セカンドビギナーのゆるラン日記

40代はそれなりに記録をめざし、ウルトラマラソンをめざし、走っていました。しかし還暦近くなると、体のあちこちが痛くなり無理が効きません。そこで走る目標を変えて、ゆるゆると走ることにしました。そんなゆるランの様子を書いていきます。   by Ogaman(おがまん)


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 私の選挙区には面白い候補者ポスターがある。目も表情も笑っていないのに、歯茎だけをむき出しにしている写真。あれ、本人や周囲の人は笑顔を作っているつもりなのだろうか。私にはどうしても笑顔には見えない。


 おそらく真面目な人で、普段から笑ったことなんかない人なんだろうね。だから笑顔を作ることもできず、あんな顔になっちゃうんだろうね。でも無理にあんな歯茎をむき出しにした写真を撮るよりも、真面目な顔で撮った方が印象がよくなるんじゃないだろうか。私の場合、あんな顔を見せられたら、そうまでして作り笑顔を見せようとするあたりにうさんくささを感じてしまう。


 だけどねぇ、あの写真本人がよほど気に入って使っているのだろうか。もしも私が選対スタッフだったりカメラマンだったりしたら、身を挺してでもあの写真の使用は阻止したいと思うけど・・・。


 では、講演原稿の続きです。


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 さて、100キロもの距離を2本の足で走るなどという、普通の常識を持ち合わせている方なら挑戦する気も起きないようなレースで、私がなぜ完走できたのでしょうか。自分なりにいろいろと考えてみました。そして出た結論がこれです。練習と運と思いこみです。


 まず練習。これはランニングをされない方でもわかりやすいと思います。5キロくらいのレースならば、練習をしないでぶっつけ本番でもどうにか走ることができます。でも100キロともなるとそうはいきません。走れる体を作るための練習が必要となります。


 通常の私の練習内容は、仕事が終わった後で5キロから10キロ。休日にはもう少し長い距離を走っていました。週に1、2日は休む日を作り、だいたい月に200キロ前後走っていました。


 サロマの準備として、この練習量を増やしました。5月の月間走行距離は350キロを超え、これまでの自分の新記録でした。トータルの距離ばかりではなく、1度に長い距離を走る練習もしました。4月には旭川から富良野までの60キロ走。5月に入ってからは札幌で24時間走の大会にも出て、24時間で90キロを走りました。ほかにも天人峡まで45キロを走ったりしていました。今までフルマラソンを走るための練習としては、練習で1度に走る距離は長くて35kmしか走ったことがありませんでした。しかし100kmを走るとなると、それ以上の距離に体を慣らす必要があるだろうという考えでした。ただこのあたりの兼ね合いが難しく、ただ走ればいいというわけではありません。練習量を増やすと故障する危険性が高まります。そこで、通常よりは強度を落とし、つまりは走るペースを落として長い距離を走るよう、練習内容も変更しました。


 そのようにして、ウルトラマラソンに対応できる体をこさえていきました。


 さて2番目に上げた運です。もちろん100キロを13時間で走るなどということは、運の力だけでできることではありません。しかし私のように完走できるかどうかのボーダーラインにいるランナーにとっては、運を味方につけるか否かで、結果は大きく変わってくるということをこれまでも経験しています。そんな私に今回は大きな幸運がありました。


 それは、一生懸命に歩くことができたということです。


 私のこれまでのマラソン人生において、歩くということは敗北を意味していました。息子と一緒に走った親子ペアで歩いたとき。私は屈辱感でいっぱいでした。初フル、そして2度目のフルで歩いてしまったとき、私は恥ずかしくて声援してくれる人の顔をまともに見ることができませんでした。


 ところが5月に出た24時間走の大会。ここで私はそんな思いが吹っ飛びました。だってぶっちぎりの優勝者も歩いているんですから。まあ、24時間でどれだけの距離を走るか、もちろん歩いてもいいのですが、そんな大会ですから、コース上に長時間いるというのが距離を稼ぐ秘訣なわけです。さすがに24時間休まずに走ることは大変ですから、コース上で歩きながら休むんですね。そんなのを見ていると、そうか、これは今まで自分が走ってきたのとは違う世界なんだ、と思えました。私もこのときは何の抵抗もなく最後の10キロは歩くことができました。


