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『ペンポン』
題名がペンポンなんて・・・?と思いませんか。
この事については以前にもお話致しましたが、新規メルマガ登録者の方のため、再度投稿致します。
実はこの「ペンポン」は人の名前です。
「ペンポン・サワディー」
彼はラオス人で現在は25歳の素敵な男性です。
彼との出会いは2013年の事。
外交員を募集したときに面接に来た事がきっかけで知り合いました。
彼いわく「現在はお昼意外の仕事とは別に、夜もアルバイトをしています・・・」と。
それ以外に、空いた時間に外交員をさせと欲しいとの事でした。
私は「何故そんなに働きたいのか?」と問いかけたところ「稼ぎたい!」と一言。
当時は23歳の若者です。
多分「いい車に乗りたい」とか「起業するための資金を稼ぎたい」という事が目的レベルではないのかと思いましたが、彼からの回答を聞いて感心しました。
なんと彼の回答は「ラオスに学校を建てるための資金が欲しい!」と。
久しぶりに若者の素晴らしい純粋な目的に、私自身感動した事を今も忘れられません。
そして今、彼は当社のスタッフとして修行中。
彼の目的を成功させるために私と共に活動している状況です。
そして今、たくさんの仲間からの支援もありNPO法人(ペンポングループ)も設立!(2015年度より本格スタート)
何故この若者がそのようになったのか、それは彼の生い立ちに遡ります。
いつもより少々長くなるかと思いますが、お付き合いくださいませ。
ペンポンはラオス人といっても日本生まれの日本育ちです。
理由は、彼の両親が母国ラオスの戦火の中、避難民として生活。
生きるために日本に逃げてきたという状況。
そんな両親の元、ペンポンは神奈川県で生まれました。
しかし、その後両親は離婚。
片親になった母親はペンポンを育てる事を放棄。
まもなく、施設での生活が始ったようです。
そんな環境の中ペンポンは、日本育ちではあるけれど、見た目がラオス人という事が理由で、いじめられる日々が始ったようです。
環境に順応できないペンポンは社会人になり大阪へ。
稼ぐために大阪ミナミでホスト人生をスタート。
性格的には当時、相当な狂犬的な性格で、周囲に順応できなければ即ケンカ!
強さを武器にするしかないような状況だった事は理解できます。
私も若いときはそうだったから・・・(笑)
家族という絆を知らずに生きてきた彼の荒んだ心はますますエスカレートしていったようです。
そんな彼が今「ラオスに学校を建てたい」という思いは何故・・・?
やはり出会いです。
ペンポンが勤務していたホストクラブのオーナーが、彼の人生に光を浴びせたようです。
オーナーはペンポンの身内を調べ、20歳を過ぎた彼を連れラオスへ・・・
そこでペンポンは、実のおばあちゃんと運命の出会を果たしたのです。
そして、ペンポンの親戚にあたる多くの人達から温かく迎えられ、自分を愛する血の繋がった家族がこの世に存在する事をはじめって知ったのです。
その出来事以降、ペンポンの心は一変し、今の考えを持つようになったみたいです。
ペンポンいわく「自分は家族に育てられなくても他人様からの温かい支援があったからこそ、今の自分があり生きてこれた。
そして、ご飯も食べる事もできました。
だから僕の使命は、僕の味わったこの喜びを今度は恵まれない母国ラオスの子供達のために尽力したい・・・」と。
このペンポンの状況は当時、ドキュメンタリー番組でも報道されています。
宮崎あおいさんのナレーションで「ホストの前に人間やろ!」という題名です。
動画はこちらから!
↓↓↓
このドキュメンタリー番組を是非ご覧ください。
彼の生い立ちは、我々日本社会で生きてるものにとって、大変考えさせられるものです。
生きるという人生設計図・・・いろいろな人間模様。
私自身、考えさせられる出会いが沢山あり、幸せ満載です。
あなたも今、自分にこのペンポンの生き様を照らし合わせてみてください。
きっとあなたにとっての何かが見つかると思います。
出会いが人生を成長させる。
今日も素敵な出会いを・・・!