セカンドビギナーのゆるラン日記

40代はそれなりに記録をめざし、ウルトラマラソンをめざし、走っていました。しかし還暦近くなると、体のあちこちが痛くなり無理が効きません。そこで走る目標を変えて、ゆるゆると走ることにしました。そんなゆるランの様子を書いていきます。   by Ogaman(おがまん)


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 ランナーたちの足音、息づかい、そしてはるか遠くでランナーを応援しているスタッフの声が、トンネルの壁面に反響して私に襲いかかってくる。その音は半ば朦朧としている私の意識の中で、妖しくリフレインされていく。


 とにかく逃げる。頭に風船をつけたランナーたち・・・4時間のペースランナーに捕まらぬよう、ひたすら逃げる。そしてたとえ捕まったとしても、そこで諦めず最後まで食い下がる。その気持ちが薄れてしまったとき、私にとってのレースは終わってしまう。もはやその1点に気持ちは集中していた。


 ふと気がつくと、私はセンターライン寄りを走っている。


 あれっ?おかしいな。声援に応えながら走る癖がついているので、たいていの場合、私は左端を走るはずだ。トンネルに入るときもそのつもりだったのだが・・・。


 まあいい。このまままっすぐ走っていこう。


 ところが、今度はいつの間にか真ん中を走っている。


 これはおかしい!自分の走行ラインに、意識を集中する。


 案の定、蛇行していた。まっすぐ走ることができなくなっていた。


 その瞬間、いろんなことが頭の中をかけめぐる。形にならないまま、いろんな考えが頭の中を駆けめぐった。


 そして最後に浮かんだのは、レース前、私の体を案じていたOgakunの顔だった。


 最近の練習不足と調子が上がってこないという状態を知っているOgakun。彼はそんな状態で本当にマラソンを走れるのかと心配していた。無理をしちゃいけないと、どちらが親かわからないようなことを言っていた。


 これから長いランナー生活を送るであろうOgakun。そんな彼に、私が親として教えてやれることはなんだろう?調子が不十分なときでも、倒れてもかまわないと、無理矢理走り続けることか?それとも自分の体調に異変を感じたときにやめる勇気を持つことか?


 ちょうど右に傾いてセンターライン方向に蛇行していた私。そのままセンターラインを跨いだところで歩きだした。


 やめる勇気。口にするのはたやすいこと。しかし実際に体調の不調を感じたときに、やめるということは難しいこと。倒れてもいいから走りたい、という気持ちにもなってしまうのが、ランナーの性というものだろう。私自身、どうせ死ぬなら、走っている最中にポックリ逝ってしまいという気持ちがないわけではない。


 しかし私はあえて断言するが、その考えは誤りだ。こうしたレース中に倒れて死んでしまったりしたら、その本人は本望かもしれない。しかし周りに対してどれだけの迷惑をかけることだろう。せっかく素晴らしい大会を作ってもらいながら、その大会に対してかける迷惑の度合いは、紙コップの投げ捨てどころの比ではない。


 市民ランナーとして、大会に参加する上での最低限のマナー。それは、自分の安全を自分で守ることだろう。自分の生命を自分で守ることだろう。


 自分の体調の異変に気づいたからには、しかもそれがもしかすると重要な異変に繋がるかもしれないと感じたからには、私は躊躇なくレースをやめられるようになりたい。頭ではそう思っていたし、ブログでもラジオでもそう主張してきた。今こそ、それを実践するときである。


 とりあえず、様子を見ながら歩き続けた。しかし歩いていても、多少ふらつきは残っている。でも歩けないわけではないし、意識はしっかりしている。


 「大丈夫ですか?」


 トンネルの中でランナーを声援していたスタッフが、心配そうに声をかけてくれる。


 「時間はたっぷりありますから、ゆっくりゴールを目指します」


 と、私は笑顔で元気に答えた。


 「4時間、いきますよ」


 ついに4時間のペースランナーが私を抜いていった。もちろんこういう形で抜かれるのは、まったくの想定外である。だが、こうなってしまったからには仕方がない。


 「頑張ってくださいね~」


 私は精一杯の声をかける。


 ゆっくり歩いているうちに、徐々に足元のふらつきも治まってくる。これならこのまま歩いてゴールを目指せそうだ。とりあえず完走だけはできるかな?


