとてもうれしかった。

 

そして、この道場を次の世代の一人として支えてもらいたいという思いも僕の中で生まれてきていた。

 

そんなことを考えていた矢先、彼が道場を去るという話を聞いた。

 

きっと、彼の中では黒帯が取れたことでピリオドを打てたのだろう。

 

とても残念な気持ちではあるが、彼の意思と決断を尊重したいと思っている。

 

通常であれば、中学生ともなれば部活もはじまり、忙しくなり空手道場には来なくなる。

 

しかし、彼は部活をやりながらも通い続け、ついには黒帯まで取ってくれた。

 

疲れているから稽古に行きたくないと思ったことも一度や二度ではないはずだ。

 

そんな気持ちに負けないで黒帯まで取った。

 

心底素晴らしいと思っている。

 

そして、自分が教えていた子がここまで精神的に成長してくれたことに大きな喜びと感動を感じている。

 

出会ってから6~7年は経つのだろう。

 

そのうちのほとんどが、自分とあの道場で過ごしてきた。

 

稽古後にみんなとファミレスで食事をしたことも思い出されてくる。

 

今、振り返ると貴重な年月だった。

 

戻りたくなったら、またいつでも戻ってきなさい。

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
同じテーマ 「日々思うこと」 の記事
最近の画像つき記事  もっと見る >>

テーマ:

初心忘れるべからずとよく言われる。

 

が、僕の開業当初の初心なんてものは、忘れたほうがいいくらいのものだ(笑)

 

他に就職したくないから、とりあえず資格を生かして仕事をしようくらいのものだったからだ。

 

気合も意欲も何もない。ものすご~~~く浅くていい加減だ。

 

僕は就職したときもそうだった。

 

とりあえず、働かないより働いたほうがマシだろうから、食っていくために働こうなんて具合だった。

 

だから、僕は初心なんてものはさほど大切なことに感じていない。

 

むしろ、実際に開業した後どうしていくのか?就職後にどうしていくのか?だと思っている。

 

立派な理念や志に拘ろうとするより、実際に働いて食っていくことに勝る学びはない。

 

お金をいただくこととは、信頼されている証なのだから、それをどう現場で体得していくか?なのだろう。

 

ロクでもない初心であっても、失敗しながらも誠実に職務を全うしようとしていけば、心は磨かれていくものだ。

 

だから最も大切なのは初心なんかより、お客さんや仕事への思いを日々磨き続けていくことだ思う。

 

思いを磨き続けるとは、熱心に働き続ける行動そのものと僕は考えている。

 

思いを進化させ、かつ深化させていく生き方をするほうがよほど大切だと考えている。

 

初心はすぐに忘れるべきという生き方を僕はしてきたのだと思う。

 

心学商売繁盛塾

 

4月24日(月)情の商い

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)

テーマ:

自分の過去を振り返ると必ず思うことがある。

 

「あの人にはお世話になった。」

 

それは学校の先生でもあるし、会社の上司でもある。

 

また先輩でもあれば、友人でもある。

 

ふと思う。

 

自分はどれだけの人たちに「あの人」として思い出してもらえているのだろうか?

 

年を取るということは、自分自身が「あの人」になっていくことなのだと思う。

 

今あるつながりの中で、どれだけ本当の情をもって人に接しているのか?

 

面倒くさいとか、厄介だからという理由で逃げてしまいがちな自分に嫌でも気づかされる。

 

でも、僕の記憶の中にある「あの人」たちは、そうした損得、保身を超えて接してきてくれた。

 

それは、叱責でもあり、励ましてもあり、ユーモアでもあった。

 

そのどれもが温かかった。

 

心学商売繁盛塾

 

4月24日(月)情の商い

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)

テーマ:

子どもと遊んでいるときに、よく思うことがある。

 

「あと何年こんな風に遊んでいられるのだろうか?」

 

子どもは日々成長していく。

 

親としてそれを日々実感し、うれしさと同時に寂しさも感じることもある。

 

あと何年・・・。

 

しかし、よく考えてみればその時々で遊んだ過去は、もう繰り返せるものではない。

 

あと何年と考えれば、そうした視点をややもすると見失いがちになることに気づかされる。

 

過ごしている今は、未来では決して繰り返すことはできない。

 

このようにしてブログを書いている時間もしかり、友人と会っている時間もしかり、仕事をしている時間もしかりだ。

 

あと何年ではなく、もう取り戻せない今を過ごしているのだろう。

 

つい忘れてしまいがちだ。

 

心学商売繁盛塾

 

4月24日(月)情の商

 

 

いいね!した人  |  リブログ(0)

テーマ:

抑制とか我慢と言うとなんだかつらそうで印象が悪い。

 

ところが、夫婦や親子関係においては、これは不可欠だと思う。

 

言いたいことを言い合える関係。

 

本音で何事も言い合える関係。

 

そんな関係がいいという意見も聞く。

 

何の抑制もない人間関係は、よいわけがない。

 

逆に抑制だらけの我慢しっぱなしの人間関係もよいわけがない。

 

親しさとは開示性の度合いではなく、どれだけ尊重し合えるか?ということも聞く。

 

尊重とは、自分の意見、主張を横におくということだ。

 

自分の主義主張(というより、わがままか?)を通さないことだ。

 

抑制か?自由か?

