スペシャリスト

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失敗して、失敗して、失敗して、それでもたゆまぬ努力を続けることができる先にあるものではないかと思います。





以下、引用


「スペシャリスト」

長崎総合科学大学附属高等学校サッカー部
【とある日の小嶺説法】

「スペシャリスト」
君達は誰のために日々の練習をやっているか…
お父さんの為か?
お母さんの為か?
違うと思う。
もちろん自分の為だよな?
勉強も、自分の為にするんだよな?
自分の為に一生懸命やることによって、それが社会の為、家庭の為になる。
君達の親御さんも、君達の成績が良くなってくれれば、いい選手・チームになってくれれば、立派な人間になってくれれば喜ぶと思う。
自分の為にやることが、社会の為に、家庭の為に、仲間の為になるんだ。
君達は毎日、自分の為に日々練習をしていると思う。
俺はよく、「スペシャリスト」という言葉を使うんだけどな。
「あの人はすごい!」というような人にならないといけないと思う。
ニュースで見た人もいると思うが…
最近、日本からノーベル賞を2名受賞したよな?
すごいと思わないか!?
ノーベル賞なんて世界で何人かしか貰えないんだぞ。
でも、この人達は、ノーベル賞を目指して頑張っていた訳じゃないと思う。
いずれにしても、国の為などじゃなく、自分の研究の為に一生懸命やった結果が、ノーベル賞として贈られたと思うんだ。
ノーベル賞を受賞する人には共通点があると思う。
ノーベル賞をとる人は、その自分の専門分野を磨くためにトコトンやっているということ。
研究成果を得るまで多くの失敗を経験していると思うんだ。
何十年も同じ研究をやるんだ。
微生物に関する研究なら、その研究をトコトンね。
最近、ノーベル賞を受賞した人だって、もう80歳になっているんだ。
オレは何十年もその研究をトコトンしていたからノーベル賞を貰えたと思う。
本当にすごいよな!
成功するには、トコトンやる、その道の「スペシャリスト」にならないといけない。
サッカーに置き換えてみよう。
君達は練習を毎日している。
失敗だらけなんだ。
でもね、最初からうまい人なんていない。
皆、最初からうまい訳じゃないんだ。
努力して、努力して、努力してとしているからうまくなる。
だから、一流選手は稀になる。
失敗せずに、最初からうまかったら日本人はスペシャルな人が多すぎて、価値がなくなる。
スペシャルな人は、本当に貴重な人だから価値があると思う。
失敗する事は悪い事じゃない。
恥ずかしい事でもないんだ。
失敗することによってうまくなる可能性が見えてくる。
失敗して、チャレンジして、失敗して、チャレンジして、と繰り返しているうちに、ある日突然、成功のきっかけを掴むんだ。
スペシャリストはどうやって生まれるか…
どうすればなれるのか…
人間、1日24時間平等にある。
この24時間、いかに専門分野のことを考え、行動していけるかだとオレは思う。
君達に置き換えると、いかにサッカーのことを考え、練習し、練習以外の所を過ごしているかだ。
簡単にいうと、各自の自主練習にあると思う。
今、朝練習をした。
このトレーニングの時間は皆、一緒だよな?
でも、このトレーニングの前に、朝、皆より早く来て、いかに自主練習をできるか。
夕方の練習が終わり、いかに皆より長く、自主練習をしているかだと思う。
より長くといってもダラダラとしていても時間を無駄にしているだけだからな。
目的を決めてやっている事も重要だ。
この二つも大切だ。
″discipline″と″creative″
この二つの意味は分かるか?
まぁ、分からないだろうな(笑)
″discipline″は規律、規則。
″creative″は創造性、発想力。
スペシャリストになるためにはこの二つがとても大事だと思う。
挨拶、約束の時間に遅れない、練習に遅れないdiscipline。
自分のアイディア、自由な発想のcreative。
このcreativeで想像していたことをチャレンジすることによってスペシャリストはスペシャリストへとなっていった。
失敗のほうが多いだろうけども、そこで諦めなかったからスペシャリストになった。
スペシャリストはそう簡単になれる訳じゃない。
でも、今自分がやっているサッカーをトコトンやることによって、スペシャリストになれる可能性は十分あるんだ。
今、君達が勉強をしている。
サッカーをしている。
それは誰のためでもない。
自分自身の為にしているんだ。
自分自身の為にしている事が、社会の為、家族の為になっているということ。
自分自身の為、サッカーの練習をしていることが、仲間のため、チームのためになっている。
自分自身のため、トコトンその専門分野を磨く。
そうすることでスペシャリストは生まれるんだ。
もう一度、誰の為に練習しているかを考えて、これからの練習を行うように!
今日の話しは終わり。
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子どもたちはサッカーを純粋に楽しみに会場に来てくれます。


