2004年12月26日

彷徨えるこころ

テーマ:ダブル
もはや、私の行く手を拒むものは何もなかった。

私はどうすべきなのか?何度も自問自答した。

多恵子と知代。。。
都合よく棲み分けていたが、私にとっては
二人とも大切な存在であることは違いなかった。
いや、いっそうのこと全てを白紙に戻して
ゼロからのスタートをとるべきであろうか?

多恵子との付き合いは、既に15年になっていた。
親族以外では、最も私をよく理解している女性であった。
もはや彼女との間には、別れという概念すら持ち得ない。
できることなら、お互いの時間をとめて
ずっと恋人同士でいられたら。。。と思っていた。

知代は、ついたり離れたりしながらも
一途に私についてきてくれた。
彼女は決して器用ではなかったが
堅くて賢く、時としてはっとするような行動力があった。

今すぐ答えを出す必要はなかったが
いずれ答えを出さねばならない。
自ら答えを出す必要はなかったが
それが結果的に自分自身を束縛することになる。
そんなことを考えながら、私は二人の間を彷徨い続けた。

行く手を阻むものは、確かに何も無かったが
踏み出せずにいる自分が、一人ぼっちで立ちすくんでいた。
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2004年12月25日

転機

テーマ:ダブル
独身でいること
自由気ままな豊かな生活。。。
その一方で、齢を重ねるに連れて
誰もいない部屋へ帰る寂しさも感じていた。
この状況を一番案じていたのは母親だった。

ちょうど二年前
週末を利用して、母親を中華街に連れて行った。
一人暮らしをはじめて、最初の招待だった。
それほど高くないセットメニューを頼んだが
出される料理を食べきれない、そんな状況に
お互い歳をとったのだなぁ、という現実に気付く。
そして、母親の顔に苦労の数と同じか
それより多いであろう皺をみて、ふと涙が浮かんできた。

母は何気ない会話の中に、ひとつのメッセージを込めてきた。

「もう自分自身の幸せを、考えていいんだよ」

周りの人は決して気づくことのない
苦労を共にした親子だけがわかる会話だった。

現実に目を向けたとき、父親の死は
私の最大の心配事がなくなったことを意味していた。
母親は幸い健康で、自立した生計を立てている。

もはや、私の行く手を拒むものは何もなかった。
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2004年12月20日

不吉な予感

テーマ:ダブル
仕事に追われる多忙な日々
自分の罪を覆い隠すには、余りにも都合が良かった。

私は、仕事で大きな転機を迎えた。
業績が不振であった担当先に
関する再生プロジェクトが立ち上がり
私はそこへ出向しながら
プロジェクトを遂行することになった。
担当先では経営企画の管理職
出向元ではプロジェクトの担当者
つまり、仕事上でも
「二足のわらじ」を履くことになったのだ。
それまでも昼夜を問わず働いてきたが
ここからの2年間は
筆舌に尽くし難い、過酷な状況になっていった。

年間数日間となった休日は
ひとり暮らしを始めた自宅で
二人の彼女のうちのいずれかと過ごしていた。
一緒にいる時間が僅かなので
同棲のような感覚は無かったが
台所に立つ彼女達を見て、何となく
見えない側面に気付かされることが多かった。
だが、これからの将来を考える余裕など
何処にもなかった。

そんなある日
通勤途上で私の携帯電話がなった。
前日は日曜日だったが、夜中まで会社にいたので
仕事の連絡が入るとは考えにくかった。
午前8時前、友人が連絡してくるには早すぎる。
多恵子?知代?普通なら、メールをしてくる筈だ。
短い時間に色々なことを考えながら
胸のポケットにある携帯に手をかけた。

私には、心の奥底に
思い当たることが、ひとつだけあった。
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2004年12月16日

マイペース

テーマ:ダブル
博美の敷く導線にしたがって
私は気持ちの赴くまま走りつづけた。
行き着く先に、不安はなかった。

博美と付き合って一年ぐらい経った頃
彼女は大きく舵を切り始めた。
家族のことや将来のことを聞き始めたのだ。
私は圭の時の経験や家庭環境の不安定性から
彼女のペースに少しだけブレーキをかけようとした。
博美は賢かった。圭のようにはあせらなかった。
しかし、この時を境に
二人のペースは私が握ることになった。