 また、私の高校時代の親友にやはりランナーがおりまして、彼はサロマを過去3回くらい完走していますし、特に昨年はサブテンといわれる、10時間切りでゴールした優秀な市民ランナーです。で、彼が私もサロマに初挑戦をすると知ったときに、彼が昨年のサロマを完走したときに書いた完走記をくれました。その中にも、彼は上り坂では積極的に歩いたと書いてありました。歩く方が疲れも少ないし、下手をすると無理して走るよりも速く歩くことができるというのです。


 また別のネット仲間は、80kmを過ぎると関門の時間は緩くなり、歩いても完走できるようになる。そのあたりは残り時間を十分に計算しながら走った方がいいとアドバイスをいただきました。


 またあるウルトラランナーは、どうせ歩くなら、走れるうちに歩いた方がいいと言ってます。というのも、走れなくなってから歩くのでは、もはや速歩きもできなくなっています。でも走れるうちに速歩きに切り替えるとある程度のスピードで長く歩けるので、結果的にはその方が好結果が出るというのです。こういう話を聞くうちに、歩くことへの抵抗がなくなり、むしろ戦略的には積極的に歩きを取り入れようと思っていました。そこで私も上り坂は積極的に歩くことができたのです。それだけではありません。74kmを過ぎて平坦なところでも歩き出したときも、「これは戦略的に歩いているんだ」と自分に言い聞かせ、モチベーションを保ったまま歩くことができたのです。これが以前のように歩くことを敗北ととらえていたら、キロ9分台の歩きはできなかったでしょう。無理して走り続けていたら、足が攣ってしまってそこで終わっていたかもしれません。歩くことに対する抵抗感を失っていたこと。これは非常に幸運でした。


 私は74kmで歩いていなければ、今回のサロマを完走することはできなかったと思っています。で、この運を手に入れることができたのは、インターネットを始め情報のチャンネルを広げておいたおかげで、これらの情報を入手できたおかげだと思っています。情報化社会といわれて久しいですが、生きた情報を手に入れていかすということは、事の成否に重大な影響を及ぼすものと改めて実感しました。


 さて、最後にあげた思いこみです。私が大きなレースに臨むときは、まず気持ちを高めるところから入ります。昨年の北海道マラソンの前の日、中島公園で私は1人の走友と会いました。そのとき彼はこう言いました。


 「気持ちだけでは走れないけど、気持ちがなければ走れない」


 それはまさしく、私がレースに臨むときの気持ちと同じでした。ここで私がいう気持ちとは、いわゆるスポ根ものの根性ともちょっと違います。むしろもっと弱々しいものと写るかもしれませんが、とにかくゴールしたいという一心。根性というよりも、いやだよ~、やめたくないよ~という駄々っ子にも似た往生際の悪さ。それが土壇場では役に立っています。ゴールをしたいという強い気持ちを持つこと。これはレースに臨む上で、むしろ走る練習以上に私は重視しています。


 そんな気持ちを高めていくために、私はこのブログを利用しました。この中で、ときには同じようにサロマに挑戦しようとしている仲間に向けて檄文も書きました。でもそれは、本当はついつい弱気になってしまう自分に向けた言葉でした。


 私の尊敬するランナーの1人に、ランニングライターの夜久弘さんという方がおられます。昨年のサロマで10度目の完走を果たし、サロマの100kmを10回完走したランナーに与えられるサロマンブルーの称号を手にされた方です。夜久さんがその著書の中でこのように書かれています。


 ぼくはウルトラマラソンにおいて完走するか否かにさほど重要な意味があるとは思っていない。また、そう発言もしてきた。けれどもこれには前提がある。スタートラインに立ったときには必ず完走する意志を持つことである。ときどき「行けるところまで行けばいい」と口にしているランナーに会うことがある。最初から完走の意志を持たないで走り出して、リタイアするのと、完走の意志を持ちながら途中で力尽きるのとでは比較にならないほどの差がある。これだけは肝に銘じてほしい。


