読んだ本
常識と核戦争 原水爆戦争はいかにして防ぐか
B・ラッセル
飯島宗享訳
理想社
1959年5月

Common Sense and Nuclear Warfare
Bertrand Russell
1959

一言コメント
アインシュタインとともに戦後の原水爆禁止運動をリードした哲学者ラッセル。アインシュタインと同様に、彼の論理哲学との連関が分からない。しかも彼はイズムではなく「常識」に照らし合わせてこの運動を進めるべきだとする。私はむしろ、原爆は駄目だが原発は平和的利用で必要という常識を疑うところから原発事故を考えるべきだと思う。



先日のブログで私は、
原爆と原発とを共に思考するべきこと、言いかえれば、原爆と原発の「同一性」を前提に現実をとらえるべきである、と主張した。

原爆と原発を区別する必要はない。なぜなら、いずれも、兵士でもない人たちの日常が「殺戮」されてしまうからである。こうした事態を仮に、「日常性のジェノサイド」と呼べば、私たちの戦後は原爆投下という「日常性のジェノサイド」ではじまり、そして今また、第二の「日常性のジェノサイド」と向かい合っている、と言える。

ここで重要なのは、第一の「日常性のジェノサイド」とどう対峙してきたのかをしっかりとと振り返ることである。それは、第二の「日常性のジェノサイド」を生きるうえで、不可欠である。

社会とは、多様な考えの人間が「共生」している。おそらく、どのようなすぐれた人間であったとしても、その一員にしかすぎず、その「全体」を代表(=表象)することは基本的にはありえない。せいぜい多数の支持を得るか、もしくは、大半の場合は少数の支持を得ているにすぎない。

それが、社会である。

社会は、多様性を前提とする。一元化されているものは、わずかに、「掟」もしくは「法」と呼ばれるものに尽きる。

それ以外は、いつでも、さまざまな考えがぶつかり合う。

原爆と原発を同じものとして語る場合、それを否定する立場がある。私はそれに対して、あえてこの二つの差異よりも同一性を語ることを選択した。なぜならば、「原爆と原発はまったく別物だ」と語るコンテクストにおいては語られえない「日常性のジェノサイド」を強調したいからだ。

さて、ここまでが先日書いた、私の第一の主張であるが、今日はあえて、その差異についても語ってみたい。当然、差異はある、からである。

ただし、私がここで述べる原爆と原発との差異は、「軍事的利用」と「平和的利用」の差異でも、連続的な核分裂を促進させるものと、それを抑制させるもとのという差異でもない。

それは、経年的、時間的、時代的な差異である。端的に言えば、「1945年」と「2011年」という差異である。

1945年とは、核エネルギーについて、さまざまなことを知らなかった時代のことだ。

広島と長崎に原爆が落とされたとき、まだ私たちは、こうした原爆と原発に共通した「日常性のジェノサイド」という事態があることをまったく理解していなかった。

それまでの戦争の連続線上で、それまでの爆弾との連続線上で、広島と長崎の出来事をとらえていた。

もちろん、その被害の大きさは、類例をみなかったわけだが、「核エネルギー」を利用した爆弾が人体や環境にもたらすものについて、十分な理解がなかった。

2011年と1945年で、大きく異なるのは、このことである。

ラッセルの本を読むとそれを痛感する。

「核戦争というものに含まれている危険は、全人類がこうむる危険であり、だからまた、そこでは全人類の利害が一致しているような危険なのです。」(7ページ)

こういったラッセルの指摘は間違っていない。

しかしこの「危険」は、戦争と核兵器が「使用」されなければ、回避できると考えられている。

これが、後に、誤りとなる。

核兵器が今まで兵器よりも格段に殺傷能力が高いといったような、「かつての兵器」と核兵器を比較する、というところで議論をすると確かにそうなるが、問題は、人間が核エネルギーを統御できる技術を十分に持っていないうちに、その技術を実用化したということにある。

これまでの「兵器」とは異なる次元の「技術」であるから、脅威なのだ。

ラッセルの発言には、まだ、「核物理学」の研究開発自体に対する肯定的な視点が含まれており、「平和的利用」については、疑問視されていない。

根底的な批判を行うのであれば、「核エネルギー」そのものの人間的すなわち技術的利用が、はたして本当に妥当なのかどうか、その時点から問うことが求められる。

「いまの調子で進んでは、この地球は存続できません。いまに、その結果いっさいのものが、あるいはほとんどいっさいのものが滅亡するような、戦争がおこりかねないのです。」(20ページ)

