読んだ雑誌
現代思想 Vol/39(14) 特集=反原発の思想
2011年10月号
青土社
2011年10月

ひとこと感想
正確には「反原発運動」をテーマにしており「思想」ではない、と思った、最初は。もしくは「反原発運動」における「思想」の問題を扱っている、と思った、最初は。だがここで大事なことは、「運動」のなかにどのような「思想」があったのか、である。

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目次構成は、以下のとおり。

▼過去から未来へ
拒絶から連帯へ 荒野に立って 鎌田慧

▼問い
いかたの闘いと反原発ニューウェーブの論理 中島眞一郎
風車の問い 民衆と生きる科学へ 橋爪健郎
足尾・柏崎・福島 反原発運動と反公害運動の重なりから 菅井益郎
〈反原発スト〉は、再開される 「電産中国」、そして 入江公康
巻原発住民投票運動の予言 リスク社会の啓示 成元哲

▼軌跡
『はんげんぱつ新聞』 の歩みから 日本の反原発運動を振り返る 西尾漠

▼くらしから
技術労働についてのまったくの序 最首悟
ひとつの選択 科学・たたかい・くらし 山口幸夫
六ヶ所村から 小泉金吾さんの記憶 加藤鉄

▼原発と日本
脱原発とは何だろうか 吉岡斉
日本政治と反原発運動 本田宏
「放射線ストレス神話」 「風評被害神話」 はだれが作ったのか 高橋博子

▼世界から
アメリカ反原発非暴力直接行動の歴史 阿木幸男
ポスト赤緑連立時代の左翼の存在意義 脱原発を選択したドイツの構造変化との関連で 小野一

▼反原発の思想
あえていう、「原発事故後もいのちがだいじ」 篠原雅武
水のおもさと、反原発 松本麻里

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たとえば、鎌田彗は、「反原発の運動」から見出される「思想」を「拒絶」「拒否」である、と語る。

「状況が煮詰まってくると、「拒否の運動」しかありえない」(39ページ)

こう語りながら、結局「孤立」化するばかりになってしまうなかで、「連帯」の必要性をも説くが、もっと現実的には、「連合」とどのような関係を結ぶかが、原水爆禁止と原発反対との連携においてもっとも重要だと述べている。

要するにほとんど「思想」論ではなく、「運動・組織」論になってしまうのである。

ただし、見方を変えれば、こうした「実践」において、どういった「思想」がそこにあるのか、それをあらためて再検証しよう、というのが本特集号だ、ということであろうと思う。

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吉岡斉は、「反原発」が「脱原発」という言葉(=思想)に置き換わったことに焦点をあてている。

チェルノブイリ事故以降に「「脱原発」という新語が日本社会で普及し始めた」(46ページ)

吉岡は、「脱」の思想は、「反」よりも、より多くの人を集めることができると考えた。

その理由はこうである。

反 - 無条件で原発をネガティブな存在と見なす

 - 原発が社会の中で一定の役割を果たしていることを事実として認め、そのうえで、脱却をはかっていくことを目指す

とはいえ、この二つの言葉によって単純に二分化されるのではなく、多様な立場がある。

中山茂(「科学と社会の現代史」)によれば、原発論争に参加する人たちの考えは三つに分かれていると指摘されている(おそらくこれを吉岡は「思想」と呼びたいのであろう)。

1)エネルギー確保は絶対的に必要
2)原子力への科学的研究は必要だが、技術としての原発は未熟
3)エコロジーにとって原子力は重大な脅威であり不要

ここに吉岡はもう一つ、追加する。

4)市場原理から考えて原発の推進は非常にリスキー

すなわち、エネルギー、科学、エコロジー、エコノミー、のどこに比重を置くのか、ということが、「思想」の起点にあるだろう、という思考である。

そして、結論としては1)と4)の対立が、今、核燃料再処理問題において顕著に表れており、しかもそれは、政治的な「左」か「右」という問題ではないことが明らかになったということである。

「原子力開発利用への賛否をめぐる対立は、政治的右翼と政治的左翼の対立ではなく、エコノミーとエコロジーの対立でもないことが、これによって明らかになったのである。」(51ページ)

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中島は、反原発ニューウェーブに焦点をあてて、新たな運動を支える「思想」とは何かを探ろうとしている。

今でこそかなり知られるようになったが、当時は、それまでの「運動」の「担い手」ではない人たちが何かをはじめたといったような受けとめられ方をしていた。

これまで反原発運動にかかわっていなかった人たちとは、つまり、チェルノブイリ事故を発端とした、以下のような人たちのことである。

・広瀬隆の講演によって原発が怖ろしいと感じた女性たち(特に子どもをもつ)
・安全な食材を求めて産直や有機農業運動従事者
・自然との共生をめざしたコンミューン生活実践者

中島は、彼らが「知識」ではなく「感情」を中心にすることによって、運動を新たなものに変えて行った、という解釈を行っている。

「その真剣さや本気さや熱気が、この闘いのピープルパワーを具現化し、参加した人々の中に感動と自信を与えた。」(59ページ)

その後の「脱原発」「反原発」デモなどでも踏襲されることになる「思想」がここから生まれてきているのである。

それを「タカマツ三原則」と言うらしい。

1)行動全体を指揮、統率する団体も個人もいない
 参加者は、自己の意志と責任において、行動する

2)参加者のあいだに上下はない
 グループや団体のあいだにも上下はない

3)1)2)を前提にして、この行動は誰にでも開かれている

中島はこの思想の根底を次のようにまとめている。

「「統一」と「団結」の思想にもとづく集団や組織を単位とする闘いではなく、個人を単位とする闘いであった。」(59ページ)

それゆえ、電力側や警察などにたいしても「敵対」はしない。

「反原発ニューウェーブの論理とは、他人にゆだねることで、自立できず、権威を取り込むことで平等を実現できていない自らの在り方が多くの原発の建設を赦してきたことに気づき、その自分の在り方を変えようとしている人々の論理である。」(60ページ)

しかしそのあと、電力会社の対応などもあり、1980年代後半に、昂揚期は去ることになる。

だが、2011年以降、ふたたびこのときの「運動」と「思想」が蘇ることになる。

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橋爪は、物理学者としての研究と公害や原発、環境問題へのかかわりの歩みのなかから自身の「思想」を探っている。

一言でまとめれば、「科学主義」に対する批判、ということになる。

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少し尻切れではあるが、本特集号を読んでわかったことは、「政党」とは無関係な「運動」にこそ、思想があるということである。



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