• 19 Jan
    • 雪の合間

      スキーに狂っていた二十代の頃のように、朝起きたらあまりに太陽がまぶしく、2時間の道のりを気にせずに長野へ出かけた。長野は前日まで大雪。週末もまた下り坂らしいとのことなので、こんな天気で滑れることはもう無いかもというわけで…スパイラルへ。うーん、そりよりスキーがしたいかも。ツルツルな氷まぶしーコンディションいいからタイムを狙って見たが、そーすると力入っちゃって、今季ベストタイ程度で終了。これは私のじゃないが。三本も滑ってあっさり帰る。★長野の道路。大変。★松本R19 雪ない。レースには出ないけど週末また、出没する予定。

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  • 16 Jan
    • 木村孝さんのこと。

      週末、スケルトンのための長野滞在を終え、雪を車に積んで松本に帰って来た。松本の今日は午後から晴れ。ただ寒いだけ。年が明けてからもスケルトンでのゴタゴタが続いたのだが、それは落ち着いたらまた記すことにする。英語の勉強をしたいと競技に区切りをつけた直後に思い、ようやく問題集をMARUZENに買いに出かけた。久しぶりに女性誌コーナーで立ち止まり昨年11月に96歳でお亡くなりになられた染色研究家でエッセイストの木村孝(きむら・たか)さんのことがそろそろ掲載されているのではと、婦人画報社系の雑誌をめくってみた。木村さんは私が20代後半の新聞社の文化部時代、インタビューさせていただいたり、執筆をお願いしたりして以来お付き合いが続き、今でも年に一度ほどお目にかかっていた。京都の染色の家に生まれ、家業を継ぎつつも京都新聞に勤めた方。家業に戻り、仕事のためにニューヨークへ渡った折に40歳前に知り合った銀行員なご主人と結婚され、いったん本格的な仕事から離れるも全てのキャリアを生かされ、96歳まで書いたり、着物の仕事をされたりNHKの伝統番組にも出演されたり活躍されていた女性だった。気品にあふれた立ち居振る舞いと和装姿はもちろん素敵だったけど、心の美しさが身体から滲み出ている方だった。そんなエレガントな方が、エレガントから程遠い私に、「あなたは何だか気が許せるわ。歳は関係ないお友達よ」と言って気に掛けて下さっていた。時々電話をすると、いつも変わりのない張りのある声で「元気よ」と返ってくるから、いつまでも会える、大丈夫と思っていた。去年カルガリーから帰国後の11月中旬に突然の訃報を聞いた。いつかは来る日だったのだろうが、突然来たその日に、もう一度会いに行けばよかったと悔い、17,8年のお付き合いの中で掛けていただいた言葉や光景の数々を思い出されて涙が出た。落ち着いたら都内のご自宅にお参りに伺おうと考えていた矢先、今日見つけた雑誌「美しいキモノ」の中で特集が組まれており、最期まで原稿の校正をされていたとの記事を見つけた。「生涯現役よ」とおっしゃられていたことを全うされたのだと知り感慨深く思った。美しいキモノ・冬号より競技を始めたり途中悩んだりする中で、この方に会うたびに励まされた。孝さんが、自身の持ってる能力を全て生かし、だけど欲深さは微塵も感じさせない美しく生きる姿に刺激と温かいものをいただいて来ていた。私にとってまさに特別な存在だったと思う。とても真似はできないけれども、あのような美しい心持ちは目指したいと思うのである。このところ若い人に見せる自分の後ろ姿については考えさせられるものがある…私もこれから新しいピリオドが始まるわけだが、孝さんにお会いする度に言われた「一生書き続けなさいね」は守っていこうと思っている。2000年に私がインタビューした記事

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  • 10 Jan
    • そりの体験会

      新年は4日にスパイラルがオープン。私が今年使った新型そりの買い手がついたため、サポートするために長野入りし、出入りをしながら滞在した。そりを手離すのはどんな気持ちになるのだろうと思ってはいたものの、次に進むためにと割り切れた瞬間から未練は断ち切れた。新しい持ち主が競技を一層滑ることが好きになり、そりを可愛がって仲良くしてもらえたらいい、そんな思いでサポートしていた。古いそりで数本滑走もした。また、やりたい!という気持ちにならんかなとかも思ったけれども、ウォーミングアップするのも面倒で、スイッチが限りなくゼロに振れていることが手に取るようにわかり、あらためて気持ちでこれまで動けていたのだと実感した。連休には一般向けの体験会が行われた。日常にない体感を体験した人たちからは好評で、興味を持ってもらえるよいチャンスである。<トリノ五輪に一緒に出た長岡さんが、パラ柔道で活躍される初瀬勇輔さんと大阪体験会に来てくれた!>体験会は気軽に開けると思っていたので私も知人を誘うつもりでいたが、この体験会自体はだいぶ昔に締め切られていたらしい。なのでコースが止まってる時間を利用して、新たに体験会の開催を試みてはみたものの、ルールに遮られてやらせてもらえないとのこと。連盟や市の考え方ひとつで越えられる問題のように思えてならないのだけど。そり競技については、報道においてもなかなか本当の魅力やらが伝わりづらい状況にあるなと感じる。マイナー、お荷物、老朽化…マイナスのイメージで煽られているように思う。実に在る魅力を感じてもらうため多くの人に知ってもらえるよう体験機会を積極的に増やすべきだとは思う。ゴールする体験者選手としてスパイラルを残したいと強く思うけど、さまざまな矛盾を目の当たりにするにつけ、何とも言い難い気持ちになる。いずれにしても、スパイラルがオープンしている期間は一月末までとあとわずかだ。私も来年の今頃どこで何をしているのかわからない。記者していた1997年から今まで毎年年間100日以上往復してるに違いないくらい通ったスパイラルと付き合う最後の年になるかもしれない。

