観たDVD

黒澤明:監督
寺尾聰、倍賞美津子、原田美枝子、根岸季衣:出演
1990年

ひとこと感想
何度も観ている作品であるが、観るたびに、違う思いを抱く。原発事故後の今、この作品は完全に私たちの心象風景(トラウマ)となっている。すでに「夢」ではなく「悪夢」として「現実化」してしまったのだ。

***

本作品「夢」は、知っての通り、八つの小さな「夢」から構成されている。

「夢」というと、なにやら、輝かしい未来や素晴らしい可能性をもつ「夢物語」を想像するが、そうではない。

冒頭こそ、ややノスタルジックな風景からはじまるが、その後はむしろまったく逆に、「悪夢」に苛まされている。

大別すると、三つのブロックに分けることができる。

1)幼年期
2)戦争
3)原発

ただし、2)と3)のあいだに、ゴッホの絵の中に入る小品が挿しはさまれている。これが何を意味するのかが、実は重要かもしれない。静かな、美しい風景のなかに入り込みながらも、静かに「狂気」がにじみ出てきている。

順番に概説してみる。


河童の嫁入りの日照り雨」と、座敷わらしとひな祭りが混ぜ合わさった「桃畑」は、幼児期の夢である。

いずれも牧歌調であるが、見てはいけないものを見てしまったあとは、おそろしいことが待っているという恐怖があるということと、木々にもいのちが宿っており、そのいのちを粗末にしてはならないという自然観がうたわれている。

ひとことで言えば、「自然」への畏怖が、主題であるように思われる。

日照り雨」では、河童たちの狂言風の踊りながらの舞いが、「桃畑」では、ひな人形たちによる古式の舞曲が、視覚的に強い印象を残す。

これらは、黒澤の幼年期の、まさしく「夢」の記憶なのであろう。


「雪あらし」「トンネル」は、戦争体験にからむ。


「雪あらし」は
雪山遭難であるが、これは先行きが見えないなかでもがき苦しむ戦中の置き換えとも言える。

「帰還兵」はそのまま郷里に戻ってきた士官の物語であるが、帰還兵がふるさとでみるものは、戦地で亡くなった部下たちの亡霊であり、一匹の凶暴な犬である。

この犬は装飾されていて、体になにかをつけているのだが、これが何を意味しているのかは、よく分からない。

「邪悪なもの」の象徴、もしくは、「邪悪」な方向に追いやる先導のようなものかもしれない。

これらは、実際の「夢」というよりも、戦争(=第二次世界大戦)という「悪夢」の記憶である。


「鴉」は、突然、ゴッホの絵の中に入る。

のどかな田園風景、一面に広がる麦畑。静かに風景を描く晩年のゴッホ。

どことなくユーモラスでファンタジックであるが、非常に不安定な状態である。

最後のシーンでは、黒い鳥(=鴉)がばさばさと空を飛んでゆく。

なんとも不吉である。

なんらかの個人的もしくは社会的な「出来事」と結びついているというよりも、生きていることそのものの不安定さが表現されているよう思うが、この小品も、私には解釈がうまくできない。


そして、後半、
「赤冨士」「鬼哭」「水車のある村」の三作。

ここからは、これから起こりうる「悪夢」の可能性と、その「悪夢」の代わりにありうる可能性、である。

「赤冨士」は、特に、本作の中心をなしていると考えられる。

黒澤は「生きものの記録」において、原水爆への恐怖心を描いたが、ここでははっきりと「原子発電所が爆発」する。しかも「6つ」の原発が、である。

富士山の噴火が描かれているので、原発が爆発した原因は富士山の噴火なのかもしれないが、その前に大地震があったのかもしれない。

いずれにせよ、その風景は、まぎれもなく、「フクシマ」という出来事を連想させる。

パニックで逃げ惑う人たち。

しかし、狭い日本、どこにも逃げるところがない。でも逃げずにはおれない。逃げ場所は、結局海の中。すなわち、「死」である。

最後に残った二人の男とと二人の子どもを持つ女。

そこにやってくる放射能。

放射線は目に見えないが、色が付けられる技術を開発したというのである。

プルトニウム239は赤色である。
(10,000,000分の1グラムでも吸い込むと癌になる、と説明される。)

ストロンチウム90は黄色である。
(骨髄にたまり白血病になる、と説明される。)

セシウム137は紫色である。
(遺伝子に突然変異をきたし、どんな子どもが生まれるか分からない、と説明される。)

色がついた放射能に対して、寺尾聰以外のサラリーマン風の男が言う。

「知らずに殺されるか、知ってて殺されるか、それだけだ」

二人の子どもを連れた母が言う。

「原発は安全だ。危険なのは操作のミスで、
原発そのものに危険はない。
絶対ミスは犯さないから問題ないって、
ぬかした奴らは、許せない。
あいつらみんなしばり首にしなくっちゃ、
死んでも死にきれないよ。」

男が言う。

「大丈夫。それはちゃんと放射能がやってくれますよ。」

そして、一拍間をおいて、

「すいません。私もそのしばり首の一人でした。」

男は海に飛び込む。


さらに次の夢。
「鬼哭」。

前の夢の続編のような光景。

寺尾聰が歩いている。

鬼(いかりや長介)と出会う。

鬼は、昔は人間だった。

どうやら放射能の影響のようである。

水爆やミサイルの影響で咲いた巨大なタンポポのある景色。

突然変異の薔薇。

これもまた、放射能の影響だという。

自らの過ちにもだえ苦しむかのように、多くの鬼が哭いている。

死す前にみる、悔恨の夢であろうか。

まだ後戻りできるかもしれない、という僅かな希望があるのだろうか。


それが、最後の小品
「水車のある村」に連なっているようにみえる。

一転してのどかな風景。それは、幼年期の生活空間と近い。

男(寺尾聰)が水車をながめながら歩いている。

老人(笠智衆)がいる。

どうやら話によると、ここは、電気を放棄した村、だという。

自然な暮らし方を選んだ村。

しかも彼は100歳を超えても元気だ。

これはユートピアである。

華やかな葬式で締めくくられる。


――ここまでが、この映画の内容である。

しかし私には続きがあった。

私は知らぬまに、この映画の終りの部分に、勝手に、別の結末を付加していた。

「赤富士」で描かれた、赤、黄、紫の煙が、
この村を襲うのである。

やりきれないが、これは「夢」ではなく、「フクシマ」で起こった「現実」なのだ。

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