 

どちらか?というよりもどちらもということなのだろう。

 

お互いに理解し合える関係がよいとされるが、異なる人間同士で本当に理会し尽すことは可能なのか?

 

理会できないところがあるから、感情的になることもあるし、裏を返せば気づきにもつながる。

 

では、理会し尽すことがそもそも無理であれば、理会し合おうとすることは無意味になるのか?

 

やはり、大切なことは、言葉にしにくい。

 

状況によってどちらもという曖昧さの中に大切なことがあると感じる。

 

心学商売繁盛塾

 

4月24日(月)情の商い

いいね!した人  |  リブログ(0)

テーマ:

ネットにしろ、テレビにしろ、飛び込んでくる情報に僕は違和感を覚える。

 

というのも、そのすべてが自分にとって好都合なものばかりだからだ。

 

安くなってお得ですとか、より便利になりましたとか、望んでいたものが手に入りますといった類のものだ。

 

きっと僕の中にあるアマノジャクな心が刺激され、そのすべてに価値があるように思いこまされる気がするからなのだろう。

 

高くなりました!とか、より不便になりました!とか、望みはすべて叶いません!とかね。

 

そんな宣伝がされたほうが、逆に信ぴょう性が高くなるんじゃないだろうか?(笑)

 

高くなった理由を知ろうとするほうが賢くなるし、不便さを甘んじて受け入れるほうが、物事に取り組む密度が濃くなる気もする。

 

また、思い通りにいかないことで、忍耐心も養われ、別の道も開けてくることもある。

 

得だとか利点だと単純に考えている(思い込まされているか?)ことは、本当に得で利点があることなのだろうか?

 

そんな疑問を僕はもっている。

 

人間にとって都合よくうまくいくことに本当に価値があるのだろうか?

 

逆に言えば、やってもしょうがないと思えることには本当に価値がないのだろうか?

 

昔の偉人と言われる人たちは、ある意味バカを見ることを平気でやろうとしていたはずだ。

 

ライト兄弟にしてもエジソンにしても、その当時はきっと「やってもしょうがない」と世間に思われていたことを発明なり、事業として行おうとしていたに違いないと僕は思っている。

 

きっと、当時はバカ扱い、変人扱いをされていたはずだ。

 

そんなことを考えてみると、やってみて損をし、下手をすれば命を失うかもしれないことに挑戦したがらない自分は、何か大切なものを失っているような気がするのだ。

 

バカを見る勇気を持てない自分に気づいてしまっているということだ。

 

バカを見る勇気を持てない人間だらけになれば、人類の進化はなくなってしまうだろう。

 

進化とは、人間としてそもそも生きるべき道を指す。

 

合理的な進歩ばかりを追い求める現代は、非常に危うい。

 

心学商売繁盛塾

 

4月24日(月)情の商い

いいね!した人  |  リブログ(0)

テーマ:

僕は仕事柄、よく電車を利用する。

 

そこで、スマホゲームに熱中するいい年したおじさんらを見かける。

 

人の好みは、それぞれと言いたいところだが、いい年した人がみっとっもないと僕は感じる。

 

おそらく、仕事で疲れているのだろうし、人間関係で受けているストレスも多大なものがあるのだろう。

 

だから、少しは憩いの時間を・・・と思うのもわからなくもない。

 

しかし、そんな姿からは、「ただ生きている人間の姿」しか僕は感じられない。

 

ただ生きているのであれば、動物となんら変わらない。

 

人間は、ただ生きているのではない。

 

生きていくのが人間だからだ。

 

仕事や人間関係のストレスから避けるようにゲームに興じていても、その場限りのストレス解消でしかない。

 

これでは、ますます生きていくのが面倒になってしまう。

 

単に生きているほうが、楽そうに思えるが、これほど人間にとって不幸でつらいことはないと言える。

 

心学商売繁盛塾

 

4月24日(月)情の商い

いいね!した人  |  リブログ(0)

テーマ:

若い頃、自分も経験した自分探し。

 

自分に合った仕事はないのか?なんてことをよく考えていたと思う。

 

でも、心のどこかからこんな声も聞こえてきていた。

 

(とりあえず、働こう)

 

何が自分に合うのか?

 

何が自分に向いているのか?

