1 | 2 | 3 | 4 |最初 次ページ >> ▼ /
2004年12月31日

ご挨拶

テーマ:自己紹介
私はこのプログで
自分自身のこころの動きを綴ってきました。
表面的には、多重恋愛をする
優柔不断な男の行動となって表意されていますが
その奥底には、もう少し複雑な事情と心情を
なるべく正直に描いてきたつもりです。
言葉のリズムにも拘って書いてきましたが
そもそもの表現方法が未熟だったこともあり
すべての方にご理解いただけるような
理想的な形にはできませんでした。
それでも何人かの読者の皆様とは
この深い部分について共有することができ
あたたかいコメントや勇気、やさしさをいただきました。

みなさん、本当にありがとうございました。

そして、文章に綴ることにより
自分の中にあった不透明なものを整理し
新しい何かに向かって走ろうとする
前向きな気持ちを持つことができるようになりました。

プログにおける私の目的は、達成されたように感じています。

大変身勝手なことで恐縮ですが、私のプログは
このあたりで一区切りつけようと考えています。
今後についてはまだ何も決めていませんが
継続するとしても、何か別の形にしたいと思っています。

皆様にとって
来るべき新しい年がより良きものとなりますよう
こころから祈念して、ご挨拶に代えさせていただきます。
AD
いいね!した人  |  コメント(22)  |  リブログ(0)
2004年12月30日

私の選んだ道

テーマ:花嫁
私達が訪れた教会は
私の母校と同じ宗派で
創立者も同一の牧師さんであった。
まだ紅葉の残る軽井沢の小さな教会で
親族だけの、ささやかな結婚式を挙げた。

私の横には、知代がいる。
彼女の見せた一粒の涙が
私の背中をそっと押した。
それは小さな一粒だったが
新しい人生の種となって、私のこころに落ちた。
そして今、私はその種を大切に、ゆっくりと育てている。

今年のクリスマスに
私は知代と久しぶりに母校を訪れた。
シンボルとなる二本のヒマラヤ杉には
きれいなイルミネーションが飾られていた。
そこで、私はふと考えたことがあった。

私の選んだ道は正しいのだろうか?

私が充実した日々を切り開くことができれば
自ずから答えは見出すことができるはずだ。
今言えるのは、「後悔はない」ということだ。
結婚は二人の人生のスタートであって
目的やゴールではないのだから。。。
AD
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
2004年12月29日

多恵子への思い

テーマ:多恵子
彼女の必死の行動が
皮肉にも、私の判断を正当化する最後のトリガーとなった。

私は今でも多恵子と別れてよかったと思っている。
それは、私が多恵子のことを嫌いになったからではない。
確かに最後に彼女の醜い側面を見てしまったが
それを差し引いても、彼女は私のよき理解者だった。
私もこころのどこかで、彼女との接点を探していて
多恵子が時々夢に出てくるのは
きっとそんな深層心理の現れだと思っている。
しかし、私は多恵子を人生の伴侶に選ぶことはできない。
彼女のおおらかな性格が、時として曖昧なものに映り
私にはどうしても、それを許容することが出来ないからだ。

私にとって、多恵子は今でも「いい女」だ。
思い出の中で出てくる彼女は良い意味で艶っぽく
否が応でも男としての本能を引き出してくれる。
そして、彼女の作る料理も上手かった。
何より、彼女と過ごす何気ない時間が心地良かった。

多恵子との関係は15年にも及び
決断するには余りにも時間がかかりすぎた。
もうこれ以上彼女を拘束するのは出来なかった。
あと数年間付き合うことによって
もし私の心が多恵子に傾くなら
迷わず結論を先送りにしたであろう。
しかし、15年かかってわかったのは
15年経っても気持ちが動かなかったことだ。
16年目、17年目に気持ちが動くことはきっと無いだろう。
だからこそ、あの時点で結論を出したのだ。
15年は長すぎたかもしれない。。。
でも何を基準にして長いというのだろうか?
私達には、この時間が必要だったのだ。

多恵子にとって、私は最悪の男だろう。
それでもいい。いや、そうなっていて欲しい。
それで多恵子のこころが一日でも早く癒され
新しい恋の道へ出発できるなら、それでいい。
きっと、多恵子のことだ。。。
いい男を掴んでいるに違いない。
もしかしたら、既に多恵子にそっくりな
赤ん坊を抱いているかもしれない。
幸せなら、それでいい。

