お骨のことなら、おこつ供養舎までお気軽にご相談ください。
  • 28 Nov
    • 久しぶりにブログでも⋯なんと前回の投稿から一年が過ぎ去っている

      今日は11月28日、巷では来週からはクリスマスモードに突入だ (笑)少し早いが。今年を振り返ってみると今年は怒涛の一年間だったように思う。毎日毎日、お骨様とのご対面やお別れの繰り返し⋯一体どれだけのお遺骨様とお会いしたのだろうか⋯⋯来年の一月になったら集計してみよう。今年は海洋散骨葬の為に何十回海に出ただろう⋯⋯悪天候の為に3回ほど出港を中止にした事は覚えている。沢山のご遺族の方とお会いして一緒に海に出る。わずか2時間ほどの運命共同体です。高齢者の方やわんぱく小僧が乗船されるとわずか2時間ですがとても疲れます。海洋散骨に行って自分たちが海に落ちたのではシャレになりませんからね (笑)そういえば面白い落水事件がありました。15年ほど前に東京湾を私のヨットで航海中に初めてヨットに乗ったインターン生がのんびりとした口調で「院長が海に落ちましたね」と言いました。あまりにも緊迫感のない口調だったので、私は「あ、そう」と能天気に答えました。インターン生が「助けたほうがいいんじゃないですか?」と言うので、「えっ!」後ろを振り返ると100メーター程後方の波間に院長が浮いていました(笑)。そういえば海にまつわる最近の面白い話がもう一つ、先月のご遺族様乗船散骨葬の時に、ご遺族の乗船者の方たちに桟橋でライフジャケットの装着(手動膨張式)の指導していました。おデブちゃんの男性にキツキツでライフジャケットを何とか装着させて次の人に装着していたら、なんとおデブちゃんはライフジャケットの手動作動レバーを引っ張ってしまった(ゲッ!) シュウーというエアーの音と共に膨らんでいくライフジャケット君に締め付けられて、もがいているおデブちゃんのワンマンショーに皆で大爆笑!!!出港前から乗船者と打ち解けた気持ちで散骨葬をしたのは初めてかも(笑)海洋状況で船を微速で走らせながら海洋散骨葬をするときのご献花の花の色は白が上品で散骨した場所も分かりやすいが、やや波風のある時に散骨する時にご献花する花の色は黄色か赤系が良いことに気づいた。波のある時は白波が立つので白い花だと白波と白い花が同化して散骨場所が分かりにくくなる。そういえば船乗り時代に航海日誌に白波が立ってきたときの事を「ウサギが飛び出してきた」みたいな記録を先輩の航海士が書いていたのを思い出した。(今思うとオシャレ)あの人も生きていればもう85歳かぁ⋯⋯お骨になっちゃったかなぁ⋯⋯あの世でまた飲みましょうね!今年の散骨葬でのご献花で◎最高だったのはお盆のころに使ったホウヅキでした赤くて中に空気が入っているので全体の80%位は水面に出ている様で散骨場所のマーカーには最高です。視認性抜群!12月の散骨予約が月初の日曜日と月曜日で二日続けて入っている、今年の散骨葬はこれで終わりかな。今ほど暇つぶしに、自分の人生で東京湾に停泊中も含めて何時間くらい船の上にいたのかザクっと電卓を入れてみた、なんと3000時間近くになる⋯⋯そろそろ眠くなってきました。

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  • 06 Oct
    • 粉骨を極めるのはいつの日になることやら

      今年もあっという間に10月になりました。今年も沢山のお遺骨を粉骨させて頂き、何度も海に出てご散骨させていただきました。ご遺族様の皆様にも様々なお話をきかせて頂き、お話を聞けば聞くほどに個々の故人様の人生の重さに只々、感服するばかりで御座いました。「送った粉骨遺骨が届かない?!」事件今年最大の、青ざめたお話は海外のフランスに送った粉骨遺骨が税関で検査に引っかかり配達されずにいる間に受取人がオランダに移動してしまったお話です。検査に引っかかった原因は故人様の粉骨遺骨と携帯電話と充電器を同じ箱で送った事でした。X線写真で見たら、どう見ても時限爆弾ですよね(笑)その後、爆発物と間違えられた故人様は無事に日本に戻られ、後日、携帯電話と分けられて無事にオランダに旅立たれました。文章にすると、これだけの話なのですが解決するまでの一か月間には 涙 😢涙の...(笑)「プロの粉骨の仕上がり」を決めるものなどと書くと、食いつきが良いのかもしれませんが...実は失敗の神様が教えてくれた秘訣です遺骨粉骨は遺骨を粉砕することですが、火葬後のお遺骨様はそれぞれの様々な経緯と月日を経た。。うえで、故人様の好むと好まざるに関わらずに不肖な私との初対面の面会となります。骨壺を目の前にして合掌後に骨壺の蓋を開けます(この時の瞬間の思いは弊社の粉骨のHPをご参照下さいませ)骨壺に入っていた遺骨の粉骨の手順は(条件=分骨なし/全量粉骨/機械粉骨/国内散骨仕様)① 骨壺の遺骨をトレイにあける② お骨以外のものを取り除く③④ 圧迫粉骨する⑤ 粉骨機にかける⑥ 遺骨パウダーを水溶性紙袋に梱包する上記のような手順になります...全ての工程が大事なのですが ③が抜けてますよね③はお遺骨をお預かりしたときに当社が一番、心配している事で「お骨の湿り具合」です。③の答えは「乾燥させる」なのですが、お預かりしたお遺骨は全く乾燥の必要のないお遺骨が半分くらいで残りのお遺骨は自然乾燥で一週間、お急ぎですと送風乾燥で2日間又は温風除湿乾燥で1~3時間等の乾燥をしないとサラサラとしたパウダーになってくれません。骨壺の蓋を開けて骨壺の中を見ると一見乾いているように見えますが、底の方にある遺骨程湿っています。乾燥が必要か不要かの簡単な見極めは骨壺の遺骨をトレイに開けたときに骨壺の底に水分による遺骨粉が付着しているかどうかで分かります。湿っていると何が問題なのでしょう?①散骨用の水溶性紙の袋に入れたときに水溶性の紙が水分を吸ってしまい最悪の場合は破れてしまいます。②カビの発生の条件である水分を保持してしまいます。③粉骨機の内部に粉骨が張り付き作業性が低下します。「プロの粉骨の仕上がり」を決めるのは、一に乾燥 二に乾燥....ここまで読んで下さって有難うございます。次回は散骨の四方山話やここで遺族様に泣かれた等を書いてみたいと思います。