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  • 02 Jan
    • 試合勘について。(全日本選手権つれづれ)

      試合後ダラダラ過ごしていたら年が明けてしまった。年が明けたらさらに眠く、初詣にも行かず、正月セールをしていたUNIQLOに行った程度で後はぼんやりしたり眠ったりして、私は壊れているのかと心配になってくる。 やめると決めて、人にまで宣言して、さらにはどんな気持ちになるのかなと思っていたけれども、どうやら試合前までに感情やら思いを使い果たしたらしく、感慨深いものも襲ってこない。12月はレースの一週間前まで心身つらくて一人で結構泣いていた。そのせいか割にスッキリしている。 1年ぶりの全日本選手権で本気レースをして思った事は試合勘が鈍ってるなということだった。今の日本のシステムだと、本気レースが少なすぎる。さらに自分は行けないな、という内容の選考基準だったため、最後になる可能性がある全日本にどう向かい合うかということはそれなりに考えた。 12/11にあった選考のひとつとなる陸上の記録会に出たものの陸上は所詮陸上だと思った。スケルトンはスケルトンでレースをしないとあまり意味がないと確信した。道具のセッティング、氷の状況天候など、いろんな条件はそりを滑って試さないとダメなのである。前日までに上二人にいいところまで迫っていたが、試合でタイム差がついたのはそこ、試合勘の鈍りにあったと感じた。最後の国際レースは二年前、そのあとは昨季の全日本。海外チームは派遣レース選考会が行われるのだが、やはり自分の今後を賭けたレースを頻繁に行う事の大切さをあらためて思い知らされた。競い合うチャンスを増やすべきである。でないと強くならない。それゆえにも現在の選考基準と強化方針は考え直すべきだと確信した。実は一本目と二本目の間に捻挫。タイムに影響はしなかったけど今痛い。古巣信濃毎日の最後の記事。2003年のワールドカップ入賞以降も一桁は何度かあったが。      

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  • 27 Dec
    • 帰宅の報告と御礼

      昨日、長野で借りてた場所を引き払った。長野から松本まで、国道19号線を比較的ゆっくり走りながら、お世話になった方々のことや、やり始めの頃の勢いあった自分の事など思い出したりしていた。夕方6時半、母親の工場からの帰宅と重なり私も到着、親にもきちんと挨拶しなくてはと珍しく思い、賞状も見せようと思って居間に持っていたのだが、いつもの帰宅と変わらない様子。年末の繁忙期ゆえの疲労の蓄積で、わたしを見るなり気が抜けたらしくドテッと転がり、そこからは私が炊事三昧…松本に帰って来て約三年、40代も中盤にもなった無職の私がこうして来られたのは、両親の元に寄生しているからである。両親が小さくなりながら身を粉にして働く姿を横目に早く自立しなくてはと私なりに悩んではいた。実家は菓子製造業。松本の特産品の味噌パンはじめスーパーにあるような袋菓子を多種類作る工場を経営しているのだが、ちょうど私が松本に帰って来た頃に工場移転をし、父親は70を過ぎての借金…そのタイミングと、私の40をとうに過ぎての再度の五輪挑戦への決断と重なった。★当時記事父親は朝5時半過ぎに出かけ9時前後に帰宅。母親は8時半帰宅は6時過ぎの肉体労働。苛酷ながらも強い気持ちで取り組む姿に、丈夫な両親の血をひくのだから私も長持ちするだろうと言い聞かせて自分の窮地を凌いできた。子どもの頃から家族は自営で忙しすぎるため干渉もなく、好き勝手にここまで来てしまった私である。さすがに相談もろくにせずに会社を辞めた時には母親は発狂していたが、30分騒いで切り替えてた。この環境のおかげでこの歳まで続けられたわけである。新聞社を退社後、スポンサーは見つけられなかったけれど、地元の友人らが作ってくれた後援会とうちにおいてもらったおかげで何とか生き長らえた。読んで頂いてる皆様へ。1998-2016年という長きにわたった競技活動に際し、多方面にわたる本当に多くの方々からご協力とご支援をいただきました。月並みな言葉ですが、本当にありがとうございましたm(_ _)m一人一人思い出して、ご挨拶したい気持ちであります……今後については今は本当にNo idea なので、少しずつ考えながら自立の道を模索する所存であります。✨✨✨✨✨✨✨東京の電車の掲示板に私がやめたって流れてたと、友達から連絡が…あとラジオでも流れたそうな。ちょこっといくつか新聞でも出てたみたい。これが五輪の力か…スケルトン並びにそり競技が、携わる選手や子供達の健全な心を育む場となるよう、微力ながらできる範囲のサポートはしたいと思います。今後ともよろしくお願いいたしますm(_ _)m五輪と同じ重みを感じながら取り組んだ今年の全日本選手権。最後の舞台で、共に遠征を回り切磋琢磨した小口(左)小室選手と表彰台に立てて良かった。負けずに頑張れよ〜〜朝日新聞紙面

