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もしかして・・・・・・




私は、本当は、もっと美しいのかもしれない。。。
自分でも驚く程の、溢れんばかりの美しさがあるのかもしれない。。。




もしかして・・・・・・




私は、本当は、もっともっと可愛いのかもしれない。。。
自分でもびっくりするほどの可愛さがあるのかもしれない。。。




それを自分で認めるのが怖くて、それを認めないために、ありとあらゆる問題を、美しくない理由を、自分自身で作り出してきたのかもしれない。







たとえば減量に成功したとか、髪がもっとツヤツヤになったとか、そのようななにかしらの「要因」があって初めて、自分は美しいと思える人がほとんどだと思います。



それはつまり、同時に、反対側にある、減量に成功しない自分や、髪がツヤツヤでない自分は、美しくない、という理由を作り出していることになるのですよね。




そして、自分が美しくない理由は、もう、無限に探すことができます。




年齢、体型、体重、髪、肌のツヤ、爪、足の太さ、ウエストの太さ、服装、持ち物等等・・・・。



これらは、現実として「美しくないもの」として存在しているのではなく、自分を美しいと認めるのが嫌で、これらを美しくない理由に自分がしてしまっている・・・。



なぜならば、私たち女性は、自分を美しいと認めないような幼少期や青春時代を送ってきた人が多いと思うんです。



今はネットがありますので、アイドルや芸能人の私生活やファッションを容易に目にすることができます。可愛らしさや美しさが際立つ存在の芸能人と比較したとすれば、ほとんどの中高生は「美しくない」「可愛さがたりない」ということになります。



真実として、美しくない、可愛さがたりない、わけではなく、比較によってそのような現実がうまれてしまっている、ということです。大学で教えていますと、とっても可愛らしいと私は思いますのに、「私なんてまったく可愛くない」、と言う女子大学生がなんと多いことでしょう。



自分は可愛くない、美しくない、と思って生きてきた私たちが、そのままのあなたが美しい、といくら言われても、それを認めるのは確かに困難なことですよね。。。



だから、自分を美しくない、と思っていたほうが、安全地帯にいられる。そう思っていたほうが、今までと同じように、慣れ親しんだ環境で過ごすことができるのでストレスも少なくてすむ。。。




綺麗じゃないのは、年齢のせい、体重のせい、体型のせい、ブランドの服装を着れないせい。そんな理由がいくつもあるうちは、綺麗でいなくてもゆるされる。



綺麗になって褒められたり輝いたりするよりも、綺麗じゃなかった(と思い込まされていた)昔のままの安住の地にいたほうが、慣れ親しんでいて過ごしやすい。



だから、本当は綺麗じゃない人なんて、本当は一人もいなくって。自分を綺麗だと思いたくない(綺麗と思わないほうが心地よい)女性がいるだけなのではないかと思うのです。





私は30年以上、自分は醜くて女性としての価値がなく、美しさのかけらもないと思って生きてきました。ブスとかデブとか言われることが日常茶飯事で、面と向かって「お前は女としての魅力がない」といようなことを言われたことも何度もあります(体育会系の方々はズバズバいいますからね・・・)。



ですから、美容のお仕事をさせていただけるようになった今現在も、時折、そのときの気持ちが猛烈に襲ってきて、自分を責めたくなったり自分に価値がないと思ったりする時があるんです。



そんな時こそ、歯を食いしばって自分に勇気を出そうと思っています。



私は、綺麗なんだ、と認める勇気。



何も理由がなくたって、私は美しくなっていいんだという勇気。




女性として光り輝くような眩い存在になる勇気。




つまりそれは、努力して光り輝くのではなくて、「もうすでにそうであること」を認める勇気です。




ありとあらゆる「私は綺麗じゃない」という理由。心から噴出してしまうほど数え切れない程の理由。




それらのすべてを自分自身で抱きしめてあげて、それでも、「私は美しい」と勇気を出して私は認めることにします。





そして、出会う女性のすべての方に伝えたい。





あなたがたとえどんなに拒否したとしても、あなたは光輝く眩しい存在です、と。





あなたの両親が与えてくださったあなたのその命が、世界にたったひとつしかないその生命が、美しくないわけがないのですから・・・。













と、ここまで書いてきて、思い出しました。子供の頃、どうしても着たかった可愛らしいお洋服を買ってもらえずに、それを遠くで眺めていた自分の姿・・・・。ちょっぴり涙ぐんでしまいました。可愛くないって言われていても、やっぱり可愛い女の子でいたかったのね・・・・・。



