セカンドビギナーのゆるラン日記

40代はそれなりに記録をめざし、ウルトラマラソンをめざし、走っていました。しかし還暦近くなると、体のあちこちが痛くなり無理が効きません。そこで走る目標を変えて、ゆるゆると走ることにしました。そんなゆるランの様子を書いていきます。   by Ogaman(おがまん)


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 見事にゴールを決めた。しかし完走記はまだまだ終わらない。


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 握りこぶしを天に伸ばし、雄叫びとともにゴールした。自分の気持ちを、自分の喜びを表す手段として、それ以外に思いつかなかった。


 目頭が熱くなっている。胸にこみ上げてくるものがある。しかし号泣している暇はなかった。タオルをもらい、完走メダルをかけてもらい、先にゴールしていたなみさんと完走を喜び合う。NO.71さんに写真を撮ってもらっていると、R子さんも無事にゴールした。間もなく足のトラブルのため30km以上にわたって競歩スタイルで歩いて帰ってきたまるトラさんも時間内のゴール。チームナナイチセピアは5人全員が最後の30分で、しかもそのうち3人は12時間50分台という劇的なゴールを果たした。


 スタート前に挨拶したかなじいさんも同じくこの時間帯でのゴールとなったようで健闘を称えあう。その後も次々と仲間たちの祝福を受けていた。


 ほどなく、ゴールゲートの時計は13時間を示す。危うかった。本当に危うかった。何か1つトラブルがあれば、このくらいの時間は簡単にすっとんでしまうくらいの時間だった。


額にカマボコ目はうつろ  次々と仲間の祝福を受け、徐々に完走の実感がわいてくる。でも、まずはとにかく座りたかった(笑)。スタートからの13時間。屈伸などのストレッチはしたものの、1度たりとも腰を下ろすことはなかった。ともかく地べたにお尻をつけたかった。


 楽しみにしていたマッサージは、すでに私がゴールした時間には終わっている。食券をもらって売店の方へ行ったが、こちらも売り切れのメニューが多い。それでもどうにか天ぷらそばにありつき、食べる。よくもまあ、100kmも走ってきて食べられるものだ。ここまでもってくれた胃腸にも感謝。しかし食べてる間にも知り合いのランナーを見つけ、互いの健闘を称えあうことになった。


 予定では、さよならパーティに参加した後、風呂に寄って帰るつもりだった。しかしパーティはすでに満員で、入場できなくなったようで、残念ながら参加できなかった。パーティ会場にいるFRUNのともちゃんからも初完走を祝いあいたいという電話が来たのだが、残念ながらそれはならなかった。


 しかし結果的にはこれでよかったのかもしれない。ギリギリのゴール時間が示すように、セピアのメンバーは皆、傷ついていた。まるトラさんは寒気を訴えており、ゴール地点の常呂から遠軽までは1時間くらいかかるため、風呂に寄らずにまっすぐ帰ることにした。ところが車が動き出してしばらくすると、R子さんも身体の不調を訴えて横になった。私はついに、おなかがゴロゴロいいだした。NO.71さんも初めての道、しかも夜道をこあき号について走っているだけに、途中で止まってくれとはとても言えない。遠軽まで耐えるしかなかった。

 しかし、車の中にいるだけならばどうにか耐えられるが、走っている最中にこうなったら耐えられるものではない。この症状がレース中に現れなくて本当によかった。もしも現れていたら・・・考えただけでも恐ろしい。


 午後8時にホテル到着。私はまっすぐにトイレに駆け込んだ。R子さんはしばらくの間、車から降りられなかった。ホテルのレストランは午後8時で営業終了だった。しかしこあきさんが交渉をしてくれて、どうにか食事をできるようになった。


 いったん部屋に戻り、さっとシャワーを浴びてからレストランへ行く。これからできるメニューはソースかつ重のみということで、さすがに私は半分残してしまった。それでもしっかり、私とまるトラさんは生ビールを飲んだ。


 食事を終えた後、部屋に戻った。さすがにみんな疲れている。健闘を称えあうのは明日でよい。私もすぐにベッドに横になった。


 それにしても、すごいことをやってのけた。正直、そう思う。人間が自分の足で100kmを13時間の間に走りきる。そんなことができるのは、特別な人間だけだと思い込んでいた。だけど違う。きわめて普通のオッサンである私にもできた。

 そりゃもちろんトレーニングをした。走り始めてから7年目の挑戦だったわけで、それなりにトレーニングを重ねてきた。しかしそれまでは特別に運動経験があったわけではない。酒も飲み、タバコも吸い(走り始めの頃にはやめていた)、お腹が気になる中年男だったわけだ。でも、ついにここまでこれた。


 疲れきった私は、すぐに眠りについた・・・と思いきや、眠れない。身体は疲れきっている。でも妙に頭がさえている。でも眠れない原因はそればかりではない。


 足が痛い・・・。


 両膝、特に左膝が大変なことになっている。いつもは右膝痛に苦しんでいる私。今も右膝は痛いが、左膝はちょっと動かしただけで外側に激痛が走る。場所から推測するに、腸脛靭帯炎か?