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  • 26 Dec
    • 全日本3位で閉幕

      最後と決めてわずかな力を振り絞った全日本選手権。どんなに感動するのかな?と思っていたけど、まだ何の実感も湧かない。試合に至る前までが様々きつく、泣きながら過ごした日もあったけど、一滴の涙も今のところ出ていない。優勝しようと準備をしていた。新しいそり。迷ったけれどもこのために新調し、最後の最後で少しずつ理解を深めつつあった。一本目、上から横滑りが多く、あり得ないタイムでゴール。ほんのわずか、乗り込んだ位置が悪かったとゴールしてから気が付いた。緊張感もあった。悪くない緊張感だったと思う。味わい尽くしてスタートに立った。5位。え?っと思った。このまま私は終わるのか…前にいる選手と自分のタイム差を確認もしなかった。(目を背けたというのでなく、タイムを確認する術がなかった)うまくいけば2人はまくれるだろう。まぁでも、そのことはさておき、普通に滑ろうと、乗り込んだ際、少し後ろに移動した。ほんの僅かな位置が、レースの時の硬い氷では影響する。特にこの新しいそりは、今まで使っていたものよりその傾向が高い。繊細である。2本目は無難な滑りで3位まで上がれたが、帰宅してリザルトを初めて見て驚いた。皆1秒前後タイムを落とす中、自分だけ上がっていた…それだけ一本目はひどく失敗したということで…更には4位の高山さんと0.04の僅差だった。大失敗した割に運がいいなとも思った。良きにつけ悪しきにつけ茫然自失である。こんなはずじゃなかった思いも無きにしもあらずだけど、これが今の自分の実力。後悔もなく、モヤモヤもないけど、長く重く熱かった19年の締めくくりってこんなものかということもアッサリ受け容れられた自分もいる。明日は何を思うぞや…多分一本目のスタートウェブニュース。✴︎毎日新聞✴︎朝日新聞

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  • 24 Dec
    • 明日 本番

      本日朝大雪。雪の中の公式練習終えて明日いよいよレース!公式練習は二本滑走のうち一本滑れば良い。だいたい翌日にレースがある場合、私は一本で終える。でも、一本終えて今日は滑りたかった。考えた挙句、直前でやめた。気持ちはあるが、ちょっとした背中の張りを感じたので。気持ちは明日に取っとくか〜〜と。オーバー40の数人は一本で止めてた 笑笑私が最も往生際悪かったが。大座法師池10時試合開始男子から。20人の滑走ののち女子。私は11番滑走。最後の本気レース。クルマで来てくださる方、雪は道路はございません。でも寒いらしいのでスリップ注意‼️

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  • 23 Dec
    • トリノペアの優勝とマダムの部屋

      外気温が暖かい。暖かすぎる。今日はボブスレーとリュージュの全日本選手権本番だった。今からちょうど10年前の2006年、トリノ五輪に一緒に出場した清川選手と小林選手が、男子2人乗りで見事優勝。現在海外を転戦している2チームを抑えて。スプリントタイムもさほど変わらない模様。2人は現在、海外転戦はしていないアラフォー。バリバリ若手の現役選手の奮起を求む。左から3人目清川選手、右隣が小林選手私の本気モードも残すところ2日。緊張感が高まって来た。身体の感度が増す。逃げたい、とも思う。どんな滑りをしたいのか。ここのところ色々考えていた。同世代の選手たちと久しぶりに話す中で、スケルトンをやり始めた頃に感じた私独自の感覚を思い出した。そこには戻れないだろうけど、あの頃のワクワクした気持ちはトレースできる。当時書いてたブログ記事「マダムの部屋」の1回目が、スケルトンに対しての新鮮な印象をうまく表している気がする。こちらマダムの部屋。✴︎禅でアートなスケルトン

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  • 22 Dec
    • 休日 松本へ。

      結局予選会から5日連続で滑った。滑走は見た目以上に負担が掛かるため、私は3日以上続けてはここ数年滑らない事にしていたのだけど、マッサージやら温泉やらで繋ぎ、何とか乗り切った。おかげでやりたかったことはできた。海外周ってる2人に食い込む算段。ハイなのか何なのか。身体が軽く、疲労感が少ないし、移動は面倒なので少し迷ったけど、行きつけの病院のトレーナーに念のためチェックしてもらいに松本に珍しく電車🚃しなので来た。やはり車より楽。片道50分。自宅にちょいと立ち寄る。去年まではこんな時、ネコ🐈に会うのが楽しみだったけど、今年はいなくて淋しい。うちに着くとつい、ネコの名前を呼んでしまう。いまだに癖だ。呼ぶと出て来そうな気がする。思った以上に、やはりバランスの崩れや部分的な硬さは出ているらしい。悲鳴をあげつつマッサージを受ける。ポイントを聞いて、また電車に乗って長野へ。今度松本の自宅に戻る(引き揚げる)のは月曜日。その時私はどんな気持ちでいるのだろうか、、今日からリュージュとボブスレーの全日本選手権公式練習が始まってる。明日はリュージュとボブスレー二人乗りの試合。 スケルトンは休み。気心知れた同世代同時代のそり仲間が集まって来ているので楽しい。

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  • 19 Dec
    • あと一週間

      土曜日に全日本選手権の予選会が終了。クリスマスの全日本選手権まであと一週間に。そりのテストを少しずつ重ねる中、もはやあまり時間がない!滑れる日数を数えると、どう調整に入っていくのが良いか、なかなか判断が難しいところ。休みをこれまでふんだんに取りながら合わせていたが、時間がないので、強引にマッサージやら温泉やらで繋ぐことに。そして異例の4日連続滑走に本日突入。何とか大丈夫そう。予選会一本目。残りわずかな選手生命。悔いなくやり遂げたいもの。ただそれだけ。

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  • 15 Dec
    • タウン情報12 と滑走