 これ、私も経験があります。たとえば「今日は30kmまではキロ5分30秒のペースで走りたい」と思って走ったとします。そういうときは、ほぼ確実に30kmで失速します。それと同じで、「行けるところまで」という気持ちで走ると、なかなかゴールまでモチベーションを維持することはできません。


 また、私はあえて自分を追い込む作戦をとることが多いのです。このスピーチを引き受けたこともそうでした。完走したらスピーチをお願いしたいと言われたとき、私は二つ返事でお引き受けしました。ともかく完走しなければならない理由を作りたかったのです。自分のブログの中でも「完走する」と何度も宣言しました。そして極めつけは6月9日の北海道新聞地方版の「人」というコーナーで、100キロマラソン完走を目指す、として紹介されてしまったことです。この効果は絶大でした。会う人会う人「見ましたよ」と声をかけられてしまい、ゴールしないと帰って来れないのではないかと思える状況になってしまいました。


 面白いもので、これだけ完走する完走すると言い続けて、ワッカ原生花園を走る自分の姿、万歳をしながらゴールをする自分の姿を常に思い浮かべていると、「完走したい」という気持ちから、「完走できる」と、いわば自己暗示にかかったような状態になります。私は「自分は完走できる」と思いこんで、完走する意志を持ってレースに臨みました。走っている最中に体が動かなくなってきたときなど、不安な思いも胸をよぎりましたが、一瞬たりとも自分の完走を疑いませんでした。もしも疑う気持ちが起きていたら、その瞬間に私の足は止まっていたかもしれません。そしてその結果、ゴール閉鎖時間の5分24秒前にゲートをくぐることができました。


 以上、練習と運と思いこみということで、完走の要因を3つあげさせてもらいましたが、ハードルの高いレースであればあるほど、この3要素が揃わなければ私クラスのランナーでは完走もおぼつきません。


 一昨日の北海道マラソンは、思いこみの部分では自己暗示をかけ、テンションを高め、沿道の力をもらいながら走ったつもりだったのですが、サロマの大会で膝を痛めてしまった影響もあり、如何せん練習不足でした。7月の走行距離は53km、8月に至っては25km。それでもサロマに向けた練習の効果がまだ残っているだろうという思いで走ったのですが、そんなに甘いものではありませんでした。20kmを過ぎると足が重くなってしまい、練習不足のためマラソンを走れる足ができていないということを思い知らされました。しかも足が動かなくなったときに、私は完走できないなと思ってしまいました。そのとたんに失速し、92レース目での初リタイアです。今にして思えば、思いこみの部分でもサロマのときと比べると全然及ばなかったようです。ただこのレース、先ほどお話ししたサロマの90キロ関門に本能だけで向かっていくランナーの姿が脳裏に浮かび、自分は30km関門は通過できないとわかっていても、自らレースを放棄することを許してくれませんでした。29キロ過ぎで係員に止められるまで、ボロボロになりながらもしつこくコース上に残っていることができ、その点では納得のレースとなりました。


 先ほどお話しした夜久さんの言葉に、リタイアは感動の貯金という言葉があります。来年こそはサロマを走っても簡単に壊れないような足を作って、サロマ同様の完走する強い意志を持って、サロマも北海道マラソンも両方とも完走して2年分の貯金をおろせるよう、また楽しく走り続けたいと思っています。


 10月9日に開催される旭川マラソンでは、競技場から石狩川の河川敷のコースにかけて私たち楽走412旭川のメンバーが黄色い幟と黄色いウェアで賑わすと思いますので、もしも見かけましたらうちのチームのメンバーにもご声援をお願いいたします。ご静聴ありがとうございました。


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 今日の練習内容


 なんとかキロ5分を切って10kmを走ろうと思ったのだが、切れたのは最初の1kmだけ。あとは落ちる一方だった。確かにこれまでの練習では、キロ6分を切って走ることすらほとんどなかった。そう考えると、これでも十分に速いのだが、ステップアップするためには4分台で走れるようにならないと・・・。また頑張ろう。


 今日 10.2km   今月累計 57.4km

 ラップ 4’55”-5’03”-5’13”-5’13”-5’30”-5’31”-5’27”-5’12”-5’32”-5’32”-1’08”