私はこのタイミングで結婚する意志はなかった。
父親への不安が、その理由のほとんどを占めていた。

博美への愛情がある一定の深さに達していくと
私はそれを維持しようと努めた。
それ以上、深くも浅くもならないように。。。

同じような理由で
多恵子への想いはいつも変わらなかった。
正確に言うと、彼女とは性格面での不満もあったので
必ずしも家庭環境だけが影響していたとはいえなかった。
しかし、私は彼女との関係を壊すとういう
必要性を感じていなかったし、勇気もなかった。
彼女は私の最大の理解者でありパートナーであったからだ。

多恵子と博美のバランスを何処で崩すのか
私は明確な答えを持っていなかった。
それを出さないことが
私にとって最も都合のよいことだったからだ。

30歳。。。
仕事にも恋愛にもパワー全開になっていた。
時間が瞬く間に過ぎていった。
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2004年12月11日

充実感と余力

テーマ:ダブル
私は多恵子と知代を行き交う生活に
再び舞い戻っていった。

上京してからの4年間
私の生活は比較的安定したものとなった。
仕事は望みどおりの内容で進めることができ
自分なりの充実感と納得いく評価が得られていた。
社内での職階も順調に上がり
結果的に経済面の余裕が出てきた。
結婚できないという割り切りから
自由な恋愛を楽しもう、という気持ちになり
私は多恵子と知代に向ける愛情を
自分だけの都合で振り分けた。
何も知らない彼女達は
私の気持ちに黙ってついて来てくれた。

少年時代。。。
恵理と過ごした高校生のとき
大人の恋愛に強く憧れていた。
なんとなくそれが実現できている
そんな充実感が漂っていた。

私は貪欲であった。
まるで何かに追われるように
走ろうとしていた。
そのときでも十分だったのに
自分の余力を何かに振り向けようとしていた。

ある日、職場の後輩から飲みに誘われた。
彼の交際相手を紹介したいという。
合コンなんてするつもりは毛頭ないのだが
そのときの成り行きで、彼の彼女が
職場の同僚を連れてくることになっていた。

人生の綾は、どう絡むか本当にわからなかった。
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2004年12月10日

やりなおし

テーマ:ダブル
異動に気付いた知代が
仕事中の私のところにやって来た。

彼女は私の在阪中ずっと
手紙を社内便で一方的に送りつけていた。
私は一切返事を出さなかったのだが
彼女の思いは変わらなかったらしい。
その思いが純粋なだけに
気まずさとか遠慮とかという
普通であれば気にするであろう感覚が
彼女には全くなかった。

私は半ばあきれた思いで
彼女を社内の喫茶店へ連れ出した。
そのとき交わした会話の内容は
本当にたわいのない話だったが
私には彼女の気持ちが十分すぎるほど
伝わってきた。そして何かから逃れるように
知代との関係を復活させた。

大阪から戻って約半年
新しい仕事にも慣れ始めていた。
多恵子との描ききれない将来。。。
「実家の事情で結婚できない」
ここから結果的にもたらされる、恋愛の自由。。。
知代の一途な思いへの優越感。。。
これらの状況が、私を軽率な行動に導いた。

私はこうして
多恵子と知代を行き交う生活に、再び舞い戻っていった。
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2004年12月09日

再会

テーマ:ダブル
相手が誰であれ、自分の家庭を持つなど
考えることすら出来ない状態となっていた。

このときに多恵子と
将来の一歩を踏み出させかったのは
偶然といえばそれまでかもしれないが
運命めいたものを感じざるを得えなかった。
多恵子もこの状況を理解していたので
全くといっていいほど
自分の存在を強く主張してこなかった。
私は、多恵子の厚意に甘えるしかなかった。

もう一つの運命的な出来事があった。
私が異動した先は本社であり
そこには別れた知代も勤務していた。
彼女は私の異動を知ることが出来る筈だが
実際に気が付いたのは3ヶ月も後だった。
異動直後は私も気になっていたのだが
所詮終わった恋の相手であり、気まずさもあって
彼女が私を避けているものと勝手に思い込んでいた。

そんなある日
席の後ろから、聞き覚えのある声が聞こえた。
「来ちゃった」
知代だった。異動に気付いた彼女が
仕事中の私のところに来たのだった。
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2004年11月13日

身勝手な振る舞い

テーマ:ダブル
こうして私のパレットには
圭という新しい絵の具が落とされ
その鮮やかな彩りが私のキャンバスを染め始めていた。

私は多恵子と圭の間を
自由気ままに行き交った。

多恵子との関係は相変わらず良好だった。
彼女と出会って5年余りの月日が経ち
二人には一定のパターンが出来上がっていたが
それを「マンネリ」と思わず「安定」と感じてくれていた。
私は毎週末、多恵子と時間をともにして心ゆくまで愛し合った。