 トンネル内に38km地点はあった。3時間36分18秒。この間の1kmは8分26秒。もはやラップを取る意味はないかもしれないが、歩いてしまった割には思ったほどの落ち込みはない。


 トンネルの出口が近づいてくる。すると、なぜか体のふらつきは止まってくる。トンネルを出て、試しに走ってみる。不思議だ。まっすぐ走れる。少し休んで回復できたのだろうか。それともトンネルという密閉された特殊な空間故に、平衡感覚がよけいにおかしくなっていたのだろうか?詳細はわからないが、再び走り始めた。


 だが、体のアクシデントを感じた後だけに、スピードアップはしなかった。まだキロ6分くらいのラストスパートを決めれば、4時間を狙えるかもしれない。しかしトンネル内での状況を考えると、もはやこのレースで無理はできない。沿道で応援してくれる皆さんに、歩きながらではなく走りながらお礼を言うことができる。そのことだけで十分だ。


 関彦橋を越えるにあたって若干のアップダウンがある。橋の上で迎えた39km地点。タイムは3時間41分52秒だった。この間の1kmは6分33秒。まあ、こんなものだろう。


 関彦橋を下り始める。もはや目標は完走のみ。急いで下る必要はない。


 が、そのときである。


 右膝に異変を生じた。膝が突然緩んだ感じ。今にも外れてしまうのではないかという不快感を伴い、力が入らずカクカクと不安定になり、走り続けることも困難になる。今年のサロマの58km付近でなったのと、同じ症状だ。


 過去に1度経験している症状だけに、さほど焦らずに済んだ。この坂を下りきると、いくらか走りやすくなるはずだ。だが、下っている間は膝にかかる力も大きく、非常に不安定である。私は坂を下りきるまでやむを得ず歩くことにした。まったく、今年の締めのレースでもサロマの苦しさが再現されるとは思わなかった。


 関彦橋を下りてから、また走り始める。要所要所に配置されている大会スタッフの声援に応えながら、1歩ずつゴールに近づいていく。


 関彦橋の下りで再び歩いたせいもあるだろう。40kmの通過タイムは3時間50分12秒。この間の1kmは7分21秒もかかってしまった。北海道マラソンの40km関門は3時間48分。ここでレースを打ち切られるところだ。しかしこの大会は6時間制限だから大丈夫。まだ時間を気にせずゴールを目指すことができる。


 40km関門を過ぎてまもなく現れた給水所。ここでは他のランナーの邪魔にならないよう、給水テーブルの横に回り込み、ゆっくりと給水する。そしてたまたまそこにいた給水所のスタッフの方と話し込む。レース中の高揚感も手伝って、私はこの大会を絶賛してお礼を言う。いや、高揚感の助けばかりじゃない。これまで私が出た大会の中で、もう1度出たい大会はどれ?と聞かれたら、この大会の名前を挙げる(ちなみに、今までの大会の中では利尻島一周悠遊覧人Gである)だろう。そのくらい気に入ってしまっていた。


 給水を終え、スタッフの方にも別れを告げ、コースに戻る。


 徐々に市街地に近づいていく。沿道の観客の数も一気に増えてくる。それに伴い、私のテンションも急上昇する。


 41kmの通過タイムは、3時間57分38秒。この間の1kmも7分26秒とかかっているが、給水所でサボっていたのだから仕方あるまい。


 大観衆が待ち受ける中、私は声援に応えながら走る。沿道からも、「旭川頑張れ」「北海道頑張れ」と声援が飛ぶ。最後の5kmはもがき苦しんだ。わずか5kmの中で、実にいろいろなことがあったレースだった。しかしそれらの苦しみもすべて吹き飛んでしまう。そう思わせてくれる声援だった。


 声援が私を後押ししてくれる。そのことは41kmから42kmのラップが6分16秒と跳ね上がっていることを見てもよくわかる。


 海峡メッセの前のゴールゲートが近づいてくる。コースの両脇では、大観衆が拍手で迎えてくれる。ここまでの苦労が報われる至福の瞬間であるとともに、楽しかったときに別れを告げなければならない、寂しい瞬間でもある。