 無論膝だけではなく、腕から肩から全身に疲労がたまり、痛みも出ている。苦労をしてもっとも負担が少ない体制になる。うとうとする。寝返りを打つ。左膝の激痛で目を覚ます。なんとその繰り返しで朝を迎えてしまった。心配していたレース前夜は思いのほか眠れたというのに、まさかレース当日にこれほど眠れなくなるとは思わなかった。


 明け方。隣のベッドで眠っていたまるトラさんがトイレに立った。片足を引きずっているのを見て、自分だけじゃないと妙に安心した。


 チームナナイチセピアのメンバーを乗せたナナイチ号は、旭川北ICを降りることもなく、一気に札幌へ向かった。札幌でのチームナナイチの打ち上げに参加しなければ、私のサロマは終わらない。


 チームナナイチセピアのメンバーに、姿煮さん、こあきさん、おおひろさん、江別市民さん、そしてますたーを加えたメンバーでの打ち上げ。楽しかった。身体はつらかったけど、やはり参加してよかった。苦楽をともにした仲間たちとの楽しいひと時。これが永遠に続いてほしいと、心の底から思った。


サロマ腫れた足  帰宅するためのJRの時間の都合で切り上げて、札幌駅でみんなと別れて家路につく。列車の中で自分の足を見て、笑ってしまった。


 形が違う・・・。


 足首が思いっきりむくんでいる。右の親指の爪は黒爪となり変色が始まっているし、なんとも痛々しい足だ。しかしこれで済まず、翌日にはふくらはぎも膝もむくんでしまい、HOSSYは私の足を見て大喜びをしていた。


 今日現在。もちろんすでにむくみはひいた。右足親指の爪は、根元側の半分が完全に黒く変色している。残すところは膝だ。両膝とも腸脛靭帯炎のため走れない状態だ。これもある意味では自分の限界までの力を出し切った証拠。走れないのはつらいけど、時間はかかったとしても治らない故障ではないので大丈夫。なにしろ、走れなくなってもいいとまで思って走っていたのだから・・・。


 膝が治り、走り出したときには、次なる目標の北海道マラソン完走を目指して走る。そしてその先には、来年のサロマも待っている。


 来年のサロマはどのような顔で迎えてくれるだろう・・・。


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 と、これで終わりのような書き方をしましたが、もしかするとこの先、本当のエピローグがあるかもしれません。と、思わせぶりな予告をしておきましょう。



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 前回の回想シーンは大変失礼いたしました。冗談で「98km地点で回想シーンを入れる」と言ってたのですが、回想を書き始めると本当に1回分の量になってしまいました。


 ということで、今回は速やかに走り始めます。いよいよワッカを出ました。ゴールまでは2km余りです。


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 ワッカを出て2km余り。最後のエイドはあるが、時間が気になる私はここを通過する。そんな私を後ろからS田さんが抜いていった。


 「頑張りましたね」


 と一声かけてくれた。嬉しかった。その一言だけで、視界が煙ってしまった。


 3時間近く前に右から走ってきた交差点。ここを左に曲がり、あとは常呂の市街地まで一直線だ。


 98km地点。12時間36分27秒。所要時間9分29秒。ゴール関門まで23分33秒。


 あと2km。ここにいる人たちは、みんな日頃から走りこんでいる人たち。普段であれば2kmなんて、鼻歌交じりで走れる距離。ところが今日は、この2kmが余りにも遠い。23分という時間は余りにも短い。


 しかし徐々にゴールは近づいている。間違いなく近づいている。1歩1歩、はやる気持ちを抑えながら私は歩いていた。最後の最後は走る。ゴールが近づくと、大勢の人が沿道を埋めている。その中は走ってゴールする。最後の力を蓄えて、私は歩いていた。


