犠牲

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⚫︎世の中にはたくさんの『方法』がありますよね。

私はその手のコレクターではないので、全部を把握している訳ではありません。

それでも、かなりの方法は試したと思います。

お金も時間も随分とかけました。

それくらい「変わりたい」と思っていたんです。
(Havingへの執着が減って、今は思っていません)


25年間くらいもがいていたかもしれません。

やってはダメ、やってはダメで、

諦めては再チャレンジ

また諦めては再チャレンジ

を繰り返していました。


たまたま運良く師匠と出会い、今に至っただけで、私はごく普通の人間です。

その普通の人間でも「変われた」と実感出来るところに、『在り方』のすごさがあります。

以前に、『方法』によるアプローチの難しい点をお話ししましたけれども、

私のご提案しているものも、ある種の『方法』なのかもしれません。

ただ、

その『方法』には公式のようなものはありません。

(性格にはアプローチの公式はありますが、単一のゴールは設定しません)


「方法」のために、『あなた』を犠牲にしては本末転だからです。


万人にとって共通の価値観はありませんし、環境も性格も違います。

今まで散々苦労してきた人に、また新たな方法をゼロから習得してもらうのも大変な負担になります。

コレクターになってしまえば、それを楽しむかもしれませんが、また飽きて他を探すでしょう。

また、

慎重な人に本人が望む以上の速さで習得を促す必要もありません。

性格を考慮しないで方法をあてはめても、それを何年も続けられるとは思えません。

方法のアプローチは大なり小なり無理を強いるからです。


『在り方』は急激な変化よりもマイペースを重視し、ゆっくり大きく変化させるアプローチで行います。

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『在り方』の特徴

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⚫︎いよいよ、『在り方』の特徴になりますけれども、

現在の『在り方』をどのように身に付けてきたかを考えて頂くのが一番分かりやすい思います。

生まれたばかりの赤ちゃんの時、今と同じ苦しみがなかったように、『在り方』も後天的に獲得するものがほとんどです。

そのほとんどを生きていく中で構築してきています。
(2歳くらいから始まるようです)

時間も回数もしっかりかけて、ありとあらゆる『在り方』に関わるものを経験して現在に至っています。

そして、しっかりと基礎工事をして現在の『在り方』を構築します。

『在り方』の浅い部分のものは、

赤ちゃんの時から幼稚園、小学生、中学生と成長していく過程で、ずっとおしゃぶりが好きであった訳ではないように、また、大人になってもランドセルで通勤することには抵抗があるように変化します。

ただ、
『在り方』の深い部分については、変化は非常にゆっくりです。

パッと見てサッと変わってしまったのでは、危なっかしくてしょうがないです。

だから、それでいいのですけれども、この変化の時間の遅さは早く変わりたい時にネックではあります。

また、

万人にとって共通の価値観はありません。

ですから、人それぞれに同一の方法が通用しないので様々な工夫が必要になります。
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Doingで一番のデメリット

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⚫︎この記事では、Doingの細かなデメリットについて、

 
個体差を考慮しなければ同一の方法を当てはめても効果が望めないというお話をさせて頂きました。
 
そして、それらによる弊害についてもお話ししたのですけれども、
 
なんと言っても、一番のデメリットは
 
同一の『方法』で行った際に失敗してしまったり出来なかったりした場合、
 
「やっぱり自分はダメなんだ」
 
「自分だけ出来ない」
 
と感じてしまうことだと思います。
 
そもそも同一の方法では結果が異なってしまうのは当然なのですけれども、出来なかった事が気になってその事実と向き合えなくなります。
 
それは、
 
「方法」や「誘導」などを重要視し過ぎているため、
 
【提供】や【感謝】を忘れてしまいがちになってしまうことも要因としてあるのではないかと思います。
 
それが一番のデメリットだと考えています。
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Doingのデメリット

テーマ:
 