 わずか4時間あまりのレース。この間に、いろいろなことがあった。途中で歩きもした。タイムは今年のワーストタイム。仮装したレースを除くと、4時間を切れなかったのは、リタイアに終わった一昨年の北海道マラソン以来である。


 だけど、満足感がある。正直なところ、体力的に完走できるかどうかという不安を抱いてのレースは久しぶりのこと。胆石の手術明けの初フルだった、2004年のオホーツクマラソン以来ではないだろうか。それだけに、こうしてゴールできるということは、それだけで充実感に満たされた。


 いつものように万歳をしながらゴールゲートをくぐる。そしてゆっくり振り返り、万感の思いを込めてお辞儀をする。


Road to SAROMAN BLUE-ゴール


 実はあとで知ったことだが、このお辞儀をしていた頃、私の5秒後にゴールしていたのが呑好児さん。JogNoteで交流はあるものの、これまで会ったことがないため、お互い知らずにいた。あとでナンバーを見ると、たしかに何度も抜いたり抜かれたりした記憶があるのだが・・・。


 フィニッシュエリアで完走証とスポーツドリンクを受け取り、更衣室に向かう。その途中で私を呼び止めた人がいる。昨年の北海道マラソンの前日、福岡のdotsuさんらとともにささやかな前夜祭をやったのだが、そのときにdotsuさんとともに来ていた人だった。何という偶然だろう。いや、先方にとっては地元の大会。そこにいきなり北海道で会った奴を見つけたのだから、さぞかし驚いたことだろう。本当に、走ってさえいれば、日本全国のランナーと会うことができるものだ。


 エスカレーターを利用して4階まで上がる。そして更衣室と指定されているホールの中に入り、着替えを開始する。だが、全身にダメージがあり、動きは面白いくらいにスローモーである。


 Ogakunに電話をしてみると、彼は5kmのレースのゴール後に海響館に行っており、このあとショーを見てから戻ってくるという。私はその間に、ふく鍋をいただくことにする。


 着替えをしている最中、周りのランナーの会話を耳に挟むと、おおむね皆さん、この大会には満足したようだ。九州のランナーと思われるグループなどは、「この大会があれば、アオタイには出なくてもいいな」とまで言っている。青島太平洋マラソンといえば人気大会の一つ。それよりも上の評価(地理的条件もあるのだろうが)を受けているのだ。


 着替えを済ませてメイン会場に向かう。青空が出ており、気温は高そうだ。私はチーム名のPRも兼ねて、楽走412旭川のTシャツを着て、ステージイベントも行われている中、メイン会場内をうろつく。


Road to SAROMAN BLUE-ステージ


 目玉はこれ、ふく鍋だ。これはサロマの前日受付会場のホタテと同様に、地元の方が好意で提供しているもの。数にも限りがあるのでおかわりをできないのは残念だが、疲れた体の隅々にエネルギーが満たされる美味しさだった。


Road to SAROMAN BLUE-ふく鍋


 5kmレース終了後、Ogakunも戻ってきて合流する。荷物をまとめて帰り支度をして、メイン会場を後にしようとしたとき、ちょうど閉会宣言をしようとしているところだった。


 これだけ楽しい思いをさせてもらった第1回下関海響マラソンである。このタイミングで閉会宣言を行われるなら、聞かずに帰ることはできない。私たちは最後まで聞き、第1回大会が無事終了したことをともに喜んだ。


Road to SAROMAN BLUE-海峡メッセ


 期待以上の素晴らしさだった第1回下関海響マラソン。これだけ素晴らしい大会ができた理由の一つには、大会長でもある下関市長がランナーであるという点にもあるだろう。以前、びえいヘルシーマラソンの事務局を担当していた役場職員から話を聞いたことがあるのだが、そのとき彼は、ランナーのことがわからないので、どうすれば参加者に喜んでもらえるかわからないと言っていた。だからランナーの立場で、大会に対する改善要望などをどんどん寄せてほしいと。だから大会によっては、ランナー的視点から見ると、「力の入れどころが違うんじゃないの?」と思える大会もないわけではない。


 しかし下関市長は、自らもフルマラソンを完走した経験を持つ市民ランナー。講演会などのプロフィールを見ると、趣味はマラソンと書いてある。その市長が、10年来の夢だったという大会である。


