知的生活のすすめ?

今年も終わりますね。


みなさん、お世話になりました。


来年もどうぞよろしくお願いします。


私は明日元旦の朝早くから仕事です。


さて、今年も終わりなので、数ヶ月前に或るところで書いた
文章を載せさせてもらいます。


201 知的生活のすすめ。


私がどんな生活がしたいのかについて書いてみたいと思います。
どうしてこんなことを考えたのか。それは尊敬するビジネスエッセイストのハイブロー武蔵さんが、著書『勉強人』の中で次のように述べられていたからです。
私は知的生活をしたいという想いをもっています。好きな本を読んだり、集めたり、一人で静かに考えごとをしたり、考えたことを文章に書いてみたりすること。


本の中で、ハイブロー武蔵さんは、知的生活をしたいと言っています。
私も知的生活に憧れています。知的生活と成長は、ワンセットのような気がします。
日々勉強を続けていれば、かならず一歩ずつ進歩、成長することでしょう。
自分が変化していきますので、日々の生活に楽しみが生まれます。


大人になるとつまらなくなるのは、成長しないことも関係していると私は思います。
子どもの頃は、肉体的にも精神的にも、知識の量、体験の量も成長することができます。
特別な努力を必要としない場合も少なくありません。
しかし、大人になってからの成長に努力は欠かせません。いわば絶対必要条件です。


本を読むことは成長に不可欠です。本を読むと人は変化します。
本を読むことで人は自分と対話できます。それが自分のことを考えるきっかけになります。
本を読みながら、気になったフレーズをメモすることも有意義です。
琴線に触れたものは、自分の頭を通して再構築し、自分自身の言葉として話したり書いたりしたいものです。
考えたことを文章に書いてみることです。人に伝える手段を自前で持つということです。
ここから自分の言葉で語れる魅力的な知的人間への第一歩を踏み出せます。


私にとっての「知的人間の特徴」の一つは積み重ねる努力を厭わない姿勢です。
「やせ我慢を続ける力」と言い換えてもいいかもしれません。
一年前と比べて今日も同じことしか話さない人間にはなりたくありません。


成長を続ける人間でいたいのです。知らないことを知ろうと意欲する人間でいたいのです。
そして、一人でいる時間を楽しめる人間でいたいのです。


常に人と一緒にいないと退屈になってしまう他人に依存する人にはなりたくないのです。
本との対話を楽しめる人間は、一人の時間を楽しめます。そういう人間が強いでしょう。
受け身の人間よりは、能動的な人間でいたいのです。


私の考えでは、知的生活をしている人は話の引き出しも多くて、退屈しません。
話の引き出しが多い人間は魅力的ですが、人が考えつかないような発想、発言をするような人がおもしろいと思います。
そういう人になるためには知的生活は不可欠でしょう。
おもしろい人間になるために、私は知的生活を楽しみたいと思います。

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家庭の風通し

私事であるが、10月20日に男の子が産まれた。

そこで思うのは、親から子への愛情である。


子どもを育てていく上でそれはいつだってあるだろう。

しかし、子どもは親からの愛情を感じられない場合がある。

親からすれば「言わなくてもわかるだろう」の世界。

親にとっては「自明の理」というか、当たり前過ぎること。

しかし、子どもの側はそんなことまったく「当たり前ではない」

ここに意識の差があり、すれ違いが生じる。


私が勤務していたひきこもり青少年の施設でも「自分は親に大切に思われてなんかいない」とか「こんなダメな私なんて・・・」という声を数多く聞いた。

「あなたを大切に思っている」なんて言葉に出しては普通言えないものである。

照れくさい。言うのははばかられる。

ここのあたり日本人は苦手分野だろう。

欧米人は「I love you, Tsuyoshi」なんて歯の浮く言葉を平気で口にしたりする。

時には彼らの直接的な物言いに学ぶべき点もあると思う。


面と向かって言えないそんな時に活躍するのが、他人の存在である。

すなわち自分の親以外の大人。

子どもはよその家の大人と接するなかで「へぇ、おとなってこんな風に思っているんだ~。意外だったな~」とか、「大人って大したことないんだ。自分と同じでダメなとこあんじゃん」とか「いやぁ、おとなってすげえな。勝てねえや」とか「まじこんな大人にはなりたくない」とか、いろいろ感じるものである。


そんな家族以外の大人との交流、ふれあいのなかで気づくことがたくさんある。

昔の日本にあった大家族社会には、父親、母親、姉、兄、祖母、祖父、義姉、義兄などたくさんの大人のモデルがあったし、親の言っていたことの本当の意味を教えてくれる回路があったり、ガス抜きの装置があった。


今の核家族にあるのは、閉塞感や息苦しさである。


他人という風は家庭に予想外のいいことを運んできてくれる。


「家庭を風通しよくしてみませんか?」である。


他人の家で夕食を食べたり、お泊りをしたり。

そんな小さなことが子どもにとっては大切なのである。

いや、大人にとっても大事なのかも知れない。


そんな社会に子どもたちの問題を解決するヒントが隠されていると思う。

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