 体重 68.2kg   体脂肪 13.0%

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 私の家と職場で使用しているPCの壁紙。1年ほど同じ画像を使っている。昨年の北海道マラソンのゴール直後、完走した仲間10人で撮った写真である。今年はこの中で、私を含めて5人が途中リタイアとなった。いかに今年の北海道マラソンが厳しいレースだったかを物語っている。


 本当は今年も同じような写真を撮って飾りたかったのだが、それもかなわないこととなってしまった。しかしいつまでも昨年の写真を使っているわけにもいかないので何かいい写真はないかと思ったら、サロマでゴール後に撮った集合写真があった。ということで、今日から壁紙を変更して、心機一転を図ることとした。


 それでは、昨日の続きです。


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 さて、サロマ湖100kmウルトラマラソン当日です。天候にも恵まれた中でスタートしました。私は後方からのスタートとなりました。これから13時間も走るというのに、1分2分のスタートロスを嫌がって前に並んでオーバーペースに巻き込まれるのが嫌で後ろに並んだのです。そんなこともあって、号砲から2分あまり経過してからスタートラインを通過しました。しかし後になってから、この2分の大切さというものを嫌というほど思い知らされることになります。


 私はほぼ想定通りのペースでレースを進めることができました。1kmを7分のペース、つまりは10kmを70分前後で正確に刻んでいきます。10kmは1時間7分49秒、20kmは2時間17分55秒、30kmは3時間27分23秒、40kmは4時間38分23秒、そして最初の関門である42.195kmは4時間54分34秒で通過し、関門閉鎖までは30分あまりの余裕がありました。54km地点にあるレストポイントの緑館では10分ほど休憩して、60km関門は7時間07分41秒で通過しました。ここまでは緑館での休憩を除くと10km70分のイーブンペースで走る、完璧なレース展開です。60km関門でも閉鎖まで30分近くの余裕があり、この先徐々に関門が緩くなっていくことを考えると、こりゃあ完走できそうだ、と思うようになってきました。ちょうどここらがランナーズハイのピークでもありました。


 ところがそんな簡単なものではありません。私自身はまったく同じように走っているつもりなのに、だんだんペースが落ち始めました。給水所で休む時間も長くなってきました。50kmを過ぎてからは1kmごとの距離表示があるのですが、これが間違っているのではないかと思えるくらい1kmが長く感じられるようになってきました。


 考えてみれば、大会前の練習やレースの中で1日に最高に走った距離は60km。4月に旭川から富良野まで、そして5月には24時間走の大会 で1日目に60kmを走っていました。しかしここからは私の知らない世界だったのです。それまでの甘い気持ちがうち砕かれて、一転して苦しい闘いとなりました。


 とたんに弱気の虫が首をもたげます。関門の時間を考えると、ここから歩いたとしても70km関門はクリアできそうです。レース前に経験者から話を聞いたときは、この70km関門のあたりがもっともリタイアする選手が多いところと聞きました。そうであれば、初出場で70km関門まで到達できたということは、よくやったと言えるのではないか。そんな魔女の囁きが私の頭の中に響きます。


 折しもそこは魔女の森です。65kmの手前から約2kmにわたって続く森の道は、それまでずっと日陰のないコースを走ってきましたので一瞬の安らぎを得られる森の道なのですが、ここには魔女が住んでいて、その囁きで旅人の足を止めてしまうのだそうです。


 それは強烈な囁きでした。私もここで思わず足を止めてしまいそうになりましたが、まだしっかりと完走したいという気持ちが残っていました。体が動かなくなったのならばやむを得ません。でも体は大丈夫。あとは気力の問題です。せっかくここまできたんです。もしも来年再挑戦をしたとしても、間違いなくここまで来れるという保証は何もありません。せっかくここまできて自ら完走のチャンスを放棄するなんて、もったいなくてできませんでした。こうなると往生際が悪いというのもいいものです。


