2008-08-13 21:44:22

野口みずきさん欠場

テーマ:ランニング

 出場が危ぶまれていた、北京オリンピック女子マラソン代表の野口みずきさんの欠場が正式に決まった。今回の件については、考えさせられることが多い。


 ただし、最初にお断りしておきますが、文章力のつたなさ故に野口さんやその関係者、ファンの皆様に対して批判的とも受け取られるような表現をしてしまうかもしれませんが、そうした皆さんを批判しようという意図は全くありませんのでご理解願います。もっとも、一部マスゴミに対しては、明確な悪意を持って書いてますので、その点についてもお断りしておきます。


 さて、前回アテネオリンピック女子マラソンで金メダルを取った野口さん。今回も連覇の期待がかかっていただけに、失望した皆さんも多いことと思う。なんとか無理をして出られないのか?と思う人も多いだろうし、最終段階で故障したということに対して批判的な目を向ける人もいることと思う。だが私は、今回の決断を英断だと思っている。


 本人は走る意欲が強いと伝えられていた(その報道内容から、周囲は欠場させたがっているともとれたのだが)とおり、おそらく、出れば走ることはできるのだろう。しかしそれが100%の力を発揮できる状況かというと、極めて難しいだろう。野口さんの場合、出れば金メダルを期待されるし、本人もそれ以外には望んでいないだろう。だが、肉離れを抱えて走って金メダルを取れるほど、世界は甘くない。よほどのことがない限り、金メダルは難しいだろう。


 しかも肉離れを抱えたまま42.195kmを走り、故障が悪化しないということはほとんど考えられない。マラソンは、そんなに楽なスポーツじゃない。ゴールした時点で、間違いなく悪化しているはずだ。


 そうした諸々を勘案すると、やはり欠場という決断に私は拍手したいと思う。注目度の高い選手だけに、この決断をするにも、かなりの勇気がいったことと思う。それだけに、国内のマスコミ諸氏には、そんな野口さんたちの決断の意味を察して静かにしておいてあげてほしいと思うのだけど、たとえばまったく競技には関係ない個人的な事情をほじくり出してかき立てる光文社のFLASH誌やそんな記事を書いたクズライターのような我が国の一部マスゴミ諸氏は、「別に国民に知らせる必要のないことでも野次馬根性で知る権利」を振りかざして、追っかけ回すんだろうな、きっと。


 さて、そんな野口さんといえば有名なのは、「走った距離は裏切らない」という言葉。この言葉、すっかり広まってしまって、この言葉をよりどころにされているランナーの皆さんも多い。


 実は、私はこの言葉があまり好きじゃない。


 ただ、おそらく野口さんが伝えたかったことは、言葉通りの意味じゃないと思う。この言葉から受けるイメージは、「走った距離」がすべて、というように聞こえる。私が好きじゃないのはその点なのだ。たとえば走らない人、あるいはこれから走ろうとする人がこの言葉を聞いたとき、マラソンの練習は、距離を走ることがすべてなんだ、と思うのが怖いのだ。


 たしかに距離を走るということは、有効な練習方法のひとつである。月間200kmを走るより、月間300kmを走る方が速くなる。それは間違いないだろう。でも、ただ長い距離を走るだけでいいのかというと、それは違う。


 アスリートの風に毎週出てくる市民ランナー。その練習内容を聞くと、実に多岐に渡っている。中には月間走行距離は私よりも少ないサブスリーランナーもいる。距離だけじゃないのだ。むしろ練習内容の方が重要だと私は思う。特に市民ランナーは、限られた時間の中で練習しなければならない。それだけに、効率的な練習をするのは工夫も必要となってくるだろう。


 野口さん自身、おそらく距離を走ることだけが重要だ、なんてことを言いたかったわけではないはずだ。それこそただ闇雲に距離を稼ぐばかりではなく、さまざまな練習メニューをこなして培った力である。そうしたことをひっくるめて、「走った距離」と言ってると思う。つまり、「練習に勝る上達法なし」と同じ意味で言ってると思う。その点では、非常に重い言葉だと思う。「自分はこれだけ練習してきたのだから大丈夫!」という自信を持つということは、非常に大切なこと。それは私も、道マラやサロマの前にはここで皆さんにも呼びかけている。この練習量が少ない私でさえ、ビッグレースに臨むときは「自分がやれることはすべてやってきた。だから大丈夫!」と自分に言い聞かせている。野口さんもそのような意味で、この言葉を使ったのだと思う。


 でもやはり、「走った距離」という言葉が一人歩きをしてしまうことに、私は危惧を感じるのだ。


 まあ、私はたいして距離を走らないランナーだから、よけいそう思ってしまうのかもしれないが・・・。


 ところで皆さん。アテネの金メダルの後、「走った距離は裏切らない」という言葉は、ランナーの間で流行語大賞のようになってしまい、未だに語り継がれているけど、アテネオリンピックの時、こんなエピソードもあったのを覚えてますか?ゴール後、野口さんはシューズにキスをしました。そして、前日はそのシューズを抱いて寝たと言ってました。私はむしろ、そのことに大きな感動を覚えたのです。私たちランナーをゴールへ運ぶための最も重要なアイテム。それがシューズです。いわばシューズは戦友です。そんなシューズへの思い、愛着。私は2004年北海道マラソンの前夜、早速真似をさせていただきました。


 きっとこのエピソード、「へぇ、そんなことがあったの」という反応の方が多いんでしょうね。私自身、しばらく忘れていました。


 今年はあのときのことを思い出し、道マラ前夜は当日のレース用シューズを抱いて寝ようと思っています。

コメント

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1 ■無題

初めてコメントさせていただきます。いつの楽しく読ませて頂いております。

走った距離は裏切らない。
私は好きです。
おっしゃるとおりで、「やれることはすべてやった」と自分に言い聞かせる意味で言われたのだと、きっとみんさんわかってらっしゃると思います。

2 ■KENさんへ

コメントありがとうございます。

おっしゃるとおり、多くの皆さんはそのように理解されていると思います。
私の周囲でも、この言葉を愛し、拠り所にしている人がほとんどです。
そういう点では非常にわかりやすい言葉だと思います。
ただわかりやすい故に、走り始めたばかりの方に誤解をされる危惧を感じました。

そしてそれよりも、私自身はシューズのエピソードに感動したのです。
私は野口さんの練習量や内容を真似することはできません。
しかしこうした、用具に対する愛着というのは、しっかり真似をしていきたいと思っています。

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