⚫︎前回の記事でお話ししましたように、Doingからの変化にもたくさん有効な部分があります。
 
「早さ」というのがDoingのメリットでもあるとお話ししましたけれども、ただこれは諸刃の剣でもあります。
 
なぜかというと、
 
『方法』による変化は、「早い」が故に
 
狙った地点からズレて着地してしまう可能性もあります。
 
「極端な発想」になってしまったり、発信者を過度に信用してしまったり、「それ以外に正解はない」という考え方になってしまったりします。
 
また、
 
コンフォートゾーンから急に離れるため、強烈な引き戻しに遭って元に戻るか、最初の地点にすら戻らず偏った思想を持つこともあり得ます。
 
更に、
 
例えば同じ教室で同じ授業を受けたとしても成績にバラつきが出るように、同じ方法をシステマチックに適用させても
 
個人の態度
 
理解の程度
 
順応性
 
根気
 
環境
 
などにその成果は左右されます

Doingのメリット

テーマ:
⚫︎私はBDH論者ではないのですけれども、もう少しだけBDHの話を続けさせて頂きます。
 
Doing(方法)はモノによってはBeing(在り方)に影響を与えます。
 
その特徴は「早さ」です。
 
『在り方』を整えていくのは時間がかかります。
 
それを待っていては期限が決まっているものなどに対しては間に合わないということもあり得ます。
 
その点、Doingによる変化は数段に早いので、短期的かつ即時的な効果を期待するのであれば『方法』によるアプローチは有効かと思います。
 
『方法』そのものに対して目標が出来るので、ある種のやりがいや達成感なども感じられます。

Havingで生きるということ

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Havingな生き方

Having(持っているもの)に囚われて生きるというのは、

「うらやましいな」→「どうすれば手に入るかな?」

という発想です。

これだと、どうしてもノウハウを求める段階で終わってしまいます。

ノウハウだけでは上限が低いというのもありますが、

ほとんどの人にとって、

心から求めているものは、大概はノウハウだけでは辿り着けないものです。


「◯◯がないと出来ない」

という発想から抜けられないと、そのうちに今度は


「若くないからもう無理だ」


と思ってしまい色々と諦めていくのだと思います。
 

HDBな生き方

テーマ:

Having(持っているもの)にフォーカスした生き方ですと、

「◯◯がないから出来ない」

「◯◯があったらやる」

という発想になりがちです。


時間がないから、お金がないから

経験がないから、知識がないから

あいつがやってくれないから

あの人がああだから

という目線から物事を見るようになってしまいます。

それらは説明するまでもなく、生きにくさに繋がりそうなものですよね。

その人の周りだけ時間が早く過ぎる訳でもありませんし、その人の周りだけ嫌な人が集まっいてる訳でもないはずです。

不満に世界を捉える癖から抜けなければ、一つが満たされたところでまた次の不満を探します。

むしろ、その満たされたものでさえ「こんなものか」と納得出来ないかもしれません。

それをずっと繰り返しますので、「満たされて幸せ」とは思えず、下手をすると一生そのまま過ごします。

また、Having(手にするもの)ばかりに気を取られる場合、

例えばお金等は、増やしても増やしてもキリがないです。

「多めに持っておけば安心」とお思いになる方もいらっしゃるかと思いますけれども、

過剰な状態でも一生ラットレースを続けることになり、そのうち今度は喪失する恐怖に怯えて暮らすことになります。

多少の不足があっても『在り方』次第では工夫が生まれますので、充実して過ごせるかもしれません。

このように、

Havingに囚われていますと、適切さからかけ離れた生活を強いられがちになります。

それは苦しいです。

オススメの方法

テーマ:
⚫︎長々とご説明させて頂きましたけれども、最終的にお伝えしたいことは、

Being(在り方)→Doing(行動)→Having(手にする物)