 ペースは落ちましたが、しっかり走り続けました。70km地点は8時間25分57秒で通過。10km80分近くまでペースは落ちましたが、関門閉鎖時間までまだ約20分の余裕が残っていました。貯金を吐き出しながらも少しずつ、確実にゴールが近づいています。しかし74km地点の看板から、とうとう私は歩き始めました。


 それまでも上り坂では歩いていましたし、給水給食のエイドでは足を止めて飲食していました。上り坂は早歩きで上った方が疲れないし、スピードも走るのとはたいして変わらないというアドバイスを受けていたからです。だから上り坂に差し掛かると、「やった!歩ける!」と嬉しく感じていました。ところがついに、平坦な74km地点でも歩き始めました。とりあえず1km歩こう。キロ何分で歩けるかを確認し、それによってこのあとの作戦を考えよう。そう思って75kmまで早歩きで行きました。75km地点まで9分50秒。とりあえず10分を切れたことで一安心しました。


 75kmから再び走り始めましたが、一度歩いてしまったことでなかなか走り続けることができなくなってしまいました。ここからは歩いたり走ったりの繰り返しとなってしまいました。


 何度時計を見たことでしょう。容赦なく80km関門の時間が迫ってきます。走ってさえいれば、間違いなく80km関門はクリアできる。だというのに走り続けることができません。走りと歩きを交えながらワッカ原生花園に入る急な上り坂を上り終え、80km関門に到達したのは9時間54分33秒。閉鎖時間のわずか5分27秒前でした。この頃にはスタートでの2分のロスタイムも返して欲しいというような気持ちになっていました。


 多くの先輩ランナーから、80km関門を越えると完走の確率が高まると聞かされていました。50km以降は10kmごとに関門が設定されていますが、これが80km関門を越えると、10キロを90分で走れば90kmも、そしてゴールも制限時間に間に合うようになります。


 このコースは、大変面白いコースです。ゴールの常呂町民センターまであと2kmという地点に到達してからワッカ原生花園に入って、延々と約9kmの道を進み、折り返してきます。ゴール目前まで来てからさらに20km走るというのは、精神的にはつらいものもありますが、先行するランナーとすれ違うことができるという喜びがあります。80km関門を越えたときすれ違うランナーは、97km地点を越えたランナーです。実に17kmも先行しているランナーともすれ違うことができます。ここで多くのランナー仲間とエールを交換しながらゴールを目指すことができる、最後の最後で力を絞り出すことができるコースです。


 ワッカ原生花園の中は小刻みなアップダウンがあります。上りと下りは歩いて、平坦なところは走って進みました。すでにふくらはぎは両方とも攣る寸前になっていまして、下り坂も走れる状態ではなくなっていました。


 88kmを過ぎて第2湖口に架かる橋を渡ったところに折り返し点があります。折り返してからすれ違うランナー達は、私以上に関門制限時間との闘いを繰り広げているランナーです。その中にも仲間がいます。これまですれ違ったランナー仲間が私にそうしてくれたように、私も仲間に大きな声でエールを送って進みます。


 90km地点は11時間21分01秒で通過しました。関門制限時間までは約9分。貯金は少し増えました。しかし私はここで衝撃的な光景を目にしました。


 反対側を走っていたランナーが係員に止められました。そちらは87km地点。目の前にある90km関門と、本当は3kmも離れています。残り時間は9分弱。この時間で3kmを走るのは、実業団選手でもないと不可能です。87kmも走ってきて無情にも止められる。しかしこれが私の身の上に起らないとは限りません。ちょっとでもアクシデントがあればゴールへの道は閉ざされてしまう。私自身、そういう状況で走っています。


 それからも前方からランナーはやってきます。みんな関門時間はわかっているはず。当然完走できないことはわかっています。それでもよれよれになりながらも前に向かって進まなければならない。道ばたに腰をおろして膝を抱えて収容車を待つことができない。悲しいランナーの性がそこにありました。そんな姿を見ていると涙が止まらなくなりました。そして私も絶対に自分から前に進むのをやめはしないと、心の中で彼らに誓いました。


 しかし私は90kmを過ぎてから、とうとう走れなくなりました。走れないことはないのですが、平坦なところを走っていてもふくらはぎが攣りそうな状態になってしまったのです。ここでそんなアクシデントが起ってしまってはすべてが台無しになってしまいます。幸い早歩きをする分にはまだ大丈夫でした。


