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  • 17Mar
    • 【60年分自分語り】第2ステージは「人のために」=自分のために

      人生第2ステージのモットーは「人のためになる」である、と誕生日当日に書いた。でもそれは、決して突然ボランティア活動にいそしんでみたり(いやそれはやってもいいことだと思うけど)、「自分を犠牲にして」「我慢して」他の人のためを優先する、って意味じゃない。むしろ、究極の「自分のため」。エゴです。打算です。  ずっと、世の中の「おばあちゃん」と呼ばれる人たちはなんであんなにやたらにお菓子やもの(関西なら「飴ちゃん」?)をくれようとするんだろうな、と思っていた。でも自分がそう呼ばれる年齢になって分かった。彼女たちは、人を喜ばせたい。何か人にあげて、喜ばれると自分が嬉しい。とても利他的で愛にあふれる行動……そう、もちろんそうだけど、でもそれは自分のためなのだ。人に喜んでもらうことで、自分の居場所、自分の存在価値、を感じたい。彼女たちがそれを意識しているわけではなく、心からの善意であることは変わらないけれど、深層心理はきっとそう。歳をとってくると人は孤独感を感じがちになる。もっと正確に言えば、自分の無用感。子育てでも会社勤めでもなんでも、現役のうちは「私がいなければダメ」という感覚を強く持てる。だがどちらも現役でなくなってくるとそういう確信は揺らいでくる。自分が中心から辺縁に移動してしまう。私は子育てもそういう会社勤めも(ごく初期を除いて)していないからそういう側面は想像するしかないけど、でも例えば私にとっては「準:会社」ともいえるサンバチームにしたってそうである。かつて私は中心にいた。でも今は辺縁。ある意味楽ではあるが、寂しいのは否めない。私の立ち位置はチームの長老、言葉を換えれば「おばあちゃん」である。 もっともそうなってしまった理由は歳というよりは、仕事や住処の関係で思うように活動に参加できなくなったせいもあるとは思うが(私の仕事は変わってないけどサンバチームの活動が忙しくなり過ぎてて対応しきれなくなってる)。人のために云々、とか力まなくても、自然と人のために何かをして役に立つ力があふれていた若い時代。若い人たちは意識しなくても、充実感を感じられる。もちろん若くたって、自分の存在の無力感、無価値感にさいなまされる人だっているし、あるいは誰だってそういう時期を過ごすこともあるだろう。周囲がみな青春や充実した壮年期を謳歌しているように見える年代の方がそれは辛いかもしれない。話しは少し飛ぶが、世間の犯罪者というのはほとんどすべて、根っこをここに持っているのだと思う。孤立感、無力感、無価値感。そのために自暴自棄になったり、あるいは歪んだ方向であれ「自分がここにいる」ことを世間に知らせたくて、「やらかす」。異常な形の、いわゆる「劇場型犯罪」はその最たるものだろう。それくらい、人は他の人とのつながりを欲し、そのつながりの中で自分の価値を感じたいのだ。自分の存在を確認したいのだ。年齢は関係ない!いつまでも若々しく頑張って活動すればよいのだ!と言いたい、が、若々しいのだけを良しとする価値観もまたそれはそれで問題だ。ともあれ、だから世の中のおばあちゃんたちはものをあげたがる、のだ、と私は想像している。これは想像というよりそろそろ実感というべきか。私が私がー、と言い募っても、以前のように「中心」に行かれないのである。残念ながらそれは事実だし仕方ない。不老不死でない以上、少しずつ辺縁に移動してしまうのは世の中のことわりなのである。どんなに可愛いアイドル女優でも年齢を重ねたらなかなか主役にはなれない。ヒロインの母親などの役でそれなりの存在感を出せるかもしれないが。それでもヒトは、いや私は、自分なりの存在感を欲してしまう、正直言って。でもそれには、「親切なおばちゃん」になるしかないのだ。でも何度も言うが、突然飴ちゃん配ってみたり(笑)無料で英語教えたり翻訳してあげたりするわけじゃない。そうではなくて、心構えの問題。何であれ、人に何かをしてあげる機会があれば、それについて不満を持ったりせず、むしろ自分が役に立てることがあったことを喜ぶように。いやほんと程度問題ですよ、何でもかんでも人の言いなりになるという意味でもない。シンプルに言えば、謙虚になるということかな。あらゆることに、とは言わないけれど、根本で「私を必要としてくれてありがとう」という気持ちをもっともっと意識すること。とはいえその上で「でもごめんなさい、できません」ということはあり得るとして。そして実際は、辺縁で見守る「おばあちゃんの存在」はそれ自体「価値」がある。その価値を信じよう、ということでもある。 てなことを思う60年と1週間目の今日。私にはそれこそ定年もなければ子供の独立やら孫の誕生とかもなく、ただダラダラと日々は続いていくだけで、表向きにはなんら変化はないんだけどね。今日もライブ。起こしいただいた方々に「飴ちゃん」もあげちゃうよ(笑)人のためじゃなくて「こんなん作ったよー見て見てー」をやりたいだけです(笑)。

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  • 06Mar
    • 【60年分自分語り】ビンボーだけどお金に困らない