という変化の起こし方が私のご提案であり、オススメの方法ということです。

もちろん、「カタチから入る」という事で変わる人もいます。

環境が変わって人間性が変わるということもよくある話です。

ですから、必ず上の図式からしか変化が起きないということではありません。

問題は、それら「カタチ」や「環境」を変化させても状況が良くならないところにあると私は思います。

「カタチ」にしても「環境」にしても、その恩恵を享受して良い変化をもたらす場合、そのほとんどで心境(Being)の変化が生じているからです。

つまり、『良い変化をするための在り方』の有無がそれらの結果を左右するということでもある訳です。

また、

「カタチ」から入った場合の多くがそのモノに飽きがきて長続きしなかったり、

環境をガラリと変えて茨の道へ進んでみても、途中で諦めて撤退したり、

などという話が世の中にはたくさん転がっていて、

「やっぱりダメだ~」

と落ち込む人がたくさんいます。

その点、『在り方』は良いものであれば「こんな良い考え方だからオレはダメだ~」「オレはなんて素晴らしい考え方なんだ~この野郎」とはなりにくいです。

(なりにくい、と申し上げたのは、確かに100%そうなるとは限らないからです。例えば自分を責める人の場合は、良くなる事に抵抗感を持っているので、もっと根底にある『在り方』にアプローチしていく必要があります)


問題は『悪い在り方』です。

悪い考え方(Being)であればよろしくない行動(Doing)をし、みんなから嫌われます(Having)

悪い考え方(Being)に正しい方法(Doing)を行ってもらっても、挫折、失敗、後悔、反発(Having)に還ります。

そして、そこにはコンフォートゾーンを維持する働きがあるから抜けにくいため、ずっと繰り返してしまいます。

とはいえ、

あなたが良くなって下されば方法は何でもいいです。

たまたま私は『在り方』からがいいなと思っているだけでして、実際に働きかけをさせて頂く時はDoingやHavingにアプローチする場合もあります。

(ただし、その場合は『在り方』に影響を及ぼすものをご提案させて頂いています)

ですから、他の方の手法を否定している訳では決してありません。

カジュアルに色々な方法が出回っていて、一部では効果のないものを延々とやらせて料金を請求する人もいる中で、

前々回の記事で紹介させて頂いた方のように、周りの人のことを真剣に考えて下さっている人もたくさんいらっしゃいます。

私でなくても幸せへの道をご提案して下さる方はいらっしゃるということです。

私は、あなたが良くなって下さればそれでいいんです。
とにかく「自分の人生」を歩んで頂いて、幸せになってもらえればそれでいいです。
⚫︎前回の続きです。

前回の記事のような行程を経て「コンフォートゾーン」を作り上げていくのですけれども、

その「コンフォートゾーン」のせいで「変わりたいけど変われない」という事も生じます。

しかし、逆に全部が変わってしまっても人格崩壊してしまうので、その機能が無ければ無いで困ってしまいます。
実はとても必要な機能です。

多重人格というのは正にその「コンフォートゾーン」が複数出来てしまう一例(厳密には違います)で、

各人格によってコンフォートゾーンが違うので同一の身体であっても苦手な食べ物が違ったり、他者との接し方への抵抗感が違ったりします。

ですから、行動(Doing)を決定する重要な役割を持つ、とても大切な維持機能という側面があることもご理解頂ければと思います。

また、

コンフォートゾーンというのはとても強力なもので、「私の内面は本当は女性だ」と思っていると、何百万円もかけて、激痛さえも我慢して、整形等を受けて肉体を精神に合わせようとします。