多恵子、君に出会えてよかった。
君を幸せに出来なかったけど
私は今でも君のことが忘れられない。
ずるいとか、ひどいとか。。。
どんなに罵声を浴びようが
僕は遠くから、多恵子の幸せを祈っている。
AD
いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)
2004年12月29日

最後のトリガー

テーマ:多恵子
取り乱した彼女は、言葉を発することができなかった。
その日は一旦、電話を切った。そして、彼女の抵抗が始まった。

数日後、私のもとに妙な手紙が届いた。
多恵子のストーカーをしていた、という男からだった。
その手紙には、二人しか知りえない内容が書かれており
最後には、次のような事が記してあった。

 多恵子は感度の良い女だ。
 今までストーカーをしてきたが
 新しい目標が出来たので、あなたに譲る。
 彼女は上げマンで、別れるのはもったいない。

私はすぐに、彼女の自作自演を疑った。
仮にそうではないとしても、この男は多恵子と
極めて深い関係にある人物であることは、間違いなかった。

それと同時に、多恵子からも
女を武器にした、脅迫状めいた手紙が届いた。
彼女は不幸にも、過去に流産をしていた。
(正確には、流産をしていたと思われる)
もし彼女が正常な妊娠をしていたら
きっと私は彼女と一緒になっていただろう。
男として、いつでも責任をとる覚悟は出来ていた。
だが、現実には何らかの理由で流産となってしまったのだ。
彼女の手紙には次のように記してあった。

 私は女としてのハンディがある。
 あなたの子をおろして子供が産めない体になった。

これが本当なら、私の決断は直ちに変更しなければならない。

しかしこれは、明らかに事実と異なっていた。
私は知り合いの医者に相談し、流産か堕胎かの判断を仰いだあと
彼女にいくつかの質問を投げかけ、決定的な彼女の嘘を見抜いた。
結果的に多恵子は、最も卑劣な嘘をついたのだ。

彼女の行為は、明らかに常道を逸していた。
過去に起こった不幸な出来事は、確かに彼女を傷つけた。
これに関しては、私自身にも責任があろう。
ただし彼女のついた嘘は、その一連の出来事とは次元の違う
人間性そのものを疑わせる行為だった。
それほど、彼女は切迫していたのであろう。
人間は極限状態の時にその人の本性を現すが
まさに多恵子の本質が見えてしまった。そしてそれは
二度と彼女と時間を重ねることを拒む、十分な理由となった。
これで、私のうしろめたい気持ちは無くなった。

私は心を鬼にして、彼女との接触を一切断ち
話し合いの場を持つことをやめた。
多恵子は必死に謝ってきたが
私は最後まで許さなかった。

彼女の必死の行動が
皮肉にも、私の判断を正当化する最後のトリガーとなった。
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
2004年12月28日

別れの電話

テーマ:多恵子
これから起こる出来事を知る由も無く
いつもの聞きなれた声が、いつも通り返ってきた。

GWを控えた週末
いつもならデートの約束をしていた筈だ。
彼女は何も知らず
いつも通り明るい声で
たわいのない話をしていた。
私は言いたいことをなかなか切れだせず
少しだけ自分自身にいらだっていた。
背中を押したのは、やはりあのときの涙の情景だった。
私は唐突に話題を変えた。

「これからの二人の将来を考えると
 もうそろそろ結論を出したいと思うんだ」

多恵子は黙って聞いていた。
彼女には、この言葉に期待感もあったのだろう。

「色々と考えたけど、どうしても君とは
 結婚という選択肢を選ぶことはできない」

それからのやりとりは、あまりよく覚えていない。
最初は信じられないという感じで聞いていたが
最後には、私の真意を理解し始めて、泣いていたように思う。
私が多恵子に告げた最後の言葉は、次のような内容だった。

君との出会いはかけがえの無いもので
今では私を一番良く理解してくれる女性だ。
だけど二人の15年間には
いくつもの転機があり、その都度
お互いが一緒になることを選択してこなかった。
遠慮や躊躇、家庭の事情など色々な理由があったのだが
それを乗り越えられない関係であったのも、紛れも無い事実だ。
そして、いつしか時間というものが大きな存在になっていて
15年という月日が、愛と情の区別を曖昧にし、それがゆえに
自分の正直な感情を仕舞い込む力となっていった。
君との関係は常に良かったが、その一方で
ベストの選択かと問われれば、決してそうではなかったと思っている。
君への気持ちが変わるなら、君との共有する時間を維持したい。
しかし、15年間変わらなかった事実はとても重く、
僕は今、ベストな答えを出そうと思っている。