 そんな私を抜き去る影がいた。なべちゃん だった。


 ワッカですれ違ったときの様子から、R子さんには抜かれるかもしれないと思っていた。しかしなべちゃん はその苦しそうな様子から、まだまだ安心できないと思っていたのだ。


 実はなべちゃん にはびえいヘルシーマラソンの後でメールを送っていた。最終ランナーになるために途中でわざとのんびりし、サロマでも最終ランナーを狙うと言っていたことをたしなめる内容だった。そういう走りはなべちゃん の走りじゃない。昨年の旭川マラソンで、ゴール寸前のスパートで私を抜き去ったように、最後の最後まで手を抜かず一生懸命に走るのがなべちゃん の本当の走りだと。


 今日の走りは素晴らしかった。頑張るっていうのはどういうことかというのを十分に感じさせてくれる走りだった。正直言って、ヘルシーマラソンのときのなべちゃん は気持ちよく応援することができなかったけど、今日のなべちゃん は最高だ!昨年の悔しさを胸に秘めて、ゴールへの熱い思いを見せてくれた。抜かれたことは悔しいけれど、俺も来年はこのままじゃすまないからね。


 直線道路の途中には、高石ともやさんがいた。最後の最後、ゴールへ向かうランナーを、温かく迎えてくれた。


 99km地点。12時間45分51秒。所要時間9分24秒。ゴール関門まで、14分09秒。


サロマもうすぐゴール  いよいよビクトリーロードへ。ふと見ると、旭川から駆けつけてきてくれて夕方に到着したというnaritaさんもいる。naritaさんとも二言三言会話をし(何を話したかはまったく覚えていない)、いよいよビクトリーランを開始した。


 NO.71さんも出迎えてくれていた。今日1日、彼女には本当にお世話になった。姿が見えないときもお世話になったのだ。実は、歩いていてへばりかけていたときに、幻聴が聞こえたのだ(これ、本当ですよ)。しかも2度も。遠くから、「おがま~ん」という彼女の声が聞こえ、「やべぇ、また叱られる」と思ってしゃきっとして歩き出したけど、彼女の姿はどこにもなかったということが・・・。だからワッカで彼女の姿を見たときは、「今度は幻覚か?」と思ったくらいだ。


サロマハイタッチ  沿道の声援が増えてくる。あちこちから仲間にも声をかけられる。左手には楽走412旭川 の幟のもと、みんな集まって声援をしてくれている。

 ゴールに近づくまでは、ものすごく遠く感じる。それはどのレースでも同じだ。だけどこうしてゴールに接近すると、今度はゴールをするのが惜しくなる。早くレースを終わらせて楽になりたいと思う一方で、この至福のレースをいつまでも楽しんでいたいと思うのだ。苦しみがいつの間にか至福に変わってしまっている。だからレースがやめられない。


 はやる気持ちを抑え、右にカーブする。するとついに、正面に夢にまで見たゴールゲートが現れた。そういえば、ゴールではアナウンスがあると言ってたっけ。でも何も聞こえない。沿道を埋め尽くす人はみんな拍手をしている。でも拍手の音も歓声も、何も聞こえない。それでも沿道の人に手を振りながら1歩1歩ゴールに近づいていく。でも、沿道の人の顔はぼやけて見えない。ゴールに掲げられている時計の数字もかすんでいる。


 でも、もうどうでもいい。ついに・・・ついに・・・・・・ついに・・・・・・・・・

























サロマ雄叫び



やったー!!!




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 さて、ようやくワッカを抜けて、あと2kmあまり。ここまで振り返ってみると、60kmまでと60km以降はまったく別のレースだった。


 むろん、60kmまでだって苦しかったはずだ。足の痛みも出始めていたし、時折記憶も飛んでいる(笑)。でも、全体を通してみるとやはり楽だった。気分的にも乗っており、沿道の声援にも素直に応えられていた。


 本文中では触れなかったが、初めてのサロマで独特の応援の雰囲気を味わうことができた。楽走412旭川 からも応援隊が現地に乗り込んでいた。NO.71さん、姿煮さん、こあきさんの応援隊も来ていた。他のチームも数多くの応援隊がやってきていた。


 それら応援隊の多くは、自分のチームばかりではなく、他のランナーも同様に応援してくれる。何度も何度も先回りして応援しているので、同じ人から何度も声をかけられる。これは嬉しいものだ。