      60歳になると年金の、ごく一部がもらえるらしい。と言っても月に1万円未満。65歳になれば国民年金が満額…と言っても月に数万円。それで生きていかなければならない。でも今年から75歳までは別に掛けていた個人年金が月に5万円ぐらい?  現在。貯金はほぼ、ない。そして、私の通常の月収は生活保護より低い。(^_^;)(^_^;)(^_^;)(^_^;)  もちろん常にお金に不自由してます。 けれど、本当に困ったことはない。収入的には上記のような状態でこの25年ぐらいが推移した。でもその間、飲み会とかもしょっちゅう行ってるし、パソコンやら何やらも手に入れてるし、ものすごく困窮してたりはしてない。  もちろん、子供とか養うべき対象がいないからというのもある。現在はまた私自身がコドモ化し、親の家にいてほんの雀の涙の光熱費を入れたりしてるだけだから、余裕すらある(でも貯金できない)。大船に引っ越してくる前はとりあえず自分で家賃も全部払っていた。パートナーがいたときだってそうである(奴は私に輪をかけたビンボー、はっきりいって貧乏神だったと思ってる(~_~;))。それでも生き延びた(^_^;)。  なんども書いているけれど、低空飛行ながら不思議なことに、本当に収入がなくなりかけると、どこからともなく手助けが現れる。別に恵んでもらうということではなく、ちょっとしたしのぎの仕事。とはいえ仕事で他に何もできないほど忙しくなることもない。いつも自分のしたいこと優先。仕事嫌いじゃないけど、他のことにあまり浸食されるのは嫌。わがまま。でもそんなこんなで、まあ結局のところ60年間、マジで困ることはなかったわけで。  あとはやはり何度も書いているように、お金がなくても色んなことができてしまう。回らない寿司だって高級焼肉だって食べられる。別項で書くけど、ただ同然でブラジル旅行もできてしまった。PCとかカメラとか、頂き物や格安でゆずっていただいたものばかりでまかなう。楽器もである。この前書いたように、高いはずの鍼灸治療もただ同然で受け続けているし。      なんでも自分で作ったり、安いものをアレンジしてそれっぽく見せたりする。それはもちろん「お金がないから」が動機ではあっても、それ自体が楽しくて仕方がないというのもある。身につけているものを人に褒められると、すぐ値段を言ってしまう。もちろん格安だったり自作だったり。「言わなきゃ分からないのに」と言われるけれど、私は高いものを買って喜ぶ心境がよく分からないので仕方がない。経済力より(←ないから誉めようがないけど)クリエイティビティ(なんちゃってだけど)を褒められる方が100万倍嬉しいからね。手を加えなくても、安く見つけたってことも創造性の一部だと思ってるし。  ズボラだからなるべくいろんなことで手を抜く。何かを作るのは上記のように、自分の楽しみなのでそれはやるけど、たとえば高い化粧品を使って毎日お肌をマッサージ、とかやってられない。顔は石けんでバシャバシャ洗って放置。時々ワセリン塗る。目の周りの化粧落としもワセリン。美容院にも行かなくなって4年。自分で鏡も見ずに切る。無造作感を出したいのよ、とかうそぶきつつ。後ろから見て不ぞろいでも笑って(嗤って)すませてやって。もちろん染めるのも自分で。  ただやっぱり少しは反省している。も少しまともな経済状態を目指すべきだったかも、と。ビンボゆえの手作りや節約の生活は苦にならないどころかむしろ楽しいけど、何が嫌かって、やっぱりどこかケチケチしてしまうこと。いや、自分についてケチケチはなんども言うけど、いいの。人に対してケチケチしてしまう自分が嫌。    余裕がないから、自分のエサを確保して周りに取られないように唸り、目を光らせながらガツガツ食べてる野獣、みたいなイメージ。FBで私のことをgiving(与える)と評してくださった方がいたけれど、とんでもない。私が悩んでいるのはそのgivingになれないことこそ、なのに。 こういうのは本当に地に足がついていない能天気な言い草だけど、今までの60年間の経験からして、どうも私には天使がついていて、なんども書いてきたけど彼らが超有能なマネージャーとして、「あんまり仕事仕事で忙しくなりたくないけど、まあそんなに汲々しないほどのお金が欲しい」という我儘な望みをかなえるべく、絶妙に采配してくれているように思う。天使がずっとそのようについて支えてくれるなら、もっと私は安心して、人に対しても与えられるようになりたい。よく言われることは、与えた分だけが帰ってくる、ということ。さすれば、与えればまたそれが戻ってきて、また更に与えられるようになるのかもしれない。  この歳になって今更それを思うというのもどうかと思うが。セカンドステージの目標である。自分自身が本当に豊かになれる(お金が増えるという意味では必ずしもなく)のはそういうことしかないと思う。

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  • 05Mar
    • 【60年分自分語り】天使が守る私の健康(^_^) モニター治療の話

      今日は女神様の仕事お休みなのにお給金だけいただけたという、いわば私にとってふつうありえない「有給休暇」。おまけに諸々の大仕事がとりあえず一段落してるし、あー、このプレッシャーからの開放感ったら。でもとりあえず出かける用事はある。いつもの鍼灸モニター治療。すでに何度も書いてるが、これもまた私の「守られてる」現象の一つ。手に職、のひとつのアイデアとして鍼灸師?ということが私の頭に浮かび、鍼灸師ってどうやってなるのかなと思っていた矢先、大学時代の同級生(正確には私ではなく元オットの同級生)Tくんに偶然駅でばったり。20ウン年ぶり。今何してるのかと聞いたら、何と鍼灸師だという。Tくんも世間的には見たら「変わり種」で、大学はつまり東大なんだけど、やはり大企業に就職せず卒業後は有機農法野菜を売る会に入ったりゴソゴソ(?失礼)してたけどなんと鍼灸師とは。いや私もそれにしようかと思ってたわけだけど。で、こりゃ偶然、と思ってお茶しながら話を聞いたら、鍼灸師は国家資格だから思ったよりずっと大変で、2~3年しっかり学校に通って、お金もそこそこかかる、てことでその場で私は断念(^◇^;)。でもそれが縁で彼と年賀状のやり取りが始まった。そうこうするうち私はなんか色々と具合が悪くなり、医者に行ってもよく原因がわからない。これは東洋医学の範疇なのかなあと思ったけど、なにせ鍼灸とかお金がかかってしまう。そしたらその年のTくんの年賀状に、さらに上の資格(鍼灸師養成の講師になるための資格)を取るために学校にふたたび通い始めた、とあり、「実習でモニターになってくれる患者さん募集中なので誰かいたら紹介してください」と。 はいはいはいはい!!あたしアタシ!!患者!電話して諸々の症状を伝えてみたら、あーそれは立派に患者なので(笑)ぜひ、ということに。基本的に、平日の昼間の時間に週一で定期的に通える人、という条件なので勤め人だと難しいだろうけど、私はその点はオッケー。それがもう10年いや15年ぐらい前のことですよ。それ以来ずっと週一で、1時間たっぷりかけて「治療」してもらってる。1回500円!東洋医学なので、症状自体を直接どうこうというより身体のバランスをとることが主眼なので、いわゆる病気とかでなくても通ってられるのである。私を当初悩ませていた症状は、実はなくなってはいない。でも治療を始めた当初はそれによって鬱っぽくなってしまうぐらい苦痛だったのが、基本的にあまり気にならない程度にはなった。そして、施術師さんは4ヶ月ごとに交代するのだが、どこまで私はラッキーなんだと思うけど、急に腰痛でかなり辛い状態になった時はたまたま腰痛研究のゴッドハンドの先生が担当で、たちどころに治していただけ、くるぶしの骨折でリハビリモードだった時はたまたまスポーツ外傷リハビリ専門の先生が担当だった、という、なんなのいったい状態。もちろんこちらで選んだわけでもなく、向こうがそれを知ってそう手配してくれたわけでもない、全く偶然。守られてるー。実習とはいえ有資格者の先生ばかりだからなんの心配もないし。普通これだけの治療をしてもらったら5~6000円はするよね。それが500円なんだから、行くたびに少なくとも4500円儲けた!と思う(セコい)。そしてさらに!最近は身体の歪みなども気になっていて、これは整体の範疇だなあと思ってやはりゴッドハンドと評判のとある整体の先生のところに通い始めたけど、ここのとこお金が乏しくなって辛い、と正直に先生に相談したら、「じゃモニター治療してみる?」て。その先生のところに来ている若い女の先生、もちろん有資格者だけどさらなる技術を学ぶために修行中、とのこと。「しますしますします!!」てことでこれまた、週一で整体治療を無料でしていただけることになった。既に2回受けたけど、気になる症状がかなり軽減した気がする。彼女は自分が判断迷う所では大先生にちゃんと教えを乞うので、私は時には大先生にも診てもらえるわけで、オイシイ。守られてるよねーー。やっぱ天使がねー、いるよねー。そだよねー。フロリダ、ローダーデールの見事な天使のハシゴ。ライブカメラよりスクショ。