 

若い頃には全くわからなかった。

 

では、今はどうだろうか?

 

今でもわかっていない(笑)

 

しかし、今ではそれはどうでもいいことだと思ってしまう。

 

誰の中にもあるであろう未だ見ざる我。

 

未見の我は、自分探しなどでは到底発見できない。

 

縁を通してやってきた仕事や役割から、それは表れてくるからだ。

 

自分の中にある価値を発見するのではない。

 

何ものかが自分を価値ある存在へと昇華させてくれるのだから。

 

生来、誰もが価値あり、誰もが素晴らしい・・・。

 

わけではない。

 

自分のどこかに素晴らしい才覚があるのでは?という自分探しでは、人間としての価値を創造できない。

 

自分探しとは、結局何もしないのと同じことなのだから。

 

だから、とにかく何でもいいから仕事をすればいいと思う。

 

何ものかが、自分を価値あるものとし、素晴らしい存在へと導いていくれる。

 

それが、目の前の役割であり、縁ある仕事なのだと僕は考えるからだ。

 

よりよく生きようとする選択の自由が、僕らにはある。

 

よりよく生きようとするほうが苦しいが、それを選べる自由と意思が僕らにはある。

 

心学商売繁盛塾

 

4月24日(月)情の商い

いいね!した人  |  リブログ(0)

テーマ:

目標や夢があれば、どう時間を使うのか?計画性といったものが決まってくると言われている。

 

ところが、僕のように目標も夢もよくわからない人間には、いまいちピンとこない。

 

では、どう時間を使うのか?とは、どのように命を使うのか?と同じ意味だと言われればどうだろう?

 

そこに必然的に「人間として」どう生きたいのか?が浮き彫りになっていくような気がしてならない。

 

目標や夢を達成することばかりに価値を見出そうとする現代のビジネス社会。

 

目標や夢にいかに近づけるか?で自分の過ごす時間の価値が増すと考えられる。

 

しかし、本当にそうだろうか?

 

僕にはピンとこないのだ。

 

目標にしても、夢にしても、時間にしても、その中心にあるのはどうしても「自分」と僕は考えてしまうからだ。

 

むしろ、限りある自分の命を何のために使うのか?を考えるほうが、日本人としてしっくりしてくる感覚を僕は覚えている。

 

己のわがままや欲望を制御しながら真人間として生きようとする姿勢のほうが、夢や目標にこだわるよりも僕は好きだ。

 

古事記にもあるように神仏の命によって日本の国づくりが行われたと言われている。

 

そして、現代においても、この世の中は、神仏の命によって成り立っているのではないか?と思うことがある。

 

その神仏の命とは、自身に与えられた恩と縁にあると言っても過言ではない。

 

神仏は、縁によってそれぞれ命を人々に伝えるものだし、そこに心の底で恩を感じられるように人間の心を創ったのではないかとも思える。

 

そんな恩と縁にどう報いて生きようとするのか?が命を使い切ることであり、それは自分の夢も目標をも超越していくものだと僕は考えている。


その超越したものが、憧れの姿なのだと思える。

幸不幸、達成云々を超越している。

いかに生きるのか?とはいかに死んでいくのか?と同義なのだと憧れは悟らせてくれそうだ。

 

 

心学商売繁盛塾

 

4月24日(月)情の商い

いいね!した人  |  リブログ(0)

テーマ:

最近、本を読んでいて響いた言葉がある。

 

「声を上げることよりも、自分にできる小さなことを疎かにしないこと。」

 

今は、ツールさえあれば自分の思いや考え方をどんどん発信できる。

 

しかし、そこに現実での実行が伴っているのかどうか?

 

ともすると口先だけとなっている自分に気づき、大いに恥じて生きていきたいと思った。

 

言葉を現実に先行させるほうが容易であるが、これほどみっともないこともない。

 

そんな自分を恥じる感性を大切に持っていきたいとも思った。

 

世界平和を唱える前に、家族を思いやり、手伝いをしているのだろうか?

 

高い志、大きな夢を語る前に、目の前の小さな仕事に心を込めて丁寧にしているのだろうか?

 

偉大なことよりも目の前の小さなことにどれだけの思いをもって取り組めているのか?

 

積小為大。

 

小さなことの積み重ねそのものが、やはり自分にはできていないと感じることがある。

 

凡事徹底。

 

平凡な当たり前のことの実行が、一番難しいことなのかもしれない。

 

できていると思ってしまう自分は、現実にはできていないことの表れではないかとも思える。

 

凡事、些事の前では、心と現実の実行が真逆の関係になるといってもいいくらいに思える

 

いいことを言うのもいいのだが、やはり現実の中での小さな実行を大切に生きていきたい。

 

心学商売繁盛塾

 

4月24日(月)情の商い

いいね!した人  |  リブログ(0)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。