[政治・経済]JAL企業年金問題に見る「公共性」
一連のJAL経営再建問題の中で、一際注目を集めているのが、JALの企業年金問題です。JAL企業年金問題とは、ざっくり言うと、「JALの企業年金は積立不足(年金会計のバランスシートの赤字)に陥っているんだけど、経営再建のために投入される融資を、本業ではなく年金に充当するのは国民感情的にまずいので、本業とは別に、年金の問題を片付けなくてはならないよね」、という問題です。
で、どうやって、積立不足を改善するのかといえば、基本的には、支出を減らす(=年金給付額を減らす)か収入(=年金保険料)を引上げるか、あるいは両方を行うのかという3パターンしかないのですが、本業がガタガタな状態で年金保険料を引上げる選択肢はありえないのです。そうすると、年金給付額を減らすしかありません。
※・・・運用環境が良ければ、運用益に期待するという側面もあるかも知れませんが、JALの場合、運用益で不足が賄えるという規模ではありません。
そこで、まずは現役の労働者に対して、「将来お支払する企業年金の額を減らさせてください」とお願いしました。ところが、これだけでは不足が減らないので、既にJALの企業年金を受け取っている受給者(=OB)に対しても、「心苦しいのですが、減額にご賛同願えませんか」とお伺いを立てたところ、OBから猛反発を受け、訴訟も辞さないような態度をちらつかせているんですよね。最近は、少し、冷静になられたようですが。「約束が違うじゃないか」って。法的には、「財産権の侵害に当たる」という主張をされています(この解釈の成否は、別の機会で取り上げたいと思います)。
OBの年金を減額するためには、OBの3分の2以上の同意が必要で、同意しなかった者には減額前の相当額を一時金で支払うことが、法律で決まっています(確定給付企業年金法)。今の状況では、3分の2の同意を得られる見込みは殆どない上に、同意しない者に支払う一時金負担が大きくなることが想定されます。そこで、特別立法と言う切り札を出して、同意しない者であっても強制的に減額させようとしているのです。
JAL企業年金問題を本当に解決したいのであれば、JALを倒産させればいいんです。そうしたら、現在ある積立金の範囲内で分配して終わりですから(つまり、減額された一時金が支払われるだけですから)、特別立法とかごちゃごちゃした話は不要なんです。
ところが、JALは完全な民間企業ではないし、ナショナル・フラッグ・キャリアだの何だの言って、潰せないんです。海外からはモテモテのようなので、「いっそのこと身売りしちゃえば」、なんていう発想が通用しないのも、そこなんですよね。経営再建にしても企業年金問題にしても、問題がこじれる原因の全ては「JALの公共性」にあるのかな・・・というのが、みずあめなりの結論です。
そこで、公共性って何?、と改めて思います。時代とともに「公共」に足りうるものって変わっていくんじゃないのかなあと。
例えば、郵便サービスって、かつては公共サービスとして必要不可欠だったと思います。ところが、今はメールが普及して情報伝達媒体の選択肢が増えたり、民間企業によるメール便や宅配便、バイク便などのサービスが充実してきて、郵便サービスに代替するサービスだけでも十分じゃないかという時代になってきました。「もう郵便サービスなんかなくても生きていけるよ」という風潮が出てきていることを、郵便局が一番分かっていて、「年賀状っていいよね」「手書きっていいよね」というCMをやたらと流すようになってきているのです。悪あがきな感じがして、見ていて痛々しいですわ。こうした状況に対して、国の対応はどうかというと、「時代が変わったので、もはや要りません」とは言いづらかったり、静香ちゃんのように力ずくでもう一度国有化しようとする「昔のお方」が力を持つようになってきて、今の時代についていっていない感じがします。
「公共財=普遍」って誰が決めたのかしら?そんな定義は、経済学のテキストにどこにも載っていないはずです。「公共財=公共財としてのニーズがある場合に限り提供すべき財、不要になったら廃止」というぐらいの柔軟性が求められている気がします。
日本は「一国に一つはナショナル・フラッグ・キャリアが必要だ」という既成概念に拘っている感じがします。実行するかどうかは別にしても、「なくてもいいんじゃない?」「政府専用機を外国から借りてもいいんじゃない?」というブレインストーミングをやってみるのもいいかも知れませんね。