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    • 【60年分自分語り】女神様との出会い

      大仕事一段落して本日はちょっと一息つけるかな。50代…というか、人生のワンサイクルの最後の週に突入。今月は「女神様」が超多忙とのことで、個人教授のお仕事は今日はなし。なのに、なんと女神様は、申し訳ないし、還暦のお祝いとして、と、仕事もしないのに今月2回分の授業料を下さった。ありがたくて泣ける。そもそも「女神様」は、私にとって本当に女神様なのです。そもそもビンボーだった私が、15年もついズルズル同居したパートナーに裏切られて孤独になり、さらにビンボーになりかけたタイミングで彼女は現れた。奇跡のタイミング。パートナーに突然(前兆はあった)去られたのが2010年11月15日の月曜日。大昔、英会話学校で教えてその後は年賀状をやり取りだけしていた女神様ことK.C.さんが突然メールをくれて、個人で教えてもらえないかと言ってこられたのがその1週間前。その時点で、11/15か11/22にとりあえずお会いしましょうという話になって、11/15はちょっと近すぎるから11/22にしましょうと決めた。11/15に決めてたら私は行かれなかった。2日ぐらい泣き明かしてたから。でも11/22にはなんとか体裁は整えてK.C.さんに会いに行けた。そこで個人教授をすることが正式に決まり、では次はいつにするかという話となり、彼女は12/24はどうか、と言ってから「ああ、クリスマスだからレイラさんは嫌よね」と言ったけど、私は「大丈夫ですよ、むしろクリスマスに仕事がある方がいいんです」と言い、つい、そんなわたくしごとを話すつもりなど本当はなかったのに、パートナーと別れたばかりで寂しいから、とか余計なことも言ってしまった。そうしたら彼女はその話を聞きたがり、聞いてからは全面的に私のサポートをしようという気持ちになられたらしい。その後震災があって、計画停電が云々となりただでさえ乏しい私の英会話講師としての収入がさらに怪しくなりそうで(夜の授業がキャンセルになりそうで)それをまたついこぼしたら、彼女は即、それまで2時間だった授業を3時間にしましょうと言ってくださり、つまり給金を1.5倍にしてくださった。3時間と言っても、そのうち半分ぐらいは日本語でのおしゃべりで、あとの半分の半分ぐらいはカラオケ(とりあえず英語の歌を、とはするけど中島みゆきが混じったり)、英語の授業は長くても1時間ぐらい(^◇^;)。そしてそのあとは私個人ではなかなか行けない高い焼肉屋とか回ってない寿司屋とか小料理屋とかに必ず連れて行ってくれて大ご馳走。鬱病で私が超暗く、食欲もなく(いかに病気だったかわかる)ご馳走に連れていってもらってもろくに食べられなかった時期もずっと。ありえない高待遇好待遇で、8年経った今も毎回信じられない。よく言われるのが、その方は寂しいんじゃないの、ということだが、そんなことは絶対にない。なぜなら、そもそもめちゃめちゃ活動的な方で、仕事もバリバリし、そして本格的な登山もされているし(もう今は登ってないようだが、かつてはヒマラヤなどにも行かれたらしい)そのお仲間やその他のお友達がたっくさんおられてしょっちゅう飲み会やら旅行やらに行かれている方なのである。そんな忙しいなかで私との時間(もはや私は個人教授の「仕事」してる気がしない)をとってくださり、クリスマスなどには高級レストランを予約してまでディナーに連れて行ってくださり(しかもその時にもお給金を下さる!)。これが女神様でなくてなんであろう。彼女が私の人生に現れたタイミングも考えるとさらにその思いは強まる。私はなにかに守られている。そう信じたくなる。なにかに守られている、と思える事例はこれだけではなくて他にもゴマンとあるのだが、、それもこの節目に少しずつ書いていく。今日はちょうどそういうわけでその女神様との「仕事」がない月曜日になったのでまずは女神様のお話でした。※画像はネットからお借り

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  • 02Mar
    • 青春真っ只中(悪い意味で)

      別のところで「経済状態が青春してる」というフレーズを「発明」し、我ながらちょっと気に入ってるのであるが(つまり、いい歳こいて若い子のごとくにお金がない状態を少しカッコ良く言ってみた)、実際私のこれまでの人生は、青春だったと言える。とかいうとなんかカッコよくポジティヴにすら響くが、実際はそういう意味ではなく、むしろ超カッコ悪い。精神よりも先に経済やら地位やら社会的責任やらが青春し続けてしまい、要するにオトナにはなりそこなった、ってだけのことである。いや、そりゃ、楽しいですよ、実際。コドモのように自分の好きなこと、やりたいことだけをやり散らかしてるんだから。そこにオトナとしての、それこそ経済力の裏付けとか、世の中になにかしらの影響力のあるような地位とか、いやそんな偉そうでなくても、何か世の中のタメになるような立場とかあればねえ。あ、自分の背中を見せて教育(?)する子供がいるとかもね。……私は有り体に言って不安なのである。結局実家に出戻って父と暮らし、コドモというステータスはこの歳になってかえって盤石に(笑)なってしまった。ほんとのコドモ、ほんとの青春ならまだ色々これからのことを明るく夢見られるけどねえ。なんか私らしくそこそこカッコいい前向きな結論をこの文にくっつけたいとこなんだけど、なかなか難しい。やれやれ。まだやりたいことがたっくさんある!のは確かなんだけど。てかこれどうやって収拾つけるのよ。↓写真と本文は関係ありません、だけど、イースターは「復活祭」だから赤ちゃんに戻る?還暦とも相性はいい