取り乱した彼女は、言葉を発することができなかった。
その日は一旦、電話を切った。そして、彼女の抵抗が始まった。
いいね!した人  |  コメント(7)  |  リブログ(0)
2004年12月27日

決断

テーマ:花嫁
行く手を阻むものは、確かに何も無かったが
踏み出せずにいる自分が、一人ぼっちで立ちすくんでいた。

私は半年ほど
自分ひとりで悩んでいた。
なかなか結論が出せぬまま
ゆっくりと時間が過ぎていた。
今から思えば、何かの
きっかけを求めていたのだろう。

そんなとき
結果的に私の背中を押した
ひとつの小さな出来事があった。

これまで一緒にいて
一度も泣いたことがなかったのに
このときばかりは一筋の光るものを見せられた。
彼女はすぐにそれを拭い取ったが
私はそれを見たとき、体中に稲妻が走ったような気がした。

「お父さんとお母さんが生きている間に
           自分の嫁入り姿を見せたい。。。」

この一言が、私の心に強く響いた。

「これでいいんだ、これが選ぶべき道なんだ」

こころの中で、何度も何度もつぶやいた。
それは同時に、自分に言い聞かせるようなものだった。

数日後、私は別れを告げるため
静かに受話器を手にとって、指になじんだ番号を
ゆっくりと、いつもより時間をかけて押していった。
これから起こる出来事を知る由も無く
聞きなれた声が、いつも通り返ってきた。
いいね!した人  |  コメント(6)  |  リブログ(0)
2004年12月26日

彷徨えるこころ

テーマ:ダブル
もはや、私の行く手を拒むものは何もなかった。

私はどうすべきなのか?何度も自問自答した。

多恵子と知代。。。
都合よく棲み分けていたが、私にとっては
二人とも大切な存在であることは違いなかった。
いや、いっそうのこと全てを白紙に戻して
ゼロからのスタートをとるべきであろうか?

多恵子との付き合いは、既に15年になっていた。
親族以外では、最も私をよく理解している女性であった。
もはや彼女との間には、別れという概念すら持ち得ない。
できることなら、お互いの時間をとめて
ずっと恋人同士でいられたら。。。と思っていた。

知代は、ついたり離れたりしながらも
一途に私についてきてくれた。
彼女は決して器用ではなかったが
堅くて賢く、時としてはっとするような行動力があった。

今すぐ答えを出す必要はなかったが
いずれ答えを出さねばならない。
自ら答えを出す必要はなかったが
それが結果的に自分自身を束縛することになる。
そんなことを考えながら、私は二人の間を彷徨い続けた。

行く手を阻むものは、確かに何も無かったが
踏み出せずにいる自分が、一人ぼっちで立ちすくんでいた。
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2004年12月25日

転機

テーマ:ダブル
独身でいること
自由気ままな豊かな生活。。。
その一方で、齢を重ねるに連れて
誰もいない部屋へ帰る寂しさも感じていた。
この状況を一番案じていたのは母親だった。

ちょうど二年前
週末を利用して、母親を中華街に連れて行った。
一人暮らしをはじめて、最初の招待だった。
それほど高くないセットメニューを頼んだが
出される料理を食べきれない、そんな状況に
お互い歳をとったのだなぁ、という現実に気付く。
そして、母親の顔に苦労の数と同じか
それより多いであろう皺をみて、ふと涙が浮かんできた。

母は何気ない会話の中に、ひとつのメッセージを込めてきた。

「もう自分自身の幸せを、考えていいんだよ」

周りの人は決して気づくことのない
苦労を共にした親子だけがわかる会話だった。

現実に目を向けたとき、父親の死は
私の最大の心配事がなくなったことを意味していた。
母親は幸い健康で、自立した生計を立てている。

もはや、私の行く手を拒むものは何もなかった。
いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)
2004年12月24日

読者の皆様へ

テーマ:小休止
いつもご来訪いただきありがとうございます。

恋愛をテーマにこのプログを綴っていますが
この数日間、本来のテーマにそぐわない
内容になってしましました。
この一連の記事を表意するのに
私自身も戸惑いと怖さがありました。
しかし、私はこのプログの中で(差し支えない範囲で)
自分に正直になって、記事を綴ってきました。
とても重いお話で恐縮なのですが
私にとっては人生の大きな転機となったことであり
また、自分自身の気持ちの整理をつけるためにも
ここで文章にさせていただきました。