でも、もう大丈夫。可愛くないと言われていたあなたは、本当は可愛かったのだと、大人の私が理解してあげたから、もう泣かないで。










今日も笑いながら踊ってくださいね。
1回笑えば、またひとつ綺麗になれます\(^^)/





(研究活動のためしばらくブログの更新がゆっくりになりますが、どうぞよろしくお願い致します。)






綺麗になることって
綺麗じゃないと思い込んでいる自分との仲直りなのかもしれない・・・。
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先日、非常勤講師としてお世話になっている大学から一本のお電話がありました。


その大学には、毎年、教員を表彰する制度があるそうで、昨年2015年度の優秀教員に私が選ばれた、というのです。


その大学で授業を担当させていただいたのは昨年度からでしたので、まさか私が選んでいただけるなんて思ってもみませんでしたので、ただただ驚きでした。


そして、学長室にお招きいただきまして、表彰していただいた時に、より驚かされ、感激したことがありました。


それは、私の授業が、なぜ優秀だと評価していただいたか、というコメントを聞かせていただいたことです。


授業評価といいますと、その教員が、教材を工夫しているか、発問や指示が適切か、目標を設定しているか、有効な機材を使用しているか、等の観点によって評価されることが一般的です。

 

上記のような観点で自分が優れているとは私は全く思えません。




しかしながら、私の講義を見てくださった先生が、言ってくださったのは、




「岡田先生の授業では、学生たち一人ひとりが驚くほど輝くような笑顔だった」
 



ということでした。




これは、私にとりまして、本当に本当に嬉しいメッセージでした。



なぜならば、かつての私の講義においては・・・・・・、学生に緊張を強いるようなことばかりしていたからです。




恥ずかしい話ですが、私はかつて、自分は良い教師だ、と強く思っていました・・・(こう書くだけでも恥ずかしい・・・)。




そして、良い教師だから、教材も工夫して、素晴らしい知識を学生さんたちに伝えて、学生の気持ちを理解できる私でいなければ!!!と思っていました。



以前は気がつかなかったのですが、そう思っている時というのは、自分の教師としてのダメさや、うまくできないところや、性格的な暗さや自分で嫌っている面や、過去に教員として失敗した数々の痛い思いなどなどを、必死に隠していたんです。良い教師という仮面をかぶり、それらが学生たちには見えないように自分を取り繕っていました。



自分を隠している時というのは、心も体も緊張モードですから、学生たちにもそれが伝播しているのですね、知らないうちに。ですから、学生さんたちは堅苦しかったと思いますし、良い教師であらねば!という私の前では、柔軟な態度で講義を受けることができなかったと思います。



ここ最近は、それらの隠していた、絶対に見られたくないと思っていたところを、学生に知られてもいいと思うようになりました。



それは、良い教師だから学生が学ぶのではなくて、どんな教師からも学んでくださるのが学生の姿だ、ということが分かったからです。それを、学生さんたちが私に教えてくれました。



どんな私も、自分で嫌いと思っている情けないところも、全部ひっくるめてそのままの姿で教壇に立とう、と決めた時から、誰よりも私が心穏やかに、笑顔で授業できるようになりました。



そして、どんな私であっても、いつもそこから何かを学んでくれる学生たちがいてくれます。



これまで接してきたどの学生たちも、何かを隠そうとしていた私であっても、学生たちに堅苦しさを与えてしまうような私であっても、暖かく優しく受け入れてくれていたんだと気付かされました。



良い教師になろう、と、今の私に何かをプラスしようとするよりも、そのままの素の私を見てもらおうと、自分の仮面を全部脱いですべてを引き算してみたら、思いがけず今回のように表彰していただくことになり嬉しく思っています。



現在、美容のお仕事をしていても、「美しさ」というのも、同じだと思うんです。



今の自分にないものを、一生懸命プラスしていくよりも。



社会の価値観や、ネットや書籍の情報によって必要だと思わされて必死に溜め込んでしまった自分らしくないことを、何回も何回も引き算してみて、その先に残ったそのままの自分が、本当は一番美しいのではないかと。



美しくなる努力、というのは、違う自分になることではなく、本来の自分に戻る、つまり、自分の中にあるダメさも情けなさもひっくるめることなんだ、と、今回、表彰していただいたことを通して感じました。