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  • 20Feb
    • ライブカメラ三昧なおも

      いやこれはやばいです。私コワれてます。ライブカメラ巡りが全く止まりません。ある意味孤独な趣味なんだけど。そのうちライブカメラのために飲み会を断りそうな勢いの自分が怖い(笑)。  前も書いたけどなにしろどの瞬間にも世界中のどこかしらで日の出や日没はしてる。前はカメラはアメリカが主体だったからまだ限られていたけど、最近はよしゃいいのに他のところもやたら開拓していて、ヨーロッパやアフリカや、モルジブなども発見。そして日の出と日の入りという1日につき2回のチャンス(?)があるわけで、文字通りの「四六時中」。鳥やら動物やらの観察サイトもあるし…。イースター島とかガラパゴスまで見つけてしまい(まだ決定的録画にはいたってない)、ネットワークははりめぐらされつつある。いまのところモルジブをのぞいてアジアがない(発見してない)のが救い(?)。ただでさえ寝る時間が浸食されているのに。いまや午前2時頃まで録画し続け、5時には起きて自分ちのライブカメラであるレコロ設置(この2日ぐらいは夜中までライブカメラやってるから眠くて朝しんどくサボってしまう本末転倒。そのまままたあちこち巡りはじめ、その合間に編集作業をせっせとし(短縮しては長いのを捨てないとPCすら一杯に)…。アジアのカメラ発見したら寝る時間皆無になってしまう。今月、教える仕事めっちゃ少なくて困ってるんだけど、こないだ「授業時間にライブカメラが食い込むから仕事したくない」とか言った(天に向かって、ですよ)からかなあ(^^;)。すぐ願いが叶っちゃうからなあ。(^^;)(^^;) それはともあれ、ライブカメラ巡りを始めてから改めて、たくさん調べることができてしまった。とにかくその土地の場所、そして日の出日の入り時刻を調べなくちゃならない。それで日本時間に換算して、よし、○時○分にどこそこに行って(もはやどこそこのカメラを見て、とか言わない、直接「行く」のである。「えーともう少ししたらモルジブ行って、そのあとアフリカにもちょっと行かなきゃ」みたいな。なんか壮大でよかろ?)、とアラームまでかけて(でもそのアラームに録画が邪魔されたりする(^^;))待機。  でも、なんだかズレたりする。今狙ってるのがノルウェーの日の出なんだけど、まだ暗いうちから録画はじめて空の色の変化を楽しみたいのに、いつ行ってもすでにうすら明るい。  もしや?と思い調べてみると、やはり、彼の地は冬は夜が長い(というか日が昇らない)とはいえ、うすら明るい時間は長いらしい。日の出日の入りの時間を調べるサイトに行くと「市民薄明」「航海薄明」「天文薄明」という言葉が出てくる。まだちゃんと調べていないが、普通の人々が「明るくなってきたな?」と思うのが市民薄明で、船が航海できる程度の明るさがあるのが航海薄明で、たぶん真っ暗な状態からうっすら光が見えてくるぐらいが天文薄明なんだろう。で、私はこの天文薄明から録画をしたい。それでこそ空の色の変化を楽しめる。せめて航海薄明。市民薄明はもう明るすぎる。録画していて面白いのはたぶん航海薄明ぐらいで、その時間に雲が日の出地点になければ朝焼けがきれいになる。それから市民薄明の時間はちょっとつまらない。 赤道近くのケニアでは日の出の時間も日没時間も年間を通してほぼ変わらない。そして市民薄明が前後の20分、航海薄明が前後の50分、天文薄明が前後の75分間ぐらい。それがノルウェーだとそれぞれ70分、140分、210分、それが今。白夜の時期は当然ずっと明るいままだけど、日の昇らない時期(2ヶ月もある!)でも市民薄明が8時間、航海薄明が10時間、天文薄明が12時間も続くようなので、決してずっと真っ暗なわけではないのだな(そうはいっても2ヶ月も太陽が出ないなんて…私には住めない…)。ともかく高緯度の土地では日の出日の入りの時間も毎日ぐわんぐわん変わり、毎日確かめないと日の出も日の入りも捉えられないということに。ああ、こういうのおもしろい!ただ調べるだけじゃなくてライブカメラでの美しい映像という結果に結びつくので楽しくて仕方がない。 ↑ケニアの日の出日の入り年間変動。ほぼ変化なし。夜と昼はちょうど12時間ずつ。↑同じくノルウェー。メチャ変わる。はみ出てる(笑)↑我が家のあたり。そこそこの変動。小さい頃から天文や気象に大いに興味があり、自然地理が大好きだった私にとってはライブカメラにいきなりどっぷりになるのも、不思議では決してなく、三つ子の魂、的なことなのであって。動物を観るカメラも楽しいから、そうなると繁殖期がいつだとか、何時頃水飲みに来るのか、夜行性なのか朝行動するのか、などなど彼らの生態を調べる方向にも向かいそうな。  教える仕事がなくて収入についてはほんと青ざめるレベルなんですが、仕方ないから翻訳仕事を進めようとか、この際片付けをしていろいろ環境を整えようとか、そんなことも全部吹っ飛んでいます。この土日月の3日間、ライブカメラ三昧しかしてない、まじで。それでも時間が足りない(PCもiPhoneも出払ってしまうので何もできない…)。いや困ったでも楽しい。↑資料がどんどん増える↑こんなカードまで作り始める。フォーマットはオリジナル。  

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  • 16Feb
    • ライブカメラのサイト紹介

      ライブカメラのサイトについて。   七里ヶ浜のカメラから、富士山のカメラに出会い、そしてちょうどクリスマスイルミネーションの時期だったのでそれを見られるサイトをさがし、そして到達した最初のワールドワイドなライブカメラ総合サイトは★earthcamここはアメリカの東海岸が充実している。他にも都市カメラが多い。一番つながりやすいし、アプリも使いやすい。見ている人がそれぞれお気に入りのシーンを記録して投稿するシステムも便利(あとから見られる)。ニューヨークやフロリダはここで見ている。次に見つけたのが ★explorecamここはやはりアメリカだが西海岸が充実。都市はなく自然が主。鳥や動物の観察サイトも多い。カリフォルニアとカナダ平原、ハワイ、そしてアフリカの動物などはここで見る。ここのいいところは、目次サイトのサムネイルがけっこうライブを反映しているところ。サムネを見て「あ、カバがいる!」とか見に行くことができる(裏切られることも多々あるが)。あとここの最大の利点は、youtubeを利用しての配信なので、少し(数時間)なら遡って見られるということ。出遅れても大丈夫だし、動物なら居る時間を探せる。そしてヨーロッパを探していたら★Skylineというところを発見。イタリアが中心で200以上ある。モルジブやアフリカの一部もここで。ここもサムネイルというか目次の画像がライブ反映しているが、ちょっと更新が遅いので、お、きれいだ、と思って見に行ったらたいがいちょっと出遅れてしまう。またここはかなり接続が悪くて、PCでないとつながらないことが多い。モバイルサイトもあるのだが、どうもアルゴリズムが悪いらしくてうまくいかないことが多い。だが場所のバラエティは一番多いかもしれない。あ、URLを提供しようとブックマーク見ていたら今まであまり見てなかったところがもう一つあった。ここもヨーロッパ中心のようだ。★What's upイタリアがやたら多い。もしかしたらイタリアはアメリカに次ぐライブカメラ大国かも。あとここはクロアチアとかスロベニアとかも多いようだ。スペインもけっこうある。ヨーロッパでもイギリスやドイツにはあまりライブカメラが(いまのところ)見当たらない。気のせいかもしれないが、おおざっぱで陽気な国民性の国のほうがライブカメラのコンセプトを受け入れるのかも? ついでに富士山のカメラ(動画ではないけど)が充実している富士五湖TV。横浜港の夜明けが素晴らしいみなとみらいの窓。ここもyoutube利用なのでさかのぼれる。もちろん日本のライブカメラをまとめてあるサイトもあるけれど、なんだかいまいちなところがほとんど。まあこれからまた探索するけれども。あと世界でも単発で探せばいっぱいある。