      久しぶりのタウン情報への執筆。紙面混雑により、一か月間原稿が眠っていた模様。カルガリーでのことを書いてあるけど、懐かしいなぁ。その後もそりの調整に手こずったものの、このところようやく何とかなりそうな気配まで漕ぎ着けた。あとはランナーセッティングであります。日曜日に記録会があった。気持ちが揺れたから挙げたblogを一旦下げたけど、もう一度書き替えて記録は残しておく。後期海外派遣選考記録会の記事やはり30mの記録足らずで、私はもはや、海外遠征に出られなくなった。そのほか様々な理由で、25日の全日本選手権で区切ろうかとは思ってる。あとわずかの残された命をいかにして燃やそうか。仲裁やって、連盟は形では公に非を認めたけど、長野に入ってから色々な光景を目にするにあたり、変わってないことが手に取るように感じられる。代理人の弁護士からしか言葉は聞いていないし、本当に誠意がない。変わるどころか悪化の一途のように感じられることもあり、やるせなくて押しつぶされそうになりながら何とか耐える日々。辛いことは多かったけど18-9年も滑ってこられたのは、ひとえに滑走が楽しかったから。世界をたくさん歩いて、多くの価値観に触れたから。速くなりたいと思い続けたから。

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  • 12 Dec
    • 後期海外派遣選考記録会

      昨日12/11、スケルトンの後期遠征派遣選考記録会が長野市東和田の陸上競技場で行われた。この派遣選考会にはヨーロッパカップとノースアメリカンカップに出場したい選手のみが参加となっているらしく、30mと立ち幅跳びで派遣基準の記録が設定されており、突破しないとならない。この基準が出されたのは、仲裁の最終審理が行われた後の10/10だった。今、国内唯一のコースであるスパイラルがオープンしており、選手は日々滑走を行なっている最中である。なぜ、雪の降る中、陸上競技場で?というのは多くの人が疑問に思うところだった。私自身も疑問に感じながらも、全日本の前哨戦の位置付けで、緊張感を持って調整するために参加することにした。私のように夏の記録会で基準を切れなかった選手のみかと思いきや、このカテゴリーに出たい選手全員が受けなくてはならないことを知りビックリした。陸上種目の測定を定期的に行なうことは、意味があると思う。この記録を伸ばすことが、スケルトンの氷上のプッシュ記録にどう繋がるかを検証していく上ではすべての選手に課す必要性はあり、何年かに渡って行えば意義深いものになると個人的には感じている。しかし、この記録が派遣の直接の材料となること、増してやコースで滑走できる時期であるにも関わらず、ということを考えると合理性に欠く選考基準といえる。更にこの記録を課せられているのが、一部の選手であり、全選手でないこと。記録を取る意味合いが失われてしまう。更に男子の基準値が前期の時とは変更になっていたらしい。理由はわからない。前期遠征の際に、ワールドカップに出場するには、プッシュ記録の制限もされていたはずだが、後期遠征派遣にはその基準は取り外されており、それも疑問に感じた。連盟は五輪でのメダル獲得、入賞を掲げており、そのためには一定のプッシュタイムが必要という意味合いで、ワールドカップ派遣において記録が設定されたにも関わらず、後期では基準が外されたことについて、一貫性のなさを感じざるを得ない。例えば、カナダチームにもアイスプッシュトラックでのワールドカップ出場のための派遣基準記録が設定されているそうだが、それは一貫したもの。記録を破らない限りはワールドカップ出場には至らないそうだ。今の日本のレベルがそこにいたらないのであれば、最初からそんな基準を設ける必要はない。1人でも多くの選手がコーチの元で滑走経験レース経験を積めるチャンスを作ったほうがいい。いずれにしても基準を、その場しのぎで変えるとか、軸のぶれた選考は選手にとってストレス以外のなにものでもなく、選手間の関係性の悪化にも繋がる。仲裁合理はしたものの、選手が気持ちよく正々堂々と戦える土壌には全くなっていない。行なっていること、結果含めて、きっちり検証し、本物の強化、育成、競技発展を真剣に考えていかないと、競技の先細りは免れない。

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  • 04 Dec
    • IBSF race week

      今週末はボブスレー、スケルトンのワールドカップ開幕し、今日までに日本勢も続々出場していた。金曜夜の時間に入って来たボブスレーヨーロッパカップ日本女子チームは、続いて同じ会場のドイツケニクゼーで行われた次戦でも押切、君嶋チームが3位と連日の表彰台。スプリントタイムも1位だったし、地元のドイツや経験あるスイス選手の中で大健闘。頭角を現した。来季の平昌以降、そり界の日本女子を背負うことは間違いない。伸び盛り期に突入である。押切麻李亜選手(上段左から3人目)のfacebookより。隣は君嶋選手。下段真ん中の左から初戦5位の浅津、川崎選手表彰台は良いものだ!いつも眺めながら、いつか!ど真ん中と思っていたことを思い出す…昨日の朝方にはスケルトン女子で、日本に与えられている一枠に出場している小口貴子選手が15位。YouTubeでレースを少し観たけど、これも健闘だったと感じた。レースが行われたカナダウィスラーは、とにかくトリッキーなコースで、難しく危険度も高い。二本確実に揃えることが大前提で、一本速くても一本転倒して失格する選手もいる。そんな中で二本きっちり揃えていた。彼女より上にいるチームは国を挙げての強化やレースに臨む体制も充実している国の選手たちだし、そんな中で昨年よりも確実に上げていることが見て取れた。もうひと段階上を狙うにはなんだろうか、と考えながら観戦したが、スケルトン女子のレベルも年々グレードアップしており、速い重い上手いの三拍子揃わなくてはというところもあるし、紙一重を取るには仲間との質の高い競り合いや、サポートが必須だろう。今日未明に終わったスケルトン男子は韓国選手が優勝していた。日本の高橋選手は18位だった模様。先週同じウィスラーで行われたノースアメリカンカップ二戦で若手の宮嶋選手が優勝と2位で大健闘していた。このレースで宮嶋選手と競り合い2位と優勝のロシア選手がワールドカップの3番手として出場し12位に入ってた。日本の男子枠は1つ空いてたから宮嶋選手もワールドカップに出場しているのを観たかった。面白いレースをしたのではと思う。そんな人々のレースを横目に、私は来週日曜にある30mと立ち幅跳びの記録会の調整など滑走に合わせて行っている。基準値をクリアしないと国際レースにもはや出られないからである。コースもオープンしている寒い今、なぜ陸上?怪我のリスクあるじゃんと、多くの人が?と感じてはいるらしい。ここら辺の選考基準には過去にも述べたように矛盾を感じずには居られないが、それは最早どうしても変わらないため、さておいて、私にとって大きな一戦となる12/25の全日本が完全な初戦になるのはどうかと考え、ヤマを作るためにもトライアルするのだが…一週間全力疾走して結構疲れて来たため、快晴の土曜は完全休養した。休みの大切さを痛感するお年頃である。

