倉敷市林

(歪み修正・色調補正:GIMP Portable Ver.2.6.11 使用)



撮影
カメラ
:
レンズ
2006年04月16日
PENTAX
_*istDS2
PENTAX
.DA.18-55mm
TAMRON
_AF_28-300mm_MACRO*
2012年04月12日
PENTAX
_K-m
TAMRON
_AF_28-300mm_MACRO
TAMRON SP AF17-50mm F2.8 Di



ところどころ、1973年.(昭和48年)08月のモノクロームの世界へ
39年の時空を行き交います


後鳥羽上皇.(第82代天皇).皇子、皇孫ゆかり
「五流修験」.発祥の地


熊野神社.((日本第一熊野十二社権現本宮)
飛鳥時代の701年、修験道の開祖、役小角(えんのおづの、えんのおづぬ)
門弟が紀州熊野本宮
.(十二権現).の御神体をこの地へ遷し.(うつし).祀られ、
御創建。

深山幽谷で厳しい修行をしながら、在家にて民衆救済のための行法秘事等を
説法伝授する
修験道の総本山(本拠).とし、役小角の五大門弟が設けた五院
(尊滝院・太法院・建徳院・報恩院・伝法院)
を管長とする五流長床衆」(児島
山伏)
は朝廷(御皇室)から尊崇され、上皇の熊野詣をはじめ天皇・御皇族・貴
人の熊野行幸・参拝時の先達
(道案内、道中・参拝の作法伝授)を勤めました。

740年に第45代
聖武天皇、鎌倉時代の1205年に第83代土御門天皇(後鳥羽
天皇第一皇子)が児島全土を熊野神社の神領として寄進。
児島一円から備中
吉備津に至るまで熊野社、多数の分社・関係社が建立されるなど、南北朝時代
まで
修験道の本拠地熊野信仰の中心地として栄華を誇りました。

熊野十二社権現の御祭神・歴史、修験道・役小角、五流修験の起源・歴史等の
詳細は、
こちらをご覧下さい。



ちょうずや
手水舎
桜の花びらがきれ~~





殿

拝殿、五流修験長床.(修験道場)



御本殿

(現在の拝殿建立前)







五流尊瀧院三重塔











熊野権現本地堂
三重塔北.(三重塔に向って左)







後鳥羽上皇第三皇子
桜井宮覚仁親王墳墓

境内西側

前述.(冒頭).のとおり、南北朝時代まで修験道の本拠地・熊野信仰の中心地と
して栄華を誇りながらその後の乱世に神領・寺領が幕府により次々に削減され、
戦国の戦火に焼失。

鎌倉時代の1220年、児島に下向された後鳥羽上皇第三皇子
桜井宮覚仁親王
は衰退していた熊野神社と寺院を再興され、
翌1221年に下向された第四皇子
冷泉宮頼仁親王とともに、熊野三山の検校(監督・統轄)、熊野権現・五流修験
(五院)を再興
されました。

後鳥羽天皇、皇子ゆかり「熊野権現」
熊野権現の御由緒・歴史、五流修験(児島山伏)の起源・歴史等)

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