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    • ライブカメラ三昧の日

      昨日はあるはずの仕事がなく、経済的にメチャあううう〜な状態で困った困った、でも仕方なく開き直りました。昨年末からずっとそうだとはいえ、ライブカメラ中毒も病膏肓に入る状態。翻訳だの片付けだのやること満載なのは相変わらずだけど、今日は徹底的にライブカメラ攻める!と決意。私は決して飽きっぽくはない、つもり。けど次々新しいことが見つかって、そうするとしばらくそっちに夢中になる。ある程度すると、飽きたと言うよりは「納得して一段落」するのである。ライブカメラ巡りもそのうちそうなるだろう。今は夢中で、拡大傾向にあるけど致し方あるまい。 てことで。ライブカメラ巡りは1日中大変なのである(笑)。朝5時。我が家からのモノホンのライブカメラ?であるレコロ(タイムラプス録画専用カメラ)を我が家の展望台に設置しに行くのだが、最近発見した横浜港のライブカメラがラッキーにも日の出方向だったので、まずはそれをチェック。きれいになり始めたと思ったら寒い中着込んで出て行く。  ↑横浜港、三日月と朝焼けのコラボそして部屋に戻ってからはアメリカ東海岸の日没を漁る。これまではこちらの日の出とあちらの日没がほぼ同じ頃だったが、これからどんどん、こちらは早くなり向こうは遅くなる。今はそれが助かる、今までは朝に余裕がなさ過ぎた。そうそう、同時に富士山周辺のカメラもチェック。静止画が多いが、富士五湖でもそれぞれ全然違う景色(空模様まで)になるのが面白い。      アメリカ東海岸の夕景のベストはニューヨークハーバー。しっかり海に沈む夕日が見られる上、だんだんに町の明かりがついていくのも美しく、また小さいながらも自由の女神も見えているのでそのライトアップがまたいい。それからマンハッタンのミッドタウン。夕焼けからエンパイヤステートビルの照明に移り変わるのがすばらしい。そしてフロリダ。ネイプルズピアというところではほぼ確実に雄大な夕日が見られる。天気がいつもいいようで、雨の日をほとんど見たことがない。フロリダには他にもたくさんサンセットビーチがあるけど、もちろんきりがない。あとジャマイカの夕日。リックズカフェという海辺のカフェは、ずっとカフェ内の(とはいえ美しい天然のプール状態の海があり、そこに飛び込む人たちも)シーンを映し、DJが賑やかでやかましいくらいだが、日没の瞬間にはカメラが切り替わって太陽を写す。これがまたたいがいの場合雄大で素晴らしい。たぶん夕日を海上から見ようという企画なのだろう、船が出て行くところも美しい。東海岸の夕景になる前に、もう少し東のバーミューダとかカリブ海諸島の夕景もいいが、とにかくきりがない。  ↑ニューヨークハーバー日没後    東海岸で日没後の夕焼けを楽しみたいが、そのころには1時間遅れでミシガン湖などの内陸部で日が傾き始める。ミシガン東岸のビーチが一番のお気に入り。どこであれ水面に日が沈むのは絶景である。ニューヨークやフロリダがまだまだ美しいのに、ミシガン湖も見たい!   ミシガン湖東岸ビーチ もちろんリアルタイムで映像を見るのが一番だが、日没にしても美しい時間は1時間は続く。都会の日没だと、夕焼けのあとの町の明かりが徐々にともるところも美しいので1時間半ぐらい。それをじっと見てるわけにも行かないので、画面収録をしてあとで早送りで見る。画面収録のできるデバイスがいまのところ3つあるのだが、ただでさえ電波状態の悪い時間帯に自分でも3つ同時につなぐと、まともにつながってない。とくにニューヨークの日没時間帯は苦労する。そして!その時間、何もできない(笑)。画面収録しているから切り替えるわけに行かない。しかたないので普段使っていないiPadやらミニノートPCなど持ち出してきてメールやFBチェックしたり書いたりするのだが、非常にやりにくい。   そして画面収録が終われば、それを編集しなければならない。1時間以上の動画をいつまでもデバイスに入れておけないから。PCならまだいいが、PCで収録したやつはそこで編集ができない、いまんとこ。無料で使えてたウインドウズムービーメーカーが10では使えなくなり、有料のを買おうと思いつつ、結構高いので二の足。動画のカットだけできる無料ソフト(つなぐことはできない)と、動画を変換してiPhoneなどで見られるようにするソフトがあったので、ざっと切って、変換してドロップボックスに送り、そこからiPhoneでダウンロードして編集する。それを四六時中、複数のビデオにたいしてやっているのでもう大変である。    しかもライブカメラ、どんどん開拓してしまい、どんどん増える。東海岸やミシガン湖が終わっても、中西部のロッキー山脈の夕景、ダラスの夕景、ときて、カリフォルニア。ここは本土のビーチより離島のカタリナアイランドとかチャンネル諸島とかが素晴らしい。カナダの平原の日没も(今は天候のせいでカメラがダウンしているようだ)。そして前から狙ってて本日やっと収録できたのがアフリカ(ケニア)の夜明け。ビーチの日の出を撮ろうと思ってたんだけど、同時にサファリに行ってみたら、なんとアフリカの夜明けの美しいこと。太陽が見えなくても、色彩がどんどん鮮やかになり、なによりも、超にぎやか!鳥の声、獣の声、もはや喧噪と言っていい。ちょっとびっくりした。カリフォルニアが日没のころアフリカで夜明け。また忙しくなった。↑ロッキー山脈 プロスペクト山夕景  ↑カリフォルニア沖のチャンネル諸島、ディアブロ山の夕焼け↑アラスカ Naknek川  そしてお昼ごろにはハワイの日没。これまたほんとにこの上なくロマンチック。今日はハワイは雨が降っていたようだが、雨がやまないうちに西の方の雲が切れて太陽が顔を出し、カメラに雨滴がついているのがむしろキラキラ光ってそれはもう。2時ごろにはカナダの北部でオーロラが美しくなる。そしてアフリカでは動物たちが活動的になる。ヨーロッパの夜明けもやってくる。 ↑カナダ、マニトバ州のオーロラ↑キリンやらカバやらゾウやら、ふつーに見られる。↑ギリシャの夜明け  5時ごろは…こちらの日没! これも我が家の窓から見ただけではよく分からない。どんよりして見えていても、意外にもそのどんよりのほうが美しさを演出することだってある。つまり雲の切れ目から沈みかけの太陽が顔を出す。これがむしろ快晴時よりもため息ものなのだ。日の出の時の横浜港カメラみたいに日没の見られる近所のカメラを探しているがまだ見つかっていない。そういえばそもそも私がライブカメラにはまる大元となった七里ガ浜のカメラはしばらくの間ダウンしていたが最近復活した。でも残念ながら圧倒的に画質が悪い。葉山などにもあるようだが上手く機能していない。(結局この日はどんよりのまま不発)  ↑我が家からでもダイヤモンド富士が見える。これは昨年の4月。  こちらでの日没のころはブラジルあたりで夜明け。いつも出遅れて悔しい思いをしてたブラジルの夜明けを狙って、今回は時間は上手くいったが場所の選定を間違えた。挑戦はまだ継続。    そして20時ごろからはお気に入りのフロリダとニューヨークの夜明け、になる。ライブカメラめぐりを始めた頃は21時ごろから徐々に綺麗になる感じだったが、今はもう1時間ぐらい早まった。仕事があれば真っ最中なので困ったもんだ。これからどんどん早くなるからとても困る。クラスの合間にサイトに行って画面を表示させて、画面収録ボタンを押して放っておくのだが、実に不思議なことに、注意してみていたり何度も確認したりしている間はちゃんと動作しているのに、目を離すといつのまにかサボってやがるのだよ、きやつらは。おかげで綺麗な場面を何度も撮り逃している。チラ見したときに「おお!すごい!」と思うときほどそうなってる。もうほんとイライラするったら。     FBやラインやメールの通知も、アイコンへのバッヂ表示だけにしてあとはオフにしている。操作しないと自動的に画面をオフにする機能も切っている(なので時々何も見ていないのにバッグの中でつきっぱになってることはままある、そして電源が死ぬ…orz)。      でもとにかくフロリダのローダーデールの夜明けのダイナミックさ、そして日没と逆にビルの灯りが徐々にフェイドアウトしながら背景の朝焼けがぐんぐん染まっていくニューヨークはワールドトレードセンター方面のビュー、そして同じくニューヨークのブルックリンブリッジの美しさは筆舌に尽くしがたいのである。  ↑ローダーデール。大概雲が多いが、それがダイナミックな美しさを作り毎日飽きない。↑↓息をのむマンハッタンの夜明け。  そしてまた夜明けのセッションがアメリカ大陸を横断し…その間にモルジブの日没なんてのも見つけちゃったし、ハワイも夜が明けるし、ヨーロッパでは陽が沈むし、……ぜえはあ。あたりまえだけど24時間、どこかで何かが必ず美しい。   アメリカでは白頭鷲が繁殖シーズンを迎え、これまで空っぽだった巣にカップルがやってきて、そして今は抱卵を始めている。近いうちにそれらが孵ったら、今度は雛の様子を見たい。明るい時間(←場所による)に水中のカメラで魚たちを見るのも癒される。都会のカメラでは人間模様もそこそこ楽しめる。もちろん日没や夜明けだけではなく昼間のビーチも美しいし、もうそこまで手が回らないので私はほとんど見ていないが、24時間ライブしている室内の犬や猫のサイトもある。  自然が相手だから、思いがけない時に思いがけない美しさや面白さが見られたりする。だいたいライブカメラに接続するのには数秒かかるが、その間、どんな光景が繰り広げられているかワクワクして待つ。その結果つながった時にめちゃ美しい光景が目に入って「うを!」となることもある。美しい瞬間を逃したくないので、夜明けでも日没でも少し早めに行って収録を始める。あとで見てみるとやはり「うを!」となることもあるし、不発だな~となることもある。上記のように、美しい光景をチラ見して、期待していたら撮れてなかったりも。 ほんと止められないんですよ。まだ本格的に見始めて2か月程度、でもこれから季節が廻り、今雪原のところも緑の草地に変わるだろう。花の季節、紅葉の季節にはまたそれぞれの光景が見られるだろう。どうしよう、少なくとも1年ひとめぐりするまではこのドはまり状態から抜けられない気がする。日没や夜明けに関してはこれからどんどん時間もずれてくるし。   ↑白頭鷲のカップル。今は多くのカップルが抱卵中、来月には雛が孵るはず。 ↑カリブ海の海中カメラ  でもライブカメラ見始めてから、出歩く回数は減ったかも。少なくとも近所にチャリを走らせることが減ってしまった(まあ寒いからってこともあるけど)。雪が積もった!とかだとやっぱりいそいそ出かけていくんだけどね。     てことで昨日は丸1日をライブカメラに捧げました。マジで他に何もしていない。しかも朝5時から夜中の2時まで。アホかいな。でも少し納得気味にはなった。      収録したビデオもここに載せたいけど、人様のカメラの映像だし、やはり著作権とかいろいろありそうなのでやめておく。ちょろっと静止画だけならよかろ。てことで数枚載せてあります。FBにはアルバムを作っているけど、通常投稿は公開設定にしているのをこれだけは友達限定にしている(それだって問題ないわけじゃないだろうけど、せめて)。膨大なコレクションになっているのでもし見たい方がいたらFBで友達申請してください(メッセージは必ずお願いします)。https://www.facebook.com/ohyumikoでもほんと美しいのですよ、どれもこれも!