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  • 02 Dec
    • 日本女子ボブスレー ヨーロッパカップで優勝

      先ほど、日本女子ボブスレーチームが、ドイツのケニクゼーで行われているヨーロッパカップで日本女子チームで初優勝したというニュースが入ってきた!このチームのパイロット押切麻李亜選手は、2012年にオーストリア、インスブルックで行われたユース五輪に高校2年時に出場。以来、五輪を目指してボブスレーに取り組む22歳だ。押切選手は北海道十勝地方の中札内村の出身。お姉さんはスピードスケートで富士急行に所属、ソチ五輪にも出場した押切美沙紀選手である。身長も170センチ越え、体重も今季はかなりパワーアップし、外国人選手に引けを取らない体力を持つ。ソチのプレシーズンに帯広合宿した折、親子ほどの年の差の私と一緒に練習してくれたのが麻李亜さんだった。素直で純朴な十勝ならではの人柄に癒されることが沢山あった。今は十勝を離れ、札幌の企業に属し、札幌に拠点を構えてトレーニングを積んでいる。ボブスレーはスケルトン以上にお金がかかり、勝つのが大変な種目だと思う。リザルトを見ただけでは内容まではわからないが、何れにしてもドイツ勢を抑えての優勝は素晴らしい!ブレーカーはキミシマさんとの名前になっていたが、恐らく新人の選手であろう。ボブスレーは操縦するパイロットと後ろからプッシュするブレーカーから成るが、ブレーカーは陸上競技などでパワーとスピードがある選手がスカウトされることが多い。押切チームのほか、日本勢では5位に浅津チームが入賞していたのも付け加えたい。http://www.ibsf.org/en/component/events/event/167898施設の存続やら、私の仲裁やら…そり業界では、なにかといまひとつなニュースが続く中、久しぶりに明るいニュースである。明日はスケルトンのワールドカップ開幕である。麻李亜さんの夏のプッシュ

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  • 26 Nov
    • スパイラル滑走開始

      ついに本日、長野のスパイラルが結氷しオープン。本日午前中、コースコンディションを確かめるためのテスト滑走要員で、長野での初滑りをした。 朝のコース搬送路。霧だった!次第に晴れて…トップスタートから望む飯綱スキー場一昨日の雪はほとんど消え…トップスタートからトラックウォーク!シーズン頭は氷が薄いところも。13カーブ!そして滑走!思った以上に、コースコンディションが良かった本年のコース。外気温が低くなったおかげである。そり競技は雪は要らない。氷を良い状態に保てるよう、低い気温であること夜冷えることが望ましいのだ。気分も良く一本目こなしたので、2本目は懸案だった新しいそりにオン!あれだけヤバイと思っていた新車。カルガリーでの反省を生かして乗ってみたところ…行けると直感、レースに使うと決定!時間がかかると思いきや、アッサリ決められ、肩の荷が降りた。結局合計三本も滑走。午後はそりを完成させるため、元選手東條夫妻のお宅へ…心を温めさせていただいた😭カルガリーから帰国し約二週間あまり。カナダにて心の中の色んなものを捨てて来たらしく、体調良好で練習が進んだが、反動で疲労蓄積。昨日は撃沈し、今日滑れるか不安だった。🍀🍀🍀🍀🍀何かとお騒がせな昨今のスパイラル。今日も地元放送局が取材に訪れていた。選手の気持ちってさ、そりゃ、コースは残して欲しいって思う。でも、単純な問題でないことだってわかるから、コメントは難しい。しかしながら、作るときから想定できたことも多く、その課題に関係各位がどう対峙しながら競技を考え、運営して来たかってところだと思う。スポーツ施設問題などは日本のスポーツが抱える構造的な面が密接に関わってると私は思ってる。本日の北米杯、カナダ、ウィスラー戦。日本の若手男子、北海道出身の宮嶋克幸選手が見事優勝!おめでと〜🙏😉🎉🎉Good job 👍もう一日、揃えられるかな?

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  • 17 Nov
    • 十勝毎日新聞と帯広と引退