 92km地点を通過したとき、ゴール閉鎖までの残り時間が80分をわずかに超えていました。残り8kmを80分。1kmを9分台で歩いていますから、残り距離をすべて歩き通しても間に合います。ようやく目の前にゴールテープが見えてきたような気がしました。しかしまだまだ油断はできません。足は攣らないか、突然お腹がゴロゴロ鳴り出したりはしないか。アクシデントへの不安もますます高まってきます。


 そんな不安と闘いながらワッカを抜けて、いよいよゴールが近づいてきます。ゴール前数百mの地点からは沿道を町民やゴールした選手達、また応援に来てくれた人たちが埋めて、声援をしてくれています。その中を、私はまた走り出しました。ずっと休んでいた足は、このときを待っていたとばかりに、軽快に動いてくれます。大勢の観衆の声援に手を振って応えながら歓喜のゴールを果たしました。12時間54分36秒。ゴール閉鎖タイムまでわずか5分24秒という、きわどいゴールでした。(つづく)


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 今日の練習内容


 台風接近のため雨が予想されたので、今日は久しぶりに社会保険センターへ行こうと思っていた。しかし、季節の変わり目には必ず風邪で体調を崩す、虚弱体質の私(笑)。体調不良で真っ直ぐ帰宅した。

 なにせ社会保険センターへ行っても、トレッドミルしか使わない私。ガラスの膝の強化のため、社会保険センターではむしろ筋トレを主体にやっていくようにしよう。


 さて、講演の方はいよいよ明日が最終回です。

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 それでは、お約束しておりました8月30日の講演原稿を載せさせていただきます。当日の講演の概略版につきましては楽走412旭川 のHPに載せておりますので、こちらでは最初に用意したフルバージョンの原稿をアップすることにします。ちょっと長いので3回くらいに分けて連載することになると思いますので、よろしくお付き合い願います。


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 ただいまご紹介に預かりました楽走412旭川 というランニングチームで広報部長をしております○○です。本業は×××××というところにおります。実は私はランナー仲間の間では、○○というよりも「おがまん」という名前で通っております。というのも、ご紹介いただきました楽走412旭川 のホームページの他、Ogamanファミリーのランニング記録 というHPを3年前から開設しておりまして、この「おがまん」というハンドルネーム、まあネットの世界では本名ではなくそれぞれがこういうニックネームのようなもので呼び合うわけですが、ランナー仲間の間ではこちらのハンドルネームの方が有名になってしまったという次第です。


 最初にお断りしておきますが、実は私は感激屋でありまして、目標としたレースでゴールして泣く、というのがまあ私の特徴となっております。そんなこともありまして、これからいろいろなレースを振り返ったときに、しゃべっている最中に感極まって涙する、なんていうお見苦しい場面があるかもしれませんが、最初にそのことをお詫びしておきます。


 一昨日札幌市で行われた北海道マラソンでは、29km地点でタイムオーバーとなり生涯初の収容車のお世話になってしまいました。したがってこのようなところでお話しするのは気が引けるのですが、今日は6月に走りましたサロマ湖100kmウルトラマラソンのことを中心にお話しさせていただきたいと思います。


 さて、ただいまご紹介いただきましたように、私は今年の6月26日に行われたサロマ湖100kmウルトラマラソンで制限時間ギリギリで完走を果たしたわけですが、ご覧になってわかるとおり、私はどこにでもいる普通の人間です。特に華々しい運動経験があるわけではなく、むしろ不健康の極みといったところからランニングの世界に入りました。


 中学生のときにはバスケットボール部に所属しておりましたが、本格的に運動をやったのはこの3年間だけです。その後は運動には全く縁がありませんでした。それでも175cm、63kgというスリムな体型を維持していたのですが、25歳で結婚したのを境にぶくぶく太り始め、ピーク時には体重も80kgになってしまいました。しかも1997年の2月に1ヶ月間の入院と1ヶ月間の自宅療養を余儀なくされました。病名は抑うつ状態で、仕事に復帰してからも抗うつ剤のお世話になる生活が始まりました。