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  • 15Feb
    • 【60年分自分語り】早逝した母の幸と不幸と、彼女への複雑な思い

      20年ごとに分けた場合の「第1期」にあんまし幸せ感がなかった話を書こうとして、我が家がどっちかというとビンボーだった話してるうち前回はなんか話がズレたが、元に戻して。てなことで二間のアパートに家族4人で暮らしていた頃、そんなひしめき合っていたから家族が身を寄せ合って慎ましく暖かい家庭……と思いきや、家族にもトラブルが実はあって寒々していた。詳しくは書かない、今は差し障りありまくるからね。ともあれ、そんな中で私は多分精神の自衛のため、「淡々としていた」。淡々と、もっぱら読書などに逃避していたという今から見たら別人28号な子供時代。私に限らず子供というのは意外にそういうもんなんではないかと思う。大人が思う以上に自分の精神をコントロールしてる。 問題は母だった。亡くなってしまっているから、とあまり書くのもフェアではないからやはり詳しくは書かない。母を嫌いだとか憎んでいたとか、可愛がってもらえなかった、とかではない。端的に言えば母はある種のコドモで、結構困ったちゃんであった……と、コドモの私が思っていた。 なので淡々とやり過ごし、8歳年下の弟にとっては私が母親がわりのようなものだった。だが彼女は35歳でガンを見つけて手術し、でも予後が悪く、ずっと苦しみ続けて、最後は壮絶とも言える苦しみ方で42歳で亡くなった。私は20歳だった。私のうんと幼い時期はともかく、物心ついてからは母親の素行?を中心としたトラブルに悩まされ、後半は彼女の病気で、父は治療費捻出のため仕事を増やして夜討ち朝駆けをし、その合間に病院に行き、私は幼い弟の面倒を見ながら、仕事の合間に大急ぎで帰宅した夕食をとる父のために食事を用意する日々。とはいえそんな中で私は横浜市立大学に入学し、しかもそこに行きながら東大受験してたりして、要するに「淡々と」自分のしたいようにしてたわけで。でも母の病気とそれに伴う経済苦境のお陰で、授業料免除という特典(もともと1年で9万8千円という安さだったけど)を得た上、奨学金まで頂いており、……あっ!全然社会に還元してませんごめんなさいごめんなさい。母に話を戻すが、それまでワガママだった彼女は病院では「模範患者」として看護婦や医者に褒められていた。当時はガン告知は一般的でないので隠していたが、わかっていたのだろう、多分。多分彼女は「腹をくくった」のだ。もう思い残すことはない、と言っていた。母のワガママをコドモの私は許せず、でも上記のように結構「淡々と」していたのだが、母の亡くなった歳の前後になったころ、改めて当時の母のある種の辛さがよくわかるようになった。彼女は幸せではなかった。でもそれは境遇の問題ではなく、彼女自身の「幸せを感じる能力」が問題だったのだ、と、これは最近になって思う、自分もそうであることに気づいたから。死の床についてから、妙な話だが、彼女は自分の命をフルに生きようとして、苦しみながらももしかすると「充実」すらしていたかもしれない。つまり、いのちの「余白」がなくなった。小さく小さくなってしまったスペースが、だからこそ、満ちた。彼女のワガママ、そしてそれが満たされないが故の不幸感、はある意味では余白が多すぎたからなのかもしれない。彼女が生きている間、私は彼女に共感はせず、だから亡くなった時は、悲しい寂しいというより、それまでの壮絶な闘病の苦しみから解放されたことを心から喜んだ。そしてこれは冷たいようだが、ハタチの私は前途洋々で、例の「ベンキョウできるけど運動音痴のブス」という呪縛も脱却して、自他ともに華やいでいたのだ。母の看病体制が終わって自由にもなり、楽しいことだらけだった。でも今になって色々な思いが胸に去来する。もし彼女が今も生きていたら私も全然違う人生だったかも知らない。より幸福だったかどうかは分からないが。前にもどこかで書いたかもしれないが、ひとつだけ思い出すと胸が苦しみなることがある。彼女が私にサンダルを買ってきてくれた。ところが私はそれが気に入らず、全く喜ばず、文句タラタラ。その時の母の残念そうな顔。せっかく私が喜ぶと思って買ってきてくれたのに。「せっかく喜ぶと思ったのに」が裏切られる構図、に私は今もメチャメチャ弱い。母が買ってきてくれたサンダルは、ベースが黒で、甲の部分がとてもカラフルなマルチカラーの編み込みになっていた。今の私ならドンピシャの好みど真ん中。でも当時は清楚な白いサンダルに憧れていたのだ。でもいまだに、気に入らなかったはずのそのサンダルのビジュアルがはっきりと目に浮かぶ。そういうのが今本当に好きで好きでたまらないのは、この時の補償を無意識に求めてるのかも。あるいは単に母の好みが遺伝してるだけかな。↑この写真はネットで拾ってきた。こんなデザインで、色はもっと今の私好みのピンクとかブルーとかのマルチカラー。

