ちょっと今日は過去の話です。




昔の僕は ジャイアンでした。


ジャイアン



小学生の時も


中学生の時も


高校生の時も




普通は、ジャイアンであれば

のび太の様な人があらわれ


いつか下克上を受けて

没落する




その没落から反省して

いつしか


ジャイアンを卒業する



ただ、僕の地元は 田舎で

のびたやスネ夫的存在はいたにはいたけど




でも、ジャイアンはそれだけ 強かった。



だから下克上にも負けずに ずっとジャイアンだった




そう。。。



傲慢




ジャイアンの頃の自分の考えは


自分がジャイアンだから、人は、全てジャイアンと思っていた。



だから 


嫌なことは嫌だと。


うれしいことはうれしい


やりたいことはやりたい



そんな当たり前の表現を

当たり前に 


そう


自分と同じように みんなもそうだと



決めつけていた。


だから僕は

自分がジャイアンであることすらに 気がつかなかった。




何が言いたいブログかというと

人は結局のところ 分かり合えないということ。

自分のことすらもわからないのに、人のことをわかろうとするなどできないということである。




ただし、人を知りたいと思った その感情が

人と人との距離を近づける 第一歩になるんだなと


成長してやっと気がついた 愚かなる自分でありました。