「やりたい」と「やってみたい」の差。~やりたいことの奥の奥へ~ | ホンネ経営のススメ~仕事と家庭の両立~

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「やりたいこと」と「やってみたいこと」って、似てるようで違う。

 

「やってみたいこと」って、「体験」が目的になっている。

 

「やりたいこと」は体験することの先に「目的」がある。

 

 

「やってみたいこと」は、いい面ばかりを見ている。

 

「やりたいこと」はリスクやネガティブな側面も見ている。

 

 

「やってみたいこと」は覚悟が決まっていない。

 

「やりたいこと」はハラが決まっている。

 

 

「やってみたいこと」をやっているとき、「それをやっている”自分”」に酔っている。

 

「やりたいこと」をやっているとき、からだが幸福に満ち溢れている。

 

 

たとえば「結婚したい」と願っているように見える人の欲求をよくよく探っていくと、「結婚したい」のではなく、「結婚してみたい」ということがある。

 

それは「大好きな彼と苦楽を共にして暮らしたい」というよりは

 

「なんかこう新婚でラブラブして?一緒に料理とかして?いってきますのチューをして?みたいな?」

 

結婚のポジティブ面ばかりを見ている。

 

「結婚したい」のではなく

 

「結婚式で素敵なドレスを着て、みんなに祝福されて、辛かった人生もそこで終わりになる」みたいな幻想を抱いていたりして。

 

 

 

独立起業も同じで。

 

「起業したい」と口で言っても、心の内では「起業がしてみたい」だけ。

 

「月収100万円を稼いでみたい」

「週休5日で○○?みたいなのをやってみたい」

「全国的にセミナーをやってみたい」

「人をたくさん集めて写真を撮ってみたい」

「経済的、時間的に”自由”になってみたい」

「優雅なアフターヌーンティを愉しんでみたい」

 

みたいなの、よくありますわな。

 

 

もちろん夢を持つのは良いことだと思う。

 

じぶんの求めるライフスタイルをあきらめないのも大事だよね。

 

ただ、そういう「愉しい生活」には、かならずリスクが伴うわけで。

 

そのリスクを背負う覚悟がないと、なかなか厳しいものがあるね。

 

ネガティブを受け入れないと、ポジティブも手に入らないわけです。

 

 

 

それから「やってみたい」という体験欲求は、「一度やってしまうと飽きてしまう」という性質があるのです。

 

これが厄介ですな。

 

たとえば、アフターヌーンティでホニャララみたいなのだって、1回やってみたら

 

「ふーん、こんなもんか」

 

ってなるわけですよ。

 

 

週休5日だって、3か月くらいやったら飽きるんじゃないかな?

 

だって、最高に愉しい仕事を週2回しかやらないんでしょ?

 

何が面白いか分からないよね?

 

ってか、ふつーに「じぶんの好きなこと分かってない人」だよね?(笑)

 

 

 

「全国的にセミナー」だって、人に言いたいだけでしょ?

 

あ、あかん!こりゃ俺のことぢゃwww

 

 

これは手段と目的がおかしくなっているのよ。

 

たとえば「自信がなく自己否定の人をサポートしたい!」という思いで活動していたら、知らぬ間に全国で仕事をしていた、なら分かるんだけどね、

 

「全国的にセミナーをしたい!」っていうのは単なるエゴだよね。

 

くーーーーっ!恥ずかしいぜ!!

 

 

 

ただまぁ、誰しも「やってみたい」を通るとは思うんだよね。

 

 

それも、やらないよりはやるほうが進んでて。

 

 

童貞だってはじめは「セックスってどんなん?とりあえず1回してみたい!」とか思ったりするわけじゃん?

 

もちろん「愛する人がいて、その人と一緒に過ごすうちにカラダを重ねたくなった」なんてプラトニックな人がいてもいいんだけどね。

 

つい中高生のときなんかは、エゴが先走り、精子もほとばしるわけで。

 

それで、傷つけちゃったり逆に傷ついちゃったり、いろんな経験を経て、

 

「この人とセックスしたい!」

 

っていう相手を見つければいいわけじゃない?

 

 

はじめから

 

「エゴをなくせ」「エゴはいけない」「エゴはダメなもの」

 

っていうのもキツイでしょ?

 

 

だから入り口はエゴでいいと思うの。

 

「やってみたいこと」で。

 

 

でも、それスタートの場合は叶わないことが多かったり、叶っても満たされない、叶っても虚しいっていうことが多いんだよね。

 

ほんで「やりたいこと探し」っていうのは、そこからがスタートだと思うの。

 

 

そりゃはじめからすごく純粋でエゴがなくてね、「やりたいこと」にすぐアクセスできればいいけど。

 

ぼくらオトナは汚れてるでしょ(笑)

 

エゴまみれで。

 

 

だから順にエゴの欲求、つまり「やってみたいこと」を解消しつつ、「本質的にやりたいこと」に近づいていけばよいと思うのです。

 

 

たとえばそれは論語の

 

「三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る」

 

のように、深まっていくものなんじゃないかな。

 

 

正直ぼくはまだ、「不惑」までいってないね。

 

まだ「やりたいこと」と「やってみたいこと」の狭間でさまよっている。

 

そして、まだ変わりそうな気もするし、もっと進化しそうな気もしている。

 

 

たぶん「やりたいこと」の追求って、終わりがないんだよね。

 

どこまでも純度や精度を高めることができる。

 

 

そのためには、身体にあまっている余計な力を取り去ることが必要なんだよね。

 

見栄とか体裁とかプライドとか恥とか恐怖とか。

 

そういうのが、ぜんぶ「余計なリキみ」になるんだけど、それらを取り去って「やってみたいこと」から「やりたいこと」へとシフトしていく。

 

 

そこに「気持ちいい生き方」と「収益」を同時に達成できるコツがあると思うんだ。

 

 

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