 どうりで、随所で私の思いと合致する部分を見ることができるはずだ。自分の理想の大会を作ることを夢見た市長。そしてそんな市長の思いを実現すべく、来訪者に対する歓迎の思いを込めて大会づくりをしてくれた大会スタッフの皆さん。そのいずれが欠けても、これだけ素晴らしい大会はできなかたことだろう。


 本州の西端にある下関市。北海道からは、あまりにも遠い。だが、考えようによっては、新千歳空港から福岡に飛べば、下関はそう遠くない。泊りも下関の宿は押さえづらいが、小倉あたりだとけっこう取れたそうだ(小倉から下関はJRで10数分)。来年は、北海道から仲間を引き連れて参加しようか。そう思わせてくれる、素晴らしい大会だった。


 この大会に出るのは、下関を訪れるのは、今回が最初で最後。そう思っていた。


 最初であることは間違いない。しかし、最後になるのだろうか?それは・・・。


(第1回下関海響マラソン完走記 終わり)

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 南風泊漁港は、ふくの水揚げが日本一だという。しかしこのときばかりは、それをじっくりと確かめる余裕もない。今日ばかりは、南風泊を回らずに、まっすぐ彦島トンネルに向かいたかったところだ。


 残り10km。たいした距離ではないはずなのに、32kmを走ってからの10kmは非常に厳しい。それまでの32kmよりも、最後の10kmの方が肉体的にも精神的にも格段に厳しい。それがマラソンだ。


 ここが頑張りどころ。私は必死で走る。相変わらず、応援の人たちが出てくれている。このあたり、なんだかのどかさを感じるような応援風景だ。


 なかなか距離表示が見あたらない。ペースが落ちて時間がかかっているのか?不安な私は一生懸命走る。


 しかしどうやら33km表示を見落としていたようだ。目の前に現れたのは34km表示。一気に2km減ったようで、私は嬉しく思えた。


 一生懸命に走ったおかげだろうか。34km地点の通過タイムは、3時間09分30秒。この間の2kmのタイムは10分48秒。なんと、平均5分24秒で走っている。残り8kmあまり。ここに来てこのペースで走れるなら、4時間という目標をクリアする可能性が急激に上昇する。


 まもなく最後の折り返しがやってくる。折り返しの手前では子供太鼓などの盛大な応援がある。ありがたい。実にありがたい。ここまで走ってきて、この大会の応援からはすごい暖かさを感じる。不慣れなのか、声援に応えるとリアクションが返ってこないこともあった。市街地以外では、応援の人の密度は少なかった。だけど、みなさんが私たちを歓迎してくれる気持ち。あの、下関駅から会場への道、そして会場周辺にたくさん立てられていた、小中学生による手書きの応援幟。それに代表されるように、下関の皆さんが私たち物好きなランナーたちを暖かく迎えてくれる気持ち。それがどこを走っていてもひしひしと感じられる、素晴らしい大会だ。


 最後の折り返しを回る。右膝の痛みは徐々に増してきている。それだけではない。第3折り返しのあたりから、右足裏の痛みも徐々に現れている。マメができたに違いない。しかしもうじき35km地点。経験上、すぐに走れなくなるというほどの痛みではないはずだ。再び子供太鼓の前を、手を振ってお礼を言いながら通過する。


 折り返し点を通過して200mあまり走ったとき、4時間のペースランナーが率いる集団とすれ違った。その差は400m~500m。タイム差は2~3分だろうか。このまま逃げ切ることはできるだろうか。逃げ切れないまでも、追いつかれる地点ができるだけ先になるように、必死で逃げなければならない。


 35km地点の通過タイムは3時間15分24秒。この間の1kmは5分54秒と、かろうじて6分を切っている。北海道マラソンの関門制限時間3時間20分に対しても、4分36秒の貯金がある。もう肉体的には限界が近づいているかもしれない。だがここからは気力の勝負だ。気力が挫けさえしなければ、まだまだいける。多少ペースが落ちようとも、走り続けている限り目標達成に近づいていける。


 声援に応えながらも、意識がもうろうとしてくる。しかし北海道マラソンのときよりはよさそうだ。北海道マラソンでは、35kmを過ぎたあたりからは、意識が朦朧として声援に応えられないこともあった。しかし今は、よれよれの笑顔を見せながらでも、どうにか声援に応えている。