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  • 13Feb
    • 【60年分自分語り】ビンボーな幼少時におけるある種のカオス

      昭和時代は割に地味ぃにしてたけど、平成からなんかハジけてしまった私だけど、20年周期の時代分けも個人的には面白い。前にも書いたように小中高は「ベンキョウのできる運動音痴のブス」という三重苦を背負って屈折しまくった。おまけに我が家はどちらかと言えばビンボーであり、六畳と四畳半のアパートに家族4人でひしめいており、幼少時なにが羨ましかった、って、大半の友達は「自分の部屋」というものを持っていたってことだ。どっちにしてもあまり勉強しない子だったけど、テスト勉強は家族のいつもいる居間(というか昼間は布団を上げておくってだけ)でテレビはついてるは音楽はなってるは家族は喋ってるは、の環境でしてて、それに慣れすぎて逆に静かなところで独りで、は勉強もなにもできないヒトになってしまった(今でも)。高3になって初めて、相変わらず二間のアパートだけど大家さんの家の空いてる部屋も貸してもらい、私と弟の部屋というのができた。でももはや上記のようにワサワサしたところでないとなにもできない体質になっていたので、教科書などかかえてワザワザ家族のいる部屋に行って、ネコが開いてる教科書に乗っかってくるのをどかしどかし、ベンキョウしていたのだった。環境というのは大事であり、かつどーでもいいものである。きちんとした、いかにも勉強に適した環境を整えないとベンキョウできないなんてことはない。けど、染み付いた環境を変えるのもまた大変である。なんだかよくわからないが、テレビは我が家では常に点いていた、が、だれもちゃんと見てない。これまた、慣れとは恐ろしいもので、点いてないと落ち着かないけど、だからこそいちいち真剣に見てない。それこそ「窓」みたいなものであり、閉めてしまうと世の中から隔絶されたような寂しさを感じ、でも窓だからいつもは注目しないのである。そしてテレビだけではなく、だれかしらがなんかしらの音楽をかけてたりする。そこで私はその音楽とは関係なくなんちゃって自己流ピアノを弾いたりフルート吹いたり。何度も言うが二間のアパートですよ。父はトロンボーンなので流石に家では吹かないが、そんなカオスの中で平然と編曲もどきの作業をしていた。どうも、聞こえてくる音を取捨選択してそのとき自分に必要な音だけを拾うという「能力」が我が家では全員に育ったようである、さしたる役にも立たないが。ありゃ。ビンボーだったて話を書こうとしたのになんか話が逸れた。ま、ともあれ、自分の部屋なんてものがなく、羨ましかったんだけど、そんな中でさらなるカオスを自分らで作り出しながら暮らしておったわけですな。今も常に色んなこと同時並行でできる、というかせずにはいられない我が性癖もここにルーツがあるのだなあ、多分。

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  • 11Feb
    • 【60年分自分語り】自転車(操業?)人生

      人生を幸か不幸か(というより幸福感があったか不幸感があったか)で分けるならむしろ前半後半より20年周期という気がしてきたが、まあそれは今は置いといて、私の人生の「昭和期」と「平成期」の話を続ければ、昭和のうちはかろうじて「世間様のレール」から外れてないけど平成になったらフリーダムになってしまったってことになるかも。昭和の終わりはバブル。なんでもできる気がしたし、転職なんて当たり前。でも逆に、私は一般的なオベンキョウはできてもとりたててコレというものがない自分を痛感、ほかに思いつかなかったのでとりあえず英語、と思い本格的に英会話の勉強を始め(テストの英語はともかく、当時はまるで話せなかった)そのうちおっちょこちょいにも会社を辞めてイギリスに語学留学などし(でも2ヶ月では留学なんてもののうちには入りません、単なるオアソビです。やっとこさ英語の感覚がわかり始めたかな?てころに終わり)、その後は元の会社でお気楽なバイトなどし、バックパッキングで海外に長期旅行に行き、などをしばし。落ち着くつもりはまだ全くなかったけど、今のイーオンの前身であるアンビックという英会話学校の講師に(当時はTOEIC700点台で教師になれた、今は950とか要求される)。それが平成元年のこと。時をほぼ同じくしてサンバの世界にハマる。これもまた別に書くつもりだが、ともあれ、英語とサンバという私の人生の二大柱は平成の世とともに始まっているのであった。そしてそこからはどんどん「世間様」から外れてしまう。離婚もしちゃうし。いや、正確に言えばそんなにめちゃくちゃ離れたのではなく(そうであればまたそれなりに面白いのに)道を外れたとはいえ「脇道」をコソコソ歩き続けてる感。本道に頑張って登って戻ろうという根性もないままに。でも整備され、でもその分交通規制も厳しい本道に比べて脇道はデコボコしまくってるものの、フリーダムで、寄り道上等、さらに脇に入っても戻ってこれるし。そうか、最近よくドライブに連れてってもらって、それはもちろんとても楽しく嬉しいけど、クルマはある意味大変だな、と思ってた。道を一本曲がり損ねただけでもう戻れなくなるし、一方通行は多いし、渋滞にハマると出られないし、駐車スペース見つけられなくて行きたいお店に立ち寄れなかったりするし。歩きや自転車ならラクラクなのに、って。でも車は簡単に遠くまで行けるし時刻表とかに拘束もされない。私の人生はチャリとか歩きとかみたいなもんかな。フリーダムとはいうが拘束もされる(主として経済面で)。ゆっくりのんびり、概ねは行きたいところに自由に行けるけど、遠くまでは行けない。時間の拘束だってある(流石に少しは稼がないと生きていけないから土曜や夜の遊びは泣く泣く諦めなくちゃならない)。でもこの脇道自転車人生もそれなりに愛おしいのですよ。ま、負け惜しみだけどね。けどほんと、子供のように寄り道ばかりしてるよね私。

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  • 09Feb
    • 【60年分の自分語り】私の人生暗かった……前半は。

