2004年12月23日

父への手紙

テーマ:家庭の事情
お父さん、元気にしているかい?
もう早いもので
お父さんが逝ってから一年あまり
少し前に逝ったおじいちゃん
追いかけるように逝ったおばあちゃん
ようやく家族三人、水入らずになったね。

子供の頃
お父さんは大きかった。
どんなに背伸びをしても
追い越すことは出来なかった。
家の前の芝生で、よく
キャッチボールをしてくれたよね。
お父さんの投げる玉は早くて
とても真正面では受け止められなかったよ。

今僕は、やっと家庭を持って
毎日しあわせに暮らしているよ。
色々なことを考えて
守るべきものの多い嫁の家に入ったけどね。
結果的に家を絶やすことになったけど
それはお父さん、許してくれるよね。

今から思えば
お父さんはいつも貧乏と戦っていたね。
小さい頃、生きるために悪さをしていた。。。
自分の子供にはそうさせたくないって
言っていたそうだね。お母さんから聞いたよ。
確かに、僕は悪いことをせずに済んだよ。
でもね、お母さんがいなかったら
きっと同じ人生を歩んだかもしれない。
そして、結局は貧困がお父さんの命を奪った。。。
僕はね、三代続けて同じ過ちはしたくない
だから、お父さんを反面教師としていたし
守るべき家を変えたんだ。
わかってくれるよね。

お父さん
あと何年かしたら
僕もそっちに逝くだろ。
そうしたら、やりたいことがあるんだ。

ひとつは、一緒に酒を飲もう。
僕は小さいときから
酒におぼれたお父さんを見ていたから
今でも酒は飲んでいないよ。
でもね、一度徹底的に付き合うから
酔っ払いの理屈を聞かせてくれないか?
思いっきり、反論してやるからね。
その時僕は、絶対お金を払わないよ。
父親のかっこいいところ
一度で良いからみせてくれよ。。。

それともうひとつ
久しぶりにキャッチボールをしようよ。
僕の投げるボールを、真正面から受けてくれないかい?
少しは大人になった僕を見てくれよ。
悪いけど、手加減はしないからね。

僕は今、金融機関で企業再生をしているよ。
この平成不況は、沢山の大切な命を奪ったんだ。
微力ながら、僕は僕なりの方法で貧乏の原因と戦うよ。
同じ思いを二度としたくないし、させたくない
それが僕を支える、大きな柱になっているんだ。
どこかで僕は、お父さんの仇をとってくるよ。
きっと、みんなにも喜んでもらえると思うんだ。
お父さん、これからもずっと僕を応援していてね。

少し長くなったね。
言いたいことはまだまだ沢山あるけど
そっちへ逝ったときのためにとっておくよ。

ただひとつだけ、この場で言っておきたいことがあるんだ。
確かに貧乏はしたけど、お父さんに本当の
豊かさの意味を教えてもらった気がするよ。
そして、最高学府までの教育を受けさせてくれたこと
本当に感謝している。
ありがとう。そして。。。

僕はね、お父さんの子供でよかったよ!

それじゃ、お父さん
嫌なことを忘れて、そちらでゆっくり過ごしてね。
そして僕達のこと、見守っていてください。

あなたの生意気な息子より
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2004年12月22日

軌跡を追って。。。

テーマ:家庭の事情
今から思えば、そのぬくもりが
父に抱いていた憎悪の念から、私を解放したように思える。

翌日、身内だけのささやかな葬儀を行った。
納骨までの間、菩提寺のご本尊さまに
父親を預けることにした。

その翌日から
私は父親の軌跡を追って旅に出た。
仕事が山積みなのはわかっていたが
そんなことはもう、どうでもよかった。
忌引きの期間は、自由に自分を解放したかった。

父親がたどったであろう道程は、大体予想がついた。
人は、知っている道を走ろうとするものだ。
その道を、ただひたすら走りつづけた。
車窓からみえる山や川、草原、湖。。。
きっと父親も、同じ風景を見たに違いない。
私はただ黙って、自分の車を走らせた。
しかし、走っても走っても
父親の気持ちはわからなかった。
それが却って、自分自身を追い詰めて
アクセルを踏む力を、更に強くした。

この旅は、父親を理解しようとしたものだったが
結果的には、その死を受け入れる為のプロセスとなった。

時間がたっても
なぜか涙は出なかった。
それはこの世に生を受け
生きていくための術を身に付けた私が
自分の父親をある意味では超えていたからかも知れない。
ただ私は、あれだけ嫌いだった父親を否定してはいなかった。
なぜならば、私は父の遺伝子を受け継いだ子供だからだ。
私は父の死によって、自らの生の意味を思い知らされたのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は、ここに父への思いを打ち明けたいと思う。
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2004年12月21日