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  • 29 Dec
    • 初めてお骨(頭蓋骨)を素手で触ったのは遥か昔の高校一年生の時。

      はじめまして。この度、おこつ供養舎のブログをはじめました。「お骨」という特殊な題材を中心に綴られるブログとなりますが皆様、宜しくお願いいたしますm(_ _)mさて、このブログのテーマとなる「お骨」についてですが、私には亡くなった方の「ご遺骨」や「死者」に対し、多くの思い出や思い入れがございます。その思い入れの強さから、当≪おこつ供養舎≫を立ち上げることになったと言っても過言ではないかと思います。その「思い入れ」のきっかけとなった事柄から、本日はご紹介させて頂こうと思います。私が田舎の高校に通う、少年だったころに時代はさかのぼります。(※遠~い昔です(^_^;))通っていた高校の近くの無人の公民館?らしき所の展示ケースの中に、他の展示物と共に何故か?人の頭骨のみが展示されていました。ケースには鍵もかかっておらず、誰でも扉を自由に開けることができました(古き良き時代なのでしょうか…現在では考えられない事ですね…)。当時は、その頭骨を両手で持って女の子を怖がらせるという事が、男の子の悪ガキどもに代々伝わってきた度胸試しであったようです。私も例外ではなく、その【度胸試し】を経験しました。初めてその頭骨を持った時の事を今でも良く覚えています。友人を脅かすために勇気を持ってはじめて頭骨を持った時の気持ちは、先輩が頭骨を持って私の目の前に出してきた時の100倍は怖かったです(((( ;°Д°))))今思い起こすと、恐らく焼いていないお骨だったのでしょうか、それなりの重さもあり心の中では「大事なものなので落としてはいけない」という気持ちも働き必要以上に力を込めて握りしめていたのを覚えています。友人を驚かし終わり、ショーケースに頭骨を戻した後に頭骨に触れた手に独特の臭いがついて、しばらくは手から匂いが取れなかったことを覚えています…(今考えると保存のための薬品の匂いだったのか?定かではありませんが・・・)怖がってくれた友人は、頭骨の怖さよりもきっと私のひきつった顔の方が怖かっただろうと思います。。。そんな弱虫だった私も(笑)気がつくと[光陰矢の如し]で残りの余命を運任せと考える様な歳になりました。人間を長くやっていると、沢山の知人の死と向き合うことになります。いつもやさしかったバアさん、頑固だったジイさん(その昔はお坊さんだったらしい)、叔父、叔母、恩人、友人と沢山の葬儀に参加しました。怖くてお葬式に行くのが嫌だった怖がりの少年も、いつしか年齢と経験と共にお葬式で亡くなった故人の顔を見るのも平気になって来るわけです。最近のお葬式では故人様に手を合わせて「人生お疲れ様でした!私もそのうちに行きますから、またよろしくね」と素直な気持ちで言えるようになりました。私が人生で二度目に人骨を素手で触ったのは私の愛する父の遺骨でした。父の生前にはよく父と二人でお酒を飲みました。酒の席で父はよく「俺が死んだら綺麗な海に流してくれ」と、私に話していました。若かった私はその父の言葉を「本気半分・冗談半分」のような気持ちで聞いていたような気がします。そんな父がある日、脳出血で倒れました。病院での半年間の入院生活の末に、無事に退院することが出来ましたが医者からは「再発の恐れがある」と家族は宣告されていました。その宣告は一年後に悲しい現実となりました。父が退院してから、父との会話の中で頃合いを見て「お父さん死んだら海に散骨してくれって言ってたけれど…本当?」と聞いたところ「ああ そうしてくれ」と言うのが父の変わらぬ言葉でした。平成13年のまだ「海洋散骨」という言葉が世間に知られて居なかった頃の話です。父の遺骨の一部を持って、私は南の島に行き、父の遺骨を素手で散骨しました。その時は、父の遺骨を素手で触ってもまったく怖くありませんでした。そんな私が人生最後の仕事として「他人の故人様のご供養のために洗骨や粉骨、そしてご散骨などを執り行う仕事」に就かせて頂き、今日に至っています。昔の自分からは想像も出来ない事です。そして今の私の心は、人様の最後の最後の時に立ち会わせて頂く最高の仕事に就けたことを万物のお歴々に感謝の気持ちであふれております。

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