      還暦還暦と、なにをはしゃいで騒いでいるのかと思われそうだが、自己分析・自分語り大好きな私にとってこれはまたとない機会。それこそ徹底的に自分史でも書きたいくらいだが、まあ有名人でもないのにそんなものに興味を持ってくれる人はいないだろーな。でもどうしても何かしら書きたい衝動には抗えない。前にも書いたが、偶然、私の人生前半30年は昭和、いまのとこの後半30年は平成、とぱっきり分かれた。そして、それらは今から俯瞰すると内容的にも性質的にもかなり違う。あえて言えば、私にとっては私の昭和時代より平成時代の方がずっとずっと面白く充実してたと思う。というか私の昭和時代は暗かった、とさえ言えるかもしれない。世間的に見ればいわゆる「いい学校」にスイスイ行った「成功」してるはずの人生前半、私はあまり幸せでなかった。というか幸せでも、それを味わう能力が欠落してたのかも。ガリ勉はしてない。自分で言うとアレだが、「ハタチ過ぎればただの人」になる前は少なくとも学校のオベンキョウは苦労してない。人からモノを教わるのが苦手なのもすでにこのころからで、授業中は全く聞いてなくて友達とおしゃべりばかり。教師が「聞いてなくていいからおしゃべりはやめろ、頼むから寝ててくれ」と言った。となりに住む大家が体育の教師で、「お前はテスト前になるとピアノばっか弾いてるな」とも言われた(なんちゃってピアノです、これまた教わるのが嫌いで半年で習うのやめたので)。しかしここで人生諸々を「なめてかかる」態度になってしまったのだと思われる。だが、言いたかないが、「女子」としてはオベンキョウができることなどむしろ評価されるどころかマイナスですらあり、しかもお昼休みのドッヂボール含めてスポーツがダメダメで、これは典型的なクラスの「不人気者」パターン。おまけに学齢前から近眼でメガネかけ、それも当時は牛乳瓶底メガネだし、それがなくてもそもそも不細工で(祖母に面と向かって「この娘は不細工だから何か自立できるものを身につけさせた方が」と言われた。ヒドイ)ドブス。何度も面と向かってブスと言われたし、もちろん影でも言われていたのを知っている。ガリ勉してないけどガリ勉と思われていただろう。  詳しくは書かないが家庭にもとある問題はあり、いやー、こう書いてて嫌になる程、子供の頃はフシアワセだったわ。いま、意外にも人見知りで本質的には人を怖がるしイマイチ自信が持てない、てのはここから来てるのよね。今の私を見ている人は分からないかもしれないが、自己肯定感は高くないのである、ありていに言ってコンプレックスの塊で屈折してる。20歳ごろまでの「暗い時代」が今でもそれなりの影を落としている。(「変身」編に続く)

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  • 06Feb
    • 【60年分自分語り】(プチ)試行錯誤の人生 成功してないけどさ

      人から何かを習うてのが苦手。ひとつには、せっかちすぎて。ひとつには、傲慢なのかもしれない。でも多分ほんとは「試行錯誤が大好き」だから。自分で工夫して、分かった(気になった)ときのヨロコビが大きいから。何かを人に習うってのは、私にしてみれば、パズルの解き方を最初から教えてもらうみたいな感じ。つまんない。でも多分、ほんとは、パズルを解くための応用できるヒントをたくさん教えてもらえるんだろうな、人から習うってことは。なーんだこんな簡単なんだ!と思うコツがたくさん学べるんだろうな。とは思うけど、それをも自分で見つけると嬉しさもひとしおなのですよ。でも時々は習うってこともしてみたほうがいいんだろうなー、いいんだろうなー。でも試行錯誤が忙しくてそんなヒマもないのよね。パソコンとかが昔から好きなのもそれが一つの理由でもある。試行錯誤に応えてくれるんですよ奴らは。試行錯誤もあまり大変だとやんなるが、そのあたりのバランスがデジタル機器がらみではちょうどいいんだろう、私にとって。もちろんマニュアル見たり、最近はネットで調べたりはする。いくらなんでもただ闇雲にいじるわけじゃない。人生も試行錯誤してきたんだなあ。人から勧められたこととかをそのまま素直にやったりしないし、多くの人が普通にしてることから外れてみたがる(とはいえ大きく外れるほど度胸はない)。これはまあ「天邪鬼」とも言うんだけど。そんなこんなで、無駄や失敗の多い人生を歩み、世間的には「成功」してない、有り体に言えば今んとこ「失敗作」。東大に行くとこまでは多分そこそこ素直に生きてたんだけど(いやあまりそうでもないか)その後は「悪癖」のせいで色々台無し感満載(^◇^;)。とはいえ「大好きな」試行錯誤をし続けての60年、そうそう文句があるわけではない。少なくとも「自分らしく」は生きてきたわけで。シナトラのMy Wayて曲はあまり好きじゃなかったけど(有名すぎるからだな(^◇^;))内容的には今更共鳴しないでもない。私もまさにマイ ウェイ。ただし世間的には成功してないからシナトラほどの説得力はないのう。しかも、完全に孤高の人たる覚悟があるならいいけどそんなことはまるでなく、普通にいわゆる成功したいとかお金持ちになりたいとかの欲はあるし、おまけにかなりの寂しがり屋なので、独身子ナシのこの境遇については、なんかの罰ゲームというか、試練じゃのうとは思ってる。ビンボーは仕方ないけど孤独は嫌だ……。

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  • 05Feb
    • 【60年分自分語り】還暦まであと1月

      まあふつうに人生は続いていくワケだし、私は定年があるような仕事でもないので、さして変わりもない。でもとりあえず一区切りなんだなと思うとそれなりに感慨もある。母は42歳の若さで亡くなった。その歳はいちいち意識している。それを超えてから、その42歳がどれだけ若かったか、どれだけ「死ぬ」のに早い歳だったかを痛感する。それをはるかに超えて、人生一巡りしたら、ある意味では「よくやった」と思う。私には子供がいないし、配偶者もいなくなっちゃったし、弟も独身なので甥や姪もいない。次世代の係累がいないので(かろうじて従兄弟の子供たちはいるけどさほど親密ではない)、言っちゃなんだが、「もう思い残すことはない」のである。名を上げることもなく、業績を残すこともなく、財産どころか自分が日々食っていくのがやっとな有様で、なんだかなーとは思うものの、さして残念でもない……というのは今はまだ「これからがある」とどこかで思っているからなんだろうけども。そういうことにネガティブな感情をうっかり乗せ始めるとエライことになる。ダウンスパイラルのワナはそこら中にあって危なくてしょうがない。いつもノー天気に遊び暮らしているように見えるかもしれないが(遊び暮らしているのはホントだが)じつはかなりネガティブ要素を抱えた思考回路なのではある。少し前には鬱病で本気で死にたいと思っていた。そこから「生還」(大げさではない、生還できなかった「親友(と敢えて言う)」もいたのだ)してからは、これは有難いオマケの人生だ、という気持ちもマジである。仕事はそこそこにしかしてないし、お金はないし、うっかり長生きしても困るなという気持ちもマジである。だからこそ、やりたいことはやりたい。お金の問題でやれないことも多いのが残念ではあるけど。でもよくよく考えてみると、「お金の問題で思うようにいかない」てのは「旅行」ぐらいしかないなあ。あとは楽器かな? それらだってそこそこは楽しめてるんだしね。交通費をケチらずに済むようになりたいというささやかな願いはあるなー。貯金もないので、もしかすると今後はホントに困る事態も出てくる可能性はある。おかしいねえ、世間的には驚かれるような学歴あって最初の夫も同じ東大卒で…。こんなはずでは。でもこの上なくワタシらしいσ(^_^;)ったらありゃしない。楽天家なわけでは実はなく、取り越し苦労まみれなんだけど、それをさらに上回ってめんどくさがりのズボラなので、「対策を立てる」というところにいかない。心配や不安にまみれながら、ま、なんとかなるさ、と途中で突き詰めるのを放棄してしまう。さてさてそれがどう転びますやら。【この60年を振り返る作業に入りました。自分大好き(てか自分にめちゃ興味あり、自分をネタに語るのが大好き)な私にはワクワクするわー。他の人にはまるでどーでもいいことだろけども。(^◇^;)】で、ライブはこちらです。吉祥寺編3/3https://www.facebook.com/events/404748173303500??ti=ia大船編3/17https://www.facebook.com/events/329813157522255??ti=ia

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  • 01Feb
  • 31Jan
  • 24Jan

プロフィール

おーゆみこ

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女性
自己紹介:
いつも天使に守られてる。 天使はいたずら好きなので時々びっくりしたりドキドキしたりする「仕掛け」を...

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