対馬丸記念館再訪
対馬丸記念館に販売を委託していたCD“対馬丸”が完売。感謝です。
今回、追加納入をさせていただきました。
さらに、本日より“カクテル・パーティー”も販売していただけることになりました。
そして、和光小学校で講演を聞かせていただいた中島高男さんの手記を基にした本、「満天の星」が出版され、販売されていましたので、ご紹介したいと思います。
そして、事務局長の瑞慶覧達次さんに、ちょっとご説明を頂きました。
中央の大きな板はハッチボードで、その下が一番船倉でした。船倉の中には、たくさんの子どもたちがいました。またハッチボードの上にも、船倉の暑さを逃れて、やはりたくさんの子どもたちがいたのです。魚雷は、ちょうどそのハッチボードの左下、一番船倉の壁を直撃しました。
対馬丸記念館の展示室は、この一番船倉と同じ高さで作られています。
画像が少し暗くて見えにくいかもしれませんが、この部屋の天井がハッチの位置で、そこからこれだけの高さの下の床に、たくさんの子どもたちがいたということです。そして、魚雷が命中した途端、船倉に開いた大きな穴からは一挙に海水が流れ込み、天井からは、大きなハッチが、そのハッチの上で涼んでいた子どもたちとともに落ちたきたというのです。
「まさに地獄でした」と語った中島高男氏の嗚咽、中島さんの唇が震えていたのを、忘れることができません。
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対馬丸記念館をお暇して、会館の裏手の階段から、大城立裕氏にインタビューした旭が丘公園へ登ってみました。
そして、小桜の塔。
小桜の塔は、1953年、波之上護国寺に沖縄戦没学童慰霊のため建てられもので、1958年にこの場所に移されました。詳細は下記の対馬丸記念館のホームページをお読みください。
この日は、誰もいませんでした。
そっと手を合わせました。