私が学生たちに見せたくなかったもの。。。。。話がうまくできないところ、忍耐力がないところ、ずるいところ、幼なすぎるところ、すぐ間違えてしまうところ、先を見通してできないところ、劣等感、罪悪感、自己否定、おかしな優越感



不思議なのですが、そのようなところもさらけ出してみますと、それらとともに、私の中に確かに存在している優しさや可愛らしさのようなものも、ひょっこりと顔を出してくれるのです。自分を責め続けた先には、私の中にも、そんな光があったんだ、と教えていただいたように思いました。



それは、自分でダメだと思っていることを放置したり改善することを諦めることではなくって。まずは、そんなところもあるんだとだた静かに自分で受け入れることなのかなぁと。




なんでもできる教師だと思っていた私は、実際には、助けてもらわなければ何もできない教師でした。学生を理解できる優しい教師と思い込んで教壇に立っていた私は、実は今現在もその反対である面もたくさんあります。



不器用すぎる私に対して、毎回私を助け、支え、笑顔を見せてくれて、自立して行動してくれている学生のみなさん、本当にありがとう。




そして私のダメさとともに、私の美しさも受け入れてくれてありがとう。








今日も笑顔で踊ってくださいね。





(研究活動のためしばらくブログの更新がゆっくりになりますが、どうぞよろしくお願い致します。)





自分で自分にとびっきりの花束を。








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私の父は福岡県出身です。昨晩に親戚と連絡をとることができたとのことでした。父の甥が、震度5は初めて経験した、と言っていたそうです。まだまだ地震が続いておりますが、避難されていらっしゃる方のご無事を心からお祈り申し上げます。



「祈る」ということは目には見えませんが、現代の科学では、祈りの力を証明できる研究もあるそうです。つまり、実際に、祈りが何かを変えたり、誰かに影響を及ぼす、ということがある、ということなんです。



私も、祈りには力があるのだと、強く実感しています。



あの時「祈り」がなければ、今の私はここにはいない、という出来事がありました。


もう10年も前になりますが、バヌアツに暮らしていたときのことです。


3年間の暮らしの中では、楽しいことや嬉しいことばかりではなく、辛かったことや悲しかったこともありました。



生まれて初めての途上国での生活。その中で、何もかもがうまくいかなくなり、すべてが苦しみにしかみえなかった時期がありました。3年間で最も辛かった数ヶ月です。


そのときに、私の周りには現地の人々か、私と同じように海外からきている外国人の人しか住んでいませんでした。ですから、日本語で愚痴を聞いてくれる人もいない。私の住んでいた地区には気分転換するためのカフェもレストランもない。ネットも高額で使用できない。


もう、どうしようもない。何もできない。誰にも助けてともいえない、ような状況でした。


その時に、私は、真っ暗闇の中で、「そうだ、バヌアツの人々の真似をしてみよう」とふと思わされました。


私が所属していた中高一貫校は、キリスト教系の学校だったため、全校集会や朝の学活や授業の前に、必ず、祈ること、からスタートしていました。毎週日曜日の礼拝に教員の参加が義務付けられていましたので、毎週教会にも行っていました。


いつもいつも、現地の方々が祈る姿を目にしていましたが、祈ることが生活の一部ではなかった私にとって、その時間はなんとなく目をつぶっている時間でしかありませんでした。祈る、ということをよく分かっていなかったのです。



どうしようもないほどの苦悩に立たされた時、いつの間にか脳裏に焼きついていたバヌアツの人々の姿が自然と思い出され、私もとにかく真似をして祈ってみよう、と思わされたのです。


その祈りの効果が………自分でも驚きでした。とってもとっても苦しい1日の中で、寝る前のほんの数分間の祈りの時間だけ、なぜか分からなかったのですがまったく痛みを感じなかったのです。


意外でした。苦しくて仕方なかったので、ほんの数分間でも、苦しみを感じない時間がありがたくて仕方ありませんでした。毎日、夜寝る前の祈りの時間が楽しみになりました。それ以外の時間が全部辛かったのですが、祈りの時間だけは、私を癒しなぐさめ、安心感を与えてくれました。


その祈りが届いたのかどうかその時は分かりませんでした。(これは後々分かったのですが、そのときの祈りはやはり届いていたのです)とにかく、私自身は癒されて心が晴れやかになりました。


何かに対して祈るとは、その相手やその対象となるものに対して何かが届くということがあり、それに加えて、祈っている本人も大きなパワーのようなものを同時に与えられるのだと強く実感した出来事でした。








祈りたいと思います。








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先日、幼稚園で子供達とダンスや体操をした時に、「まねっこ遊び」というものを行いました。子供たちの自由な想像力に力を借りて、様々な動物になりきってみる、という遊びです。




「みんな、どんな動物を知っていますか?真似してみましょう!」




と私は聞きます。そして、子供たちは、元気に答えてくれました。




I like........(僕・私の好きな動物は・・・・)



Cat!(ネコ!)

