吹奏楽考

テーマ:

昨年から吹奏楽の指揮活動を始めた。

 

十数年間の休養(?)期間を経ての活動再開だけれども、

吹奏楽界も少しは変化が有ったかと思いきや

かなり悪い方向へと突き進んでいる感じがしてならない。

 

何がそう思わせるのだろうか. .!?

 

音楽への取り組み方

私にはその部分が一番大きな要因だと思えてくる。

 

あと、その次の要因としては

“吹奏楽”という音楽ジャンルの創作方法に有るのではないだろうか。

そして、あくまで比較という部分からの考察では有るけれども

同じ曲による“日本人と西洋人の音色の在り方”の根本的な違いによる

曲の捉え方の違いの大きい事だ。

 

人が、音楽をどう捉えて取り組んで行くかの違いは

とてつもなく大きいと感じる一人である。

二つの映像を見比べて見ると、

指揮者への意識の有り様が全く違う事に気付かされてしまう点、

私は大いに気になる部分である。

 

果たして、日本の吹奏楽に未来は有るのだろうか。

 

AD

人生のやり直し

テーマ:

いよいよ、そういう時期に来ている。

今年が或る意味、それを考える最後の年代となった。

早いものである。

 

ゼロからの再出発、という見方も取れるが

そういった話では無く、「生きる視点」の話しである。

 

“還暦”とは、そういう年齢なのかもしれない。

 

必要とされる されない に関わらず

人生を歩まなくてはいけないいのが人の務め

なのかもしれないと思える様になった事。

 

人生とは、即ち 修行。

 

AD

老後. .

テーマ:

そろそろ考えなくてはいけない年齢になって来ました。

外見は、そう見えませんが‥(;^_^A

何と言っても、今年は50代最後の年度なのですから。

 

結構、身体は満身創痍なのです。

 

一番大きい要因は、自律神経 でしょう。

その次に、腰と首。

どんなに体力を付けても、ほぼ回復しない部分かもしれません。

勿論 判りませんが。。

でも、、、

身体に絶対メスは入れたくありません。

メスを入れたら、更に神経がやられてしまいます。

“薬” でです。

風邪を引いた際にも殆んど飲まない薬

でも、肉体改造している効果は少しずつですが出て来たので

出来るだけ、この方向で進めて行く予定です。

 

基礎体温を上げる事で、抵抗力が付いて来ました。

 

只、先日ブログにも書きましたが

先輩が若くして亡くなってしまった事などを考えると、

色々な事を準備しておかなくてはいけません。

蓄えが有る訳では有りませんが(苦笑)

気持ちの整理などは徐々にして行かないと、という気持ちです。

 

いつか、職業音楽家では無く、アマチュア音楽家として

人生をやり直せたら と考える日が多くなりました。

 

そして、必要とされる人生。。

 

そんな気持ちで一生を振り返られたら、どんなにか素晴らしい事でしょう☆

 

AD

寿命と使命

テーマ:

大学時代の尊敬する声楽家の先輩が、3月末に亡くなっていた。

3歳上の先輩。

ある意味、私の音楽感性を認めてくれた人だ。

 

かつては、藤原歌劇団のプリマドンナを務めていた事も有り

華やかなソプラノ歌手であった。

しかし、学生時代は地道にアルバイトしながら学費を稼ぎ

勉学に励んでいた面を知っている人間としては、何とも残念でならない。

才能も有ったのだと思うが、

努力で登り詰めた人だったと私は思っている。

 

何回か伴奏の仕事でご一緒させて頂いたし

オリジナル音楽を要した企画ライブに足を運んでくれた事が

何より嬉しかった。

有り難い、そして暖かくも音楽には厳しい先輩であった。

 

先輩のご冥福をお祈りすると共に、

まだこの世に生のある私の使命を全うする事が大事だと

改めて思い直した次第である。

 

寿命は誰にでも訪れる。

が、その限られた寿命を全うする方法は千差万別だ。

誤解を恐れずに言うと

私は、音楽活動を通して使命を果す事を人生として選択した。

 

人生を全うする時が、音楽活動の最期となるだろう。

先輩が生きた以上に人生を全う出来れば良いのだが。。

迷い. .

テーマ:

今年も半分が過ぎようとしている. .

59歳の一年。

 

来年は、人生をもう一度やり直す最初の年。

 

肉体は若い頃とは違い、徐々に衰えて来るもの。

それでも人生をやり直す事の意味は何なのだろうかと

思い返す日々☆

使命だけでは生きられない。

やはり、其処には「喜び」が伴わないと難しいものだ。

虚しさだけが残ってしまう。

 

音楽って何だろうか?

 

究極、人生に必要なものなのだろうか?