      ★十勝毎日新聞 北海道帯広市を中心とした十勝地方にある地元紙、十勝毎日新聞の心ある記者(カメラマン)の方が、私のことをコラムに書いてくれていた。11/7付。帯広出身の元五輪選手の友人が送ってくれた。   こんなふうに捉えてくれるのは大変嬉しい。なかなか自分の真意って伝わりにくいもので。。。 ★帯広 帯広にはソチ五輪のプレシーズン1、2年ほど、合宿を兼ねて夏場に練習に出かけた。その時にスピードスケートとそり、スキーの選手たちを対象に、北海道トレーナーの方々が合宿を開いて下さった体力測定やトレーニング相談等に参加した。帯広はスピードスケートの五輪選手を数多く生み出した地域であり、数年前にナショナルトレーニングセンターとして誕生したスピードスケートリンクは、日本選手の夏場の練習拠点として現在、活用されている。スピードスケートの夏場の練習というと、それまでカルガリーやソルトレークを多く利用していたようだが、今季はどうも帯広で全日本合宿が組まれていたらしい。 帯広にスケートリンクのほかに何があるのか?というというと、特にこれといったものはないのだけど、広い空に広い道路、そして美味しい食事やソフトクリーム(老舗お菓子店・六花亭の本拠地)、何となくのびのびゆったりとした街の雰囲気と、スポーツに寛容というか理解がある空気感は、海外に来ているような開放的なものがあり、大好きになった。 2013年、帯広での合宿〜 札幌にも何度か合宿で訪れたけど、帯広とはまた違う。札幌は都会である。帯広には違った味があった。 ★引退 十勝毎日新聞のコラムには「引退」という題目をつけて下さっているが、ピンと来ない。「もう辞める」とは我慢できないわたしは、多言してしまったように思うけど、引退という言葉は一度も口にしていなかったので。いずれにしても、あらためて「一線を退く」ことを活字で見ると、ほんとかいな?という気分になる自分もいて・・・それにしても性懲りがないと、笑える。バンクーバー五輪の後から、心の中では、辞めてやる、辞めてやる。もうやだやだやだやだ・・・といつでも思っている私もいる。実際、そこまで追い詰められているのも事実である。特に近頃は、心も身体も懐も。しかし、ちょっと調子が乗って来たり元気が戻ると、「試したい」という自分がにょきにょきと出て来るわけである。 海外遠征している日本人選手に海外の選手が、私が来ていないことを聞くらしい。「eikoは?」と。「federationの関係でレースに出られんの。本人は辞めるって言っている」とか答えるようなのだが、「あ、eikoは辞めないよ」と言われるらしい。なんで、そんなふうに思われちゃうんだろうか?皆私が辞めるといっても誰も信じてくれないんだってさ。 45歳も過ぎちゃって、次のステージに移りたいと真剣に思っているのも事実である。仲裁やって、本気でそう思った。オリンピックにも届かんし。打っても打っても響かない、変わらない人たちと付き合うのは、人生であまりにももったいない時間だ。一方、限界にチャレンジする好奇心と極めたいという際限のない思いがややこしいのも事実であり。。 ほんとは自分、どうしたいんだか? 自分で自分にツッコミを入れることも少なくない。けど、なるようにしかならん。やりたいようにやればいいじゃん。どうなってもいいじゃんか。そういう覚悟でやれよ。あとはもうないんだから。 クールなもう一人の自分はそう言ってるみたいだ。 帯広で撮ってもらった写真。アイスアリーナ内。   

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  • 15 Nov
    • アジアの台頭

      昨日、カルガリーにてノースアメリカンカップ(北米カップ、以前はアメリカズカップ)が2戦終了した。特記すべきは2戦目で韓国女子が地元カナダ選手をおさえて優勝したこと。3人出場していたが、優勝のほか3位、8位に入っていた。男子もワールドカップに出ていた選手以外の選手でも2戦目で3位に入っていた。 韓国は来季のピョンチャン五輪に向けて、完全はサポート完備している。テクニカルコーチ、マテリアルスタッフ、フィジカルトレーナー、通訳など。結果スケルトンでもボブスレーでも昨季ワールドカップで男子が優勝を果たしている。(ボブスレーは世界選手権も獲った)。女子スケルトンはまだワールドカップ出場は果たしていないが、着実に力をつけていることを今北米杯で表した。 韓国での五輪が決定し、2011年の10月頃から準備が始まった。当時私たちと共にレースを転戦していた選手がスタッフとなり、少しずつ新しい選手を発掘していた。新米コーチの元選手仲間が私に真剣な顔で尋ねてきた。「eiko、そりはどこで買えばいいんだ??教えてくれ」当時主流だったカナダ製から、その頃、GBR(グレートブリテン)がはやり出しそうな気配の時。GBRの製作者のそりは今世界の主流となっているが今回私が購入したのも彼の作った新型で、世界の多くの選手が乗っている。私はバンクーバー五輪の直後に古い友人だったGBRの彼のそりに乗り換え、手応えを感じていた。まだその頃GBR号に乗っていた選手は少なく、彼らもユーザーを発掘している最中だった。韓国の友人スタッフに、彼の連絡先を教えた。 それから韓国選手は少しずつ増え始め、GBRのそりがそろい、さらに1、2年するとその、そりの製作者をマテリアル、テクニカルコーチとして韓国チームは雇用し、男子がワールドカップで上位成績を収めるようになり、日本選手の成績を軽く抜いていった!!!さもありなん。マネージメントがうまい。。。(というか、普通) 今回、私がカルガリーに行った際に北米杯前に韓国チームも半数以上が訪れていたが、ボブスレーもスケルトンもスタッフの数も半端なく多く充実していた。各選手に一人くらいの数がいた。盛り上がっていた。。。 韓国の次の中国。中国スケルトンは、カルガリーのコース予約の三分の一ほどを占めており、ほかの海外チームが練習しずらい状況にあった。なぜ、それが実現したかと言えば、中国がヘッドコーチに雇った人物が、カルガリー出身トリノ五輪の銀メダリストの元選手(私と同じ年)で、彼がオーガナイズしているからである。今回私がカルガリーに練習に行く際、滑走できる時間が少なそうだったので、彼に連絡を取り、中国の練習に混ぜてもらえることになったので安心して行けたという経緯もある。カルガリーでコースに行った初日。黄色と赤のジャケットワサワサ。中国選手16人の群れ… コースに行くと、昨年までロシアでコーチをしていたドイツ人(元選手)が中国に鞍替えしていて。。。彼もそりの製作者。16人の選手全員、彼のそりを使っており、指導している姿があった。まあ、これも時間の問題。中国もピョンチャンが終わった頃には、トップ選手を作って来るであろう。for sure.....  スケルトンを始めて18年、私は指をくわえながら、各国がどんどんスタッフ、並びにチーム体制を充実させて、自分たちを追い抜いて行く姿を横目に歯がゆい悔しい思いを重ねていた。始めてこの方、日本は専門コーチを何度お願いしてもつけてくれなかったからだ。それどころか、選手のみでの遠征も少なくなく、私は若手選手のお世話係として活用され、プレイングマネジャーとして連盟に何度も協力したこともあった。自分に資金力があった頃は、連盟でもまだ選手の自由が認められていて、海外コーチを雇ったり、チームに入ったりしたこともあったが、1年くらいやったところで結果には簡単に繋がるものではない。選手個人の力ではどうにもできないものはあった。。。 北米カップ、今回日本人選手は男女各2名ずつ出場していた。男子の1人が6位に入賞。これはまずまず良い結果。彼は昨季も北米杯に出場し、難しいコースで好成績を収めている。現在日本男子のワールドカップ枠は2枠あるが、1枠しか派遣していない。スタッフも付いているのだから、若手で技術力がある彼にワールドカップを経験させない手はないのだが・・・それをしない。意味がわからない。 そのほかの3選手はタイムシートを見る限り結果に繋げるにはもう少しかかりそうな感じだった。 北米杯に関しては男女4枠ずつあるが、今回2人ずつしか派遣しなかった。選考基準の紙によると、基準突破した選手はほかにもいたのだが、「コーチがいなくてレンタカーに乗れない」という理由で足切りされたという。 それならば、私のようなスタッフワークもできる便利な選手を転戦させ、一人でも多くの「突破者」に滑走、国際レース経験させればいいのに。。。なぜ、選手にチャンスを与えないのだろう。(北米杯は「海外滑走経験年数が少ない選手」しか出場させないと、今季日本国内でルールを決められていた。各国はワールドカップ前哨戦として北米杯の枠を使う国も少なくないのだが) マネージメント上手な各国の国々とは真逆な日本の体制。勝てる選手ができないのは、選手の資質ではない。本気で育成する気持ちがないからだと思う。 話を戻して、アジアの台頭。。。本来ならば、日本が牽引すべきであったのだろうが。。。逆行。 スパイラルがピョンチャンでクローズするであろう話を海外のスタッフにすると、「そんなことはないだろう」と誰も信じてくれなかった。                  