 私が初めてマラソン大会に出場したのは、1997年6月のびえいヘルシーマラソンです。その前の年、1996年の12月に故郷である美瑛に家を建てて引っ越していたものですから、地元の大会に当時小学校3年生の息子と親子ペアで出場しようと思ったのです。ワンエイツ、5.27kmのレースにぶっつけ本番で出場し、途中で歩きそうになる息子を叱りつけながら、このときは34分台でゴールしました。


 1998年も一緒にでたのですが、サッカー少年団に入っていた息子は前年とは別人でした。前年よりも遙かに速いペースに、どうにかついて行けたのは3km付近まで。その後は歩いてしまいました。親子ペアですから一緒にゴールしなければなりません。息子はゴール前で、5分以上も私の到着を待っていたそうです。


 翌年、1999年も同じでした。この年はいくらかトレーニングをしていたのですが、所詮は付け焼き刃です。3.5kmくらいまではついていったものの、あとはやはり歩いてしまいました。ゴール前100mの地点で待っていた彼は、私の手をつかむなり何も言わず全力で私を引っ張ってゴールに向かいました。その彼の走りが、私の気持ちに火をつけました。彼の全力疾走は、だらしない父親に対する無言の抗議と思えたのです。


 それから本格的にトレーニングを開始しました。でも最初のうちは大変でして、練習で1kmを走るのも大変でした。ときには半分も走れずに歩いて帰ってくることもありました。それでも徐々に走れる距離が延び、そうなるとだんだん面白くなってきました。ヘルシーマラソンの1ヶ月半後。ふらのへそマラソン の5km。これが私の再デビュー戦です。どうにか歩かずに走りきりました。


 徐々に長い距離を走れるようになり、その後もいくつかのレースに子供達とともに出場しました。そしてこの年の最後には10kmレースにも出れるようになりました。


 迎えた2000年のヘルシーマラソン。やはり3km過ぎで彼から遅れ始めます。心配そうに振り返る彼に、「必ずついていくから、自分のペースで走って行け」と叫びました。そして結局100m余り遅れましたが、歩くこともなく彼の汗がひかないうちに一緒にゴールしました。彼が私を待っている間に2組のペアに抜かれたのですが、23分台でのゴールで最終リザルトは10位。この大会は10位までが入賞でしたので、ぎりぎりで入賞するというおまけ付きでした。


 その頃は、私自身すっかり走ることにはまっていました。いつしか抗うつ剤を飲むのもやめていました。病院へ行く時間があったら走りたくて、病院へも行かなくなっていました。走る練習をするようになってからは、それまで仕事帰りには必ずと言っていいほど寄っていたパチンコ屋にもぴたりと行かなくなり、走る練習をするようになりました。この年の秋にはハーフマラソン、そして翌年はフルマラソン に挑戦、2003年には出場すること自体が憧れだった北海道マラソンにも挑戦 し、そして今年、走り始める前は想像すらしなかったウルトラマラソンに挑戦するに至ったというわけです。


 でも、その間も順調な道のりばかりではありませんでした。2001年の3月には痔の手術で2週間余りの入院、さらに昨年3月には胆石のため、胆嚢の摘出手術を受けました。


 一昨年の秋に7年ぶりくらいで人間ドックを受診しました。運動をしているということで、生活指導などはまったく問題ないはずと気楽な気持ちで臨んだのですが、ここで指摘されたのが充満型の胆石でした。特に痛みがあったわけでもないので悩んだのですが、心配事を抱えて走るのも気持ちよくないので、8月末の北海道マラソンには間に合ううちにと、昨年の3月に322個の石が詰まった胆嚢を摘出しました。


 8月には北海道マラソン があります。この北海道マラソン というレースは、私にとっては容易に完走できるレースではありません。5kmごとに関門が設定され、平均すると5kmを28分以内で走らないとつかまってしまいます。単純に計算すると、フルマラソンをおよそ4時間以内で走らないと、関門で捕まってしまいます。私の自己ベストは前の年の北海道マラソン で記録した3時間50分18秒です。このときでさえ、25km地点手前の第2折り返しを回ったら、私の数百m後ろに終末車がいるという恐ろしい光景を見ながらの完走でした。ですから手術後5ヶ月の夏のマラソンで自分のベストに近いタイムを出せるのかどうか。不安でたまらなかったのですが、結果的には3時間56分36秒で完走 できました。


