ブログ更新、滞っております。
すいません。
でも、活動しています。

突然ですが、
『そこに ”愛”は あるのかい??』
これ、最近の私のテーマ。

他人に対してはもちろんですが、
とーくーにーーーー、自分に対して。

自分に対して、結構、気遣ってないことって多いです。
それも、超無意識で!!!!

”愛”を持って、
アヒムサ(ヨガの教えで、非暴力の意味ね)を実践しよう。

”愛”を持って、
ソウチャ(ヨガの教えで、清潔の意味ね)を実践しよう。

”愛”を持って、
意図的に背骨を伸ばして、
内臓の為に心地よいスペースを作ってあげよう。


常に、自分自身に問いかけるにしよう
”そこ(その行動)に、愛は、あるのかい?”


常に、自分の中にいる、
”先生”や”神様”という名の気づきに
”OM NAMAH SHIVAYA(オーム・ナマ・シバーヤ)”
”自分の内なる真我を崇拝します”

ヨガを通して、
この言葉を何度も唱えてきたし、
その言葉の意味も聞いてきたけど、、、

ここにきて、ようやく、
自分自身の等身大レベルで腑に落ちました。

・・・ちょこっと、、ダケネ。

マイペースで、ちょいちょい、ちょこっとずつ、、
ヨガ的に成長している・・・かも?
は、実(身)になる、言葉なのかも!!!


というわけで、
最近の、私の心をつかんで離れない言葉、
もしくは、
なんだかわかんないけど、忘れられない言葉

を、
自分へのメモ代わりに、日記にup☆


 『圧迫(自分の身体においての、骨格的な限界)
  が見つかったとしても、ヨガは素晴らしい。
 
  変化に富み、様々な方法がある。
 
  エネルギー的に差がある。
 
  美しさの為だけに沢山曲げる必要はない。
 
  心配しなくていい。
  
  情熱的で、エネルギーに満ち、
  健康的な”心”への効果が薄らぐことはないんだ』
  
             by ポールグライリー
                ヨーガの為の解剖学DVDより 


  『自分が、こう、緊張したら、
   「なんで緊張するんだろう?」
   って、舞台でもラジオでも、よく考えるんです。
   「相手を怖がるから」
   だと思うんですよね。

   だから、、、
   相手は敵じゃないし、
   こう、見てくれているお客さん、
   聞いてくれているお客さんも、
   「何かを一緒に、この時間に楽しく過ごしたいと思ってくれているんだ」
   って思えば、怖くなくなると思うんですよ。』
               
             by 別所哲也
                TOKYO MORNING POWER RADIO

     →これ、ヨガの代行の時に思い出そう。
       きっと、こんなにプレッシャーを受けるのは、
       自分をよく見せたいとか、
       そのまんまの自分から、何かを偽ろうとしている証拠だわ。

       一緒に過ごす時間をもっと楽しくするために、
       私は、最大限、努力したらいいんだよね。
      
       いつも、緑のエプロンつけて、やっているじゃないか。
       こういう”おもてなし”チックなこと! 


  『例えば、どんなことをしても、
   全く賞賛されない世の中だったとして、
   その世の中で生きる時、
   自分はどんな人間でありたいと思うのか。
   自分は、どんな人間でいられるのか。』           

       →これは、ちらっと読んだ本に書いてあったことで、
         書いてあった言葉も、こういうニュアンスだったってことだけで、
         あいまいなんだけど、、、

         ”良い子な私”
         が、いたとして、それが、ある時、
         良い子でいても、ほめられないし、
         得な事も全く無くなった場合、
         私は、それまでのように良い子でいられるのか?
         ってことね。

         そこに、それまでいた自分は、
         見返り(ほめられる、得な事がある)
         を求めての偽りの自分なのか、
         無欲で、ただ良い子であることが本当に好きな自分なのか、、、
    
         考えさせられます。
         賞賛されない世の中でも、
         賞賛される世の中でも、
         ”変わらない自分”を見つけようと思います。

         そうしたら、もっともっと、リラックスできるはず。
呼気と吸気の間。

そこには、一瞬の静寂がある。

どっちの極にも、傾いてないニュートラルな状況。

バランスがつりあっている場所。

何にもしていない状態。

”何もない” が ”ある” ところ。

”何にもなくなる” ことで、
”スペース” が いっぱいに満ちるところ。


先日受けてきた瞑想のワークショップで教えてもらって、
一番自分の中に残っているものです。


”UNMESA”は、
呼吸以外でも、日々の生活の中に、
そして思考の中に、どこにでも沢山あるものなんだって。

瞑想をするのに適していると言われている
”ブラフマムフルタ”の時間帯も、
きっとある意味、UNMESA。

朝と夜、夜と朝の間の時間帯。


UNMESAには、本当に何もないけれど、
それを経験することで、何か感じることは、あるらしい。


何もない” が ”ある” ところ。

”何にもなくなる” ことで、
”スペース” が いっぱいに満ちるところ。


スペースについては、以前にも日記に書いたけど、

 スペース = 愛

じゃない?

そして、それが満ちる(FULLNESS)ってことは、
そこには、愛が沢山あるんだ??


UNMESAを意識する瞑想法で、
とっても幸せな気持ちを感じて涙している人もいました。

私は、そのような経験はしてないけど、
でも、そこを感じることで、、、自分に良い事があるような気がする。

そこを感じたいと思うし、
自分もそうなりたいと思う。

なんせ、バランス悪いもので~(笑)
”ニュートラル”で居続けられない人なのですよ。
私。

アップダウンの激しい生活で、疲れ気味。


UNMESAに意識を向けて、瞑想します~