Bear!(クマ!)

Snake!(へび!)

Tiger!(虎!)




そして、それぞれを真似して体を動かしました(ヘビさんの真似はちょっぴり大変でした(笑))




段々と、いろんな動物の名前が出てきたのですが、私が、わぁすごいなぁ、と思ったのは、やはり子供たちの発想力の豊かさです。




Dainosaur!(恐竜!)

Doragon!(ドラゴン!)

Frog!(カエル!)



なるほど、それも動物よね、真似してみたいよね、と思いました。恐竜の時には、「ガオー」と大声を出しながら動きましたが、この時が一番盛り上がったように思いました。(私も真似してみましたが、あんなに大きな声で叫んだ恐竜をやるなんて、何年ぶりのことでしょう笑)




自由にイメージするのって、楽しいですし、気分がウキウキしますよね。




子供たちのように、ワクワクしながら、もっと綺麗になった私を大胆にイメージしようと思いました。



今の自分がそれが似合うとか、相応しいとか、サイズが入らないとか一切抜きにして、もう、自由に、理想通りの自分を想像したいです。



さっそく友達とメールのやり取りで、今年の夏はダイスキな水着を着て海で思いっきり泳いでかき氷食べようね、と話して、すでにとっても嬉しくなりました(笑) その浜辺に立っているのは、好き勝手ににイメージした理想通りの私ですが、そんな風に、そうなってもいいんだって自分に何度も言ってあげています。



自分を嫌いな時は、そのような嬉しい未来をゆるせていないのは、なんと自分自身なのですよね。いえ、自分はそういう未来を求めています、と頭では思うかもしれませんが、自分を劣った存在と思うと、そんな未来にふさわしくないと、無意識のうちに思ってしまって、自分でそんな未来を遠ざけてしまっています。




私たちは誰もが、美しくなっていいですし、もっと理想を実現しても大丈夫なんです。




もう、ありったけの未来を楽しんで想像しちゃいましょう!






いつでも新しい朝には太陽がどんな場所にもあたたかでやわらかな光を照らしてくれることを信じて。









あなたのその笑顔は薔薇のように美しい。

































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ウエストの細さや足の長さ=私たちの価値、ではないんです。






あなたがそこにいてくれること、それこそが何よりの奇跡です。





美容やダイエットが、喜びと嬉しさの中にあるのであれば、存分に自分を磨いてそれを楽しんでください。



しかし、かつての私のように、痩せない自分を責めて、太っていることを劣っていると思い、辛くて我慢しながらの美容やダイエットなのであれば、こころ以上に、からだも悲鳴をあげています。


私はダメだ、と自分に向かって言うたびに、からだは悲しんでいます。


今現在太っていて、可愛くなくて、美人じゃなくて、理想の体型でない自分をゆるしてあげられるのは自分だけです。



痩せてから、綺麗になってからそんな自分をゆるすのではなくて、たった今、どんな容姿でもそんな自分をゆるしてあげるからこそ、からだがそれを知ってホッとして、からだがゆるんで頬もゆるんで笑顔になって、むしろ痩せやすく美しくなっていきます。



自分がどんな容姿でも、自分だけは、毎日毎日がんばってフル回転で働いている自分のからだを100%好きになってあげなくて、誰が好きになってあげられるのでしょう。



あなたがそこにいてくれること、それこそが何よりの奇跡です。



足が太いとかシワが多いとかお腹がたるんでいるとか、そう自分に言っているとき、足が歩けることや目が見えることや腸が消化と排泄を繰り返していることに同時に想いを馳せることはできません。



どちらを見ているか、ということなんです。



今あるそのままの姿を、「美しい」という目で見るのか、「劣っている」という目で見るのか。どちらで見ることも自分で決めることができます。



あなたは美しくて可愛いので、何度でもこのことを伝えたいです。




あなたがそこにいてくれること、それこそが何よりの奇跡です。
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