 1kmごとの距離表示が現れてくるのが待ち遠しい。私の頭の中では、すでにカウントダウンが始まっているのだから。


 36kmの看板を通過する。よし、あと6kmあまりだ。少し元気が出る。だが、危うくラップをとるのを忘れてしまうところだった。その通過タイムは3時間21分29秒。この間の1kmは6分05秒と、平坦だったにも関わらず、ついに6分を超えてしまった。


 ここで失速してしまうと、4時間を切れるかどうか微妙になってしまう。もうちょっと、もうちょっと耐えなければ・・・。ところが、彦島トンネルに向かう県道に戻るため、また側道から上っていかなければならない。すでに肉体の限界を感じつつある身には、これは大きな試練だった。


 ようやく側道を上りきる。後ろに続いている4時間のペースランナーとの差は、どのくらいだったのだろう。確認したい気もするが、私はあえて振り向かず、あえて側道を上ってくるランナーを見ることなく、彦島トンネルだけを見ていた。


 彦島トンネル手前にある37km地点を通過する。タイムは3時間27分52秒。この間の1kmは6分23秒もかかってしまった。キロ6分。残りはキロ6分で走りきれば、4時間を切ることができる。今のラップは、側道からの上りがあった分、どうしても余計にかかってしまう。だがここからの1kmは、彦島トンネルの中はずっと下りだ。またラップタイムをあげることができるはずだ。


 私は彦島トンネルに入った。


 しかし、その中には魔物が棲んでいた。(つづく)

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 23kmから24km過ぎまでで、20mあまりの上りがあった。さすがにこうしてアップダウンが続くと、体全体に感じるダメージも大きくなる。だが折り返し点が近づくにつれ、声援も多くなった。


 25km地点の通過タイムは2時間18分17秒。この間の1kmは5分13秒。応援の後押しのおかげか、すれ違った仲間たちからもらった力のおかげか、ペースが上がっている。なかなかコンスタントには走れていないけど、休むときはペースダウンし、テンションが上がるとペースアップする。この走法、意外と使えるかもしれない。


 コースは左に曲がり、長州出島に向かう連絡橋に入る。緩やかに上り、そして下っていく。その下りの途中が折り返し点。これで4つの折り返しの3つをクリアしたことになる。そして今来た道を折り返す。


 連絡橋を後にすると、再びアップダウンを繰り返す道だ。いつの間にかどんよりと雲がたれ込め、霧雨のような雨も降っている。雨は降らないと決めつけて、コンタクトレンズを使わずメガネをかけて走っているので、本格的に降られてしまうと視界を失ってしまう。ただ、気温がさほど上がっていないことは、多くのランナーにとっては救いだったのではないだろうか。私としてはもうちょっと暖かくなってくれた方が走りやすかったのだが・・・。


 26km通過タイムは2時間24分21秒。この間の1kmは6分04秒。急な上りが始まったのも確かだが、上りそのものよりも体に蓄積されたダメージの影響が徐々に出てきたようだ。


 ラップが6分を超えると目を覚ます(笑)。加えてこのコース、沿道を観衆が埋め尽くしているわけではないが、適度な間隔で市街地を通過する。しんどくてペースが落ちかけているところで沿道の声援を受けると、復活してペースがあがる。27kmの通過タイムは2時間29分32秒。1kmラップは5分11秒と跳ね上がった。


 振り返ってみると、このあたりが私のピークだったかもしれない。余力がないため、自分の力の80%とか90%で調整して走ることはできない。もはや全力でしか走れない。そのためペースが乱高下してしまう。あと15km。私の頭の中では、勝手にカウントダウンが始まった。


 ここまで、給食所では必ず何かを食べてきた。あんパンのあるところではパンを。ないところではバナナを。今朝は食欲がなくて朝食をあまり食べられなかった。小さい茶碗で1膳のご飯。通常のレース当日の朝食と比べると、3分の1である。スタート前にウィーダーインゼリーとアミノバイタルゼリーを食べたが、ガス欠の不安はある。だから給食所では、必ず食べ物を摂るようにしていた。