 ウルトラマラソンをはっきり意識しだしたのは、北海道マラソンを初めて完走した 頃からです。実はこのとき、「北海道マラソンを完走できたら、来年はサロマに挑戦するよ」と言ってたのです。このときは1回くらい北海道マラソンを完走できたからって挑戦できる甘いものじゃないだろうと思って断念したのですが、次はウルトラマラソンという思いが現実のものとして思えるようになりました。昨年の北海道マラソン も万全の状態でない中でも完走できたということで、いよいよサロマに挑戦しようと決意しました。


 しかしそれも長くは続きませんでした。昨年10月の旭川マラソン で私はふがいないレースをしてしまいました。タイムも4時間6分台と不本意だったのですが、何よりも2度目の北海道マラソン完走に慢心してしまい、フルマラソンを甘く見て走ってしまったこと。その結果、気持ちが十分に入っていないレースをしてしまったこと。そのことが許せず、すっかり自信を失ってしまいました。この時点で、私はそれまで自分のHP上でも宣言していたサロマ挑戦を白紙撤回してしまいました。


 転機が訪れたのは、昨年の暮れ、札幌で行われたランナー仲間の忘年会です。2次会の店でたまたま私の前には、昨年のサロマの100kmの部で初出場初完走をした2人の仲間がすわってサロマのレースについて語り合っていました。その話を聞いているうちに、私も同じ舞台に立ってみたいという気持ちがどんどん強くなってくるのを感じました。


 そして迎えた1月25日。実はこの日は私の45回目の誕生日でした。ランナーズという雑誌があるのですが、このバックナンバーを見ていたら、2年前のサロマで初完走をしたネット仲間の完走記 が載っていました。彼女はそのさらに2年前、つまり今から4年前のサロマに初挑戦したものの55キロ関門で引っかかり、捲土重来を期した3年前のサロマでは、なんとレースの数週間前に脳下垂体腫瘍が発見されてドクターストップ。レースに出場したご主人や走友たちの応援をした翌日に入院し、そして手術を受け、一昨年みごとに初完走をしたという人です。これを見たら、私は涙が止まらなくなりじっとしていられなくなりました。そうだった。彼女は走りたいのに止められて、しかも大手術を乗り越えて、それでもくじけずこの偉業に挑戦し成し遂げていたのだった。それにひきかえ自分はどうなんだろう。たった1度の失敗で自信を失い、完走する自信がないからと、挑戦することすら諦めようとしている。完走する自信がついてからエントリーしようなどと思っていたら、一生エントリーできないに違いない。そう思った瞬間、私はPCに向かい、ネットからエントリーの手続きをしていました。参加料14000円は通常のレースでは3000円前後ですから、非常に高額です。でも、この歳になると誰も誕生日のプレゼントなどくれませんので自分から自分への誕生日プレゼントとしてエントリーしました。


 エントリーしてからは、何事においてもサロマを意識するようになりました。エントリーから2週間後の2月7日にはRoad to SAROMAというブログを開設しました。ブログとは何か簡単に解説しますと、双方向にやりとりができるネット上の日記のことです。ネットで日記を公開し、それを見た人がコメントを書けるようになっています。従来からHPを開設して日記を書いていたのですが、サロマに向けて専用のブログを開設し、ここで練習内容や考えていることを公開することで、モチベーションを高めにかかりました。(つづく)


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 今日の練習内容


 今日は中学校の文化祭のバザーの実行委員会。その前に10kmほど走ろうと思ったが、なんだかんだとバタバタしてしまい結局5km。どうにかキロ5分を切って走ろうと思ったのだが、切れたのは最初の1kmだけ。暗くて足下が危ないというのがあったにせよ、最後の2ラップは5分20秒を超えていた。う~ん、まだまだだなぁ。


 今日 5km(25分52秒)   今月累計 47.2km

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