圭との関係も順調だった。
毎日みる職場の顔と
二人のときの女の顔
この相違を存分に楽しんでいた。
そして彼女の女としての側面を攻め込むこと
それが、私の征服欲をかきたてた。
圭は淡白な方であったが
私は拒まれるまで強引に求め続け
彼女もまた、それに答えていた。
くたくたになった彼女を抱きしめて眠るのが好きだった。

二人の愛を同時に享受することは
決して説明できるものではなかった。
それでも私は裕子の時と同じように
いやそれ以上に、多恵子と圭の愛を貪欲に求め続けた。
恵理、そして江利子との恋愛に失敗したトラウマだった。

私はこのように身勝手な振る舞いをしていたのだが
物事が上手く進むときは
たとえ時の流れに身を任せていても
次から次へと良いことが続くものである。
ある日、仕事の都合で本社へ行くと
廊下に見覚えのある子が一人で歩いていた。
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2004年11月10日

反撃

テーマ:ダブル
江利子と過ごした盲目的な日々・・・
それは「都合のよい恋愛」に対する、絶好の口実となっていった。

社内恋愛の破局は職場間の決定的な打撃となるが
江利子との関係は中途半端な状態で終わったので
お互いが正面から足を引っ張り合うような事はなかった。
ただ今後、彼女は様々な局面で
私が彼女に惚れていたという事実を
自慢気に話していくだろう事は想像に難くなかった。
(実際にそうなった)

一方、私は救われたことも多かった。
今回の話を知るものは、支店内に僅かながら存在した。
そのだれもが、彼女を勧めなかったし
「彼女を奴にくれてやれ」という意見が多かった。
そしてその人達は、仕事でもプライベートでも
それ以降私を完全に、サポートしてくれた。

私自身にもある種の開き直りがあったため
この恋の痛手から抜け出すのにはそんなに時間がかからなかった。
いや抜け出すというよりは上塗りをしたというほうが正確かもしれない。
そういう意味で、私は江利子が噂を広める前に先手を打った。

営業の私は事務の女性と接する機会が多く
私に際立って好意的に接してくれる人が何人かいた。
その中には、江利子とは相容れない女性もいた。
必ずしも華のある容姿ではないが
清楚できちんとした教育を受けていた。
上司や顧客からの信頼も厚く
その課の中心的な役割を果たす優等生だった。
私が入社一年目のとき
彼女には付き合っていた男がいて
その当時私は相手にされていなかった。
それから3年の月日が経ち
彼女はフリーになり、私は営業の中心となった。

ある日、事務処理のために私は書類を圭に渡した。
そのこと自体は取り留めのない行為であったが
私は初めて、彼女の瞳を女性として意識した。
普段から話す機会が多かったこともあり
二人だけで話していても周囲の目には違和感がなかったようだ。

そんな日常の中で
私はさりげなく彼女を誘い、彼女もそれに答えた。
江利子と圭は不仲であり、それを知った上での約束だった。



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2004年11月05日

マドンナ

テーマ:ダブル
社会人一年目、私は
恋にも仕事にも、夢中になって走っていた。

バブル期入社の新人には
過分なほどの研修が用意されていた。
約1年半、私はOJTを兼ねて
金融機関内部での事務作業に従事した。
配属された支店は、通っていた大学の最寄店で
社員はパートを含め100人程の規模だった。
その7割は女性であり
各課に御局様とマドンナがいた。
営業に配転されたのは入社2年目の秋で
目標項目を達成するのにがむしゃらだった。

一通り仕事を覚えた頃
ようやく同じ職場の女性を
女として意識しはじめた。
支店のマドンナの多くは
職場で恋愛をしていた。
普通は隠密に、稀に堂々と
支店内でカップルが存在し
その大多数が結婚退職をしていった。

私は仕事が面白くなり
実績では先輩達を次々と抜いていった。
仕事はどんどん増えていき
あっという間に根幹先を担当するようになった。
充実したウイークデイ、多恵子と過ごす週末
私の生活は、全ての面で安定していた。

そんなある日
私の営業補助をしていた女性から
恋愛の悩みを打ち明けられた。
長年付き合っていた
社外恋愛の彼と別れたという。
彼女は、営業課のマドンナであった。
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