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地元山梨の神社を中心に巡拝し、
御朱印、御由緒など御紹介しています。

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杜市長坂町大八田に鎮座される国史見在社、建岡神社をご紹介致します。
大八田地区の鎮守として、旧郷社として村落の小高い丘陵地に鎮座されて
います。


 
社号標は「郷社建岡神社」と有りますので、戦前建立されたと思われます。
また、反対側には新しい由緒書がございます。



 



鳥居を潜り、古びた長い石段を登ると後神門が見えて参ります。
途中、森の中に奉納された石仏や祠が点在し神仏習合時代のの面影がのこり
歴史が感じられます。




参道の石段を登り切ると右側に手水舎がございます。


御本殿は日吉造にて中々ご立派な佇まいです。



 

奉納の絵馬や石碑には日露戦争や大東亜戦争時代の武運長久を祈願したものや江戸時代の年号の物の多数ありました。


 御本殿は流造りで、右手には境内社や道祖神が祀られています。


御朱印は例祭時社務所にて授与(要事前連絡)



 



御由緒をご紹介いたします。


建岡神社(山梨県北杜市長坂町大八田6822)

祭神は建御名方命

国史見在社 旧郷社

駐車場はなし

古伝によれば景行天皇四十年日本武尊御東征の際、此岡を望み「建き大丈夫の立つるが如き」と云ひ行殿を設け神を祀る故に建岡と云ふ。国史現在社、御朱印社領弐石六斗余、源太清光谷戸に住せる時諏訪明神を配祀する。武田氏世々復興せり、文化五年有栖川宮織仁親王信仰により御染筆の額字「建岡神社」寄進あり、公家達奉納の法楽百首を蔵す。有栖川宮家御祈願所として年々御祈祷の御祓物献上す。菊花の御紋章の高張堤灯を現在も社頭に掲揚してゐる。昭和三十八年高松宮家より有栖川宮家筆録及び系図を奉納された。



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南アルプス市小笠原に鎮座される式内論社、笠屋神社を
元旦に参拝させて頂きました。
国道52号線小笠原橋近く、地名にも有る
礼法で有名な小笠原氏にもゆかりのある社です。
入口には石鳥居と社号標が御座います。





左側の手水舎で御浄めさせて頂き、年始の初詣を致します。






右側には社記の案内板が設置されています。






更に石畳の参道を進むと御神門が御座います。






拝殿は入母屋造にて元旦祭の装いがされ、気持ちも新たに新年の祈願をさせて頂きました。






御本殿は流造の御立派な佇まいでした。





御朱印は例祭時社務所にて授与(要事前連絡)






御由緒を紹介致します。

笠屋神社(山梨県南アルプス市小笠原469)

御祭神は事代主命、大鷦鷯命

延喜式内社(甲斐國巨麻郡 笠屋神社論社)
旧村社

本務神社

駐車場は境内に4~5台



鎮座地は、小笠原的場四六九番地。祭神は、 事代主命・大鷦鷯命である。
 起源はつまびらかでないが、延喜式に「巨摩 郡四社の一を笠屋神社とす」とあり、それ以前 に勧請したものであろう。また、天文年間大和 川洪水のため流亡して河原となった等の言伝え もあるという。
 三輪明神の御幸祭は、往時より旧上宮地・小 笠原・下宮地の三カ村合同の公祭で西御幸とも 呼ばれこの地方の春の大祭だが、そのおり神輿 は、小笠原長清公館跡の「御所庭」に立寄り饗応 の式が行われたというが、いつのころからか笠 屋神社に立寄るようになっている。また神社の 所在地である「的場」も、右の御所庭につづく東 隣りにあり弓馬礼法などの師範だった小笠原氏 との関係も考えられ興味ぶかい。
 なお、社紋は小笠原氏の家紋である三階菱が 掲げられている。


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韮崎市大草町に鎮座される式内論社、南宮大神社を御紹介致します。
県道607号線に面し、鎮守の杜の南側に鳥居が御座います。





右側には市設置の案内板が御座います。




御神門は朱塗りで質素な造りでした。





拝殿、御本殿共入母屋造りの社殿で屋根の朱色が特徴でした。







御朱印は所管社の若宮八幡宮にて授与。(要事前連絡)








御由緒を御紹介致します。


南宮大神社(山梨県韮崎市大草町上条東割790)

御祭神は建御名方命 大己貴命 事代主命 金山彦命

延喜式内社(甲斐國巨麻郡 神部神社 論社)旧郷社

所管社 若宮八幡宮(山梨県韮崎市若宮1―4―14)

駐車場はなしだが隣接の甘利児童センターに駐車可。


諏訪明神すなわち建御名方命を主祭神とし、大己貴命・事代主命・金山彦命を配祀する、甘利郷きっての大社である。
社記によれば、新羅三郎義光が甲斐任国の時崇敬して社壇を造営したといい、武田太郎信義、その嫡男一条次郎忠頼も篤く崇敬し、武田一条氏が武川地方に封ぜられると、当社を産土神として崇敬し、その支族の武川衆諸氏も協力して当社に奉仕した史料を伝えている。
また武田信玄は当社の禰宜に対し、府中八幡宮に二日二晩参篭し、武田家武運長久と領内安穏の祈祷をすることを命じた。
徳川家が社領十六石八斗、社地四千六百坪を寄進したのは、武田家の例に倣ったものである。
現存する社殿・建造物は、本殿・拝殿・神楽殿・随神門・石鳥居などで、境内地も縮小されて千六百六十五坪に過ぎない。戦前までは、境内に新羅三郎手植と伝えられる桜の巨木があり、植物学上、全国に比類のない珍種とされていたが、惜しくも枯死した。 (社頭案内板より)



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