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  • 12 Nov
    • skeleton 国際レース開幕

      水曜日の夕方帰国、そのまま松本に夜到着。松本バスターミナルに降りると、コートから冷気が刺すかのような寒さで…カルガリーがあまりに暖かかったから、ビックリした。先週から、私が出られる可能性があったヨーロッパカップが開幕、今週は、ワールドカップの1つ下のカテゴリーのインターコンチネンタルカップの初戦とヨーロッパカップ3戦目がオーストリアイグルスであり、また、今週末にはノースアメリカンカップ初戦がカルガリーで開幕する。インターコンチネンタルカップ、ノースアメリカンカップには日本人選手が出場しているが、昨日終了したインターコンチネンタルカップの結果を読み解いてみたいと思う。インターコンチネンタルカップ初戦が行われたオーストリア、イグルスはインスブルックからほど近い山間地にある。ヨーロッパアルプスが美しいチロル地方。だいぶ古くからあるコースで、滑走でタイムが計られる距離は1218mで55秒前後。最高速は120km/時ほど。危険な箇所はなく、強い操作をしなくとも下りられる一見簡単で初心者向きと言えるが、タイムを出すのが難しいテクニカルさは兼ね備えている。コース距離が短く、ある意味で簡単なので、スタートタイムが顕著に物を言うコースである。1999年11月、私の最初の国際レースはイグルスでのヨーロッパカップで6位入賞したことを記憶している。日本からは今回男女各1名ずつ出場している。2人は昨年の国際大会に派遣された実績からという理由から今回の派遣が決まり、私のように30mや立ち幅跳びの記録については課せられていなかった。女子選手の記録会成績は、立ち幅跳びで私の方が上で、私が突破しなくてはならない記録にも達してなかった。男子選手においては、記録会への参加すらしておらず、また、スタート(プッシュ)の持ちタイムも全体で8番目の記録だった。その2人のイグルスでの成績は…男子初戦21位、2戦18位(33人出場)女子初戦13位、2戦16位(23人出場)決勝ラウンドの2本目に進めるのは20位までてある。リザルトを見ていて読めることは、特に男子についてはプッシュタイムが悪いと絶対太刀打ちできない国際状況になってるということ。skeletonはプッシュ、滑走技術、道具の三拍子揃う必要性があるが、男子の場合滑走技術と道具は頭打ちに来ていて、プッシュタイムで決まってしまう、特にイグルスのようなコースは顕著であるということだった。日本から出場した男子選手の大会でのプッシュタイムは20位以下であり、いくら技術が優れていても上に上がるのは難しいということを顕わした結果だった。女子に関しては、男子よりも技術でカバーできる要素は高い事が見受けられる。私クラスのプッシュ記録を持つ選手も入賞しているケースも見られた。しかし、ここ数年で女子のプッシュ記録のレベルもぐんと上がっており、今後メダルを獲得するための強化という側面から見ると、新人発掘をする際は足が速く、身体が大き目(身長160cm,体重60kg)最低ラインで必要とは感じる。ちなみに私は身長160cm、体重57kg程度がベスト。体重を60kgにすると動きのキレが鈍る。今回のインターコンチネンタルカップの日本人選手の結果について、選手を批判するつもりは毛頭ない。彼らは自分に与えられた中で、ベストを尽くしていることは痛いほど知っている。インターコンチネンタルカップはコーチら帯同者は連盟からは派遣されておらず、選手2人で運転しながら転戦もしている。私が言いたいのは、日本連盟が掲げる目標に対し、理にかなった正当な選考ができているのかということをきっちり受け止め分析できているのか、という事。この結果を見る限り、絵に描いた餅であり、結果は得られない。この繰り返しを何年となく行なっている実状を、誰がジャッジするのであろうか。これでは試合に出られる優遇選手と、納得できずに悔しい思いを強いられる選手に溝ができるのは当然であり、チーム力も落ちる。それは無駄なことである。今いる選手を大切に、有効活用した上で次世代を育てる事が必要なのは当然のこと。成績が出ないのを選手の責任に押し付け、強化責任者が責任を取らず長年居座るこの構図から、いつ脱却するつもりなのか。10/23 カナダの試合の様子国際レースの結果はこちらから。http://www.ibsf.org/en/races-results