不意にご来訪いただき、思わず気分を害された方
こころの奥底にしまっていたことを不用意に思い出された方
私の失礼をお許しください。

そして、この記事に共感していただいた方や
あたたかいコメントをいただいた全ての方に。。。
こころより御礼申しあげます。
(みなさんと出会えて、本当に嬉しく思います)

今の私は、現実を受け入れて元気に暮らしています。
そして、皆さんのプログを楽しく拝見させていただいております。
私のプログは、もうじきひと段落つけようと考えていますが
どうぞこれからも、いつもどおりにお付き合いくださいませ。


今日はクリスマス・イブです。
みなさまのところに、素敵なサンタさんが訪れますように!
いいね!した人  |  コメント(8)  |  リブログ(0)
2004年12月23日

父への手紙

テーマ:家庭の事情
お父さん、元気にしているかい?
もう早いもので
お父さんが逝ってから一年あまり
少し前に逝ったおじいちゃん
追いかけるように逝ったおばあちゃん
ようやく家族三人、水入らずになったね。

子供の頃
お父さんは大きかった。
どんなに背伸びをしても
追い越すことは出来なかった。
家の前の芝生で、よく
キャッチボールをしてくれたよね。
お父さんの投げる玉は早くて
とても真正面では受け止められなかったよ。

今僕は、やっと家庭を持って
毎日しあわせに暮らしているよ。
色々なことを考えて
守るべきものの多い嫁の家に入ったけどね。
結果的に家を絶やすことになったけど
それはお父さん、許してくれるよね。

今から思えば
お父さんはいつも貧乏と戦っていたね。
小さい頃、生きるために悪さをしていた。。。
自分の子供にはそうさせたくないって
言っていたそうだね。お母さんから聞いたよ。
確かに、僕は悪いことをせずに済んだよ。
でもね、お母さんがいなかったら
きっと同じ人生を歩んだかもしれない。
そして、結局は貧困がお父さんの命を奪った。。。
僕はね、三代続けて同じ過ちはしたくない
だから、お父さんを反面教師としていたし
守るべき家を変えたんだ。
わかってくれるよね。

お父さん
あと何年かしたら
僕もそっちに逝くだろ。
そうしたら、やりたいことがあるんだ。

ひとつは、一緒に酒を飲もう。
僕は小さいときから
酒におぼれたお父さんを見ていたから
今でも酒は飲んでいないよ。
でもね、一度徹底的に付き合うから
酔っ払いの理屈を聞かせてくれないか?
思いっきり、反論してやるからね。
その時僕は、絶対お金を払わないよ。
父親のかっこいいところ
一度で良いからみせてくれよ。。。

それともうひとつ
久しぶりにキャッチボールをしようよ。
僕の投げるボールを、真正面から受けてくれないかい?
少しは大人になった僕を見てくれよ。
悪いけど、手加減はしないからね。

僕は今、金融機関で企業再生をしているよ。
この平成不況は、沢山の大切な命を奪ったんだ。
微力ながら、僕は僕なりの方法で貧乏の原因と戦うよ。
同じ思いを二度としたくないし、させたくない
それが僕を支える、大きな柱になっているんだ。
どこかで僕は、お父さんの仇をとってくるよ。
きっと、みんなにも喜んでもらえると思うんだ。
お父さん、これからもずっと僕を応援していてね。

少し長くなったね。
言いたいことはまだまだ沢山あるけど
そっちへ逝ったときのためにとっておくよ。

ただひとつだけ、この場で言っておきたいことがあるんだ。
確かに貧乏はしたけど、お父さんに本当の
豊かさの意味を教えてもらった気がするよ。
そして、最高学府までの教育を受けさせてくれたこと
本当に感謝している。
ありがとう。そして。。。

僕はね、お父さんの子供でよかったよ!

それじゃ、お父さん
嫌なことを忘れて、そちらでゆっくり過ごしてね。
そして僕達のこと、見守っていてください。

あなたの生意気な息子より
いいね!した人  |  コメント(8)  |  リブログ(0)
1 | 2 | 3 | 4 |最初 次ページ >> ▼ /

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。