2008-08-31 11:27:18

継体天皇と息長氏

テーマ:日本古代史

 前回のブログ「日本古代史」(08.07.31)で、527年頃起きた継体天皇と九州の豪族・磐井の戦争について掻いたが、今回は、推理作家・黒岩重吾が継体天皇と蘇我稲目を主人公にして書いた小説「北風に起つ」を横目に見ての話である。


 21代雄略天皇が多くの皇子や王族や豪族たちを殺したり追放したりして479年に62歳で病没した。それまで応神・仁徳王朝を支えてきた豪族達は、雄略帝の独裁政治に懲りて、大王を立てなかったらしい。日本書紀では万世一系の皇統が続いたように記述しているがこれは粉飾である。大和朝廷の有力な豪族達は、自分達の勢力拡大のため、血で血を洗う政争に明け暮れ、大王不在の時期が二、三十年続いた。と云うことは、その間大王(天皇)はいなかったということである。


 しかし、蘇我、大伴、物部など大王を凌ぐ力を持った豪族達は、自ら大王になろうとはしなかった。中国の場合は、皇帝が悪い政治をしたり力が衰いたりすると、強いものが出てきて革命が起きた。日本の場合は、不思議な血統意識があって、大王の血統でないものが大王になろうとしても、誰もそれを認めなかった。天皇制が出来て今日までの長い歴史の間で、血筋でもないのに天皇になろうとしたものは弓削の道鏡か織田信長くらいのもので、それも実現はしなかった。


 話が横道に逸れたが、大和朝廷の豪族達も、中国や朝鮮との外交上の理由もあって、いつまでも大王不在にしておく訳にも行かず、相談した挙句、大王に相応しい人物を探すことになり、方々探し廻ったところ、越の国の豪族で息長氏の血を引く男大迹大王(おおどのおおきみ)という人物を見付け出した。日本書紀では応神天皇五世の孫と称しているが怪しいものである。大伴金村が説得に行き、507年にやっと承知して即位した。これが26代継体天皇である。


 息長氏というのは地方の豪族であるが、代々天皇家に皇后や妃を差し出すことを使命とし、陰で朝廷を支えてきた氏族で、多分先祖は朝鮮半島か済州島辺りから来た渡来部族で、色白柔肌の美人系であったに違いない。今でも新潟や北陸に美人が多いのは、息長族の血が多少混じっている所為かも知れない。


 堀居左門著「息長氏の研究」という本をブログメイトから借りて読んでみたが、結局、息長氏の正体は掴めなかった。判ったことは、息長氏は地方氏族であるが、天皇家との関係が深かったこと。神功皇后の名がオキナガタラシヒメであるが、これは後から付けられた名であり、日本書紀の作者・藤原氏が、魏志倭人伝を意識して創作した架空の人物らしいこと。息長氏が地方紙族であったため、政争に巻き込まれることが少なく、地方で比較的長く繁栄を保持することが出来たということ。継体天皇には8人の妃がいて、その多くが息長族の女であったことなどである。宮内庁が天皇の墓の学術調査を拒否しているが、若し、応神天皇と継体天皇のDNA鑑定が可能であれば、血が繫がっているかどうかを確認することは可能の筈。




AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

oldhakkaiさんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

コメント

[コメントをする]

コメント投稿

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。