また、恥ずかしさを乗り越えるどころか、性の不一致を感じる現状に強烈な恥ずかしさを覚えるからこそ、服装や環境を相応なものにしようとしたりします。

他には、

一時は億万長者だった方が事業で失敗し無一文になったとしても、コンフォートゾーンが億万長者なのでその後に私たち一般の人よりも早く高収入になる傾向があります。

最近では、某IT社長が逮捕されましたけれども、出所してまもなくでサラリーマンの生涯賃金よりも多くの収入を得ています。

「コンフォートゾーン」は、何も上述した人達にばかり生じる現象ではなく、人間が本能的に持ち合わせている機能です。

よくある話では、宝クジで当然して高額をもらった人が、数年経つと元よりも貧しくなってしまうといったものがあります。

普段ファーストフードやファミレスに行き慣れている人が、いきなり超高級店に行ったら落ち着かない感じがしてすぐに出てしまったといった事や、

スポーツの試合で意気込んで相手の本拠地に乗り込んだものの、やっぱり本来の実力が発揮出来ずに負けてしまったということもそうです。

勉強熱心な方に勉強をしないように言っても隠れてでもしてしまう人もいる一方、「勉強しなくていいんだ」と喜ぶ人もいます。

このような事は、各個人のコンフォートゾーンが深く関わっています。

「だったら新しいコンフォートゾーンに置き換えればいいだけじゃん」

ということなのですが、事はなかなかそうは運ばないのが厄介なところで、あれこれ試しても変わりにくいのが現状です。あなたもそのような経験がおありではないでしょうか?

いくら読書を重ねても、どんなにセミナーに参加しても、自分のコンフォートゾーンに寄せて解釈してしまうのでなかなか変わる事が出来ません。

それらが無意識で生じてしまうところに、この問題の大変さがあります。

ですから、

そのコンフォートゾーンに変化を与えるものとして、『在り方』へのアプローチが必要不可欠になってきます。
⚫︎とても勉強熱心な方からご連絡を頂きました。

他で同じような文章を読んだということでしたので、「やはりカジュアルに出回ってきたな」と思う一方で、

その方がいかに色々と情報収集されて学ぼうとしているかが感じられて、その姿勢には本当に頭が下がりました。

周りの人達の事を真剣に想っているということですので、その方に出会えた人達は本当に幸せですね。

ということは、ご連絡頂いた私も幸せ者ということですよね。嬉しい限りです。

そこで、私もお役に立てればと思い、
「コンフォートゾーン」について追記したいと思います。


また、『在り方』自体が「コンフォートゾーン」と密接な関係があるものですので、今後も『在り方』のお話を進めさせて頂くことによってご理解の一助となれればと思っております。

さて、

前回は「コンフォートゾーンというのがありますよ」といった内容でした。

「コンフォートゾーン」を「快適な領域」のようにお話ししましたけれど、「快適な領域」というのはいったいどのような領域か?どこに快適さを抱くのかか?ということが重要になります。

通常、「快適さ」を感じるところは、簡単に言ってしまいますと「慣れ」が生じているところになります。

「いけない、いけない」と思っていながら、ついダラダラしてしまうのも、その人にとっては「ダラダラした状態」が快適だし慣れているからそうする訳です。

頑張ってる自分には慣れていないので、それを行うことは不快なのです。

ですから、どんなに「お金持ちになりたい」と強く願っても、突然、「明日からこの方達があなたのご両親になります」(Having)とアラブの大富豪を連れてこられてもすんなり受け入れられないですし、

どんなに「偉くなりたい」と望んでも、いきなり「今からアメリカの大統領やってもらいます」(Having)と言われても「やった望んだ通りだ!」と大喜びして引き受けられない訳です。

この「慣れているもの」というのは、「恒常性」を維持する側、つまり脳や身体にとってとても都合の良いものです。

どんなに辛く苦しんでいようが、その状態で生きながらえてきたという実績があります。

臆病な人がなかなか人前で話せなくても生きていられますけれど、いきなり「明日から戦場に行くぞ!」となってしまっては、身体にとっては生命の存続に関わります。

反対に、どんなに嬉しく楽しい出来事があったとしても、数年どころか数日もその余韻に浸ることなく飽きてきますし落ち着きます。

時には「私にそんな良いことがあるはずがない」と感じて再び自分の殻に閉じこもります。


この「慣れ」は生育歴にも関わりがあります。

「慣れ」の状態が繰り返し行われることによって、人は成長過程で「セルフイメージ」「自己評価」を持つからです。

そして、それらが「慣れた領域」となっていきます。

つづく