 ナイアガラMC の方からは、「4時間12分頑張れ!」と声をかけていただいた。ちょうどランナーズ8月号の特集の中で、洞爺湖マラソンに出場していた(目立っていた?)5チームが紹介されており、楽走412旭川ナイアガラMC ともども載せていただいた。そのなかで、楽走412旭川 の412は4時間12分のこと、というのをしっかりと見ていただいたに違いない。


 むろん60kmまでも、60km以降も各チームの応援隊は出ていたはずだが、60km以降の印象はあまりない。それだけ私の状態が悪くなっていたということなのだろう。なにしろワッカ手前で楽走の幟を見たような気がするものの、自信がないという状態だったくらいだから(でも、幻覚ではないことが確認された)。


 60kmまでがあまりにも順調だっただけに、60km以降の急激な落ち込みには精神的についていけなかった。精神的にはそれまでの好調を持続しているつもりなのに、身体ははっきりと動かなくなっている。まずはそのギャップが私を痛めつけた。


 半端に先が見えるのもつらかった。魔女の森を抜けて間もなくだったと思うけど、サロマ湖の向こうに小さく鶴雅リゾートが見えた。74km地点と認識していたから、わずか数kmしか離れていないはずなのに、とてつもなく遠く思えた。


 70kmからは地獄だった。それだけに、この1番苦しいところでS田さんを始め、多くの知り合いのランナーと会えたのはとても幸運だった。たった1人で走っていたら精神的に崩れていたかもしれない・・・。


 74kmから歩き始めたのは、果たしてどうだったのだろう?走れるうちに歩いた方が、元気に歩くことができるのでいいという話を聞いたことがある。そう考えると、この時点で歩いたからこそ、最後の最後までキロ9分台の歩きを維持できたのかもしれない。それとももう少し我慢した方が、これほどまでの関門との闘いにならなかったのかもしれない。それは今となってはわからない。ただ1つ言えるのは、完走できたのだから、この選択は間違いではなかったということだ。


 74kmからワッカまでは苦しかった。自分では戦略的に歩いているというつもりだったが(そう思わないとキロ9分台の歩きは維持できなかったと思う)、むろん肉体的な限界から歩いていたもの。ここまではそれなりに作っていた貯金が、80km関門では5分余りとなる。関門5分前というのは北海道マラソンで慣れた時間帯(笑)。しかしサロマでの5分前というのは焦った。


 ワッカでは・・・実はあまり記憶に残っていない。かなり途中の記憶が飛んでいる。完走記を書いていて、断片的によみがえっているところだ。正直言って、完走記でこのワッカでの出来事を記載するのは非常につらかった。

 そんな中でもO田さんをはじめシーハイルさん、江別市民さん、yagiさんKuriさん 、あんちゃん、磯ピー、tamoyan、トシチン、かおちゅー、FRUNのむぎさん、ともちゃん。・・・他、折り返してきてゴールに向かう多くの皆さんの輝いた表情はしっかりと残っている。自分も折り返してくればああいう表情になれるんだ。その思いが、折り返しに向かうつらい道のりでの励みとなった。80kmから90kmのラップが、その前の10kmよりも速くなったのは、その効果が大きかったと思う。結果的に私にとって、ワッカは地獄ではなく天国だった。


 最後は今にも悲鳴をあげようとしている足との闘いだった。ゴールできれば足が壊れてしまってもいい。そんな思いで足を進めていた。だけどゴール前に壊してしまっては元も子もない。それが怖かった。まあ、実際のところちょこっと壊れてしまったようで(笑)、今日は病院へも行ってみようかと思っているのだが、焦らずじっくり治そうと思う。来年のサロマのために。


 だが、ワッカで最大の恐怖だったのは、本文中でもちょっと触れたけど、トイレ。前日の朝まで下痢気味で、それ以降大をしていなかった。ただでさえ、サロマでは終盤胃腸をやられると聞いていたのに、走っている間は多少下腹の重さを感じただけで、何もトラブルがなかった。鶴雅でおしるこ2杯とそうめん5杯を食べ、85kmエイドではスイカを食べることができたのだから、最後まで胃腸は元気だった。しかしもしもここでゴロゴロゴロときたときは、その時点で私のリタイアは確定しただろう。

 小にしても、今年は練習などでも異常なほど近くて困ることがあったほどなのに、序盤に1度行ったっきり。つまりレースを通じてトイレロスはたった1分余り。実に幸運だったというしかない。


 スタートから12時間半近く。97km余りの道のりをやってきて、2005年1月25日の深夜にスタートした長旅が、もうじき終わりを告げようとしています。(本当に回想シーンで1回使っちゃった!)

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