このようにラッセルの抱く「恐怖」は、原爆戦争による「地球の滅亡」であった。

もちろんこれが当時の世界情勢において、緊急課題であったことをここで非難したいのではない。

しかし、もう一歩ふみこめば、広島や長崎の現状をみつめるなかで、これが、死者の多さ、被害の壮絶さ、ということだけではなく、被爆者そしてそのまわりの人々の日常を長い期間にわたって奪い続けていったという意味で「日常性のジェノサイド」でもあったことに注意を向けなければならない。

生き残った者たちの、肉体の損傷、家族や知人といった社会関係の破壊、これまで住んでいた場所の破壊、そして、心理的な不安、痛み、苦しみ。

わずか10年もすれば広島においてさえも「被爆」を持ち出すことにためらいが生まれる。

もちろんGHQによる情報統制、被害検証の独占などの外圧によって、国民が「原爆」について正確に知る機会が少なかったことは、やむを得ない。

しかし、その後も、第五福竜丸、スリーマイル、チェルノブイリなど、見直す機会が幾度もあったはずだが、私たちは、どこか他人事のように、とりわけ原発における「日常性のジェノサイド」については、原爆における「日常性のジェノサイド」のみを強調することによって、見ないふりをしてきたのではないだろうか。

原発にも日常性のジェノサイドは同じようにある、しかし、それ以上に原爆の方が問題だ、というようにして、原発を正面から問うことを回避してきたのではないか。

少なくとも、私自身は、そうした悔悟に苦しんでいる。

また、作家である大田洋子が原爆にこだわりぬいて作品を書いていたとき、そこに流れているテーマは、表面は、戦争や原爆に対する憎しみであったが、彼女のその「情」は、こうした「日常性のジェノサイド」にあったと私は考える。

これは後日あらためて書くが、彼女の作品「半人間」は、そうした思いがこめられていた。

少し前に書いた黒澤明の「生きものの記録」の「生きもの」という言い方も、まさしく、死そのものよりも、攻撃を受けずして、日常性を奪われてゆく「生きもの」のさまを描いていたのであろう。

私たちがしなければならないのは、「原発事故といっても直接的な死者が出ていないじゃないか」といった開き直りの話法を受け入れることではなく、むしろ、直接的な死者が出ていないにもかかわらず、これほどまでに人の心を不安にさせるその心理的損傷を「日常性のジェノサイド」としてとらえ、見つめ直すことである。

結局、原爆の被害は、あくまでも被「爆」であり、被「曝」ではなかった、とされた。放射能によるものというよりは爆撃によるもの、という見方が私たちの歴史と現実を覆っている。

もちろん当時、被「曝」していた人たちもたくさんいた。

被害がなかったと言いたいのではない。被害として理解された概念が、被「爆」だったということである。

さらにこの「被爆」は、「戦争」と「平和」という対立概念を前提としており、戦争の結果として被爆したのだ、という理解となる。平和時における核エネルギーの利用はこの「日常性のジェノサイド」と結びつかない、と思わせるレトリックである。

日常の事故で爆撃は受けない。

それゆえ、被曝の被害に対して、平和を求め、戦争に反対する。そして核兵器に反対する。

これが「原爆」が形成した「理解枠」(=エピステーメー)である。

それに対して原発事故は、「戦争」とは直接的なつながりはない。平時における、しかも震災が引き起こした「事故」である。

もちろん事故のない状態も「平和」であるが、「戦争」という観念がここにはかかわらない。

しかし、先日の ブログでも書いたように、原爆被害も原発事故も、これまでの戦争とは異なるし、これまでの事故とも異なる。

戦争は、基本的には国家間による武力による自らの正当性の主張である。その場合、戦闘のための兵士がおり、武器があり、戦場がある。市民やその生活は、ただちには攻撃の対象とはならない。

にもかかわらず、核兵器は、そうした概念の外側にいる。

戦場では核兵器は用いられない。兵士に核兵器を用いない。

大勢が生活する都市に、核兵器は、用いられる。

これはすでに「戦争」でも「兵器」でもない。

「日常性のジェノサイド」をはたす、悪質な犯罪である。

戦争の動機である、正当性の主張とは、もはや関係がない。

自分たちが殺されたくないから、相手を殺す。

もしくはそれに必要な武器を相手よりも多く用意する。

これが、冷戦時における核兵器配備の高まりにおける言い訳であった。

くりかえすが。核兵器は、もはや兵器ではない。

核実験は、もはや「実験」ではない。

原発も、もはや「核の平和的利用」ではない。

いずれも、「日常性のジェノサイド」を実行している「全否定的」な技術なのである。



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