父のぬくもり

テーマ:家庭の事情
私には、心の奥底に
思い当たることが、ひとつだけあった。

携帯の声は
やはり妹だった。
私は一旦出社後
上司に事情を話し、すぐに自宅へ戻った。
そして妹と約束した時間の新幹線に乗り込んだ。

その北陸の街は
私達にとっては縁もゆかりもない
空の広い、とても静かなところだった。
タクシーで警察署へ行き
そこで本人確認のための質問を受けた。
そして、必要な手続きが完了すると
刑事さんが、ビニ―ルの袋を持ってきた。
その中には、見覚えのあるセカンドバックや腕時計
そして、決定的な事実を告げる免許証などが入っていた。

警察署から歩いて数分のところに
小さな名の知れないホールがあった。
まだ残暑ともいえる気温を考慮して
彼は冷暗所に、静かに横たわっていた。
最後に会ったのは母親が離婚を決意したとき
もう5~6年は経つのだろうか?
釣好きの日焼けした顔は
不思議なほど小さく見えた。

「馬鹿だなぁ」

最初に浮かんだのがこの言葉だった。
涙は出てこなかった。憎しみの方が大きかったからだろう。

「死ぬ気になれば、何でも出来るじゃないか」

そう思ったとき、私は自分自身の罪に気付いた。
そしてこの罪の意識を、私は一生背負っていかねばならない。

「お前は、こうなることをわかっていたのだろう?」

確かに、わかっていた。
父親には生活力が無く
死ぬ気になってもできなかったのだ。
彼には僅かな醜い選択肢があった筈だが
本人のプライドが、潔い自らの死を選ばせたのだろう。
縁もゆかりも無いこの街を、臨終の地に選んだのは
残される者への、せめてもの思いやりだったのかもしれない。

警察署へ戻り、残りの遺留品を確認した。
所持金は数十円、車の燃料はほとんど無かった。
父親は、残りの人生を燃料が尽きるまで走りぬき
この地にたどり着いた。そして自ら三途の川を渡ったのだ。

翌日、駆けつけた叔母とともに
父親を荼毘にふした。
子供の頃、あんなに大きかった父親は
とても小さな骨となって目の前に転がっていた。
私は父親の入った壺を胸に抱え、帰りの電車に乗った。
憎んでも、怒鳴っても、逝ってしまっては返答がない。
この世で起きた出来事など、もうどうでもよくなっていた。

まだ残るかすかなあたたかさが
骨をおさめた壺から伝わってくる。
今から思えば、そのぬくもりが
父に抱いていた憎悪の念から、私を解放したように思える。
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2004年12月08日

家庭崩壊

テーマ:家庭の事情
事前の相談も、話し合いの余地もないままに
突然、家庭崩壊が現実のものになってしまった。

母親の結論は既に出ていた。そして
それを留めるものは誰もいなかった。いや出来なかった。
私は両親の人生を束縛するつもりはなかったし
お互いの意思を尊重したいという気持ちがあった。
ただし、この家族の崩壊は単なる熟年の離婚では
片付けることができない、もっと深い問題が内包されていた。
父親が普通の人生を送ることが出来ていたのは
母親の支えがあったからだ。もし、この二人が別れると
父親の生活力の大半がなくなることになる。
特に、経済的な問題はそれほど遠くない将来に
実現するであろうことは、容易に想像できた。

こうして、私の家庭は崩壊した。
それ以降、私は父親との交流を避けた。
長男として、経済的な支えをすべきだったが
母親と妹夫婦から、それを止められた。
「父親への支援は、それだけ彼の自立を遅らせる」
そういう見方があったからだ。確かにそれは真実だ。
しかし、人間に生活力がなくなったらどうなるか?
私の中では、答えが見えていた。解っていたのだ。
それにも関わらず、私は敢えて彼らの意見に従った。
このことは、一生背負わなければならない後悔となって
数年後、私に重くのしかかることとなる。

両親の離婚によって、私の不安は解決するどころか
父親の行動が見えないなかで、却って大きく増大していった。
相手が誰であれ、自分の家庭を持つなど
考えることすら出来ない状態となっていた。
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2004年12月07日

障害

テーマ:家庭の事情
私の多恵子に対する想いは、いつもその天秤に揺れていた。
そのバランスは、私が完全にコントロールできるものだった。

この頃、圭の結婚の話を噂で聞いた。
同じ社内だったので気にはしていたが
余りにも早い展開に驚くと共に
心配事が一つ消えた感も、正直あった。
そして、自分の将来を
少しばかり真面目に考え始めた。
このときに結婚を考えるならば
多少の違和感があるにせよ
相手は多恵子以外になかった。

ただし、当時の私には
結婚できない理由があった。
私は自身の家庭環境に大きな不安を抱えていた。
父が会社をリストラされ、再就職もままならず
無収入の状態が続いていたのだ。元々貧しい家庭で
母親がパートで稼ぐ収入に頼ってはいたが
明日のお金に苦心するような状況になると
家庭の平和はなかなか訪れない。お互いが感情的になり
たわいのない事が大きな溝になっていった。
私は独身寮に入っていたので日々の生活では影響がなかったが
こんな状態で嫁を向かい入れることなど、到底できなかった。

そんなある日、母親が家を出ると言い出した。
いつか、そうなるような予感はあったのだが
事前の相談も、話し合いの余地もないままに
突然、家庭崩壊が現実のものになってしまったのだ。
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