 にもかかわらず・・・腹が減ってきた。腹が減る=ガス欠というわけではない。だがこの空腹感は、ガス欠の不安を増幅させた。目の前に近づいてくる給水所。しかしそこは文字通り給水所だった。水とスポーツドリンクだけ。ここまでは水をとってきた私だったが、少しでもエネルギーになるようにと、スポーツドリンクを取った。


 下りはまだまだ続いている。私は重力に逆らわず、無駄にブレーキをかけず、坂道を駆け下りる。28kmの通過タイムは2時間34分56秒。この間の1kmは5分24秒と、まだまだいいペースを守っている。


 28km地点を過ぎると、いよいよ彦島大橋に向かう上り坂が始まる。コース図に描かれた目立つアップダウンは、これが最後である。これさえ越えれば・・・と、自分を奮い立たせる。


 70kgを超えたまま、一向に減ろうとしない体重が恨めしい。上り坂を楽に走るためにも、あと5kg減量しよう。このときだけは、強い決心をする。問題はゴール後もその強い気持ちを維持していられるかどうかだ。


 その体重の故か、右膝にも痛みが出てくる。でも、むしろこのアップダウンの多いコースで、今までよくもってくれたというべきだろう。あと10kmあまり。だましだまし走ることは可能なはずだ。


 29km地点の通過タイムは2時間40分39秒。この間の1kmは5分43秒。大丈夫。この上り区間で6分を切れるということは、まだまだしっかりと走れている証拠だ。9月10月とまともな練習ができていない。にもかかわらずこれだけの走りができるということは、これまで何年も積み重ねてきた練習の賜物だろう。大丈夫。行けるぞ、自分。


 30km地点の手前に給水所があった。今度こそ食べ物もあるか、と思ったが、水だけだった。仕方がない。次の給食所を目指そう。まだガス欠の症状が出てきているわけではない。


 30kmの通過タイムは、2時間46分42秒。この間の1kmは6分03秒と、またも6分を超えた。この区間も上りだから仕方がない。とは思うものの、往路と比べて疲労度はかなり増しているということは、私自身気づいていることだ。


 北海道マラソンの30km関門は、2時間52分。まだ5分以上の貯金があることになる。ここまでこんなペースでこれるとは、レース前には考えられなかったことだ。しかしマラソンは30kmから。30kmまではウォーミングアップ。ここからが本当の勝負が待っている。ここからが本当の苦しさが待っている。


 30kmを過ぎてしばらくすると、彦島大橋が見えてくる。もう一息。もう一息で、このコース最大の難所に到達する。まだ元気に走っていた往路でさえきつかったこの橋。復路ではさらに私の前に立ちはだかっている。


 橋を渡っていても、もはや響灘を眺める余裕もない。私の視線は、まっすぐ前しか見えなくなっている。肉体的には限界が近づいているのかもしれない。しかしあとは精神力の勝負だ。ダメだと思った瞬間に足は止まる。それはこれまでの経験上、よくわかっている。だからどんなに苦しくなっても諦めないこと。最後までしっかりとゴールだけを見つめていること。


 彦島大橋の上で、31km地点を迎える。2時間52分48秒。この間の1kmは6分06秒。残り11km余りという距離を考えると、少なくともキロ6分以内をキープしていないと、サブフォーは難しいのではなかろうか。このあと下りになる。なんとかペースを上げなければならない。


 彦島大橋を渡り終えて間もなく、給水所があった。今度こそ食べ物がありそうだ。私は探しながら走る。


 途中、なんだか小さい紙コップが並べられていたテーブルがあった。何気なく通過してから気づいた。


 そうめんだ!


 しかし、気づくのが遅かった。私はすでにそのテーブルを通過していた。


 一瞬、戻ろうか?と思った。しかしこの状況で逆走するのは危険である。私は泣く泣くそうめんをあきらめた。


 32km地点を2時間58分42秒で通過する。この間の1kmは5分54秒と、かろうじて5分台をキープする。だが、下り基調だったことを考えると、物足りなさが残ってしまう。


 目の前には彦島トンネルも見えている。往路では彦島トンネルからまっすぐに彦島大橋を目指していった。しかし復路では、側道を降りて南風泊へと向かう。私は側道を駆け下りていった。(つづく)

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