 

自分の生きる価値を見付ける為の

後半の人生なのかもしれない、と感じた一瞬。

 

雑感

テーマ:

音楽の在り方。。

日本では、いよいよ瀬戸際まで来たのかなぁ~ と思う。

 

何故そう思うかと言うと、、

吹奏楽でも合唱でもオーケストラでも、何某かに携わっている人達は

自分達の演奏はもとより、人の演奏を聞かない という事。

特に ある程度、技術なりを習得した人に多く見受けられる。

勿論、そうでは無い人も僅かでは有るけれど居るのだが

問題は聴き方だろう と考えている一人だ。

 

聴き方。。

 

批判と感想とを区別出来ない事が大きな要因だろうと思われる点。

自分達の考えている事が全て(善)で、それが伝わらなかったり

或いは、その視点から外れたりすると批判として受け取ってしまう事。

なので、コンサートに行ったとしても

感想を述べる人が殆んど見受けられない点に

大きな危機感を抱くと共に、

客観的に自分達の演奏を聴いたり見たりする事が

出来なくなっているのでは無いかと最近は考える様になって来た。

つまり、もっと厳しい言い方をすれば

人間(日本人)の五感が衰えて来ている、いや 或いは

衰退しているのでは無いかと思える事。

 

アマチュア(の言葉)に付いては以前書いたので省略するが

彼らの音楽姿勢は、そのまま職業音楽家の姿でも有ると認識している。

恐らく、此処まで書くと必ず 違う!!

という人が出て来るだろうと思う。

しかし、特にアマチュア音楽界で聞こえて来る音色なり

ピッチ感に関して、あまりの現状を見るにつけ

「耳」の悪さに痛感させられるからだ。

 

吹奏楽界で持て囃されている、純正律や平均律。。

学問として研究するのは良い事だし意味が有るが

しかし、今現在の楽器の性能や奏者の技術なり音楽観を考えれば

この音律が生まれた時代や世情背景を省みても

全くとは言わないが、実践するのは意味を成さない場合が多い。

合唱の場合はまた事情が少々違って来るのだが

何れにしても、

導いて行く音楽家の“耳”の悪さは、あまりにも. .!? と言わざるを得ない。

 

色々な方々の演奏を聞く事で、耳が養われる。

その養われた耳を通して、どういった音楽を構築し 奏で、聴衆に届けるか。

 

根本を理解しないまま音楽の質を高めようとしても

屋台骨の無い、只の衣を羽織っているだけに過ぎない。

そんな音楽を誰が聞くのだろうか?

音楽愛好者と呼ばれる方々が音楽を聞かなくなった理由、

もし其処に原因が有るとしたら

それこそ人が音楽をする意味が無くなってしまうのではないだろうか。

機械で充分で有る。

ミスが無いのだから。

 

それでも人が音楽をする理由は何なのか?

本来在るべき音楽の姿、或いは真の姿を追い求めての事ではないだろうか?

そう思いながら地道に活動している音楽家を探したい。

 

それについては、プロもアマも関係無いのだから。

 

疲れた時は..

テーマ:

此処の所、疲れが抜けない日々が続いている。

 

新たに挑戦する事や

復活させた事、、、

色々と組み換えて始めた事 etc.

 

若くはないんだなぁ~ と、今更ながら実感(笑)

でも、こればかりは仕方が無いのだけれど。

 

チョッとだけ休養☆

 

スカイツリー

テーマ:

23日の日曜日、、

仕事が終わって住吉で用事を済ませ

その住吉から恩賜公園を抜けてスカイツリーまでの真っ直ぐな道のりを

歩いて行って来た★

 

3km強なのかなぁ~、結構歩いた気がする。

 

スカイツリーが完成して初めての訪問..(笑)

 

今年は桜がまだ散っておらず、花見も出来たので結構良かった!

それにしても 凄い人の数だ。

外国人の団体も多く、色々な国の言葉が飛び交っていた。

 

身体の調子が良く無いと、中々こういう事も出来なくなって来た二人。

出来る内に色々とやっておこうと思う、昨今です。

 

二人とも、独身時代より、結婚してからの方が長い人生に突入です。

 

アマチュアの存在意義

テーマ:

市川ウィンドオーケストラを指揮する様になって

再び考える機会や時間が多くなって来た。

 

アマチュアとは?

 

言葉の語源を辿れば、人を愛する形の

ラテン語「amator(アマトール)」 からの由来だと記してある。

時が経つに従い、芸術やスポーツを愛する人達が現れた事により

彼等を amator と呼び始めていった様だ。

その後、そういう人達の中に “仕事” として活動する人達が現れた事で

そういう職業人達を professional(プロ) と呼んで区別していったらしい。

 

ココで考えなくてはいけないのは、プロという語句についてもなのだが

アマチュアという言葉の対義語では無い と考えられる点。

つまり、素人と専門家 では無いという事だ。

 

アマチュアという語句は、本来!

“一途”に芸術やスポーツを愛する姿・形を表現した言葉で有り

その道に卓越した技術を持っていなければ

表現出来ないものを持っていた人達の事を指している点なのだ。

そして、プロの原点はと言えば、、

これは私の価値観だが、大道芸だったのではないだろうか という事。

路上なり空き地に於いてパフォーマンスをする事で、対価(生活の糧)を得る、

それを職業として活動していった形がプロなのではないかと。

つまり、、、

アマチュアという 「心」の部分が根底に無い限り

プロとして 職業として活動出来ない、或いは なれなかったのかもしれない。

 

それ程、心の有り様が左右する分野でも有ったのだろうと推察出来る。

一つの事を愛する姿・活動には

並大抵な事では無いエネルギーを注がなくてはいけないし、また出来ないものだ。

それが有っての、プロ だとも思う。

 

私も含めて、その原点を踏まえた活動をしている職業音楽家が

今 どれほど居るのだろうかと考える日々が続いている。

市川ウィンドオーケストラとの出会いは

そんな日々の活動の中から、運命的な出会いになったと感じる事。

 

正に、一期一会なのだ。