昨日は
「たっくん 優しいな〜」と思うことが
ふたつありました。
前記事にも書きましたが
昨日はお友達と5人で
大須まで出かけて行ったのですが
なんと 自転車で行ったそうな!
「道 わかった?」と聞くと
「Yがスマホ持ってるから」と。
なるほど。
イマドキは スマホのmapで
道を知らなくても
出かけられるのだね。
でも 帰り道は迷ったそうで
「ぼくが活躍したよ!
お墓参りの時に見る
イオンがあってさ!(←八事イオンのこと)
それで帰って来られた!
お墓参り行ってて良かった〜〜。」
ご先祖様に助けてもらったようです。
朝 大須へ出かける前
お友達のHくんがピンポンに来て
「今日 行けない。みんなに言っといて。」
と 知らせに来てくれました。
夜 帰って来たたっくん。
「時間がなくて
Hにメロンパンのおみやげを
買って来られなかったのが
くやまれる。」
そうか。
そうか。
Hくん 朝 残念そうだったもんね。
おみやげ買って来てあげたかったね。
そこにいない 友達も
心に住まわせているんだね。
こんなことは
親が教えられるものでは
ありません。
話は変わって
我が家は 進研ゼミをとっているのですが
(4月はぜんぜんやれなかったでアルヨ )
”定期テストの2週間前に
計画を立てよう!” と推奨しており
カレンダーがついてきました。
そのカレンダーの端に
「テストの目標」
「大成功したら やりたいこと」を
書く欄があり
ブロンコビリー食べたい でもいいよ〜
コメダ行きたい でもいいよ〜
という私をよそに
「へぇ〜〜!!
自分のことじゃなくて
ヒロ(←チワワ)のこと?!」
「だって やりたいことって無くて。
もう十分に与えてもらったから。」
してあげたい・・・らしい。
これも
親が教えられるものでは
ありません。
「人に優しくしなさい」とか
「感謝しなさい」とか
強制されても
いや 強制されたら むしろ
「大人に気に入られるような行動」はできても
心から優しくできるものではない。
心から感謝できるものではない。
性善説のようですが
みんなの中に 生まれ持って
愛や優しさはあって
それは 外側から
無理やり引っ張り出すものではなくて
教えて備わるものではなくて
「満ちたら」内側から
湧いてくるもの。
あふれ出るもの。
もちろん
人間も自然の一部なので
潮の満ち引きと同じように
満ちたり
足りなくなったりするのも
とても自然なこと。
波は荒れる日があるのが
とても自然なこと。
たっくんも 私も 荒れる日があっても
それでいい。
「やりたいことをやろう」
「したいことをしよう」
「 "好き" を選ぼう」
「自分を大切にしよう」
というのは
非情になれということではなくて
他者から見た「常識的な」行動をとり続ければ
心は枯れていくばかりで
上っ面の優しさになってしまうけれど
「満ちる」と 愛や優しさは
内側から勝手に出てくるからなのです。
子どもの中に
あなたの中に
愛がある。
ゴールデンウィーク。
自然の力も借りて
リラックスして
深呼吸して
いつもの自分をねぎらって
ホッとして