思い通りにいかないことだらけ(>_<)
この場所に


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でも、同時に

ここにしかない楽しみや喜びがあるのをわかっているんだと思います。



「全ては自分が取り組んできた日常にある」


クラブでは

1つの大きな感動を味わうため
何かを成し遂げるため
いざというその時のため

地味で無駄と思われるようなことを地道に積み重ねていく大切を伝えていきます。
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「ああー、おーーーーー!」と、
溜息が歓声へ

観客のスタンドへ響く声が物語るように
誰もが縦へのクリアと思ったプレー


縦へのクリアではなく、中央へのフィードに

ボールが来るのを信じて中央を駆け上がっていた選手へフリーでボールが渡ると、数的優位の状況でゴール前へ

結果、この流れからゴールが決まり
これが決勝弾となりました。

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多くのゴールは、圧倒的なボール保持やサイドから展開してクロスに合わせてドンピシャゴール!といった崩した形からのゴールではないもの

また、誰もが縦へのクリア(ロングフィード)と予想した常識を覆したところから始まったゴールまでの流れ

ちょうど、岩政さんの本を読んで、「そうやねんな」と感じていたことが目の前で起きた瞬間でした。

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そこまでの間、集中を切らさなかった(練習で積み重ねていた?)京都サンガユースの素晴らしいゴールシーンだったと思います。


その始まりのプレーが、ゲンキからだったのも感慨深いものでした。


アヤセもフル出場^ - ^

観戦に行けませんが応援しています。


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成長のニオイ

テーマ:
新しく立ち上げたクラブ

ほぼ全員が未経験です。

同然ですが
ほんまにイチから^ - ^


ほぼ全員が揃ったのが11月からなので、その2回の練習を観ての感想ということになりますが、大きく成長しそうな空気感が早速出てきました


全員が同じスタート
高学年がいない
お互いをまだ知らない

そんな状況なので
「誰々が上手い」という感覚が生まれていません

勿論「うわーこの子すごい!」という
感嘆の声もありません


全員が怖いもの知らず

「俺が俺が」という自己主張のパワーがすごい(>_<)

しかし、まだまだ未熟なところも多いので、自己主張が強すぎて、相手のことを考える余裕がない状態

だから、少しずつ片鱗を観せているのが、(リスペクトに欠けた)他人との衝突

これこそが自分が感じている「大きく成長しそうだな」を漂わせる空気感です


クラブはサッカーを通して子どもたちが子どもたちの社会でお互いにぶつかり合える場でもあります

ぶつかり合いは、経験を肉付けしながらも自分の余計なものを削ぎ落としながら「主体性」を養える絶好の機会です


できる限り大人が介入することなく、問いかけるタイミングは見計らいながらもじっくり見守りたいと思います



「大丈夫」
「失敗していいから」
「やってみよう」

口癖のように使っている言葉



やればできる
やらねばできぬ
何事も

それならやろうよ


っていう考えから発信していました。



立ち上げるクラブの名前を何にするか?

好きな言葉、素敵な言葉
スペイン語、ポルトガル語、イタリア語に変換したら…

なんてことは、ゴマンと考えました。


そんな中、思いついたのが
自分が普段から何を思い、伝えていたのか


「大丈夫」
「失敗していいから」
「やってみよう」


やればできる
…可能性


カノウセイ!


そこが出発点です。

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笑顔が溢れる場所
子どもたちが輝く場所を創る第一歩


チャレンジスタートしました。


大人の思惑なんて
子どもたちには全然関係ありません。

正解があるのではなく
そこに笑顔が溢れているか


楽しさを分かち合い
悔しさや歯痒さも楽しみに
楽しいことをもっと楽しめるように






「やってみたい」「たのしそう」という感性を大切に



5年ぶりに受け持つことになったサッカースクール

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彼、彼女らと全力で駆け抜けた1年間

本当に本当に楽しかった。

もっともっとやりたいことは山ほどあるんだけど、後悔ということとは全く違う気持ちでいれるのも、毎回が最後の1回くらいの気持ちで挑んだ1年間だったからこそだと思います。


だから、みんな終始笑顔

最後の挨拶も、(まったねーくらいの感じで)感傷に浸るなんて時間は微塵もありませんでした。

自分が送り出してもらったんだろうな


子どもたち、応援いただいた保護者の皆様
1年間、本当にありがとうございました。