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  • 07 Nov
    • 海外選手との交流

      長く選手をする中で、夏冬と訪れる機会が最も多かったカルガリーでは、多くの友人ができ、今回、再会することができた。 もちろん、ほとんど同世代の選手は引退している。一線から退き、すでに5、6年は経っている選手たちのセカンドキャリアも興味深いものがある。ある選手は中国のヘッドコーチを、ある選手はスピード競技用のレーシングスーツを選手時代から作り続け、今では世界的にビジネスを広げてパートナーと飛び回っていたり。。。 私が最も仲良くしていたのはリンジーとナターシャという女子選手2人。彼女らは一時期婚姻関係を結んでいて、10数年前の当時、私は夏の合宿で彼らの家にホームステイさせてもらった。リンジーはカルガリー出身で世界でもトップクラスの選手だった。ナターシャはアメリカ国籍だがスケルトンを機にカルガリーに住むようになった。どういうわけだか、私と、当時一緒に遠征していたナツコさんの4人はとても仲が良く、カルガリーに来ると必ず日本食を食べに行ったり、彼女らの家に寄った。英語も聴き取りやすく、とても誠実な二人は心が近い存在だった。二人は奇しくも数年で別離し、それぞれ別のパートナーと人生を歩んでいる。様々な性の在り方を彼女らとの付き合いで教えてもらったし、様々な価値観に対しての偏見は無くなった。 ナターシャは本当に面倒見がよく、お母さんのような存在。デザインに長けていて、一時期スケルトン用品のデザインもしていたり多才。どんな道に進むのかなと思っていたが、特別学級の教師として第二の人生を歩んでいる。細やかな気遣いをしてくれるナターシャにぴったりなのかなとも思う。いつも親切で気にかけてくれる彼女。今朝はオーガニックのマーケットに連れて行ってくれ、さらにレンタカートラブルについてヘルプしてくれた。 もう一人の特別な友達、リンジーはカイロプラクターとして活躍している。 リンジーはトップアスリートだった。ソルトレークとトリノの二回のオリンピックに共に出場した。選手としての最後はプレバンクーバーシーズンだったと記憶している。私はたまたま同じコースにいて、彼女のカナダチームでのセレクションレース後、二人で泣いたことを覚えている。私も自分にその時が少なからず近づいていることを話す中で、彼女が最後の一本に感じた気持ちを話してくれた。最終コーナーに差し掛かり、笑いが止まらなかったという。とても晴れやかに終えた一本だったそうだ。 私にもそういう最後を迎えてほしいと言ってくれた… 今度二人にいつ会えるだろうか。。。               

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  • 06 Nov
    • Struggling

      日本は寒いとかいう噂だけど、このところのカルガリー、連日暑い!今日は車の温度計が21℃を指していてビックリ‼️半袖でアップできるほどだった。カルガリーでの滑走もあと1日となってしまい、現実世界に戻るのが刻一刻と近づいており…新型そりでの苦戦が続き、数日そわそわイライラバタバタで。スレッドビルダーが数日前に来たので、再調整してもらったり、様々試しているのだけど、2週間ほど身体と合わない状態で滑走する中で、変な感覚が染み付いてしまっていて、なかなか滑走中にリラックスする事ができない始末。まだまだだけど〜〜初心者か?!と思うような滑りをしていると自分でもわかるのだけど、気持が焦ると逆効果。今日ようやく最後の一本少しまともな感覚を得られた。私はスケルトンを始めた頃から、比較的壁にぶつかる事が少なかった。それは、身体が小さいゆえにバンパーが守ってくれていたからでもある。カルガリーのコースで痛みを伴うヒットはこれまでにほぼ無かったのに、今回は左の骨盤を4回ほど強打し、その恐怖から操作が増えたり同じ方向のコーナーで体を避けてそりと違う方向を向いていたり、無意識でしてしまっている事がビデオを通じて発見される。このようなわずかな積み重なりでタイムが伸びないわけである。今更ながらに気づく事だらけである。今思えば、恐怖心が無かったせいかやり始めた頃の私はスルスル無意識でできてしまった事が多かった。わからない分何も考えないでいられる。ある種のビギナーズラック。恐れというのはマイナスに働くもの。経験が恐れとリンクする面も往往にして有るとも感じる。それは生活の中でも同じく。克服の先にはさらなる世界が有るんだろうけど。カルガリーの空

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プロフィール

eiko

性別:
女性
自己紹介:
1998年長野五輪直後の28歳からそり競技・スケルトンを始め、ソルトレークシティー五輪、トリノ五輪に...

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